2020年12月24日木曜日

感情 2年 松永健太郎




こんにちは。2年の松永健太郎です。

他の人の部員ブログを読んでいると、みんな面白い書き出しをしていて感心したのですが、残念ながら僕はユーモアのセンスを持ち合わせてい
ので、そこは割愛して早速本題に入りたいと思います。


突然ですが、皆さんにとってサッカーはどんな存在ですか?人は何故サッカーに夢中になるのでしょうか?これは人の数だけ答えが存在する問いかも知れませんが、僕は最近その自分なりの答えを見つけることができたような気がするので、この部員ブログという場をお借りしてそれについて述べさせて頂きたいと思います。拙い文章かも知れませんが、何か伝わることがあれば幸いです。


僕は4歳の頃にサッカーと出会い、それ以来16年間自分なりに本気でサッカーを続けてきました。ですが、決して華々しい実績を残してきたわけではなく、高校時代の公式戦スタメン出場は3年間でわずか1回、阪大サッカー部に入部してからは未だに公式戦未出場です。実力不足に加えて度重なる負傷離脱もあり、何故自分がサッカーをしているのかわからなくなることも何度かありました。そんな中、先日、Cチームの今シーズン最初で最後の公式戦である北摂リーグを、補助員としてピッチの外で迎えました。格上の相手に対し劣勢の時間帯が多かったものの、阪大は終盤の大逆転で劇的な勝利を収めたのですが、その逆転の瞬間、危うく泣きそうになるくらい強い感情が僕の中に生まれました。今考えると、あれはたぶん嬉しさ、誇らしさ、そして同じ舞台に立てなかった悔しさが入り混じったような感情だったのだと思います。皆さん、そういった感情が日常生活の中で生まれた経験ってどれくらいありますか?恐らく、普段の暮らしの中では滅多に味わうことができないものなのではないかと思います。実際、人目もはばからず大声を上げたり、汗まみれのいい年した男達と輪になって抱き合ったりするほど感情が爆発する場面、日常生活ではなかなかないでしょう。だからこそ、そういった体験を求めて人はサッカーに熱中するのだ、というのが冒頭で述べた問いへの僕なりの答えです。


僕たちはサッカーで大きなお金を生み出せるようなエリートではないし、プレーで観客を魅了できるスーパースターでもありませんが、サッカーを通して見る人や自分達自身の中に強い感情を呼び起こすことは不可能ではないと僕は思っています。それが喜びなどプラスのものの時もあればそうでない時もあると思いますが、どちらにせよその経験には筆舌に尽くしがたい価値があるはずです。ただ、それらが生半可な努力で得られる代物ではないのも理解しています。それでも、色々乗り越えた先には、また自分や周りの人の感情を強く動かせる瞬間があると思うので、折れずに日々の努力を積み重ねていこうと思います。


抽象的でぼんやりとした文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

2020年12月12日土曜日

我武者羅 2年 神山歩夢



皆さんこんにちは。阪大サッカー部2年の神山歩夢です。


いつもくだらないことでふざけあっている仲間たちが、心に刺さる文章を量産しているため、内心とても焦っていますが、自分にもそのポテンシャルが秘められていることを信じて、素直な考えを書き進めていきたいと思います。


突然ですがつい最近、僕のサッカー人生において、久しぶりの長期離脱を経験しました。幸運にも、高校時代は大きな怪我や体調不良が全くなく、大学でもこれまで順調にサッカーをやってこれていたので、サッカーをしない日常は不思議な感覚でした。ただ、自分にとっては、ピッチ外からサッカーを、チームを、そして仲間達を見れた貴重な期間でもありました。そんな中で、あることをずっと考えていました。


「俺、今のスタメンにどこで勝てるんだ?」


ピッチの外から紅白戦などを見て色々考えた挙句、僕は阪大で一番「怖い」選手を目指すことにしました。もちろん、容姿の話ではなくて。技術面などに関しては、あと2年でスタメンを追い越せるなんて自分でも全く想像がつきませので。


オフェンスである僕が思う怖い選手とは、一言で言えば最もゴールに貪欲な選手。僕もかつてディフェンダーをやっていたことがありますが、向こう見ずにゴールに突っ込んでくる選手は、対峙しててとても脅威だった感覚が残っています。怖い選手と言われて、僕は真っ先に岡崎慎司選手を思い浮かべます。めちゃくちゃ足元がうまいわけではないが、気持ちでボールをゴールに押し込む。幼い頃からこんなプレーに憧れて、ずっと好きな選手として岡崎選手を挙げていたのを今でも覚えています。


「ゴール」というたった一つの目標のために、ひたすら走り、ひたすら体を張り、ひたすら声を張り上げる。いつになってもあの白球を思い通りに扱うことはできませんが、勝利のために体を投げ出す覚悟を持って、日々サッカーに取り組んでいきたいと思います。


ブログは以上になります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2020年11月23日月曜日

サッカーしようぜ 2年 田上正彦


 初めまして、2回生の田上正彦です。

ブログを書けと宮田に言われてからもう1ヵ月経ちますが決してアイドルに夢中で遅れてしまったわけではありません!毎日、毎日内容が頭に浮かんでくるのでまとめるのに少し時間がかかってしまいました。ちなみにアイドルはもう卒業したので、一応伝えておきます。正直言うとブログを書くのは面倒でしたが、どうせ書くならということでサッカーについて真剣に書きました。最後まで読んで頂けたら嬉しいです

 

僕は4歳の頃にサッカーを初めて早、16年が経ちました。色んなタイミングで辞めることはできたと思いますが、結局二十歳になってもほとんど毎日練習し、家に帰ってもプロの試合を見たりと、まるで小学生の頃となんら変わっいない生活を送っていることに驚きます。僕がここまでサッカーを続けて来られた理由を改めて考えてみると、色々思い浮かびました。勝利した時や、ゴールを決めた時のあの体のからこみあげてくるような嬉しさや、チームメイトとの楽しい生活はもちろん、単純に体を思いっきり動かしたいという思いなどさまざまで。その中でも特に僕がサッカーを続けてきた理由のひとつは、サッカーをすればするほどスポーツの深さを知るようになり、そしてその魅力にどんどんはまっていだと思います

 小学生や中学生の頃はボランチをやっておりあまり覚えていませんが、ひたすら自分がボールを取られないようにすることに集中していたように思います。高校生になって初めてFWになり、ボランチとはまったく違う体の使い方に初めはかなり苦労しました。ボランチの時は足で捌くイメージが強かったけど、FWは常に後ろにいる相手の気配をさぐりながら、駆け引きし前を向いたり裏に抜けたりまたはターンしたり、はたまた落としたりといった判断をしなければなりません。これがかなり難しく、最初はボールをロストしては怒られ、かなり気が滅入りました。しかし、試行錯誤する中で、あるとき急に体を当てるタイミングや、重心を低くした方がいいなどというコツ分かり、うまく出来るようになりましたその瞬間の一気に霧が晴れたような気持ちは未だに覚えています。振り返るとサッカー人生はこういう瞬間の積み重ねなのと思いましたというのも、できないことができるようになり、知らなかったことを知っていく中でサッカーの深さを感じていくそして気づくともうその魅力に虜になっているということです。

驚くことに、サッカーのこうした新たな気づきは大学に入ってからも日々感じています高校と大学ではもちろんチームの特徴が違うので、同じFWというポジションでもこれまた新たな発見がありました。大学の方が自力で相手を交わしたりして局面を打開する必要があったのですが、高校の時はそのような役割はあまりなく去年は苦労したのを覚えています。重心を低くすることでボールキープがうまくいくと高校の時に感じそうしてきたのですが、それではスピードが出にくく相手をかわすのには適していないことに気づきました。そのため今ではその瞬間、瞬間のプレーに応じて姿勢を変えるようにています。できない事にぶつかると、人のせいにしたりして現実逃避しそうになるのですが、考えて試しついにそれを克服する自分がレベルアップしたように感じ、つい嬉しくなってしまいます。他にもシュートは必ずしもパワーを持って強く打つ必要はなく、タイミングとコースが良ければ入るんだというのにも気づきました。また、よく力を抜いた方が色々とうまくいくと言われますが、サッカーにおいてもこれは本当に当てはまると最近感じます。正確には脱力と力を入れるタイミングを見極めて使い分けることで、力をずっと入れているよりもしなやかな動きができ顔もあがり、不思議とボールもとられにくいのですコロナで活動停止している時にこの事に気づいのですが、まだ試合などでは自然と力が入ってしまい理想のプレーには至れていません他にも、相手との距離が近くなってボールをロストしそうな時に、あえてひとつタイミングをずらすことで、慌ててボールを触るよりもロストしにくいというのも感じますしかし注意しなければならないのは、目の前の敵を抜けても、ボールをずっと保持しても必ずしも勝てないのがサッカーだと理解しておく必要があることですボールをロストせずにキープできても、そのせいで攻撃が遅れてしまい機を逃してしまったら、それはその局面では相手に負けたと等しいと思います。そうならないためにはある程度ロストや失点のリスクを冒してプレーする必要がありますが、ここ時間帯やリズム、試合の状況を見て判断することが不可欠で、それが難しいですこのように相手との駆け引きやプレーひとつひとつを考えるにしても細かな部分での判断が大切になるしチームとして勝利するために大局的な判断が必要になるので、サッカーは技術と判断が絡み合っている複雑なスポーツだといつも思います。

こういうことは日々サッカーする中で感覚として身についていくものですが、大学に入ってからはできる限り言語化するように心がけています僕は割と疲労やフィジカルの状態などちょっとした変化で前まで出来ていたことができなくなったりしてしまうので、こうして言語化して整理しておくことで今の自分の状況を把握するようにしていますたとえ状態が悪くても、今何ができなくなっているのかさえ把握しておけば元の状態にも戻しやすくなると思います。おかげで前までは急に感覚が変わってしまったときにどうすれば良いか分からず苦しみましたが、今では大分落ち着いて対処できるようになりました。

ここまでサッカーを少し理論がましく話してきましたが、これだけ言語化しても予想外のことが常に起きるというのがやはりサッカーの最大の面白さだと思います根性論に振りすぎるのは個人的に好きではありませんが、やっぱり気持ちが強いFWのところにボールが最後に転がってきたり、普段から良い集団であるチームにチャンスが回ってきたりするのかなとは、これまでのサッカー人生を通じて感じますまた、FWに関していえばすべてのプレーをうまくこなそうとするのも大切なことだと思いますが決していいプレーが出来ていなくても結果的にチームを勝たせられる選手なにか持っている選手言語化できないレベルで何か必然性があるのだと思います。スアレスのプレーを見ているとそう感じずにはいられません。連携部分で何度ミスしていようが、ゴール付近で一気に力を入れて全集中し、結果を出すそのプレーは憧れの眼差しで見てしまわざを得ません。と同時に、自分が中途半端な選手だと改めて感じてしまいます上手くやるのがサッカーではないと頭では分かっていても、まだ一皮むけずにいる自分がいます。まだまだサッカーの奥深い真理を掴みきれていない思います。もっともっとサッカーについて考えて、実践し、新しいことにたくさん気づいて、もっとその魅力にはまっていきたいと思います!

自分で言うのもなんですが、さすがに1ヶ月考えただけあって内容の濃い長いブログになってしまいました(笑)最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。

2020年10月25日日曜日

勝ち犬 2年 平澤達也

 


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部員ブログを書くにあたって、自分がこの部活に所属している意味、理由を確認するために今までのサッカー人生を文字に起こしてみたいと思います。あと、皆さんに僕のことを知ってもらいたいので、


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振り返ってみると、僕のサッカー人生は実に「負け犬」という言葉がよく似合うものであった。小2でサッカーを始め、大した成績も残さずにサッカーの名門、暁星中学校へと入学した。そんな僕は全く試合に絡むことができなかった。僕の記憶が正しければAチームでの公式戦出場時間5分ほどだったと思う。その5分ですら、ミスしたらどうしようとずっと考えていて、ガチガチに緊張していた。実際に自分のミスから失点に繋がりそうになったが、オフサイドとかいう神が創造したルールにより九死に一生を得た。試合後にはチームメイトからいろいろ言われ、泣きそうになった、というか泣いていた。忘れもしない。帰り道は「みんな怖いし、絶対ミスるし、もう試合なんか無理だわ、ぴえん、」と俺の心の中のJKはずっと考えていた。向上心と反骨心がゼロである。この考え方こそが負け犬の負け犬たる所以なのだろう。また、中3の夏、Aチームは北海道で全国大会を戦っていた。メンバーに選ばれなかった自分は東京に残り練習をしていた。悔しかったが、まあ、仕方ないかとも感じたのを覚えている。この三年間で何をしたかと聞かれても答えることは出来ない。何もしていないから何も覚えていないのだ。サッカーが楽しかったかどうかも覚えていない。


こんな暗黒期を乗り越え、高校から心機一転新しいチームで頑張ろう!というわけにもいかなかった。というのも、暁星中学は中高一貫の学校である。中高の六年間でサッカー部のメンバーは変わらない。更に、中学と違い全員横並びからのスタートではなく、AチームとBチームに分けられ、序列が確定しているところからのスタートだった。また、AチームとBチームは監督も違い、Aチーム昇格のチャンスはほぼ年一回だった。中3の時点で3番手GKだった僕はもちろんBチームからのスタートであった。普通の人なら残念に思い、悔しがると思う。ただ、負け犬の僕は正直ほっとした。これであの怖いAチームの人とは一緒にサッカーをせずに済むんだと思うとなんとなく安心したのだ。ただ、Bチームで色々な試合に出る中で徐々に自信がついてきて、これならば僕もAチームでやれるのではないかと思い始めていた。そして、高2の10月に満を持してAチームに昇格した。最初はAサブの方でミニゲームに入っていた。正直全然やれたし、Aチームさんもこんなもんですかいと思っていた。そして、たまたまスタメン組のミニゲームに入ることができた。そこはAサブとは何もかもが違った。何もできない自分、怖いチームメイト、また僕の心の中のJKが「何もできなかった、ぴえん、」と言っていたのを覚えている。2年間せっせと積み上げてきた自信は練習が終わった時には見えなくなっていた。恐らく幻想か何かだったんだと思う。その後はA2やA3を行ったり来たりして僕の高校サッカーは終わった。もちろん、メンバーに入ること、試合に出ることを目標としてやっていたがそんなことは無理だと気付いていたし、正直途中から諦めていた。最後の数か月はサッカーを続ける理由もなかったが、別に辞める理由もなかったので続けていた。そう、惰性である。まさに腐った林檎なのだ。選手権予選で負け、引退が決まった瞬間、チームメイトはみんな泣いていた。とても悔しかったのだと思う。僕も何となく泣き、帰りにみんなで飯を食って帰った。その晩、僕は中高のサッカー生活を振り返ってみたのだが驚くほどに何も思いだせなかった。それはとても情けないものであった。が、翌日模試だったので早く寝た。そんなこんなで、大した見せ場もなく僕の負け犬高校サッカー生活が終わった。恐らく、引退の1か月後くらいには監督から名前を忘れられている、決して目立つことのない、数合わせのような選手だった。


そんな選手であった僕は、今、大学でも部活に所属してサッカーをやっている。理由は何だろうか。やはり、サッカーに未練があった。あのような不甲斐ない形でサッカーをやめれるわけはなかった。まあ、サッカー人生ハッピーエンドで終わらせたいじゃないですか。自分はこんなところで終わるようなやつじゃないとも思ったし。まあ、「お前は一度諦めただろ、そんな奴が偉そうなこと言うなよ。」と言われれば、何も言い返せないのですが。でも、一回くらい見逃して欲しいです。お願いしますよ。


さて、僕はこの部活に所属してる理由を確認できたのだろうか。恐らく僕はサッカーに未練があるのである。ただ、それだけの理由でこの部活に所属していて良いのだろうか。「サッカーに未練がある」というだけではこの部活に所属する理由にならないと思う。組織とは、各構成員がその組織にとってプラスになる側面を持ち寄って、強く大きくなっていくものだと思う。プラスの側面を持ち寄ることが、組織の構成員としての条件なのかなと考える。もしそうならば、僕はその条件を満たしてない。僕はこの部活を支えているのでは無く、ただ乗っかってるだけである。「サッカーに未練がある」という理由だけで部活に所属している僕は組織にとって悪影響を及ぼしているかもしれない。それならば自分がこの部活に存在してよい理由を作らなければ、何かプラスの側面をもたらして、存在理由を示さなければならないのか。いままで、そこにサッカーする環境があり、サッカーが好きだったから続けてきて、中高と構想外であったためチームのことなど考えてこなかった。僕がこの部活のフリーライダーにならないためにも、組織のことを考えるというのは必要不可欠なのだろう。僕にこんなことを思わせる部員ブログ君は偉大である。言いたいことはまとまらなかったが、なんとなく、大人になった気がする。


最後に自分のことを語ってみたりする。僕は自分に自信がない。いつもは虚勢を張って自信がある風を装い、自分を強く見せようとしているダサい人間である。まさに「負け犬」の生き方である。そんな僕は知っている。20年弱生きてきて得られなかったものがいまさら手に入るはずはない。だから、自信なんかもういらないと虚勢を張ってみたりする。僕は虚勢を張って生き続けていこうと思う。負け犬は負け犬らしく。それが僕を守ってくれるなら良いではないか。虚勢が僕を守り、僕はゴールを守る。素晴らしい関係だ。


とびきりの面白ジョークが出てきたのでこのブログを終わってみようと思います。


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2020年10月20日火曜日

役割 2年 植野直次朗


 はじめまして、2回生の植野直次朗です。

この部員ブログの内容を熟考するあまり、書き切るのに1ヶ月もかかってしまいました。

というのは嘘で、最初の3週間は何もせず、多方面からはよ書けと言われてしまったので急いで書きました。僕の部員ブログを心待ちにしていた皆様、申し訳ございませんでした。

では、部員ブログの内容に入らせていただきます。

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2020年春、コロナウイルスのため部活が休止していました。これを機に自分の役割について考えてみることにしました。1回生の間のことを思い返してみるとこれといってチームに貢献したような場面はありませんでした。北摂リーグに出させていただく機会やAチームの練習に参加させていただくこともあったのですがそれが自分である必要があったか、と聞かれると胸を張って答えることはできませんでした。思い返してみると、高校時代も試合には出場しているものの何か決定的な仕事をしてチームを勝たせていたか、と考えると別にそういう訳でもない気がします。

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他の部員の役割を考えてみると、点をとる人、ゴールを守る人、声を出して雰囲気を作る人、チームのことを考える人、事務作業を行う人、選手を支える人…。他にも役割はここにあげきれないほどありますが、そのどれもが自分にはできないことばかりです。個人としてもチームとしても周りの人の役割に支えられている事がわかります。「やっぱサッカーってチームスポーツやねんなぁ」って再確認です。

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では僕はどんな役割でチームに貢献出来るでしょうか。僕のポジションはボランチなので守備にも攻撃にも参加します。サッカーは攻撃と守備が連続的に繰り返されるため、攻守どちらでも活躍するためには切り替えが早くないといけません。そのため「ピッチ上の誰よりも早く切り替える」ことが自分の役割と考えています。


「チームの攻撃の時に守備のことを、チームの守備の時に攻撃のことを考えろ」


これは僕が高校の時に監督に言われ、今も大事にしている言葉です。当時の僕は本質をとらえきてれなかったのですが、この言葉こそ切り替えの意識について体現しているのではないでしょうか。

大谷さんのようなアジリティ、築城さんのような走力、登藤さんのような守備力が備わっていないのですが、自分は切り替えの早さで勝負していこうと考えています。

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阪大サッカー部は4回生の幹部3人を中心に学生主体で動いています。そのため尚更各自の役割が大きくチームに影響します。自分の役割がいまいち明確でない部員は、自分の役割とは何か今一度よく考えてみる時間をとることをお勧めします。90人近い部員全員が自分の役割を意識すれば確実にチーム力の底上げになります。

僕も自粛期間中に考えた自分なりの役割を意識し、阪大サッカー部の歯車の1つとなれるよう努力します。


部員ブログは以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

2020年8月21日金曜日

身の丈 2年 山﨑奏


 はじめまして、2年の山﨑奏です。

大した人間ではないので皆さんの心に響くような文章は書けません。時間がある方は暇潰しにでも呼んでください。

 

 自分には「強み」というものがありません、が、「弱み」は腐るほどあります。これはサッカーに限った話ではなく、私生活、勉強にもいえることです。

 僕のことを知ってる人はわかると思いますが、自分はプライドが無駄に高い為に、見栄を張りたがります。 

 自らの能力を高めるには、「強みを伸ばす」方法と、「弱点を潰す」方法の2つが一般的に有名ですね。

 僕には強みがないので「弱点を潰す」しかありません。 でも、プライドの高い人間は自分の弱点を見つめ、考え、潰す、そんな過程を直ぐに踏めません。これまでの人生でも周囲に自分を大きく見せ虚勢を張っていました。

 高校生の時、キャプテンをやらせて貰いましたが正直上手く纏まっていたとは思えません。練習開始時間への集まり具合、練習・試合中の声出し、等々それぞれが別の方向にむいていました。それは紛れもなく口先だけの自分のせいであると、今では思います。

 

中身のない奴に人は付いて来ませんから。

 

しかし、阪大サッカー部に入部して以来自分を見つめ直す機会が増えました。怪我での離脱期間が長いこともありますが、何より自分が見栄を張っても手の届かないような人ばかりであるからだと思います。

 練習前後に自主トレをする人、怪我をしないように他の人より入念にアップする人、準備や片付けを率先して行う人、パッション溢れる人、そしてそれを側で支える人。皆が自分を見つめ、チームのことを考え、行動しています。

 そんな人達が周りにいる中で虚勢を張っても仕方ありません。自分の身の丈をしっかりと見つめ、考え、実行する。それができる人に人は付いていくのであり、それができる人がチームに必要とされる人なのだ、と感じます。

 敬愛する4回生と一緒にサッカーをできるのもあまり長くありません。少しでもチームに必要とされ選手になれるよう、チームに力を還元できるよう、自らの身の丈を見誤らず、そして少しずつでもその丈を伸ばし、人として成長していけたらと思います。


 拙い文章にお付き合い頂きありがとうございました。

2020年8月19日水曜日

部活の意義 2年 十川大輝


部活の意義というテーマで、質低め量多めで書かさしてもらいます。外語なんで許してください。


ぼくがサッカーを続ける理由は、堕落しないためです。もちろんサッカーが好きであることは前提ですが。なぜこうした理由で部活に所属しているかを過去の失敗をもとに長々と書いていきます。


ぼくは小学校からサッカーを始め、高1の秋までフィールドでプレーしていましたが、同期にキーパーがおらず、誰かがやらないといけなかったので、ぼくがやることになりました。最初は自信とやる気に満ち溢れていましたが、次第にその過酷さと孤独さに負け、不平不満を漏らすばかりになりました。何度も辞めたいと思う時がありましたが、なんとか最後まで続けました。引退後は受験に専念するはずが、サッカーを言い訳にして勉強からも逃げて当然のこどく受験には失敗しました。そうして浪人にするとになります。最初は予備校に通っていましたが、転機が訪れました。ある本を読んで、それまでの自分の行いの全ての原因が「精神的弱さ」ということに初めて気づきました。同時に過去20年間の後悔と反省に襲われました。自分の愚行が蘇り恥ずかしくてどうしようもありませんでしたが、過去は変えれないのでその分は今から取り返そうと励みになりました。阪大でサッカー部に入ると決めたのもこの時です。そして頑張るには宅浪しかないと勘違いして予備校を辞めて、AEONや公園で勉強したり、ランニング中に単語を覚えるという奇行に走りました。結果として大阪大学に合格することができました。今思えば本当に過酷な一年で、過去の猛烈な後悔が無ければ、乗り切ることはできなかったと思います。自分の過去には後悔ばかりですが、その後悔が今の自分の原動力となっているので、これでよかったと思います。こうして自分の弱さを知り、それでも堕落するなら自分の人生は終わりだと思っています。大学で頑張れることは、自分には部活と勉強しかありませんでした。だから部活に入りました。これがぼくにとっての部活の意義です。


大学で一年半が経ちました。昔よりは格段に頑張っていますが、まだ過去の負債は返せていません。まだまだやれる。今年は量にこだわってやっていきます。


お読みいただきありがとうございました。

自分で読み返しても内容が分からないので、解読した方は教えて下さい。

#外語なんで

2020年8月13日木曜日

練習の取り組み方 2年 米花遼人


阪大サッカー部に入って1年半近くが経ち、ようやく大学サッカーにもなれてきました。

1年半やってきた中で感じるのは、大学サッカーは高校サッカーに比べて練習時間が圧倒的に短いということです。僕の高校では真夏のくそ暑い中でも、4時間程度練習するのが普通で、大学に入って毎日の練習が1時間半で終わるのが衝撃でした。

そんな短い練習時間の中で、どのようにしてうまくなるのかというのは僕が阪大サッカー部に入ってからそして今も考えているところではあります。

このブログでは自分が普段の練習で意識していることについて伝えようと思います。

まず1つめは毎回の練習で具体的な目標を立てることです。

これは新チームになってから阪大サッカー部でも練習前に自分の今日の目標を言う機会というのが設けられていますが、僕はより具体的に目標を立てることを意識しています。

例えば、トラップを1度も浮かさない、シュートをすべて枠内に入れる等々。

たった1日の練習で自分がうまくなると実感することはほとんどないと思いますが目標をたてて意識することで練習の質は大分変わってくると思います。

2つめは常に試合中を意識することです。

これは、高校のサッカー部の顧問から常々言われていたことで、どの練習が試合中のどの場面に該当し、また、そこで自分が何を求められているのかを考えながら練習に取り組むことで試合に近い、質の高い練習になります。ロングキック1つをとっても、試合中に助走を何歩もとって蹴れるのはGKかCBぐらいですし、僕のポジションであるボランチではトラップしてから1歩程度の助走で蹴らないと相手にとられてしまいます。当たり前のことですが、練習が試合につながるわけで練習と試合を切り離して考えているといつまでたっても練習の成果というものを試合で発揮できないと思います。

僕は背が高いわけでもフィジカルが強いわけでも、足が速いわけでもありません。サッカーはお世辞にもうまいとはいえないし、僕よりうまい人は阪大サッカー部にも何人もいます。特にこれといった特徴もない僕が試合に出て活躍するには、日頃の意識や頭の部分で他の人に勝つしかありません。この練習中の意識を忘れずにこれからも取り組んでいきたいと思います。



2020年7月23日木曜日

言葉 2年 梶恭介


はじめまして。新2回の梶恭介です。
まずはじめに、1つ前の人が大先生のような文章を書いたせいで、僕も技巧を凝らした文章を書かないといけない気になっていますが、そんなことは出来ません。すいません。読みやすい文章になっていると思いますので、ぜひご一読ください。
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最近になって、言葉って不思議なものだなと感じるようになりました。言い方によって意味が変わってくるし、その人の性格や気分次第でプラスにもマイナスにもとらえられる。人にはそれぞれ忘れられない言葉が1つはあると思います。僕の中のそれは、サッカー人生において出会いました。

「お前が1番下手や、サッカーやめろや!」

サッカーを始めて5年が経った中学2年の頃、なんとなくサッカーを続けていたある日、練習の紅白戦でコーチから急に名指しでそう言われました。中学生という多感な時期に大の大人(しかもガラが悪い)から怒号のように発せられたこのストレートな一言で、まだまだ真面目な子供だった僕のメンタルはぐちゃぐちゃにされました。当時は、どう変換してもポジティブな意味で捉えることは出来ませんでした。そんなの当たり前で、誰がどう見てもネガティブな意味しかないからです。

普通、こんなに罵声を浴びせられたらサッカーをやめてしまうのではないかと思います。しかし僕の場合、やめる・やめないを悩む余裕も時間もなく、練習に追われる日々で、次また怒られるんじゃないかという恐怖でただがむしゃらに上手くなるように練習しました。毎日が大変だったけれど、なんとか中学の最後の大会ではいい成績を残すことができました。

恐怖が自分を成長させてくれたことは間違いありません。しかし、僕がここで言いたいのは、言葉が僕を突き動かしたことです。当時言われた一言が、十数年たった今でもたまに悔しくて頑張らないとという気持ちにさせてくれます。普段の練習でも、先輩に言われた何気ない「ナイス」や「頑張れ」のシンプルな一言でテンションが上がり、プレーに影響してきます。つまり、誰でも簡単に他人のモチベーションをあげることは可能なのです。どんなに苦しいときでも、お互いがお互いを励まし合えるチームこそ最高のチームだと思います。

最後になりましたが、最近コロナ自粛で実家に帰り、部屋の整理をしていると、中学卒業の時の寄せ書きにあのコーチの一言が添えられていました。

「現状維持は衰退」

今思えば、たしかに当時、上手くなろうとする訳でもなくサッカーを続けていた僕は現状に甘んじていたのかも知れません。これからのサッカーを含めた大学生活において、この言葉を胸に日々精進していきたいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。




2020年7月19日日曜日

春過ぎて夏迎え、未だ冬眠中 2年 劔佳吾

早いもので最後の練習から4ヶ月が経つ。待ちわびた桜もとっくに散って、なかなか止まぬ雨を憂う日々が続いている。程なく大っ嫌いな虫たちが長い雨宿りを終えて飛び立つ頃かと思うとなお一層気が沈む。日に日に夏の足音が大きくなっているそんな中、私は依然として土の中で眠っている。
  
 新チームが発足して8ヶ月。怪我に怪我を重ね、私がフルで練習をこなしたのはそのうちのわずか5日。この数字をみて改めて自分の味噌っ滓ぶりに腹が立つ。サッカーをしないサッカー部員などチャーシュー抜きのチャーシュー麺かタイヤのないフェラーリも同然。まったくの無価値である。よっぽど気圧計やコーナーフラッグの方が活躍していたに違いない。
 
 無論そんな状況は到底耐えうるものではなかった。私は日頃、喜怒哀楽の中二つは見せんと強固な仮面を被り感情を殺している。けれど本来かなり血の気の多い性分である上に重度のサッカー馬鹿だからこの数ヶ月は燃えるような想いで過ごしてきた。練習中ピッチの中にいれないことや、試合を前に指を咥えるしかないこと。そういったサッカーに関する全てのことが憤りとなり苦しみとなった。

 本音をいえば、途轍もなく辛かった。吹田のグラウンドを見るのも苦痛だったし、サッカーをしている同期の顔をみると涙がこぼれそうだった。もはや何もかもが嫌だった。けれど結局は、今の自分が嫌いで許せなくてしょうがないのである。ひどく落ちぶれた不甲斐ない自分を思うたびに堪らなく気が狂いそうになる。

 日々の波はあれ、長いスパンで見れば自分は常にピークの中に生きてきた。年と共に成長し強くなっていた。だが今人生で初めてピークが過去にある。今の自分はベストの自分に遠く及んでいない。遅いし弱いし故に自信もない。だから毎プレー負け続ける。自分の持つ力全てを出せぬならば他人と競争する過程にはいないと私は考えている。大凡不戦敗のようなもの。私はこの一年間戦う土俵にさえいなかった。自分に負ける悔しさとは想像を絶するものであった。怒りなどとうに通り越してあらゆる負の感情が最高潮に達し束となって自分に押し寄せてくる。間違いなく自分のなかで一番嫌いな感情であった。

 紛れもなく、その感情を消し去るためには自分が自身に打ち克つ他ない。だから私は自分のかつての残像を追いながら己に鞭を打ち続けた。おかげでこの練習無き数ヶ月間を一日たりとも後悔することなく過ごすことができた。少しずつ目指す自分に近づけていると感じている。チームの一員としても半年弱の大きな遅れを取っていたものの、漸くスタートラインには立つことができたと思う。闘っていく準備は整った。


 そうこう書いているうちに近日中の練習再開の知らせが入った。このブログが出る頃には練習が始まっているかもしれない。

 何にせよ、ようやく長い冬眠を終えて土から顔を出すことができる。呆れるほどに長い充電期間であったけれど、人が長く助走をつけるほど遠くに跳べるように、私も耐えて堪えた分だけ強くなれると信じている。もしかすると空回りに終わるかもしれない。あるいはまた身体が壊れてしまうかもしれない。でもそれだっていい。とにかく死力を尽くし続けようと思う。クラッチ踏んでローギア入れて、なんてもうとってもやってられない。エンスト覚悟でトップギアに入れてぶっ飛ばしていきたい。

2020年7月17日金曜日

First year 2年 石田峻平



はじめまして、2年ゴールキーパーの石田峻平です。
大学に入学してから一年以上が経過し、その中での自分の変化について書こうと思います。 

それは、サッカーの試合を見る機会が増えたことです。大学に入る前までは、BSサッカーや代表戦など、見ても年10〜20試合程度でしたが、大学に入ってリーグ戦のやっている時は週に2,3試合観るようになりました。決してまだ多くはなく、むしろ少ない方ですが、個人的には大きな変化だと思っています。

一口にサッカーの試合といっても色々ありますが、一つは海外のリーグやJ含めプロの試合を見ます。ありがたいことに昨年の10月ごろから特別な契約によってDAZNを見ることのできる環境にあります。そのため、好きな対戦カードがあればその都度見るようにしています。正直なところ、観て学ぶというよりかは素直にプレーを観て楽しんでいる割合がほとんどを占めているので毎回、毎回、自分のプレーのために何かを得られているかは分かりませんが、以前よりは確実にサッカーについての理解が少しずつ深まっているように感じます。

そして、もう一つは自分のプレー含め大学サッカーの試合です。公式戦だけでなく、練習試合、時には練習での紅白戦もビデオで撮って、その日か次の日には見られるので、常日頃プレーの改善に生かしています。他にもスカウティングや大会の決勝戦など自分のプレーを見るときとは違った観点から観戦する機会が増えたのも一つの変化です。

これまでサッカーを見る機会が増えたことについて書いてきましたが、実際のところ、試合を見終えた感想は、この選手がうまかったとか、あのゴールはすごかったなとかその程度で今はまだ、サッカーの知識がないという弱点を少しずつ平均のレベルまで引き上げる段階です。最終的な目標としてはゲームの中でチームの修正点を見つけ、改善できる力をつけられるようにしたいと思います。そのためにも、よりサッカーの理解度を深めて、今まで以上にサッカーを楽しめるようになりたいです。

2020年7月15日水曜日

決意 2年 出口大


はじめまして。新2年の出口大です。
入部当初からM2などと老けいじりをされてきましたが、最近医者にも「若者の薬は君には効かない」と言われてしまい、僕は若くないんだなと痛感しました。

今回は、僕にとってのサッカーについて少し書いていければと思います。

僕にとってのサッカーは怪我と共にあると言っても過言ではないくらい常に痛い状態でプレーをしています。
特に高校に入って、高1の夏前から膝の慢性的な痛みで一年以上プレーが出来ませんでした。
高2ではギックリ腰になったとき精密検査をしたところ、ほぼ先天性に近い腰椎分離症が見つかり、医者にはどうすることもできないと、サジを投げられました。
試合の日には必ず痛み止めを飲み、時には、寝返りを打った痛みで起きることもありました。
そんな状況でサッカーをし続けるのは精神的にもかなり辛く、高校卒業する時にはサッカーを辞めようと思っていました。

しかし、僕は結局体育会サッカー部にこうして所属しています。
その理由はやはりサッカーが大好きで、サッカーをしていない自分が全く想像出来なかったからです。
暇があればサッカーの動画を見て、寝る前もサッカーのプレーについて考えたりしています。僕にとってサッカーは日常の一部になっていました。

残念なことに、今も怪我と向き合いながらプレーをすることが多いです。
病院に行ったり、プレー後のケアなどやることは人よりも多く、医者にもそこまでサッカーしたいか、と聞かれることもしばしばです。親にも心配をかけますし、サッカーにかける時間を他に費やせばもっと何か別のことが成せることがあるかも知れません。
しかし、僕にとって、サッカーが大好きで何事にも変えられないものだからこそ、こうしてやり続けていられます。親や友達など応援してくれる人が僕の周りにはいます。周りで支えてくれる人への責任もあると思います。

だからこそ、サッカーに対してもっと真摯に取り組んでいきたいと思います。
練習から頭を常に使って、一つ一つのプレーにこだわり続けて、チームの中心選手になりたいです。
ピッチに立てば、僕の怪我も学年も関係ありません。
やるからには全力で。

2020年7月10日金曜日

知る 3年 松田明香里

こんにちは。新3年の松田明香里です。前代未聞の自粛期間というこの味気のない毎日の中でも、この部員ブログは、私の唯一の楽しみでもありました。でもいざ書く側になると、かっこいい言葉を使いこなす語彙力もなければ、面白く書く文章力もないし、、と悩みました笑 散々悩んだ結果、私は、高校時代みんなとは違う時間を過ごしたからこそ味わったことを書くことにしようと思います。

「なんでマネージャーしようと思ったの?」という質問はマネージャーに対してみんなが疑問に持つところかもしれません。自分自身、そう聞かれても曖昧な言葉で返していたような気がします。

みんながサッカーに熱中していた高校3年間、私も弓道というスポーツに青春を捧げました。弓で矢を引き、的に当てるにはブレを±3mm以内に収めなければならないという超繊細なスポーツです。そんなにメジャーなスポーツでもないですが、148cmの身長といい、この体格がプレーヤーに向いてないのは容易に想像してもらえると思います。案の定、そのフィジカル面で壁にぶつかり、逃げるようにして高1の夏、私は留学に行きました。夏合宿なども含め、大事な成長期を逃した私は、1年生全員が出る大会にも出られず、応援席で同期の姿を眺めることしか出来ませんでした。弓と矢を持つことは疎か、道場内に入れてもらうことさえも出来ず、永遠と1人道場の外で基礎練の日々でした。悔しくて悔しくて、悔しくて、そして情けなく、悲しかった。でもその思いはいつの間にか、怠惰な気持ちへとすり替わっていきました。結果に拘ることもなくなり、集中も出来ない、メンタルもブレブレ。けっきょくいつまでたってもメンバーには選ばれない日々でした。
いつからか私は、控え室に座っている同期に声をかけ、道具の整備を手伝い、スコアを付けて選手に伝え、会場運営の仕事に奔走する、いわばマネージャー的立ち位置に収まってしまっていました。

選手をしていたからこそ、メンバーたちが何を必要としているか、何をしてもらったら助かるか、そういうことが分かる私は正直、マネージャーのようなその立場にやりがいを感じる時もありました。選手として部活にいる時よりも必要とされる実感を得られたからです。

2年生に上がって、弓道をしに行くというよりも、大好きな部活の同期たちに会いに、週7で道場に通っていました。しかし道場に行けば、コーチもいるので練習せざるを得ません。嫌々ながら練習をしていたはずでしたが、気がつけば弓道というスポーツと向き合うようになっていきました。ギリギリのところでポジションを奪い、新人戦の九州大会という大きな舞台で結果を残します。九州3位という輝かしい栄光を、選手として、手にすることが出来ました。

褒めに褒められ、調子に乗った私でしたが、その後、油断したせいか、期待されていた最後の夏の総体で、一個下の後輩に追い抜かれ、メンバー外。あの一瞬だけが奇跡のような思い出となってしまいました。高校3年間の間に、支える立場として部活に携わることの意味を知り、そして選手として最後にやりきれない思いを味わいました。

だから、今、私はマネージャーとして、体育会サッカー部にいます。

あの時果たせなかった悔しい思い、選手が最高のパフォーマンスが出来る環境を作る立場としてのやりがい、など全てをこの体育会のマネージャーにぶつけようと決めました。

覚悟を持って部活に入ったものの、みんなが20年近くやってきたサッカーは、私にとっては未知の世界です。そこにいきなり飛び込んで、辛いことも多くありました。選手との間に壁がある、頼ってもらえない、怪我の話さえしてもらえない。
でも正直それは当たり前で、サッカーを知らないマネージャーにサッカーの話なんかするわけも無いし、知識もない人にテーピングを頼もうなんて思いません。
私自身、これを認めるのは傷つくと分かっていたからこそ、今の現状に目をつぶり、努力をしようとしていませんでした。

私たちの学年は「仲が良い」とよく言われて来ました。この3年近くで何回言われたか分かりません。でも言われれば言われるほど、私は同期のことを知った気になっていました。「仲が良い」からみんなのことが分かっているつもりでした。でも、実際、同期が書いた部員ブログを読んで、知らないことしかありませんでした。みんながどんな高校時代を過ごし、どんな思いを抱えて入部し、何を思いながら練習し、ピッチに立っていたのか。

やっとあの現状に正面からぶつかりにいける気がします。そのためにも、みんなをもっと知ろうと思います。信頼され、頼られるマネージャーになるには、選手自身について知らなければならないし、もちろんそれからの努力も怠らないつもりです。

部員ブログから少しだけみんなの思いを知って、これでやっとスタートラインです。部活が再開したら、みんなのために、自分のために、グラウンドで時間を過ごしたいと思います。

これからの阪大サッカー部の活躍に期待してください!私も共に戦い、成長できるように頑張ります!

2020年7月8日水曜日

MÁS MAGICO 3年 五喜田孟彬

こんにちは、3年の五喜田孟彬です。
千葉県の高校を卒業後、都内で1年を過ごして大阪に来ました。大学では物理を勉強しています。阪大サッカー部では学生コーチをしてます。よろしくお願いします。
部員ブログをかけとK山君に脅されたのでサッカーの話でもしましょうかね。サッカー部に関係のない高校とかの友達へは最後に何か軽く書くのでよかったら読んでね。
本題に入る前に断っておきますが、長くなるので僕の考えの表面の一部を書きます。また、解釈は無限個存在するのでなんか言ってんなーくらいに読んで下さい。では、始めます。
皆さんはサッカーをどのようにみていますか?(捉えますか?がいいのかな)
よく「攻撃」⇄「守備」の様に2つに分解したりトランジッションを含めて3つ、4つに分解して各状態間の遷移の様にみようみたいなのが多いですねぇ。(J○Aの一般公開されてる資料では「攻撃」⇄「守備」となっています。指導者向けだと少し違ったかな、知らんけど)
僕は「ボール保持」と「ボール非保持」のサイクルとして見ています。(そもそも分けない派ですが簡単の為って事で)
決して「攻撃」と「守備」で分けません。そもそも⇄だと2つの状態がキレイに切り離されてる様に感じる可能性を持ち得るのでなんだかなぁ。実際の試合で少なくともCB、GKはボールロストに備えて立ち位置を決めていますよね?決して「俺が点をとる!」を目的とした立ち位置ではないですよね?
つまりチームとしては「攻撃」の状態が顕著であるが実際には「守備」の事をメインに考えている選手がいます。(ここに深入りすると長いので省略)なので「攻撃」⇄「守備」の様に2つを切り離すことは出来ません。1番の理由はコレですかね。
強いて言うなら「攻撃」と「守備」の状態が重ね合わさっていると僕は言います。
また、「ボール非保持」の始まりは「ボール保持」の終わり(広義の意味でのボールロスト)の瞬間です、当たり前ですが。
つまり2つの状態「ボール保持」と「ボール非保持」が離れることなく循環していると解釈できるのでサイクルと表現します。こんな感じですかね。
ここから長くなるのでこれで終わります。極一部を書きましたがこの先は某後輩君が書いてくれるかな?笑
読んでくれた部員の皆、意見ください。

P.S.
サッカー部とは関係がないけど読んでくれた友達に向けて少しだけ。
みんな元気?ココを見てるって事は多分僕が仲良くしてもらってる人達かな、知らんけど。みんなと理由無く会えていた日々が懐かしいです。また、会える日を楽しみにしてます、元気で!

2020年7月4日土曜日

選択と本気 3年 山口雄翔

こんにちは、3年の山口雄翔です。
ここ数か月間先輩方や同期のみんなのブログを読んでいて、みんながサッカーに対して、部活に対して真剣に考えながらやっているのが分かり改めて尊敬できる人たちばかりだなと感じています。
そしてついに書く番が自分に回ってきたわけですが、考えても考えてもみんなみたいなアツい文章は書ける気がしません。ここ1年半くらい深みにハマっている筋トレのよさについて語ろうかとも思いましたがそれはこの場にふさわしくない気もするので、大学生活について僕が考えていることを書いていくことにしたいと思います。
部員ブログっぽくない内容かもしれませんが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。



いきなりですが大学生というのは何をする期間なのでしょうか? 高校までは受験勉強や部活や行事ごとなどすべきこと、頑張るべきことが明確に与えられていますが、大学では違います。もちろん勉強はしないといけませんが、それだけではないと思います。
現在大学生である僕の友達や先輩の中でも、その競技のプロを目指して部活をやっている人、資格の勉強やインターンなどにいそしんでいる人、休学してアフリカに行きNGOで働いている人、ゲームを自作してリリースしている人、起業をした人、学生ながら人気YouTuberになった人などがいて、人によって取り組んでいることは本当に様々です。
授業は大事ですが,大学というのはそれだけで充実した生活が送れていい将来が待っているという場所ではないと、多くの人が考えているからだと思います。もちろん自分の所属や将来何になりたいかなどにもよると思いますが、時間的にも能力的にも様々なことにチャレンジできる大学時代に、学校以外の時間に取り組むことがないというのはとてももったいないことだと僕も思います。
ですが他に何をすれば、何を頑張れば意味のあるいい大学生活になるかという答えはありません。
だからこそ大学生活を通して何に取り組むかを考えることはとても重要だと思います。
一つをやれば他のことが何もできなくなるわけではありませんが、当然他のことをする余力や時間は減ることになるので、自分で考えて選択をする必要があります。


そしてその限られた大学生活の中で僕は、プロを目指すわけでもなく公式戦に1秒たりとも出たことがないにも関わらず阪大サッカー部でサッカーを続けています。
同期の水越も部員ブログに同じことを書いていましたが、僕も部活に入って他のことを犠牲にして練習とかをしていることに対して偉いとかいった考えは一切ありませんし、他にやりたいことができて部活をやめることが悪いことだとも一切思いません。続けるのもやめるのも自分の選択であり、現在や将来の自分のためにそういった選択を行うのは大学生にとって当然のことだというのが僕の考えです。
そんな僕がそれでも部活を続けているのは、ただ大好きなみんなと本気でサッカーをするのが楽しくてちょっとずつだけどサッカーがうまくなっていくのが嬉しいというごく単純な理由からです。10年以上サッカーをしてきた中で今が一番楽しいし、うまくなるために全力で取り組めていると断言できます。
もちろん好きなサッカーをしたということしかない大学生活でいいとは思ってませんし、他にも本気でやっていることはありますが、他のことをする時間を大きく削ってでもサッカーをしたいと思うくらい部活が大好きです。


僕は自分とまったく違ったことをしている友達の話を聞くのが好きでよく色々聞くのですが、充実しているんだろうなっていう人はみんな自分の好きな熱中できることをやっている気がします。
正解の選択肢というのはありませんが、自分がしたいと思えることを本気でやる中で熱い体験をしたり面白さに感動したり達成感を感じたりして、そのことを後から振り返って心から楽しかった・多くのものを得られたと感じた時にそれがその人にとっての正解の選択になるんじゃないかなと思います。
また自分が本気になれることであれば時間が許す限りは二兎も三兎も追うことができるし、サッカー部にもそういう人が結構いると思います。
大学生のうちにやりたいことすべてをやるというのは厳しいのでしょうが、忙しい中芯を持って色んなチャレンジをしている人を見ていると刺激を受けるし、見習わなければなと思わされます。


当たり前ですが結局なりたい自分や今やりたいことを整理して、優先順位つけてやっていくしかないです。
僕は大学生のうちに猛烈にやりたいことができてサッカーをやめる可能性もなくはないですが、今みんなとサッカーすることを捨ててまでやりたいことはとても見つかりそうににないし、引退まで部活をやり抜きたいと思っています。
時間は限られていますが、その中でしたいことやすべきことを全部楽しみながら精一杯やって、振り返った時に胸を張って最高だったと言えるような後悔のない一日一日にしていきたいです。


長い文章になってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。おこがましいかもしれませんが、もしこれを読んでくれている新入生が数人でもいましたらこの文章が大学生活について考える小さなきっかけとなれば嬉しいです。

2020年6月30日火曜日

脱皮 3年 鬼塚仙太郎

こんにちは。3年の鬼塚です。

部員ブログを書くことが面倒くさくて嫌でした。面倒くさいというのは、自分にとって必要だと気づいていることを見て見ぬふりするためによく使う言い訳です。実際には、「面倒くさい」とは言わず、他のもっともらしい理由を付けるけれど。本当は、自分の考えや思いを誰かに伝えることは大切だとわかっているのに無視しようとしてました。実際、面倒くさい読書感想文の時のように、それっぽい内容のブログを調べて適度に引用したりして完成度7割を目指そうとしていた。けれど、部員ブログにおいて完成度なんて考えているのは、自分がたいしたことないことを自分に隠すための文句でしかないし、そもそも部員ブログにおいて完成度なんて存在しないと思う。そんなこんなで、本当は自分が思っていないようなきれいごとを書いていた文章を一度全部消して、新たに書き始めました。

振り返ってみると、何事においても保険をかけてから始めたり、目標を自分が達成できそうなものより低く設定して、その目標を達成できる範囲で力を抜いてやっていたりすることが多いことに気づいた。正確には、気づいていたけど無視をしていたことを再認識した。例えば、試合前に「少し疲れが残っているから調子よくないかも」と考えたり、練習のランニングであれば、「4分割したときの一番上に入っていればいいや」と目標設定してそれなりに頑張ったり。このような文句は自分にはもっともらしく聞こえるけど、いざ誰かのこんな言い訳を聞いていても鬱陶しいだけである。こんな風に保険をかけてから始めたり、ある程度力を抜いたりすることで、得られた結果が満足いくものでなかったときに、納得なんてできるはずもないのに納得をしようとしていた。

本来は、言い訳などせず、本気で取り組み、その結果をそのまま受けとめるべきだと思う。そうでないと、良くない結果が得られた場合にそこからの成長はないし、得られた結果がいいものでも素直に喜べない。大切な試合に勝ったり負けたりしたときに、なんとなくからっぽなのは、極端に言えば涙を流せないのは、これに理由がある気がする。サッカーはチームスポーツであり、全員が頑張らないと勝てないことがある一方で、誰かが頑張らなくても勝てることがある。試合に負けたら自分の今までを振り返って「まあしょうがない」と思い、勝っても自分以外の頑張りで勝った気がして後ろめたい気持ちになる。

この意識を変えて、これからは少しでも自分の限界、卑怯さ、弱さを受け入れる覚悟を持って、泥臭く、本気で取り組もうと思う。少なくとも好きでやっているサッカーだけは。言葉ではいくらでも言えるし、どれだけ頑張ったかという過程は自分以外には関係ない。だから、何らかの結果を残せるようにしたい。そして、今年の部の目標を達成したときに何も考えずに笑えたらいいなと思う。

最後に、文章を見返してみると断定でなく希望で目標を書いているあたりからわかるようにまだまだ覚悟ができていないけれど、少しずつ自分のペースで頑張ります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

2020年6月15日月曜日

同期 新3年 田村拓都

こんにちは。今日6月15日が誕生日の、経済学部3年の田村拓都です。

現在コロナウイルス感染拡大の影響で、チームの活動はできていませんが、
早く前の状態に戻り、活動ができることを願っています。
こういう事態になって改めて思うのは、すごく同期に恵まれたな。ということです。
僕は最初からサッカー部に入ったわけではありません。
それでも同期のみんなは僕を快く受け入れてくれました。
そしてこのような事態でも、お互いに励ましあい、心配し、連絡を取り合ったりしています。
仲が良すぎて、他の学年の人たちから見ると、少し緩く思われるかもしれませんが、学年対抗戦で1位になっていることからもわかるように、ここぞという時の団結力はすごくあります。
いろいろな個性を持った同期のみんなとサッカーできることを幸せに感じています。本当にありがとう。

もちろんこれまで共にサッカーを頑張った仲間も、すごい人たちが沢山いました。
サッカーをやっているというたった1つの共通点だけでも様々な人との出会いがあり、
学ぶこともありました。これからも人との出会いというものを大事にしていきたいし、
出会いを通して、ほかの領域にもチャレンジしてみたいなと思います。

最後になりますが、今年度の主務を務めています。主務をするときに限ってこのような状況になるのは不運極まりないですが、チームのために、特に今年で最後の4回生のために、自分ができることをしっかりと考え、行動していきたいと思います。OBのみなさんには、今まで以上に心配をおかけすることになりますが、今後ともご支援ご鞭撻の程、よろしくお願いします。

2020年6月14日日曜日

哀毀骨立 新3年 神原烈久

はじめまして、大阪大学体育会サッカー部背番号77の神原烈久です。突然ですが、みなさんは、「哀毀骨立」という言葉をご存知でしょうか。悲しみのあまりやせ細り、骨ばかりになることです。この文章では、「哀毀骨立」について特にふれることがないので、「哀毀骨立」の意味は知らなくても大丈夫です。というように、センター試験国語114点の僕の文章は文脈が分かりにくいことがあることがあるかもしれない可能性がありますが、よければ読んでみてください。

多くの方に自分の考えを見ていただける機会はあまりないので、この部員ブログで自分の変えたいところを宣言したいと思います。

自分の変えたいところは大雑把に2つあります。1つ目は「プレー中の意識」です。大雑把すぎますが、より詳しくいうと、チームを引っ張るようなプレーを心がけたいです。新人戦でキャプテンをさせてもらったのですが、1回戦で個人として不甲斐ない結果だったので、キャプテンの責任から逃げました。2回戦以降たけるにキャプテンをかわってもらった判断は間違ってなかったと思うけど、今でもすごくやるせなく感じます。なので、たとえキャプテンという形でなくても、プレーや声で引っ張れる選手になりたいです。先輩達がいる中でもチームを鼓舞できるような選手になりたいので、自粛開けから意識したいです。プレー中に意識したいことは他にもスリータッチ以内、バックパス禁止、アタッキングサードに入ったらしかけるなどありますが、そのへんは実際に試合中の局面になってから発揮したいです。とか考えてると早くサッカーしたいです!🦵⚽️

2つ目は「サッカー以外のことにも気を張る」ということです。自分は幼少期にサッカーを始めて以来、高校は勉強のできる公立高校に行ったものの、ほとんどサッカーしかやってきませんでした。服もユニクロかイオンでしか買わないし、USJも5年に1度しか行かないし、ジャンプも買ったことありません。いいように言うとサッカー一筋と言えるかもしれませんし、自分でもそう思ってました。サッカーに全力で向き合うのが人間的成長にもつながると。でも、自分の場合、サッカー以外のことはどうでもいいという考えだったと最近になって気づきました。サッカーだけやってて、人間的に成長できるはずがありません。遊びも人との関わりもおろそかにせずにいろいろな価値観に触れて初めて人間的に成長できると思います。そういうことも先輩や同期、後輩を見て気づけたので、感謝しています。

尊敬する偉大な先輩が「考えを言語化することは大切」と、おっしゃってました。実際に文章に起こしてみて、考えが整理できました。語彙力がないせいで、この文章書くのは疲れました、哀毀骨立で草ww   おあとがよろしいようで。

2020年6月3日水曜日

キャラ 新3年 河口亮哉

※添付されております写真を見て、「何回この写真こすんねん」と思われた方もいると思いますが内容に密接に関係するのでご承知ください。

 どうもタイソンゲイです。
僕は文を書くのがとても苦手です。中学校の時、皆さんご存知の高丘ノート(毎日担任に提出しなければならない、連絡事項やその日の感想などを書くノート)には3年間ほとんど「おもしろかったと思う。」の一文のみでした。そのくらいには文章力が無いので温かい目で読んでやってください。

 僕は自分で言うのもあれですが、人よりちょっとあれです。はっきりと申し上げますと、人よりぽっちゃりしています。デブと言われることもありますが、ぽっちゃりです。3歳から小学校6年生まで水泳、小学校1年生から現在に至るまでサッカーをしているのですが、基本的に生まれてから今現在に至るまで痩せていたことがありません。なぜ痩せないのかずっと謎だったのですが、先ほど2、3時間考えてみたところ、基本的に何でもある程度は器用にできてしまうので、最小限の消費カロリーで何でもこなしてしまうからだという考察にたどり着きました。(実際は、摂取したものを異常に体が吸収しやがるカラダと思います。うふふ。)

 ここから本題に入りたいと思います。今では、合宿のレクなどで面白いことを要求されるようなキャラの僕ですが、昔はとてもシャイでした。人前に出て何かをするなんて考えられないほどのシャイでした。あるとき、幼少期の小さい脳味噌ながら、『デブでシャイってこの先大丈夫か?いじめられたりせんか?』こんなことを考えました。(別に恥ずかしがり屋の太っちょを批判しているわけではありません。)そのとき僕は体型を直そうとはせず、面白い人間になろうと思いました。こんな感じで僕のキャラの方針が確立され、劇で女装したり体育祭の部活対抗リレーで赤子になったり(写真参照)するほどになり、これが素の自分となりました。
 
 これで何が言いたかったかと言うと、人間はなろうと思えば何でもなれるよということです。(終わり方分からんので無理やり上手いことまとめようとしています。)変わろうとしたら変われる!ということですね。うん。

 では、ダイエットしてきます。(痩せたいんかーい)

最後までありがとうございました。
えー、、、ヒカキンでした!!

2020年5月29日金曜日

百花繚乱 新3年 工藤海斗

こんにちは。新3年の工藤海斗です。
最近はもっぱら先輩や同期を集めてオンライン会を催してます。みんな僕が動かな始まらんからね。

このブログが勢いよく回り始めていつか僕のところに来るのではないかとヒヤヒヤしてましたが、ついに回ってきてしまいました。誰か止めてぇ〜って思ってましたが、みんな真面目やからね、回る回る。書いてくださいって話がきた時は心臓ドキしました。このブログは僕たち部員からすると、とても面白くて、普段こうゆうキャラの人が意外とこんな真面目な事を考えているんだとか、その人を知っているからこそ感じるものがあります。なので、僕も普段考えていることをここに書いておこかな思います。

僕がピッチ内で特に意識しているのは、人のプレーをよく見る、ということです。阪大サッカー部は私立の強豪校ではないものの、部員数は80人近くなる時もあり、同じポジションに10人かあるいはそれ以上の選手がいます。みんなと同じプレーをしているのでは、なかなか幹部の目にも留まらないし、各々それがわかっているので、自分の個性や強みを活かしたプレーを見せてくれます。なので、彼らから何か自分に取り入れられる部分はないかと、特にディフェンスの選手のプレーはよく見るようにしています。自分から主導的に相手のプレーエリアを制限し、自分の間合いに入ったところで奪う、自分から奪いには行かないが相手の動きに連動してクロスまたはシュートタイミングを待って足を出す、リーダーシップを発揮して上手く周りを使い効率的に守る、引導スライディング(床さん)というふうにそれぞれのスタイルがあります。高弘くんや宮田っちはバスケ選手のように相手の顔(目?)を見て対峙するシーンが浮かびます。これは僕もやってみましたが、気づいたら相手はいてませんでした。また、スライディングの上手い選手もいて、身体の投げ出し方、右足左足どっちを下にしているか、角度、とか勉強になる部分は山ほどあります。
このように、見る手本が沢山あって、みんなクオリティーの高いプレーを見せてくれるので刺激にもなるし、参考にもなります。参考にしつつ、自分の強みにマッチしたものを取り入れる。チームメイトをリスペクトして、謙虚に自分や人のプレーに向き合うのが自分のスタイルです。周りから見たら気付かないかもしれませんが、自分の中では徐々にプレースタイルが変わっているというか、変えようとしているという感じで、試行錯誤しています。ですので、これからもどしどしみんなのいいプレーを募集してます。いやラジオかぁい!やめさしてもらうわ!どうもありがとうございました〜。退出

2020年5月24日日曜日

部活動を続けるということ 新3年 水越駆

 はじめまして、コロナで自粛生活となり家で二酸化炭素とうん○このみを生産する生活になってしまった水越です。元々そうやろというコメントや、○が仕事してないのではないかなどのコメントは下のコメント欄にてお願いします。僕は小さい時から真面目に話すのが苦手ですぐヘラヘラしてしまいます。高校の卒業文集ではみんなが友達の大事さとか書いてる中、僕は「それでも僕はゲイじゃない」というタイトルの舐めた文章を書きました。部員ブログを書くにあたって、関川くんから期待してると言われましたが、炎の漢・江田くんの次にふざけた文章は書けません。こんな僕ですが、僕なりに真剣に書きたいと思います。

 自分が部活動を続けてる理由について考えてみました。めちゃくちゃ長いのですが、コロナで暇な皆さんなら読む時間あるでしょう。アンチコメントは下のコメント欄にどうぞ。

 話は高校時代に遡ります。

 僕の高校は中高一貫校でサッカーに関してはただ弱小校ですが中1の時点で部員は1学年60人くらいの大所帯でした。その60人の仲間たちは高2の時に21人くらいになっていました。辞めていった彼らは、他にやりたいスポーツやバンドを始めたりする人、走ってばっかの部活動がつまらなくなってしまった人だったと思います。僕は彼らを特別引き止めたりしたことはないし、ランメニュー中に林の中で休んでる人たちが辞めてくれて清々しいくらいに思っていました。彼らには部活動を続けることすらできないのかと馬鹿にしていたくらいかもしれません。
 しかし、高3にあがる春にインターハイ予選で一瞬で負けて、しかもベンチでそれを見ているだけの僕は高3の最後までサッカーを続けることに疑問を持ってしまいました。それまでの自分の努力が実らないことに嫌気がさしてサッカーが少し嫌いになってしまったのです。当時の僕はなんか楽しくないなぁくらいに思っていたと思います。
 そして、インターハイ予選後に何人かの仲間が大学受験があるからと辞めると言った時に僕も一緒に辞めようとしました。しかし、最後まで続ける派でいる他の仲間たちは僕らのことを引き止めて学年でミーティングすることになりました。辞める派の中には、親のために現役で医学部に行かなきゃ行けないとか、国公立に行かなきゃ行けないなどの理由の人もおり、続ける派の人たちはそんなの部活続けながらやればいいとか最後までやんなきゃもったいないみたいな感じだったと思います。途中から鼻水ジュルジュルしてたのであんまし覚えてません。そしてミーティングというのは名ばかりで辞める辞めるなの水掛け論になっていきました。そこで仲のいい友達でもあり、続ける派の川島くんが声を荒げる続ける派の人たちを制して、ボロボロ泣きながら言った一言が「辞めて勉強に専念して受験頑張った方が偉いに決まってる、部活動を最後まで続けても偉くもなんともない、ただのわがままだ!親のためにとか、お金の為に辞める決意をしたのを俺らのわがままで止められない!」確かこんな感じでした、その時僕はおえおえ嗚咽してたのであんまし覚えてません。ちなみに僕の家はスーパーサラリーマンの父が子供3人とも中高私立に通わせられるほど頑張ってたので、ハイパーサラリーマン家庭でお金の余裕はあり、辞める正当な理由は持っていませんでした。なんやかんやあり、僕は現役で京都大学に受かりたいから辞めると言い、辞めました。今思えば、なんも勉強してこなかったくせにふざけたことをぬかすなと思います。

 ここまで書いて、僕でさえちょっと疲れてきたので、読んでくれてる皆さんはもう読むのやめようとしてるかもしれませんがもうちょっとです。頑張ってください。もう読まないよという方はいいねだけお願いします。コメントとまでは欲張りません、勝つまでは。何に勝つねんなどツッコミは是非コメント欄に!

 浪人中にサッカー部を辞めたことの良し悪しはめちゃくちゃ考えました。駿台のフロンティアホールで僕は川島くんの言葉を思い出して、「あぁ、僕は部活動を続けることを漠然と良いことだと思い込んでいて、ただ辞める勇気がないからサッカーを続けていただけなんだ」と気付き、辞めていった彼らの勇気と最後まで続けた仲間たちの覚悟と自分の愚かさを比べて、僕なんかはサッカーを始めるできではなかったと思うほど凹みました。まあ、浪人生活で腹は凸ったんですけども、、、
 そしてまったくおかしな話ですが、あんなに自信満々だった僕は浪人の冬、京大に受かる自信がなくなり、阪大に来て、奇跡的に高校同期かつサッカー部の続ける派だった仲間である高久保くんに再会しました。正直、最初はサークルでチャラ男になろうとしてましたが、高久保くんに阪大サッカー部に連れてこられ、気づいたら入部届を記入していました。おそらく合成麻薬を飲まされ、朦朧としているときに強制的に書かされたのではないでしょうか。え、僕はそうまでするほどに欲しい人材じゃないって?そういうのはコメント欄にってゆってるじゃないですか。しかし、高校の時と違うのは、僕は今、部活動を続けることを偉いとも思ってないし(だって部活の時間を勉強や就活、資格の勉強に費やすことの方が良いことに決まってる)、いつでも辞める勇気を持っています。入る理由も続ける理由も見つけられなかったけど、部活動を続ける理由なんていらないんです。ただ、辞める勇気は常に持ってなければならない、もしないのならそれはすごく不幸なことだと思います。だって、べつにやりたくもないことを辞めることができずにいることになりますから。現在、僕は辞める勇気を行動に移す必要性は感じていません。それは僕はサッカーを本気でやるのが大好きでサッカー部の仲間達、特にプレイヤーのみんな(中高男子校なのでマネージャーは少し苦手)が大好きだからです。あれ、もしかして僕のことゲイとか思ってませんか?違います!僕はゲイじゃありません!
 うまく伝えられてないかもしれませんが、僕が言いたいのは、僕はサッカーが大好きで、これからもみんなで本気でサッカーをしていけたら幸せです。だから、はやくコロナ終息してください。これマジ谷園。

あとがき
書いた後読み直したらこれ長いし何言いたいのかよくわからないですね。けど、これ読み切るってことは相当僕のこと好きですね、結婚しますか?あ、返事はコメント欄でお願いします。


2020年5月19日火曜日

悪戦苦闘 新3年 江田駿介

 こんにちは。新3年の江田駿介です。「えだ」じゃ無くて「ごうだ」と読みます。友達から、全人類を足して人数で割ったら僕ができると言われるくらいごく普通の人間です。そんな僕がここで言いたいのは、「諦めないこと」の重要性です。そんなこと言われんくてもわかってるわ!と思う人も多いと思いますが、実際諦めないというのがどれほど困難で大変か、そして諦めなければ何を成し遂げられたかについて、自分の経験をもとにお伝えしていきたいと思います。

 僕が中学生の時、大阪のそこそこ強いクラブチームに所属していました。始めは本当に必死にサッカーをしていて、一学年40人程度いる中でチーム内の争いに勝って、絶対に試合に出てやるという気持ちでいました。しかしそんな気持ちとは裏腹に、結果が全くついてきません。諦めてはいけないとわかりつつも、何をどうしていいかわからない、今ある差をどうしたら埋められるのか全く見当もつない。とてつもなく大きな壁にぶち当たった気がして、最後は結果が出ない理由を才能のせいにして諦めて逃げてしまいます。自分よりあいつの方が才能があるからと思い込み、努力することを怠った僕が成長するはずもなく、1度も公式戦のユニフォームすらもらえないまま中学を卒業しました。大学に入ってからもこれと似たような経験をしてしまいます。

 大学に入ってすぐ、中学高校とそれほどサッカーを頑張ってこなかったので、プレーは全く通用せず、評価はBチームの中でも一番下、最底辺でした。みんなが試合をしている中、試合に出れずにその横で走るだけで1日が終わることもあり、このまま4年間ずっとBチームにいて試合に出られないのだろうかと考えることが多くなりました。頑張っても結果が出ない、何をしたらいいのかもわからなくなって諦めかけていた時、頑張るきっかけになった試合がありました。

 それは近畿国立大学選手権のvs神戸大学戦です。この時僕は試合のビデオを撮っていたのを今でもしっかりと覚えています。普段一緒に練習していたBチームの仲間が神戸大学のAチームに劇的勝利するのを見て、すごく嬉しい気持ちの反面、とても悔しかったです。そしてそこで、Aチームに入れなくても、リーグ戦に出場できなくても輝ける場所があることを知りました。そこから僕は気持ちを入れ替えて、今できることをやっていこうと思えるようになりました。

 そこから5ヶ月後の2回生の5月、怒涛の3週間が始まります。新人戦の初戦、vs流通科学大で僕は、公式戦に出られる機会なんてもう無いかもしれないと思い、全身全霊で試合に臨みました。結果は1-2で負けてしまったものの、今まで以上に自分の力を出すことができました。次の週には北摂リーグに出場しました。この北摂リーグというのはBチームで出ている大会なのですが、今まで一度もメンバーに選ばれたことがありませんでした。そんな僕がスタメンでフル出場できて初めて他人に認められたと感じました。そしてその次の週にはAチームに入れてもらい、関西選手権にも少しながら出場させていただきました。

 このように、少し前まで最底辺にいた僕がたったの3週間でこんな状況になるなんて考えたこともなかったし、何が起こるかわからないものです。もしあの時諦めていれば絶対成長していません。なかなか結果は出ないものの、諦めずに努力して、考えて、継続していれば大抵のことはできるようになると僕は思います。

 最後に、僕はまだリーグ戦に出場したことがありません。先ほどAチームに入れなくても、リーグ戦に出場できなくてもと言っていましたが、この考えは今では大きく違います。今の力では2部Aで全く通用しないこともわかっています。しかし諦めたわけではありません。これからも辛いことや苦しいこともたくさんあると思いますが、最後にはピッチに立って、チームの勝利に貢献できるよう、これからも全力で取り組んでいきたいです。

 長く拙い文章でしたが最後までお読みいただきありがとうございました。

2020年5月15日金曜日

環境 新3年 矢倉優

 こんにちは、新3回生の矢倉優です。平日の夜練習して、休日は試合会場に車で行って、足つるまで(僕だけ)走って帰りに飯食いながら同期と試合での不満や喜びを喋るのが楽しかったことをこの自粛期間に改めて実感しています。このブログ書く前に同期のブログ読んだらみんな真剣に書いてたので、僕もアホなりに真剣に書きたいと思います。僕は自分がどういう選手になりたいかということについて書きます。
 僕は「なんかわからんけどよく点とる」選手を今シーズン目指したいと思います。それは昨シーズンを踏まえて思ったことです。昨シーズンチームは2部Aリーグで厳しい試合をして、残留しました。普段一緒に練習してて上手いなと思ってる先輩は個人としては通用していました。でもチームとしてはチャンスの数は相手チームより少なく、攻撃にかける人数も少ないなかでゴールを狙う場面が多かった印象です。それは今シーズンも同じようになると思います。その中で去年からFWでプレーしている僕がチームに貢献するためには少ないチャンスの中で点をとれる選手になることです。
 そしてもう一つ去年のリーグ戦をみていて思ったことが、今シーズンの半年で上手い選手になるのは無理だし目指さなくてもいいと思いました。もちろん上手いに越したことはないし、綺麗に崩してゴールを決める方がいいですが、どんなかたちでもこぼれ球でもいいから点をとれる選手になることを今シーズンチームに貢献するために目指す目標にしました。
 阪大サッカー部はいい環境です。同期もサッカーが上手いやつが多いし、サッカーに対して強い意識をもっているやつもいます。僕の同期にはチームで1番走れるやつがいて、そいつはチームで1番走れるのに自主的にもよく走っていて、家でごろごろしている僕に、おい走るぞと声かけてくれます。先輩もピッチでは厳しいですが、プライベートでは何度も飯や韓国に連れてってくれたり生意気な僕にも良くしてくれます。そんな同期や先輩方とサッカーができるのももう長くないです。自粛期間が終わったら試合に勝つ喜びを少しでも多く味わうために、思いっきりサッカーをしたいと思います。

2020年5月12日火曜日

自分を変えた1試合 新3年 林大晴

    初めまして、3年の林大晴です。出身は兵庫県の三田市という山の中です。アウトレットとめんたいパークがある、かの有名な三田市です。現在はコロナウイルスのせいで部活動ができていないため、このブログも三田からお送りしています。

   今回ブログを書くにあたり、改めて過去のブログを見返すと、先輩方はもちろんのことながら、いつもアホなことばかりしている同期もイケてる文章を書いていることにびっくりしてます。そんな僕は今回、大学サッカーで一番印象に残っている試合について書きたいと思います。

    僕が大学サッカーで1番心に残っている試合は、昨年の北摂リーグの最終節です。自分はこの試合で劇的ゴールを決めたわけでも、大きく勝利に貢献したわけでもありません。ただスタンドで応援していました。ではなぜこの試合なのか?この試合は出場する4回生にとっては引退試合になる試合でした。結果は、安藤さんが劇的ゴールをあげたものの負けてしまったような気がします。しかし僕はその結果以上に、ピッチ上で4回生を中心とした気持ちの入った闘う姿に胸を打たれました。「闘う」ってこういうことなんだなと気づかされました。きっと僕以外にも同じように思った人がいると思います。そのくらい観ている人を揺さぶるものがありました。これはきっと普段の練習の姿を知っているというのもあると思います。その姿を踏まえ、我が身を振り返ると、いかに自分が全力を尽くせていないか。普段の練習も全力のつもりがどこかこなしているところがあるのではないか。きっとこのままでは自分がこの姿を見せる事は出来ない。そう感じました。
    それから僕は今までよりサッカーのことを考える時間が増えました。今までの人生では無縁だったサッカーノートというものを書き始め、具体的な目標や普段の練習で意識することを明確にしました。練習も今までより考え、自分に厳しくするようになりました。その効果もあってか、少し自分の上達を感じるようになりました。改めて、あの試合は自分を変える機会となった印象深い試合だったなと思います。あの試合を生で観れて良かったです。

    最後になりましたが、今コロナでサッカーができない状態を経験し、改めてサッカーができる環境は幸せなことだと気付きました。部活動を支えてくださる方々、部を引っ張る先輩、練習や試合の環境を作ってくれる後輩、そして切磋琢磨できる同期に感謝しながらこれからも頑張っていこうと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

2020年5月8日金曜日

必要とされる選手 新3年 山本康平

初めまして、新3回になる背番号23番の山本康平です。
京都大学サッカー部に同姓同名の人がいると噂の山本康平ですが、大阪大学サッカー部の山本康平です。願わくば今年は定期戦での選手紹介のアナウンスをなくしてほしい所存です。山本康平です。

さて、部員ブログが回ってきたということで
今、自分が一番感じていることについて書きたいと思う。それは、「必要とされる選手」になることの重要さです。

このことについて話す前に今の自分の現状について少し書こうと思います。
自分は元々、サイドバックではなく、大学に入るまで前の方のポジションでプレーしていました。なんやかんやありまして、大学に入ってサイドバックでやっていくのですが、もちろん、攻撃が好きな自分はオーバーラップ大好き人間です。それが苦にならないほどの体力も持ち合わせていたため、上がらずにはいられませんでした。
しかし、チームが2部Aにあがると、オーバーラップがしたい攻撃参加したいとも言ってられず、サイドバックに対する守備の比重は重くなりました。自分が好きなもの得意とするものとチームが求めるものが真逆になりました。

そして、自分は今、週ごとにAとBを行ったり来たりし、すごく中途半端な立ち位置にいる。この立ち位置にいる自分だからこそ、「必要とされる選手」は何なのかよく考える。

その代によってやろうとするサッカーは違うわけで、求められるものも変わってくる。
当然のことである。

もちろん、Aにいる人はサッカーがうまいからAにいるわけであるけど、ただサッカーがうまい選手がAにいるとは限らないと思う。2部Aというほとんどの相手が格上の状況において試合に勝つためにチームに必要であると思われる選手がAにいる。
ただ、がむしゃらに上手くなった先にAがあるわけではないし、別に上手くなくてもいいとさえ思う。極論。
ただ、長所を伸ばせばいいというわけでもないと思う。もちろん、チームのニーズと自分の長所が一致するに越したことはないのですが、必ずしもそういう選手ばかりではない。自分がそうであるように。
自分のもつ何かが2部Aで戦うにあたって必要とさえされればいいと思う。
だからこそ、2部Aで戦うにあたって「必要とされる選手」がどんなもので自分には何が足りなくて、何が求められているのか。
それについて考えることが大事なのかなと思う。
そして、それに見合った努力をすること。

AとBを行ったり来たりする状況に陥ったからこそ、このことについて考え、自分を見つめ直すことができた。

自分はチームの求めるものと真逆の人間だと言ってきたが、だからといって今年、Aチームで定着しリーグ戦に出ることを諦めてるわけではない。
真逆だからこそ、何をすべきか1番明白な人間である。

コロナで生活が制限され、先行きの不透明な日々ではありますが、「必要とされる選手」は何なのかを考えながら過ごすと、今この状況でも自分がすべきことは見えて来るはずです。

今を無駄にせず頑張っていきたい。

2020年5月5日火曜日

日々是好日 新3年 神崎隼輝

みなさんこんにちは。阪大サッカー部3年の神崎隼輝です。
普段ほとんど自分の考えを書き起こすことなんてないのでこの部員ブログをいい機会だと思って書かせていただきます。き

突然ですが、僕には趣味という趣味がありません。何かにのめり込んで時間やお金を使うことはこれまでの人生ほとんどありませんでした。長く続けてきたことといえば、そう、サッカーくらいです。そんなマブダチのサッカーにきちんと一回向き合ってみたいと思います。長くなると思いますがご了承ください。

僕がサッカーを始めたキッカケは小学生あるあるの二択ゲームです。野球かサッカー、どっちにしよって感じでした。たまたまその年、W杯があって盛り上がっていてクラスでジダンの頭突きゴッコが流行っていたのでサッカーに決めました。

小中までは本当にサッカーが楽しかった思い出しかありませんでした。仲間にも恵まれ、試合にも出れ、サッカーをやめるなんて微塵も考えていませんでした。

初の挫折は高校の時。僕は高校は神奈川きっての進学校、湘南高校(名前がまずカッコいいし、スラムダンクの聖地)に入学しました。
意気揚々と入学しましたが、周りのレベルの差に圧倒されました。自分より勉強できて、サッカーもできて、おもしろい人がたくさんいました。典型的な井の中の蛙だったわけです。

部活の内容もハードで、走ってばかりでした。yoyoテストというシャトルランに似た体力測定を週2でやり、陸上部みたいなインターバル走をやり、挙げ句の果てには走りで練習が終わる日さえありました。
部の同期は上のチームにあがっていく中で、最初は焦りとやる気でなんとか繋いでいた糸も、次第にほつれ、切れてしまっていたのでしょう。早く部活終わらないかなって思うことも増えました。僕は、部活はダメだけど勉強は、みたいな器用な人間ではありません。今まで生活の一部だったサッカーのやる気がなくなり、勉強のモチベーションもあがらず、成績は下がる一方でした。僕は今まで自信をもって生きてきた方だったのでその反動は大きく、親に気遣われたり、顔を見るのも嫌になり、何にも本気になれていない自分が情けなくて涙が出たこともありました。

そのまま最後の選手権を迎えました。例年僕らは二次予選に進出しており、いわゆる夏越え(一次予選決勝は7月、二次予選は9月)をしていました。ですが、例年に無く一次予選決勝で負けてしまいました。
3年の同期では、夏終わりの県リーグ戦があと1試合残っているため続ける派と、もう引退派に分かれました。結局やめたのはたったの5人しかいませんでしたが、その5人はみんな仲良かったので、決定前夜もその5人とラインしていて、どうすべきか迷っていました。大きな決断はふとした瞬間に迫ってくるものです。
けれど、なんとなく自然に、このままで終わっていいのかという思いが湧き上がり、なんだかよくない気がして、半ば投げやりに僕は続けることを選択しました。今思えばこの決断は全く間違っていなかったと思います。ふっきれたことがよかったのでしょうか、その夏で僕は自分でもわかるくらいにメキメキ成長し、なんと、最後のリーグ戦で最初で最後の先発フル出場をすることができました。
そしてもちろん浪人しました。

個人的にハッピーエンドだったので、大学ではもうサッカーをする気はありませんでした。ですが、浪人期間にとんでもないフラストレーションを溜め込んでいた僕は、サッカーがしたくてたまらないボディになっていました。
大学の部活については賛否両論まわりからありましたが、どちらもあまり聞き入れませんでした。
大学サッカーは学生主体ときいていましたが、高校の監督が厳しかった分、どこか緩いんじゃないかと暗に考えていました。そのため、高校時代の余熱を覚ます程度、言わばサッカー人生のウイニングラン程度に考えていました。しかし、そんな意味の分からん考えは一瞬でかき消されました。練習にメリハリはあるし、普通にキツいし、何より先輩が怖いです。グラウンドには活気が満ち溢れ、プレーヤー同士の言い合いも散見されます。

おぼろげだった僕の熱量も呼応するように増していき、学生主体ということもあって、高校時代を教訓にして、考えながらサッカーに打ち込むようになりました。
その心境の変化もあって、運もあって2年の夏頃から少しづつAチームに絡めるようになりました。
褒められることも増えて完全に舞い上がっていましたが、現実にすぐに引き戻されました。Aチームの人たちはもちろんめちゃくちゃ上手くて、特に2個上の先輩は超がつくほど上手で超がつくほど怖かったのです。
僕はメンタル弱小人間なので、いつの間にか個性を出してアピールするプレーよりも、先輩に怒られず、Aから落ちないプレーをするようになってしまいました。
そんな奴がいいプレーをできるはずもなく、練習では怒られてばかりでした。時折親切な先輩方が縮こまってる僕をみて、気にするな、と声をかけてくれましたが、それをポジティブに受けとめる余裕のない僕にはカタカナ語で変換されてました。(キニスルナ?ナニソレ?)

結局この問題は能動的に解決したわけではなく、受動的に時間が解決してくれました。(2個上の代の引退です)不甲斐ないと感じる一方、高校で目立てなかった自分が大学で成長し、上のチームでやれている現実に嬉しく感じました。サッカーの成長なんてとっくに止まってるかと思いましたが、そんなことはなく、まだまだ発展途上中なのです。ウイニングランとか言ってた自分を殴りたかったです。

成長は、技術、身体面だけには止まりませんでした。

僕は、大学サッカーで人生初めて嬉し泣きをしました。今まで21年間、嬉し泣きをしたことなんて一度もありませんでした。試合は、1年の冬にBチームとして出た、近畿国立体育大会の3位決定戦vs神戸大学戦です。
相手の神戸大学はAチームであり、何より僕たち阪大のAチームですら前年度一度も勝てていなかった相手でした。キャプテンは当時怪我をしていてBの試合を観に来てくれていましたが、「複数失点しなかったらいいな」て言ってるくらいで、誰も勝つことなんて予想していなかったと思います。
でも、前半0-0で耐え、後半に味方が値千金のゴールを決め、結果1-0で勝つことができました。
試合中、僕はDFとしてがむしゃらにやっていたので具体的な記憶はあまりありませんが、最後ロスタイムが永遠に感じるほど長く、辛かったことだけは覚えています。
試合終了のホイッスルが鳴ったあと、本当に自然に涙がでてきました。自然に同期のキーパーを抱きしめていました。嬉し涙なんて流したことなかったので動揺してしまい、恥ずかしさのあまり隠そうとしましたが止まりませんでした。ベンチに帰ったらみんなにバカにされるかななんて思っていましたが、誰もバカになんてせず、みんなで遠慮なく勝利に酔いしれました。
全国につながる試合でもなければ、Aチームの公式戦でもありませんでした。この部活に本当に熱中し、のめり込める環境があってこそだと思いました。
この経験はある種の原体験となり、今後何度も思い出すことは間違いないでしょう。大学サッカーは精神的にも成長できることを改めて学ぶことができました。

嬉し涙も悔し涙も流してきましたが、すべてが成長の礎であり、成長の証であると気づかされました。毎日良いことも嫌なこともたくさん起きますが、「日々是好日」なのです。


かなり長くなってしまいごめんなさい。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。

今はコロナウイルスでまともにサッカーができておらず、リーグも延期が決まりました。
今は自分ができることに集中し、再び全力でサッカーができる日に備えたいと思います。
どうか今後とも阪大サッカー部の応援をよろしくお願いします。

2020年5月1日金曜日

サッカーがしたいです 新3年 高久保周

皆さん初めまして、新3年の髙久保周です東京の男子校出身でどうでもいいけど、西島秀俊さんの後輩です。新型コロナウイルスの影響で部活をできない中、僕は今、とてもサッカーがしたいです。グラウンドと部活のみんなが恋しいです。新入生にとってはなかなか大変な時期だと思いますが、部活が再開されたらぜひグラウンドに足を運んでほしいなと思っています。

ところで、みなさんは、「自分が好き」ですか?

完全に自論ですが、僕は、人は自分自身のことを好きであるべきだと思います。といっても、「オレ、かっこいい」とかではなくて、自分に自信を持つべきだ、ということです。正直、僕は自分のことをあまり好きになりきれてません。というのも、部活の同期には自分よりもっとサッカーがうまかったり、ストイックだったり、コミュニケーションを取るのがうまかったり、おもしろかったり、そして人として尊敬できるやつが沢山います。かくいう僕は、そういう同期たちに勝てるものってなんだろう、思うことがよくあります。時にはなんで今日試合出られへんかったんやろとか、なんでBサブやねんとか思うことだってあります。人間ならきっとこんなふうにネガティブになることは絶対にあります。ただ、僕はそんな時でも、これは自分には向いてない、とか、自分にこれは無理だ、とは思わないようにしています。自分が下手なことを棚に上げて、自分ができたところだけを見ろ、と言っているわけではなく、自分ができなかったところはしっかり省みて、改善策を模索することが大切だと思います。伸び代ですねぇ。しかし、なにより大切なのは、自分ができたところにはしっかりと自信を持つことです。自信がある部分は、伸ばすのが楽しいはずです。自分の長所に自信を持って、それが誰にも負けないと思える武器になったとき、初めて自分のことが好きになれるのかな、と思っています。そして、自分のことが好きであれば、自分のことを良くアピールできるのではないでしょうか。うまくアピールできれば活躍するチャンスも増えます。活躍できれば、もっと自信もつく。いい循環に入れます。とにかく、自分のなかに自信を持てるものを1つ見つけることがとても大切に感じます。所詮、こんなのは綺麗事にすぎません。どれだけ練習しても敵わない相手なんて死ぬほどいるし、なかなか思ったような活躍ができないなんて当たり前。かといって練習をやめれば、そこで終わり、負けです。あくまで理想だけれど、長所を伸ばせるだけ伸ばすことが自信を持つことに繋がる。そして、自信を持つ事で自分の目標としているステージに近づける。これが僕なりの考えです。
といっても、簡単には自信を得ることなんてできないし、僕なんて日々生活をしていて周りの人を羨むばかりです。でも、そういう環境に身を投じるのも悪くないと思います。
もう僕も3回生になって部活の中では先輩より後輩が多くなる時がやってきてしまいました。ならば、先輩らしく少しは部活に貢献できるようにならないとなと思い、こんなことを書きました。
偉そうに長々と綴りましたが、これは自分が大学に入ってまで本気でサッカーをやって感じたことです。また、ありきたりですが、浪人させてもらい、下宿させてもらい、さらに部活までやらせてもらっていることに感謝しています。
最後に、僕が意識している言葉はスラムダンクの「あきらめたらそこで試合終了です」で、最近よく聴くはコブクロさんのDOORです。是非聴いてみてください。こんな拙い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

2020年4月29日水曜日

心掛けていること 新3年 渡辺尚弥

こんにちは。体育会サッカー部新3回の渡辺尚弥です。今年から阪大の大エースだった坂井さんから11番をもらうことになり、11番の重みをひしひしと感じている頃です。

僕には心掛けていることがあります。それは、常にゴールを意識することです。サッカーの試合中は言うまでもありません。試合以外の場面や私生活においてでもです。

今僕がゴール、つまり目標にしているのは、優秀選手に選ばれることです。今年の2部Aリーグでは、国公立は阪大と大阪教育大学だけであり、ほとんどがサッカー推薦で入ってくるような大学ばかりです。僕はサッカー推薦ではなく勉強だけで進学してきたので、正直そんな目標は無理でしょと思う人もいると思います。けど、僕にはそんなこと関係ありません。目標を達成するために今何をすべきか、自分の弱点を克服するためにはどんな練習をすべきかということだけを考えています。コロナで現在、ボールが蹴れない日々が続いていますが、その状況下で今できることを探し、目標に向かっています。目標がはっきりと設定されていれば、どんな状況下でも今何をすべきかは自ずと出てくるはずです。これを読んでいる皆さんも、サッカー以外のことでも、なんでもいいので自分の中で揺るぎない目標を1つ設定してください。そこから逆算すれば、今すべきことは何か一瞬でわかると思います。

ここまで個人の目標を書いてきましたが、サッカーは言うまでもなくチームスポーツです。チームが勝つことが最優先です。チームのためにプレーをしていたら、それが個人の目標につながるとは思いますが、それでも守備をしてくれるDFやGK、自分にパスを出してくれるチームメイトの存在がいて初めて自分が輝けるということ忘れずに取り組んでいきたいと思います。

最後に、阪大サッカー部をご支援していただいているOB、OG、保護者の皆様に感謝の気持ちを忘れずこれからもサッカーを頑張っていきたいと思います。

2020年4月27日月曜日

最高な瞬間と努力のベクトル 新4年 安井健太

こんにちは、工学部建築工学科4回生の安井健太です。コロナの影響でイギリス留学が突然終わり、今はコロナに苛立ちを覚えながら、14日間の自宅隔離生活を送っています。留学中は、勉強と両立しながら大学のサッカー部に所属し練習していました。イギリスのサッカーは毎試合乱闘騒ぎになり、常にFワードが飛び交います。球際も意味わからんくらい激しいです。多分彼らは痛みを感じません。ただ、試合中の口の悪さには定評がある僕にとって、この地の少し荒れたサッカーはちょうど良く感じていました。留学中のサッカーについては小西と丸山がブログに既に書いているので、ここではサッカーの好きなところ、そして試合に出場するために何をしたかを書きたいと思います。

仲間と切磋琢磨して練習している時、自分でゴールを決めた時、はたまた大阪大学体育会サッカー部に所属している事自体。人によってそれぞれ違ったサッカーの好きなところがあると思います。僕は公式戦のあの張り詰めた空気感、勝った時の高揚感を「ピッチで」味わうのが何よりもサッカーで好きな瞬間です。負けたものの前期大院戦で初めて感じた2部Aの衝撃、まもさんの粗相を大西さんがゴールで勝利に導いた京大戦。あの感覚は、実際にピッチに立って戦えたからこそ感じられたものだと思います。だからこそ、怪我でベンチにも入れなかった天理大との入替戦は、昇格という圧倒的な喜びの中にも、素直に喜びきれない物足りなさや悔しさがありました。

大学では出場機会が多かった僕も、中学時代はなかなか試合に出れず悔しい思いをしていました。中学時代に所属していたクラブではプロを目指すレベルの仲間が集まっていたため、試合で勝つ以前にその場に立つことすら難しいことでした。このままではいくら同じように頑張っても、彼らには技術では勝てないと思いました。それが試合に出るために何が必要なのかを考え始めたきっかけです。自分のプレースタイルは何か、他の選手との違いをどうやってみせるか。一つは、技術で勝てないなら頭で勝とうと思いました。なぜそのプレーを選択したのかや、その判断は正しかったのかを常に考えるようにしました。また、高校時代は走れる選手が求められていたので、YOYOという持久力測定では必ず一番になることを意識してましたし、それがとにかくアピールになると思っていました。
さらに、「本気で試合に出たかったら同じポジションのやつを練習中に削ってでも出ろ」という高校の監督に言われた言葉に衝撃を受けました。なので高校2年や大学2年の出れない時期は毎日の練習がセレクションの気持ちで臨んでいました。僕は人一倍努力したとは言えませんが、人一倍何が必要なのか考えてきました。そしてこれが今の僕のプレースタイルを確立できた理由だと思います。

部活に復帰後は、自分はまたゼロからのスタートです。現在の状況で先行きも見えず、阪大サッカー部でプレーできる残りの期間もあまりありません。なので、今できること・最もすべきことを考え、試合に出場し最高な瞬間を再び味わうために、頑張っていきたいと思います。そしてそのサッカーに全力を尽くすことが、一つのチームへの貢献になると信じています。

不撓不屈 新3年 関川朋弥

こんにちは。ニイガタケンという国からきた関川朋弥です。
ブログの始まりを、うさぎ耳をつけていた先輩の真似させて頂きました。どなたか気になった方はぜひ過去のブログを遡ってみてください。きっとすぐに見つかるはずです。
今回の部員ブログには、高校時代の僕と今の僕の変化を中心に書いていきたいと思います。
では始めていきましょう!
まず、高校時代の僕について振り返ってみます。僕は県内でも強豪校とは到底言えない高校でサッカーをしていました。中学時代クラブチームでやっていたこともあり、同学年もそうですが上の学年の試合にも少なからず関わらせて頂いていました。ですから、自分はそこそこサッカーが出来るのではないかと大きな勘違いをしていました。正直自分の実力に満足していたのです。
高校2年後半の県リーグのこと、例年より3年生が多く抜けていってしまっている状況でチームはリーグ降格の危機に直面していました。残留するためには少しでも勝ち点を多く取らなければなりません。ですが、勝利することはなく2部に降格が決まりました。この時僕が何を思ってたかというと、自分の実力のなさを感じ悔しがっているのではなく、「3年生が多く抜けたから仕方ないでしょ。」という風に考えていました。つまり、点を取るなどしてチームに貢献出来なかったにも関わらず、自分以外の人に責任転嫁していたのです。今考えるとひどい話ですがこの時の僕はそんな状態だったのです。こんな状態で3年生になっても結果を残すことはもちろんのこと出来ませんでした。1部に戻せなく、県総体で勝ませんでした。仲間の数人は選手権予選までサッカーを続けていましたが、僕は夏に引退しました。
そして大学の入学が決まりました。大学に入ったとき、サッカーをするつもりはありませんでしたが、サッカーは好きだし真剣にできる最後のチャンスだと思って入部を決めました。高校時代と同様にそこそこやれるだろうと思って練習や試合に参加してみると想像の何倍も阪大サッカー部のレベルが高く驚きました。そんな1年生の時実力不足で練習試合に出ることが出来ない事もあった、ずっとBチームだったのでもちろんリーグ戦に出るのなんて夢のまた夢の様な状況でした。同学年の仲間が数人Aチームにがったり、リーグ戦で活躍しているのを応援席からるというのは今まで経験したことがなく、言葉に表せないくらい悔しい思いをしていました。その時期から意識を変えて実力の向上とともにピッチの内外で考えて行動するようにしました。運もあったかもしれませんがその成果からか2年生の春あたりからAチームに上げてもらいました。正直全く通用しませんでした。この辺りから考える内容を具体的なものにしていき自分の特徴を試合で生かすにはどうしたらいいかを考えていました。時間はかかりましたがリーグ後期は先発、途中出場含め全試合に関わらせてもらいました。今度こそは天狗にならずチームのためにプレーしようとしていました。結果的には2得点することはできましたがそのどちらもチームを勝ちに導けるようなものではありませんでした。チームの勝利に貢献するという本物の結果を残すことはできなかったのです。全く満足できませんでした。
今年度から9番を頂きより責任が増したと感じています。前期リーグは中止になってしまいましたが、後期リーグはチームとしても個人としても結果に拘っていきたいと思います。
現在厳しい状況が続いていますが、仲間と切磋琢磨して来たるべき公式戦に向けて良い準備ができたら良いと思っています。
これからも大阪大学体育会サッカー部の応援どうか宜しくお願い致します。