2020年12月24日木曜日

感情 2年 松永健太郎




こんにちは。2年の松永健太郎です。

他の人の部員ブログを読んでいると、みんな面白い書き出しをしていて感心したのですが、残念ながら僕はユーモアのセンスを持ち合わせてい
ので、そこは割愛して早速本題に入りたいと思います。


突然ですが、皆さんにとってサッカーはどんな存在ですか?人は何故サッカーに夢中になるのでしょうか?これは人の数だけ答えが存在する問いかも知れませんが、僕は最近その自分なりの答えを見つけることができたような気がするので、この部員ブログという場をお借りしてそれについて述べさせて頂きたいと思います。拙い文章かも知れませんが、何か伝わることがあれば幸いです。


僕は4歳の頃にサッカーと出会い、それ以来16年間自分なりに本気でサッカーを続けてきました。ですが、決して華々しい実績を残してきたわけではなく、高校時代の公式戦スタメン出場は3年間でわずか1回、阪大サッカー部に入部してからは未だに公式戦未出場です。実力不足に加えて度重なる負傷離脱もあり、何故自分がサッカーをしているのかわからなくなることも何度かありました。そんな中、先日、Cチームの今シーズン最初で最後の公式戦である北摂リーグを、補助員としてピッチの外で迎えました。格上の相手に対し劣勢の時間帯が多かったものの、阪大は終盤の大逆転で劇的な勝利を収めたのですが、その逆転の瞬間、危うく泣きそうになるくらい強い感情が僕の中に生まれました。今考えると、あれはたぶん嬉しさ、誇らしさ、そして同じ舞台に立てなかった悔しさが入り混じったような感情だったのだと思います。皆さん、そういった感情が日常生活の中で生まれた経験ってどれくらいありますか?恐らく、普段の暮らしの中では滅多に味わうことができないものなのではないかと思います。実際、人目もはばからず大声を上げたり、汗まみれのいい年した男達と輪になって抱き合ったりするほど感情が爆発する場面、日常生活ではなかなかないでしょう。だからこそ、そういった体験を求めて人はサッカーに熱中するのだ、というのが冒頭で述べた問いへの僕なりの答えです。


僕たちはサッカーで大きなお金を生み出せるようなエリートではないし、プレーで観客を魅了できるスーパースターでもありませんが、サッカーを通して見る人や自分達自身の中に強い感情を呼び起こすことは不可能ではないと僕は思っています。それが喜びなどプラスのものの時もあればそうでない時もあると思いますが、どちらにせよその経験には筆舌に尽くしがたい価値があるはずです。ただ、それらが生半可な努力で得られる代物ではないのも理解しています。それでも、色々乗り越えた先には、また自分や周りの人の感情を強く動かせる瞬間があると思うので、折れずに日々の努力を積み重ねていこうと思います。


抽象的でぼんやりとした文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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