2022年12月5日月曜日

「2022シーズン終了報告」2022年度主将 北野祥太

 

大阪大学サッカー部に関わるすべての皆様こんにちは。

2022年度主将を務めました北野祥太です。

 

今年1年の活動を支援していただき誠にありがとうございました。学生主体の運営とはいえども、学生だけで完結できる活動など一つもありませんでした。家族、スポンサー様、OBOG、恩師、チームメイト、スタッフ、友達すべての支えてくれた皆様のおかげでこの1年は学生団体では考えられない異例の発展を遂げました。ピッチ内では昇格を成し遂げられなかったことは悔しくてたまりませんが関西2部で5位と現行制度に変更されてから最高順位と最高勝ち点を更新し、関西の国公立大学では1番高い順位になりました。ピッチ外ではスポンサー様の獲得やガンバ大阪との共同事業などここでは書ききれないほどの進歩がありました。本当にありがとうございました。

 

今年1年のテーマは恩返しでした。今までお世話になった方々に、多くの部員にとって最後のステージである大学サッカーという舞台で恩返しをという思いで「愛し愛される組織に」「国公立大学を牽引する存在へ」というスローガンを掲げました。特に「国公立大学を牽引する存在へ」というスローガンは、金銭的にも制度的にも環境的にも不遇な立場にある国公立大学の部活動の現状を、自分たちの手でその不利を覆し、彼らの希望となることで今までの恩返しとしようという思いで掲げました。今年度活性化したスポンサー活動やリクルート活動はこの理念達成のための手段でした。大学から金銭的援助のある私立大学と比べるとまだまだですが、1年間の収支の規模は2倍ほどに成長しました。また、他の部活では見られないような能動的な選手獲得に挑戦しました。国公立大学だから恵まれている私立大学に負けるのは仕方ない。」と諦めずに、自分たちで変えられる範囲のことに全力を注ぎ続けたからこそ、今年度の結果にも繋がっていると信じています。

 

リーグの成績をもってして理念達成の一歩を踏めたと思いますし、実際に阪大サッカー部を模倣して組織運営を行っているという部活動に多く出会えたことはうれしい限りでした。この文章を読んでいただいている皆様に恩返しできたでしょうか。少しでも何か感じるものがあればいです。

 

主将になると決めたとき、部員の皆がこの部活に所属して豊かな大学生活を送れるようにすべてを捧げようと胸に刻みました。自らが愛せる組織に属することで得られる安心感や充足感人に応援されるという幸福感誰かの希望であり続けるという使命感。これらの感情が部員の皆に豊かさを与えてくれると信じています自己実現を超えた、他者を媒介して得られる幸せに出会ってくれたら嬉しいです。

 

そして、ただ練習や自主練がむしゃら頑張るだけでなく、理念達成(=勝利、愛されるチームへ)に必要な要素を分析し、己ができるすべての手段を尽くしていく過程は最高に充実していました。それが僕にとっては経営であったし、スポンサー、リクルート、社会貢献、フィジカル、広報、などでした。理念達成のために1‰でも確率が上がるならすべての手段を尽くすべきだし、他に達成確率を上げる要素が存在するかを模索し続けるべきです。高い視座を持って学び続け行動を起こすことが結果に結びつくはずです。本当に「勝ちたい」「応援されたい」というならそれに伴った行動をし続けましょう。ただ練習頑張るだけなんて勿体ないですあなたが組織に影響を与えられることはあなたが競技を上達することのみですか?一つの例ですが、組織としてのパフォーマンスを最大化したいなら経営の勉強をすれば大きく変わります。

 

最後になりますが、ここまでなに不自由なくサッカーを続けさせてくれた家族、こんなにもサッカーは楽しいのだと教えてくれた指導者の方々、僕と一緒に目標に向かって走ってくれたチームメイト、金銭的支援のみならずホームゲームにも足を運んで支えてくれたスポンサー様、学生自治のバトンをつなぎ続けてくれたOBOGの皆様、会場に来て応援してくれる皆様、サッカーできる環境を整えてくれた大学・学連関係者ならびに審判員の皆様、大学がバラバラなのに毎週のように会ってくれる高校時代の友達僕に関わるすべての方々に感謝で胸がいっぱいですだれか一人でもかけていれば充実したサッカー人生は送ることができませんでした。あまりにも恵まれすぎです。本当にありがとうございました。僕の活躍をもって恩返しをと胸に刻み過ごしてきましたが支えられてばかりでした。皆様に幸せ溢れる夜が訪れることを願っています。

 

僕の大学サッカーはここで幕を閉じますが、大阪大学サッカー部の活動は終わりません。素晴らしい後輩たちが紡いでいく未来が楽しみでなりません。今後とも大阪大学サッカー部に温かいご支援とご声援をよろしくお願いします。

 

2022年度主将

北野祥太

2022年10月2日日曜日

「サッカーってめっちゃ楽しくない?」


こんにちは。大阪大学体育会サッカー部2回生の広瀬大です。

 

結局夏休みも合宿がなくなってしまいました。これを機にいろんな1回生との距離を縮めようと思っていたのでとても残念です。このままだと1年間で8cmくらいしか距離が縮まらないのではないのでしょうか。


いや、日本とハワイの距離かよ。


つかみボケが決まったところで本題に入ります。

高校3年の夏。総体の県予選で負け選手権を残らず引退する同期たちに「選手権残った方が絶対良い」、「最後までやりきった方が得るものあるって」とか言いながら、自分自身でもサッカーから何を得れて、この経験が将来どのような役に立つのかわかっていなかった。誰かが書いたスポーツを続けることの重要性とかをSNSで見たりもするけどそういった文章は結局答えがぼやけていたり、自分の中で完璧にはまることはないように感じる。

一度は離れたガチのサッカー生活。それでも結局は体育会のサッカー部で活動することを選択し戻ってきた。これほどまで自分がサッカーに執着してしまう理由は何なのか、そしてサッカーから得られたものは何だったのか。この部員ブログを書くことを機に自分の中で答えを出してみようと思う。


① サッカーを続ける理由

まずは、単純にサッカーをすることが大好きだからだと思う。朝起きて学校に行き授業を受ける。昼ご飯をサッカー部の友達と食べて授業を受ける。練習をして家に帰って紅白戦の動画を見て寝る。オフの日はバイトをするか、サッカー部の友達と遊びに出かける。体育会の部活に属しているからこそまとまってとれる自由な時間は少なく、中高の友達のストーリーを見て羨ましいな、楽しそうだなと思うこともある。しんどい時もあるけど、「朝早すぎるやろ、だる」とか思うときもあるけど、結局サッカーが大好きだから、サッカー部のみんなが大好きだから。これだけでサッカーを続けられる十分な理由になる。授業、アルバイト、友達と遊びに行ったり、家でYouTubeを見たり、どんな時間よりもあっという間に時が過ぎる。こんなにも時間が経つのがはやく感じられるのはサッカーをしている時とあいみょんのライブに行った時ぐらいな気がする。

次に、自分の周りの人に自分の活躍を届けたいからだと思う。自分が頑張ろうと思えるのは、いつも自分が応援している人の活躍を聞いたとき。オリンピックのリレー・卓球・カーリングとかで、ワールドカップで、高校野球で、日本中が盛り上がり、「○○から勇気をもらった」等のセリフをテレビで見たりもする。でも、自分はそんなことよりも幼馴染が甲子園に出場したり、中学の先輩が総体で県大会に出たり、市西の後輩が滝川第二を倒したと聞いたり、妹が部活動でいい成績を残したり、ウィンドサーフィン部の元同期の活躍を聞いたり、塾の生徒の関西大会出場が決まったと教えてもらったりする方が何百倍も頑張ろうと思えるし、勇気をもらえる。日本を代表する試合で活躍したり、全国大会に出ることはもちろんすごい。でも、自分にとってそれはvs嵐や逃走中のスーパーウルトラ上位交換みたいなものにすぎず、心を揺さぶり、高揚を感じるのはいつも自分の周りの人の活躍。だから、自分の周りの人に自分の活躍を届け、心を動かしたいと思う。


② 結局サッカーから何を得れているのか

サッカーは自分の人間性を形成し、考え方や価値観や芯を持たせてくれたと思う。つまり、サッカーは広瀬大を作ってくれた。

4歳でサッカーを始めてからこれまでたくさんの尊敬する人に、応援したくなるような人たちと出会ってきた。小学校ではただうまい人にあこがれ、市のトレセンに選ばれていた同期のキーパーや学年は違えど市や県のトレセンに選ばれまくっている1つ上の学年を遠い存在のように感じながらも、いつか自分も選ばれたいと背中を追いかけた。中学や高校ではサッカーのうまい人だけでなく、人として尊敬できる人に出会えた。自分の笑いのベースができたのもこの時期で、部活の同期たちに形成され鍛え上げられてきた。そして現在、阪大サッカー部でも尊敬できる先輩、同期、後輩にたくさん囲まれている。サッカー部の中ではいろいろな組織をいろいろな角度でいろいろな人がそれぞれ牽引している。サッカー部を最前列で牽引している人、カテゴリーに関わらず学年に関わらず熱量をもってサッカーに取り組んでいる人、班活動でサッカー部を強い部に大きい部にしようと牽引している人。おそらくまだ自分が気づいていないところでもたくさんの人がサッカー部を牽引してくれている。

そんな人たちの存在に17年間引っ張られ続け、追いかけ、憧れているうちにいつのまにか今の自分が形成されていた。これがサッカーを続けることで得られたものだと思う。


サッカー続けてきて良かったな〜


最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

2022年8月21日日曜日

「応援される人間になる」 2年 空山大輝


 

こんにちは。経済学部2回の空山大輝です。この部員ブログでは、私の目指す選手像について綴ります。


このブログの題名にしている、応援される人間になる、という言葉は中学2年時に、当時のコーチがよく口にしていた言葉です。家族や友達、クラスメートから応援される選手、地域から愛されるクラブになろうという思いで、チームのスローガンになっていました。


早速ですが、この題名にちなんで、私自身を見つめ直す契機となった試合があります。それは中学2年時の県リーグの試合です。前半、相手コーナーキックの際、自分がマークしていたセンターバックに失点を許し、私は悔しさから膝に手をつきました。ハーフタイム、私はベンチに戻ると、当時のコーチから檄を飛ばされました。「膝に手をついてる選手を見て応援したいと思う人がいるのか。悔しいんだったら自分が点決めてこいよ。」と。確かにそうだと思いました。しかし、その言葉でメンタルをやられた私は、最後まで点を決めることも無ければ、プレーもうまくいかず、結局試合はボロ負けに終わりました。


それを機に、自分がプレーする上で必要なことを考えました。上手にプレーするだけが、大事なのだろうかと。サッカーの世界には、技術の高い、上手な選手がたくさん存在しますよね。しかし、私がそのような上手な選手になろうとしても、どこかで限界が生じます。それなら、どのように他の選手より強くなれるのか?また、他の選手と差を生むことができるのか?

そう考えた結果、自分に必要なのは、「意識」を変えることに終着しました。例えば、ボールがコート外に出そうでも走って追いかける、ボールを取られたら取り返すまで追いかける、スライディングで失点をギリギリ防ぐ、チームのために走る、等。これらのことは意識すれば誰でもできると思うのです。俗に言う泥臭いプレーなのでしょうが、そういうプレーがチームの勝利には必要だと思うし、それを自分ができるようにしたいと思っています。プロの試合を見ていても、献身的な守備をしているFWや体を張ってゴールを守るDFのことを、個人的には憧れますし応援したくなります。もちろん、点を決めてヒーローになる、スーパーセーブをする選手も勝利には必要です。でも僕は泥臭い方が似合う気がするし、それでチームの為になるなら、本望です。そのように、チームの勝利のためなら何としてでも戦う選手になります。


私の高校サッカーは、高校総体中止という予期せぬ終わり方でした。そのような形でサッカー人生を終わらせる事などできるはずがありませんでした。そして勿論大学でも体育会サッカー部に入り、気が付けば一年が経ちました。後悔はしたくありませんが、最後の結果次第で後悔するかしないかは決まるのが正直な所だと思います。勝負すらできず終えた高校サッカーでの悔しさはとてつもなく大きいです。阪大サッカー部に入って、良かったと既に感じています。なぜなら、選手•スタッフがサッカーに対して熱意を持っているからです。正直すごいことです。後悔しないように、この環境を無駄にはしません。応援される人間になる、チームが勝つための選手になる、これを私の4年間の目標にします。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

「大学生って難しい」 2年 杉原翔太



はじめまして、そんな太ってるつもりないのに謎にデブキャラで通ってる杉原翔太です。


実はこの部員ブログ書くの2回目で、1本目は結構前に書いたんですがなんか格好つけすぎてたので書き直してます。あんま臭さを感じさせない文章が目標です。2回目なんで洗練されてます、たぶん。


さてハードルを上げるのはここまでにして本題にいきましょう。


部員ブログといえば、高校生のときに読んだとある強豪大に進学した高校の先輩のブログが一番に浮かびます。その先輩とは代も被っておらず名前も覚えていないのですが、、、。しかし、その内容は強く印象に残っています。題名は「かっこいいの定義」、そしてその定義とは「理想の状態を圧倒的な熱量で追い求めている」でした。


皆さんにとってかっこいい人ってどんな人ですか??高校生のときその部員ブログを読んでから、僕にとってのかっこいい人はまさにこの定義に当てはまる人です。熱い思いをもってなにかに取り組んでいる人を見るとグッとくるものがあります。


さて、ではかっこいい人は偉いんでしょうか?熱量を持ってなにかに取り組んでいる人は偉くて、何もしていない人は悪い。この二元的な区別は常に正しいのでしょうか?


大学に来て強く感じるのは、何かに熱を持って打ち込めるっていうのはとても幸せなことなんだなということです。大学に進学した多くの人は無限の可能性に晒されます。何にでもなれるし何でもできる。大人は口を揃えて言います。何かしたい。何かに熱を持って取り組みたい。輝かしい将来を自分の手で切り開きたい。夢中になりたい。本人もこう思っています。けど何がしたいかわからない。今やっていることが自分のやりたいことなのかわからない。いつのまにか日々が過ぎてく。自分の理想を体現している人を見て憧れる。自分もって思うけど、結局憧れるだけ。


これは去年の僕です。一回生の時はこの感情にずっと悩まされました。この問いの嫌なところは答えがないところです。色んな人に相談したし自分でもずっと考えてたのですが、いつも堂々巡りで終わるだけでした。


しかし2回生になって自分の思いにやっと整理がつきました。今は明確にやりたいことがいくつかあります。そのうちの一つはこのサッカー部を体育会の象徴にすることです。推薦もない、環境も決して整ってるとはいえない。そんな僕たちが強豪私立と互角にやり合っているところを想像してみてください。ワクワクしませんか?


結論、今めっちゃ幸せです。頑張りたいことがあって、それを頑張れる環境にある。決して自分だけの力じゃこの環境は作れません。いや、頑張ろうと思って作り出せるものじゃないと思います。とても恵まれた人間だとつくづく思います。


最後に。憧れの存在っていますよね。自分もこうなりたい。見るたびに思います。けどその人に自分はなれません。いや、たぶんなりたいわけじゃないんです。今の不満足な自分を否定して、憧れの存在と自分を相対的に評価して自分が劣ってると認識する。だから憧れる。


人間ってないものねだりなんです。まさに僕がそうです。けど今まさに自分が誰かから憧れられてる状況にいることを認識できてないんです。こう考えたら自己肯定感あがってきませんか?以上、去年の自分に伝えてあげたいことでした。


なんかまとまりなくなってしまいましたが最近こんな感じのことを考えてます。うん、要するに部活頑張りたいと思ってるってことです。

こんなペーペーの文章を読んでいただきありがとうございました!

「環境の変化」 2年 篠田和真



 こんにちは。基礎工学部の篠田和真です。バイトの面接で高校生?と聞かれるぐらい幼い見た目をしていますが浪人しています。今回はこの部員ブログを書くにあたって、僕のサッカー人生とその時の心境について振り返ってみたいと思います。


 小、中、高とサッカーを続けて高校で部活を引退したときは大学ではもうしないだろうと思っていましたが、いざ大学生活が始まると授業がオンラインになったりして家にいることが多くなり、なんだか物足りなさを感じ、同期のみんなには少し遅れを取りましたが体育会サッカー部への入部を決めました。大学生活は少し忙しくなりましたが、いい仲間にも出会えて充実した大学生活になったので入部してよかったなと思っています。


 中、高の部活はあまりレベルの高いものではなく試合にも出ることができていたのでそれで満足して、練習こそは真面目にやっていましたがそれ以上のことは特にせず、ただ楽しかったというのが中、高の部活でした。大学の部活でも練習を真面目にこなしていれば、いつかは試合に出られると思っていましたが、入部して一年近くが経ちそれだけでは試合に出て、チームの役に立つことは絶対にできないなとわかりました。全員がパスやシュートの練習一つ一つで意識を持っておこなっていたり、練習時間外で自主練をおこなっていたりするなど、それが普通なのかもしれませんが、僕の今までサッカー人生にはあまりなかった環境で、試合で活躍するには自分には何が足りていなくて、何をするべきかを自分で考えて練習する必要があるなと感じています。一つ例を挙げさせてもらうと、僕は体の大きさが人よりも小さく、これまで体の体格差で多少困ったことはありましたが、そこまで重大ではないと感じていました。しかし大学に入るとその差が顕著となり、体が当たっただけでバランスを崩したりといろいろな不便なことが出てきました。そのため食事やトレーニングを自分で考えて体を強くしなければいけないなと思い、ただいま実践中です。


 二回生になって上手な一年生も入ってきている中、いつまでも情けない姿を見せ続けるのは僕のプライドが許さないので、フィジカルの面や技術の面を向上させいい恰好を見せられるようになりたいと思います。大学のサッカー部といういい環境で練習ができていることに感謝しつつ、おそらくサッカーに本気で取り組める最後の機会だと思うので悔いのないように頑張りたいと思います。


 国語は大の苦手ということで、まとまりのない文章でしたが、読んでいただきありがとうございました。

「金ピカ」 2年 小林健太郎


 

 みなさんこんにちは、2回生の小林健太郎です。

このブログを手に取っていただきありがとうございます。普段からTwitterでいいねを貰えるようなふざけた文章を考えてはいますが、真剣な文章を考えるのは苦手です。ですが、この文章をペットの犬に読ませてみると、「キャンキャン(面白かったワン)」と言ってくれたので、楽しく読み進められると思います。すみません、そういえばペットなんて飼っていないし僕は猫派でした。


 冗談はこの辺にして、真剣に話したいと思います。


 皆さんには、いま夢がありますか。「ある」と答えられた方、とても素敵でかっこいいです。羨ましくて仕方ありません。「ない」と答えられた方にもう一つ質問します。夢を諦めた経験はありますか。


 僕には夢がありません。しかし、以前はありました。サッカー選手になるという大きな夢がありました。小学校高学年くらいの時期にその夢を諦めました。当時、自分の身に何か大きな変化があった訳ではありません。ただ、なんとなく「早く大人になりたい」とは考えていたのを覚えています。すなわち、自分には無理だと夢を諦めて大人になったふりを当時の僕はしていた訳です。今の僕はと言えば真逆で、どんなものでもいいから夢が欲しい、子供の頃に戻りたい、そんなことをしょっちゅう考えています。子供の頃に思い描いた大人の姿って、とても自由で自信満々で堂々としていてかっこいいものでした。そんな理想の大人になれると思っていました。しかし、既に成人を迎えた実際の僕の姿はどうでしょうか。常に周りの目や責任を気にしてビクビク怯えて生きています。


 サッカーにおいても、同じことが当てはまります。サッカー選手を夢みていた頃の自分と比べて、今の僕は身体能力やサッカーの技術、IQなど求められるほとんど全ての要素において優れています。しかし、ミスしたくない、先輩に怒られたくない、そんなことばかりを考えてプレーしているせいで、「サッカーを本気で楽しむ」という1番大切な要素で過去の僕にひどく劣っています。


 僕はいま怪我をしていてしばらくサッカーができていません。とてもサッカーに飢えています。おかげで、怪我を治し再びサッカーができる時、昔のように新鮮な気持ちで本気でサッカーを楽しむことが出来るはずです。「サッカーできる喜びを忘れない」これが僕なりに考えた1番正しい大学サッカーへの向き合い方です。


 『メロディなきメロディを奏で、道なき道へ行こう。そこに俺にとって一番の金ピカがあるのだ。』

漫画「宇宙兄弟」に出てくる僕の大好きな言葉です。夢なんて言うと手が届かなそうな気がしますが、金ピカなら手を伸ばし続ければ届きそうな気がしませんか?皆さんも僕と一緒に自分なりの金ピカを追い求め続けましょう。


 ダラダラと長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

「Born in the USA」 2年 柑本志温


 

こんにちは。2回の柑本志温です。今日は僕の課題について書きたいと思います。拙い文章ですが、最後まで読んでいただければ幸いです。


まず初めに、僕はアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコで生まれ、アメリカ合衆国テキサス州ダラスで育ちました。「お前それしか言えへんのか」って言われそうですが、人とは違う何かがあるって嬉しいじゃないですか。アメリカで産んでくれた親には感謝しています。


では、本題に入りたいと思います。アメリカでサッカーを始めてから今日まで約15年間サッカーを続けてきました。異国の地でルールも分からず相手が自分のゴールに決めたのを見てそこに自分もシュートするところから始まって今日まで様々な課題を突きつけられてきました。そんな中でも永遠の課題の一つはメンタルです。簡単に言えば日本人とアメリカ人の両方の悪いところをとったという感じだと思います。


一般的にアメリカ人は自分の意見を言うことを恥じず自分を持っていて、日本人は共感性が高く、集団の中で自分の力を大きく発揮する、そんなイメージがあると思います。しかし、日本人でもあり、アメリカ人でもあるはずの僕はこの逆なのです。サッカーではFWをやっているはずなのに自分の意見を主張するのが怖く、また上手い人が怖いんです。逆に私生活では時間にルーズでKYです。これが今までの僕のメンタリティです。


時間にルーズでKYなことはもちろん問題なのですが一旦おいておきましょう。サッカーにおいて自分の意見を主張できない、殻を破れないというのは非常にもったいないと思います。小学生の頃から、年上の人とフットサルをするスクールでは体育館の隅で隠れ、小学生のちょっとした選抜なんかに行けばずっとビビッてチームメイト以外の人とは交流ができませんでした。高校時代は自分の実力よりも上の高校にチャレンジしました。入学した当初は底辺レベルにへたくそで、性格的にも言われやすいタイプなので同学年の中でも下っ端キャラでした。そこからの下剋上を目指していたわけですが、結局自分よりも上手い人たち対して自分の殻を破ることはできず、もっとできただろうという思いが残りました。今までの自分の挫折を振り返れば、もちろん自分の実力通りなのだが、それでもやっぱりもっとできたなという感情やもっとやればよかった、もったいなかったなという感情の方が大きいです。


大学では再びFWというポジションを始めて、この殻を破ろうと頑張っております。もちろん味方に主張するからには実力、知能が必要なのでそこは日々レベルアップするしかありません。またエゴをただ出し続けるのではなく冷静に判断するということも重要です。このことを忘れずに、私生活では時間にルーズな自分を直し、サッカーではアメリカ人のような強いハートを持ったなんちゃって外国人ストライカー柑本エルビス志温としてこれから頑張っていきます!


最後まで読んでいただきありがとうございました。

「自分」 2年 金丸周平



こんにちは。2回の金丸です。先輩方のブログをみていると、皆さんサッカーについて書いていると思いますが、僕のサッカーについてはあまり書くことが思い浮かばなかったので、僕の人となりについて書きたいと思います。


突然ですが、皆さんには「芯」がありますか?僕が思う「芯」とは、「これだけは誰にも譲れない」、「これをしたい」、「こうなりたい」、と言ったようなブレない意志のことです。僕はこの中でも「自分がなりたい姿」に対しての「芯」について書きたいと思います。


「芯」について書くとは言ったものの、僕には「芯」と言うものが全くなく、中身も何もなく、ふらふらしているからっぽな人間です。自分の体格とよく似ている。自分の言葉に責任も自覚もなく、その場の思いつきで口先からでた僕の言動には、さぞかし多くの人の信頼を失い、迷惑をかけていたでしょう。本当にすみませんでした。


自分への卑下はこの位にして、本題に入ります。「なりたい姿」などと考えるようになったのは新チームが始まってすぐのことだった。新チームが始まってすぐに怪我をしたのがきっかけだった。高校の時から怪我が多く、大学でのサッカーが始まってからもちょくちょく怪我をしていて、練習を離脱することも多々あり、今回の怪我は全治2〜3ヶ月ほどでした。普段の僕なら、「またか」くらいだっただろう。しかし、今回は違い、12月に4回生の方々が引退し、1ヶ月という長期オフが明け、新チームが始動し、A・Bチームに分かれる時だった。タイミングが悪かった。去年の反省を生かして頑張ろうと思った矢先だった。かなり悔しかった。「なんで今やねん」と何度も思った。チームメイトが一生懸命努力している姿、その日のプレーについて練習が終わってもずっと議論している姿、1日ずつ着実に前に進んでいる姿、それをベンチでただ眺めているだけの自分。これほどまでに辛かったことはなかった。正直なところ練習に行くのも辛かった。今まで自分がピッチの中で見ていた景色とは全く違った。自分だけが置いていかれるような気になり、自分の存在意義までもわからなくなった時もあった。自分がいなくてもなんとかなる。自分の存在意義なんてその程度だとも思った。確かに自分1人がチームにいなくても対して影響はないだろう。だが、今思い返すと、焦燥感だったり、先が見えない怪我に対する不安、私生活での悩み事など様々な要因が重なり合い、敏感になっていただけなのかもしれない。ただ、それほどまでにサッカーをしない生活がしんどかった。


僕からサッカーをとれば何が残るのか。

グラウンドにあるベンチに一人で座りながら練習に励むチームメイトをみて、自分は何をしているのかとういうことを考えることが増えた。そう考えるうちに、自分がどんな人間なのかについても考えるようにもなった。


そんな中であることに気がついた。「嫌だ」、「やりたくない」その言葉が言えなかったことだ。心の中では不満に思っていてもそれを表現できなかった。たいていのことは「いいよ」と受け入れてしまっていた。


「これが本当に自分のなりたい姿なのか?」


そんなはずがなかった。

何のために、自分を押し殺してまで他人に尽くすのか。その答えは、自分が他人本位な生き方をしているからだ。今まで、何をするにしても他人のことを考えていて、相手がどう思うか、どのように感じるのか、といったことを無意識のうちに考えていた。自分のなりたい姿は「他人から好かれる人、やさしい人」だったのだろう。自分を良く見せて、「いい人」であろうとしていた。

ただ、「いい人」であろうとしていてもそれは結局のところ他人からすれば「都合のいい人」。やさしくも何ともない。ただ、自分という人間を認めてもらうための、自分の存在意義を他人に肯定してもらうだけの行動に過ぎなかった。


ただ、そのことに対しても無意識のうちにストレスを感じていた。怪我をして自分に余裕がなくなると、それが一気に溢れ出した。なぜここまで他人に尽くさなければならないのか。なぜ自分がしたいことはできないのに、自分が他人にそこまで尽くさなければならないのか。


「なら、本当に自分がなりたい姿は何か?」


何日も悩みに悩んだ結果、具体的な姿はどうしても浮かばなかった。


「自分になること」


これが、最終的に出した答えだった。

冒頭でも話したように、僕はからっぽな人間だ。自分の考えも意見もふらふらしていて、考え方の「芯」なんてものはなく、その場の思いつきで行動してしまう。そんな人間であることを肯定する訳ではない。ただ、他人本位の生き方をやめて、自分と向き合う生き方をする。我慢なんてし過ぎなくていい。自分の気持ちに正直になり、他人の目など気にしない。自己中心的になるわけではない。自分の意見を表現する、嫌なことは断る。「いい人」をやめる。


長々と自分語りをしてしまい、誰得な文章になった上に、拙く読みづらい文章だったと思いますが、最後まで読んでくださりありがとうございました。


「終わりを意識して」 2年 一井倫太郎


こんにちは。2回の一井倫太朗です。

こういった文章を書く場で初めに、「読みづらい文章ですが〜」と予防線を張るのはダサいと同期の間で散々盛り上がったので書き始めがわかりません。拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。


僕がサッカーを始めたのは5歳のときで、なぜサッカーをしたいと思ったのかは正直覚えていません。きっかけもサッカーをする理由も曖昧なままでしたが、今でも僕の人生の中心にはサッカーがあります。そんな僕が大学でぶち当たった壁についてお話します。


「大学でも部活するってすごいな〜」

この言葉を友達から言われる度、違和感を持つと同時に自分の痛いところをつかれたような感覚を覚えます。大学に入っても本気でサッカーをするんだろうなとなんとなく考えていた僕は、言わば大学サッカーをすることを自分で選択していないからです。幼稚園の頃からずっと変わらず、サッカーをやめる覚悟のなかった僕はずっと、やめるという選択を避けてサッカーを続けてきたのではないかと自身に対して懐疑的になりました。他方で大学に入ってからは別のサークルに入ったり、新しいバイトを始めたり、自分たちで旅行を計画する友達が輝いて見えました。選択を避けている自分に対する後ろめたさから、「すごい」という言葉はとてもじゃないですが受け取りがたいものでした。


かと言って、サッカーをやめるという選択肢もありませんでした。それはおそらく僕はサッカーが大好きだからです。僕のサッカー人生の中で幾度かあった最高の瞬間、そのときの喜びや感動は何にも言い表せないものです。練習してきたことが試合で上手くいった瞬間、チーム一丸となって初めて県大会出場を決めた瞬間、高校サッカーの引退がかかった試合で自分が決勝点を決めた瞬間、そのような理想の瞬間を求めて今もサッカーを続けているのかもしれません。


結局サッカーをする理由は何なのかと言えば、そんなものは大して必要ないのかなと今は考えています。強いて言えば好きだからです。もっと大切なのは辞める覚悟をもつことだと思います。そして大学サッカーという舞台に立って今初めて終わりを意識しています。おそらく本気でやるサッカーは、大学4年間で最後になると思います。あと2年半、どこまで自分は成長できるか、一日一日を大切にしようと思います。


最後に、僕がなんとなくサッカーしたいと思ったのを快くさせてくれ、今もずっとサポートしてくれる両親にはとても感謝しています。また親だけでなく、これまでサッカーを通してつながりを持った友だちやコーチ、先輩、後輩など全ての人に自分のプレーで恩返しをしたいです。サッカーをする理由は無くていいと言いましたが、強いて強いて言うならば、好きであることと感謝です。僕が言う最高の瞬間には必ず、こうしたサッカーを通した周りの人とのつながりが背景にあります。

これらを背景にあと2年半、サッカー人生の終わりまで自分にできることを積み重ねていこうと思います。


部員ブログは以上です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

2022年6月2日木曜日

「筋トレのすゝめ」 3年 松山凌大

 

こんにちは、あるいはこんばんは。

ちょうど2年後BEST BODY JAPAN大会を控えた、阪大体育会サッカー部3年の松山凌大です。部員ブログで同期のみんなは自分の現状や今までのサッカー人生などを書いてくれているので、今回僕はみんなと異なったテイストにしたいなと思い、このテーマを選びました。

まず、「アスリートなら勿論、一般人でも男たる者全員筋トレをしよう。」ということです。

アスリートであるならば、試合で勝つために己の身体を鍛え上げ、競技レベルを高めることは、僕は当たり前だと思います。よく「心技体」とも言われるようにスポーツをする者にとって、自分の身体(フィジカル)の向上は、技術練習と同じくらいの時間、熱量をかけてやるのは当たり前だと考えます。パワーの向上によって、できる技術、プレー増えると思うし、身体の大きさが相手にオーラを与えることだってあるからです。まして、関西2部リーグの中で技術に劣る僕ら阪大サッカー部が1部に上がるためには、フィジカルの部分にもっと徹底的に取り組んでいくべきだと思います。しかし、チームで筋トレの時間はほぼ取れない以上、個人の裁量に任せないといけないところが難しい課題だと思います。筋トレはやる人はやるし、やらない人はやらない。やはり、自分に鞭をうって、追い込むことは難しいことので、筋トレは人に言われてやることではないと常々感じます

話は脱線してしまいましたが、次はスポーツをしていない人も筋トレをすべき理由についてお話しさせていただきます。僕が大きなメリットと考えることは、人からナメらなくなること、おしゃれに自分を飾らなくもシンプルな服装でオシャレに見えることだと思います。海外でも、人からナメらないようにする為に筋トレをすることは当たり前らしいです。2つ目に述べたことは完全に自分の理想です笑

ここまで色々なメリットを述べましたが、筋トレをする1番のメリットは、日々自分の身体をえていくことで、何か成功体験なようなものを詰めて、その結果自己肯定感が上がることではないかと考えます。僕も勿論、サッカーにおいてのフィジカル向上の為に筋トレに励んでいますが、それだけでは続けられないと感じています。日々変わっていく自分の身体を見て、嬉しくなる気持ちが自分をきついトレーニングに向かわしているのだと思います。

ぜひみなさんも3ヶ月ジムに通っててください!

2022年5月25日水曜日

「俺は今なんだよ!!」 3年 森岡晃琉

 

こんにちは。大阪大学体育会サッカー部三回生の森岡晃琉です。

題名はスラムダンク山王戦より、桜木花道の名言を引用しました。スラムダンク、良いですよね。泣けるほど感動するとはよく用いられる表現ですが、本当に涙が溢れたのは初めてです。おすすめするのもおこがましい程名作ですが、読まれたことがない方は是非。

話が逸れましたが、今回の部員ブログでは僕のサッカー人生を振り返りつつ、大学サッカーへの思いを述べようと思います。最後までご一読頂けると幸いです。

僕がサッカーを始めたのは小学二年の時でした。長友佑都に憧れ、下手くそな自分に腹が立ち泣きながら練習をした時期もありましたが、友達がいるというだけで始めたサッカーは小学生の僕にとって単なる趣味でしかなく、そこまで熱を持って頑張るものではありませんでした。しかし、中学生に上がると幸運なことに顧問に恵まれ、初めて一生懸命頑張ることの楽しさ・上達する喜びを教えてもらいました。次第に僕はサッカーに魅せられ、オフの日も公園で日が落ちるまでサッカーをするといった、絵に描いたようなサッカー小僧と化していったのです。

そんなサッカー一筋人間は、高校進学を機に大きく変貌することになります。私の入学した高校のサッカー部には真剣にサッカーに取り組んでいる人は殆どいなかったのです。皆がサッカー大好きで、一生懸命頑張っている環境は当たり前だと思っていた僕にとって全く理解の出来ない状況がグラウンドに広がっていました。部活がだるいという概念も、筋トレ器具で遊び出すことも何もかも訳が分かりませんでした。そんな僕はさぞかし浮いていたことでしょう。実力も特に秀でていたわけでもなかったので尚更です。しかし人間の適応能力というのは怖いもので、入部当初はあんなにむかついていた状況を次第に受け入れ出しました。僕だけ頑張ればいいやという思いもあったのかも知れません。

そんなこんなで僕が一番頑張っているキャラになり、キャプテンを引き継ぐことになります。肩書きだけ見たら中々イケてますよね。サッカー部キャプテンで成績優秀。少女漫画なら圧倒的ヒロインです。それだけキラキラ出来たらやりがいもありますが、実情はそんな生活とはほど遠い毎日でした。毎日部員を怒り、練習を成り立たせる事だけで精一杯。試合にも負け続け、メンタルもズタボロな僕は戦犯になり続けます。部活が嫌で嫌で仕方なく、サッカーなんてとっくに嫌いになっていました。

ですが、今僕は大学でもサッカーを続けています。当時の僕からしたらなぜ続けているのか意味が分からないでしょうが、大学でサッカーを頑張る原動力に高校時代の後悔があります。僕は結局高校サッカーを頑張りきれませんでした。そもそも、部の雰囲気に馴染みだした時点で自分を追い込めているわけがないのです。まあこれくらいすれば良いだろうと限界を決めて惰性でやっていたに過ぎません。また、キャプテンだったのに自分が率先して後輩の模範になることが出来ませんでした。結局口だけで、しんどいから背中で語ることから逃げたのです。環境のせいにして、もっともらしい文句を並べて、自分で状況を打破することを諦めていました。

僕は高校生だったときの自分が大嫌いです。体育会サッカー部に入部した動機も弱い自分を変えたいという一心でした。二度とこのような後悔を残さない為にも、「今」に一生懸命な人間である為にも、最後までもがき続けようと思います。

最後まで読んで頂き有り難うございました。

2022年5月17日火曜日

「思い立ったが吉日」 3年 藤村建斗

 

こんにちは、あるいはこんばんは。

最近SPY×FAMILY にハマっています。SPY×FAMILY が好きな方はここでいいねをお願いします。

誰に向けた訳でもない文章を書くのは苦手なので、リクルート班の長として、入部するか迷っているであろう誰かに向けてこの部員ブログを書こうと思います。


僕は少し遅れてこの阪大サッカー部に入部しました。入学して半年間、バイトもせず、友達も出来ず、ずっとYogiboの上で生活していました。その結果、体は痩せ細り、「簡単に金を稼ぐ方法」をネットで検索するくらい脳みそも痩せ細ってしまいます。


そんな生活の中でふと高校時代のサッカーの写真を見返すと、漠然とまたサッカーを本気でやりたいと思うようになりました。そこで決断してしまえばいいものの、人間というのは楽な方を選んでしまう生き物です。部活に入りたいと心の奥底では思っているものの、「大学まで行ってサッカーやる?」「高校サッカーで満足したんじゃない?」と自分に言い聞かせ、挑戦から逃げていました。友人に相談もしましたが、あの時の僕は自分の中で答えが決まっているのにとりあえず相談する女々しさ満点の男でした。


結局、高校時代の恩師の「迷った時は苦しい方を選べ」という言葉に背中を押されて入部を決めましたが、早く自分のサッカーが好きだという気持ちに素直に従ってしまえばよかったと今になっては思います。


入部を迷っている方にこの言葉を紹介します。「『思い立ったが吉日』ならその日以降は全て凶日」

かの神漫画トリコの名言ですが、このブログを見て入部を思い立ったなら、即時このアカウントにDMを送り、グラウンドに足を運びましょう。真剣にサッカーに取り組めて、人間的に成長できる環境がここにはあります。後悔はしないはずです。(詳細は島岡クンの激アツ部員ブログをご覧ください。)


最後になりますが、このブログが一人でも多くの方が一歩踏み出すきっかけになれば幸いです。

割とマジで拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

2022年5月11日水曜日

『逃げ』は役に立たない  3年 古谷剛朗

 



 こんにちは。大阪大学体育会サッカー部3年の古谷剛朗です。

 題名に関してですが、某人気ドラマに喧嘩を売っているわけではないので悪しからず。

 僕は他の人のようにユニークなことを書ける人間ではないので、ただの自分語りで面白みのない文章になってしまいました。読みにくいかもしれませんが、暇なときにでも目を通していただけると幸いです。


 どうして今自分はサッカーをしているのか。

 最近ふとした時に頭をよぎる。高校までのチームメイトはほとんどサッカーをやめてしまっていて、大学の体育会で続けている人は片手で数えられるほどである。友達のインスタには毎日のようにどこかへ行ったストーリーズや投稿があがっている。大学生らしいなと時々羨ましく思うこともある。でも僕には大学でもサッカーをする以外の選択肢はなかった。自分がサッカーをしていない姿が想像できなかった。サッカーが好きで、それが自分の進む道として当然だと思っていたからだ。この気持ちに嘘は微塵もない。だがそれは、ずっと続けてきたサッカーをやめるという決断をすることから目をそらしたということもあるのかもしれない、とこのブログを書き始めて気づいた。


 思えば僕はずっと楽な道に逃げてきた。今までの自分を振り返るとそう言わざるを得ない。練習では紅白戦から2vs2にいたるまで上手いやつと同じチームになることを望み、挑みにはいかなかった。中学でも高校でも最高学年の時は試合に出ていたのでそれで満足していた。

高校では選手権まで続けるつもりだったが、浪人したくない気持ちと、残る同期が少ないからという理由で総体が終わった5月で引退した。後悔がなかったわけではないが、当時はそれで納得していた。無意識のうちに無理やり納得させていたのかもしれない。でも秋まで残った同期のうちの一人が、毎日のようにサッカーをしているにも関わらず、夏に志望校を上げ、現役で合格した。彼が試合中に吐くこともあったということを聞いたときに、自分の選択が「逃げ」だったことを再確認させられた気がした。結果的には僕は志望校に現役で合格できたので間違った選択ではなかったのだろうが、もっと自分を高めることができる道があったのに、それを分かっていながら見ないふりをした。今になっても何とも言えないもどかしい感情は消えていない。

 逃げてきたがために今苦しんでいる。基礎練習から逃げてきたので止める蹴るがうまくいかない。対人練習から逃げてきたので守備ができない。自分がAに上がれない理由を考えてみると、ほとんど過去の自分の逃げに起因する。タイムマシンがあれば過去の自分に逃げるなと言ってやりたい。そして現状を見せてやりたい。


 どうして今自分はサッカーをしているのか。やめる決断を先延ばしにしているのではないか。

山積みになったやるべきことの前に立つとそんなことは考えるだけ無駄に思えてきた。後悔を残したままやめられるはずがなかった。大学サッカーは折り返し地点にきた。尊敬できる仲間とこの上ない環境で、本気になってサッカーができる時間は僕にはそれほど残されていない。もう逃げてはいられない。サッカー、そして自分に対して真摯に向き合い、成長を遂げたうえで引退を迎えたい。サッカーをやめる理由はその時にでも考えよう。


まとまりのない文になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

2022年5月6日金曜日

Kento Morita 3年 盛田健斗


 こんにちは。大阪大学体育会サッカー部新3回生の盛田健斗です。今回部員ブログを書くにあたって、自分のサッカー人生を振り返り、これからの意気込みを語ってみたいと思います。拙い文章になる可能性が高いですが、最後まで読んでいただけると有難いです。


僕は、小学校に入学するタイミングで地域のサッカークラブに入るという決断をしました。どうしてサッカーをしようと思ったのかという理由は覚えていません。当時の僕は丸々と太っており、持久力が皆無でした。全く走れなかった僕は、試合よりも、試合と試合の合間の時間での遊びのサッカーテニスや鳥かごの方が楽しいと思っているレベルで、正直サッカーという競技の面白さに気付いていませんでした。そんな僕の小学校の頃の転機といえば、3年生の頃にインフルエンザにかかったことだと思います。ぽっちゃりだった僕は、この時初めて食欲を失い、食べる量が激減したおかげで、3日くらいで6キロの減量に成功したのです。インフルエンザから復帰し、腹周りの贅肉の枷が少し軽くなった僕は、サッカーの試合でも少し走れるようになって、サッカーの試合が楽しいと感じるようになりました。それからサッカーという競技にのめりこみ、中学、高校とそれなりの熱量をもって取り組んできました。

高校生の頃の僕は、高校サッカーが一番アツくなれるもので、選手権が自分にとって最後の本気でサッカーができる舞台だと思っていました。しかし、僕の代のチームメートは総体で負けた後、多くが選手権まで続けず、引退してしまいました。かなり戦力ダウンしてしまった状態で、選手権に向けて自分なりに努力しましたが、結局は決して強いとは言えないチームにボコボコにされて負け、僕の高校サッカーは納得のいかない終わり方をしてしまいます。かなり不完全燃焼に終わってしまった僕は、大学でもサッカーを続けると決めました。


そして一年の浪人生活を経て、阪大の体育会サッカー部に入部し、現在に至るわけですが、この二年間を振り返ると、試合に全く出られない、怪我でサッカーをすることができない、など悔しい思いばかりしています。二年後、引退するときに自分が納得できるために努力を続けることだけが、現時点での僕にできることです。腐らずに努力を続ける過程で、新たな気付きや成長があると思います。今現在、僕は過去最高に頑張らないといけない状況にあると思うので気持ちを切らさず、努力を継続させたいと思います。

2022年4月27日水曜日

毎日 3年 西川幸次郎

 


部員ブログを書くにあたってなにを書こうかと迷ったのですが、サッカーのことは皆が色々と書いてくれているし、今年から始まった部員ノートにサッカーに対する自分の思いや考えは書いたので、ここでは一人暮らしを迎えて2年が経つ大学での生活について少し話していこうかと思います。


まずこの2年間を通して感じたことは、料理が非常に面倒すぎることです。我ながら家はそこそこに綺麗な方で洗濯とかの家事も嫌いではない。ただ料理だけは本当に面倒すぎる。一人暮らし開始のころは意気揚々と料理をしてたのが、最近は全く続かず台所に立てば良い方なところです。親のありがたさをひしひしと感じます。同じく一人暮らしをしているみなさんはどうですか??共感する人もいるのではないでしょうか。逆に実家勢は絶対一人暮らしをしろと言いたいですね笑


最近は大学での勉強も難しくなり、あまり勉強に対するやる気も出ず、このまま院に行っても楽しくないかもと感じています。進路についての悩みがでてきて、色々な人にお話を聞いたりしている中で、お世話になった先輩方がちゃんと社会人として働いている話を耳にすると、案外院に行かずに就職もありやなぁとすら思ったりもしてます。


ここまで書くとあんまり大したことしてない普通の大学生してるなと兄貴とか高校の友達には笑われそうです笑

これまで20年間生きてきて色々な選択をしてきたし、悩むことも多かったけどそれなりに頑張ってこれた分、この大学生活はよりサッカーに向き合って皆と成長できればと思っています!

2022年4月21日木曜日

3年 松島桜子

 

こんにちは!3回生マネージャーの松島桜子です。

ついに部員ブログが回ってきました。私のこれまでをひたすら綴ってきただけなので、読みにくいところも多いかと思いますが、お時間のある方は目を通していただければ幸いです。


私は高校生の時もサッカー部のマネージャーをしていました。高校生の時は週6でグラウンドに行き、部活中心の毎日を送っていました。高校生活の多くをサッカー部のみんなと過ごし、携帯の写真フォルダはサッカー部の写真だらけでした。マネージャーという仕事の楽しさも辛さも経験した私はマネージャーはやり切ったと思っていて、もう大学ではやるつもりはなく、サークルに入ろうかなと思っていました。そんな私が今もこうして体育会でマネージャーをしている理由をお話しできればと思います。


私が大学に入学した時はコロナが流行し始めた時で、完全オンライン授業でした。誰にも会わない生活で、ご飯を食べて洗濯して寝ての繰り返しで1日が終わるのを待つだけでした。そんな暇な毎日を過ごし、高校時代の写真を見返していた時に、もう一度部活でマネージャーをしたいという気持ちが芽生え、サッカー以外にも何個か見学に行きました。その中でサッカー部を選んだ理由は、もともとサッカーを見ることが好きだったのもありますが、マネージャーの先輩方が快く迎え入れてくれたこと、選手マネージャー関係なく和気あいあいとした仲の良い雰囲気に惹かれたからだと思います。


そんな経緯で入部してから約1年半が経ちました。正直1回生の時は特に何も考えておらず、同期や先輩方に会ってお話するのが楽しくてグラウンドに来ていたと思います。チームへの愛というものもあまり湧かず、部活に対して本気で向き合えない、辞めたいという思いがよぎる時期もあり、高校と比べてしまって悩んだこともありました。ですが、マネージャーをしていた期間は高校の方が長く、部活以外の学校生活もほとんど彼らと過ごし、毎日サッカーノートを書いてマネージャーという仕事と向き合い、同期のマネ2人とはオフの日も部活の話ばかりしていた高校生活だったので、チーム愛が大きいのは当たり前だと割り切れた時から、阪大サッカー部でマネージャーをする意味を見つけようと思い始めました。2回生になって、後輩ができてからは指示を出す側にもなり、自分の言動に責任が伴うようになりました。チーム運営のことを知ったり、後輩を育てるという視点で考えたりするようになってからは、この阪大サッカー部が発展していくために、強くなるために何ができるのかという考え方に変わっていきました。大学でマネージャーをしていて、高校生の時よりも自分のできることが増えたと感じています。怪我や栄養の知識、テーピングの技術、試合の様子を文字にして伝えるマネブロ、さらにはチーム運営にも携わることができ、この阪大サッカー部は自分のスキルアップができる場所だと思っています。また、責任ある仕事を任せてもらうことで、自分自身の成長に繋がるだけでなく、チームへの愛も大きくなるものだと最近とても実感しています。今年はとうとう自分が上回生になると同時に大好きな3人のマネージャーの先輩のラストシーズンです。引退のことを考えるともう既に寂しいですが、一緒に部活ができる時間を大切にしたいと思っています。


最後になりますが、高校から今までマネージャーを続けてきてよかったと思うことについて少し話させてください。まず第一に、尊敬できる素敵な人たちに出会えたことです。彼らは十数年サッカーを続けてきて、その集大成がこの大学サッカーとなる人が多いでしょう。これだけ長い時間サッカーという一つのことに打ち込み、努力を重ねるということは私にはできないと思います。挫折も何度も経験してきたことでしょう。困難を乗り越えて、今もサッカーに真剣に向き合っている彼らを心から尊敬しています。もう一つ、マネージャーの特権とも言えることがあります。それは、試合に出るために、試合で活躍するために、練習を必死に頑張っている姿を見ることができることです。その努力の過程を見ているからこそ、感動を得ることができる。ベンチで同じように喜び、悔しがることができるのだと思います。この2つが私がマネージャーを続けている大きな理由です。


拙い文章でしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。これを読んだ新入生が阪大サッカー部に興味を持ってくれたら嬉しいです。是非グラウンドでお会いしましょう!


2022年4月13日水曜日

「モラトリアム人間」 3年 佐藤新

 

「モラトリアム人間」


 年齢では大人の仲間入りをするべき時に達していながら、精神的にはまだ自己形成の途上にあり、大人社会に同化できずにいる人間。


 今の僕はまさにモラトリアム人間です。大人になるのが不安で、将来の明確なビジョンもなく、ずっと学生のままでいれたらなんて考えたりもします。なんでこんなことになってしまったのでしょうか。それは紛れもなくサッカーのせいでしょう。


 僕がサッカーを始めたのは2歳の時でした。兄が通っていたサッカースクールに、ついでに入れられたのがきっかけです。当時の僕はそれ程サッカーに興味がなかったのですが、当時大人気だったカードゲーム、ムシキングをするためにサッカーをしていました。練習に行けば、母親が100円玉をくれるのです。練習が終わるとすぐにムシキングが置いてあるお店に突っ走り、握りしめてホカホカになった100円玉を機械に流し込んでいました。この時の僕の熱意はサッカーよりもムシキングに向いており、相棒のエレファスゾウカブトと一緒に小さな大会に出たこともあります。これが僕の初めての公式戦でした。


 ところが、小学生になる頃には僕はすっかりサッカー小僧となり、苦楽を共にしたカブトムシたちは押入れの奥深くに眠りました。僕が小学生の頃は丁度バルセロナの黄金時代で、シャビやイニエスタに憧れ、サッカー選手になりたいと強く思うようになりました。地元のクラブチームに入って週に6回練習や試合に行き、それ以外の日も友達と公園で日が暮れるまでボールを蹴っていました。中学生になっても変わらず同じような日々を過ごしました。


 それから月日は流れ、僕は親元を離れて県外の高校に進学しました。プロサッカー選手になるという夢を叶えるため、毎日必死に練習しました。試合尽くしで夜には吐くほどご飯を食べる89日の合宿に行ったり、地面に汗の水溜りができるほどの体幹トレーニングをしたり、山に走って登ったり、体が小さくて貧弱だった僕には本当に辛いことも多くありました。それでも自分の夢を叶えたいという一心でがむしゃらにサッカーをしていました。


 しかし、僕はやがてトップレベルとの差を徐々に感じるようになっていました。ありがたいことに、高校では全国大会も経験させて頂き、沢山の強豪校やJリーグの下部組織と試合をしましたが、キック、ドリブル、パス、シュート、判断など、どれをとっても自分よりも上の存在が多くいました。そんな現実を受け入れることが嫌で嫌で仕方ありませんでした。その反動なのか僕は受験勉強をして、偏差値の高い大学に合格することに希望を見出していました。朝早く学校に行き、休み時間をも惜しんで勉強し、部活に行って、帰ってくるとまたすぐ学校に行って日付が変わるまで勉強していました。そうでもしないと自分への嫌悪感で押し潰されそうでした。その結果、僕の高校史上初の大阪大学に合格することができました。周りの方々にはよく部活と勉強を両立させたと褒められることもありましたが、僕はそんなに立派な人間ではありません。ただ弱い自分から逃げていただけなのです。勉強を投げ出してでもサッカーに全力で向き合うべきだったと今になって強く思います。きっとエレファスゾウカブトが横にいたら呆れて森に帰ったことでしょう。


 僕の人生からサッカーをとってしまえばほとんど何も残りません。だからサッカー人生の終わりが見えてきている今、不安で仕方ないのです。

それでも阪大サッカー部が僕にもう一度サッカーと全力で向き合う場所をくれました。サッカー部にはカテゴリー関係なく常に一生懸命で、サッカーが大好きで、尊敬できる人が沢山います。僕はこの最高のメンバーと共に一部昇格という目標を達成したいです。これからの自分の人生がどうなるかは分かりません。引退したら本気のサッカーとお別れになるかもしれないですが、そんなことは今は考えず、ただただ上を目指してもがいてやろうと思います。そしてその姿で僕のサッカー人生を支えてくれた方々へ恩返しをしたいです。



拙い、辛気臭い文章だった思いますが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

2022年4月6日水曜日

525600分 3年 高見翔太



 こんにちは、大阪大学体育会サッカー部新3年の高見翔太です。

525600minutes, how do you major a year? 突然の英語で失礼いたしました。僕は典型的な意識高い系大学生ではございませんのでご安心を。 これは僕の好きなRENTというミュージカルの挿入歌の一説です。 525600分、これは1年365日を分に換算したものです。意外と短い気がしませんか?阪大サッカー部にはこの約52万分を色んな割き方をしてきた、もしくはしている人がいます。超強豪校なのに勉強もして阪大に来た人、超エリート企業の就活と両立している人、なぜか高校時代テニスをしていた人、などなど。僕の今までそしてこれからの時間の割き方についてサッカーを軸にこの場を借りて述べさせていただきたいと思います。稚拙な文章かとは思いますが、温かい目で読んでいただけると幸いです。

 

 

僕は中学受験をして、神戸の須磨学園という選ばれしが集まる超名門(笑)に入りました。特に小学校高学年の頃はただ何も考えず塾でいい成績を取るために勉強していました。自我の芽生えていない子供は親のいいなりでさながらポケモンのようでした。この時僕の52万分の中のサッカーの時間はとても少なかったと思います。その時間を取り戻すように中学、高校ではサッカーに励みました。高校に上がり、幸いなことに高1からスタメンに入れていました。今思うとここが僕のサッカー人生のピークだった気がします。夏を挟み、調子は右肩下がり。スタメンどころかベンチで試合が終わってしまうようになってしまいました。部内の自己肯定感はどん底でいつしかサッカー部もサッカーも嫌いになっていました。その後も浮き沈みのあるサッカー生活で幕を終えました。大学に入ったときもなんだかんだ体育会には入らないんだろうなとぼんやり思っていました。コロナの自粛期間で大学にも行けず、家で整理をしていると高校の時に書いていたサッカーノートが出てきました。プレーの反省点などを書いている所もある反面、試合に出れない悔しさを書きなぐってるだけのようなページもたくさんありました。その文句のように雑に書き捨てられた言葉を見た瞬間、このままただ授業を受け、土日は適当に遊んで大学生活を終えるのがどこか怖く感じたと同時に一番長く続けてきたスポーツで最後に残っているのが負の感情のみであることに嫌気がさしたのです色んなものに割り振ることができる52万分のうち6分の1くらいをもう最後だと思ってサッカーに費やそうと思いました。この瞬間が入部を決めた瞬間です。こう考えると挫折って大事だなって思いますし、その挫折を目に見える形で残していた自分に感謝です。

今現在大学サッカーがスタートして2年が経ちますが、この2年は間違いなく今までで一番サッカーに時間を割り当てられいる2年だと思います。しかし、未だに挫折を繰り返す日々です。ですがやめようと思ったことは一度もありませんし、日々日々サッカーが嫌いになるどころかより好きになっていけてる気がします。周りからは「プロになるわけでもないのに何してんねん」といったことはよく言われますが、なんとも思いません。毎日練習して明日はこうしようとか考えて実践して、っていう毎日が楽しいし、なによりそう思わせてくれる阪大サッカー部という環境に今いるからです。未だにAに上がれていない今の状況では2年後引退するときにまた負の感情が残ってしまいます。去年ともに戦った仲間も数人Aに上がり、指をくわえてみているわけにはいきません。525600分、悔いの残らないようにあと2年過ごしていきたいと切に思います。

 

まとまりのなく読みづらい文章だったかもしれませんが最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

2022年3月30日水曜日

「少年田中のサッカーの軌跡」「大学サッカーへの思い」 3年 田中大智

 

 こんにちは。新3回の田中大智です。今回は2部構成の超大作となっており、前編後編がございます。

両編ともご覧いただくのが本望ですが、ウマイところだけでいいという方には後編だけでもお楽しみいただけます。


前編 

 私がサッカーボールを蹴り始めたのはおそらく幼稚園の年中さんでした。幼稚園のバスを降りるとすぐ母親が自転車で出迎えてくれ、小さな二人乗り用のイスの上で制服からサッカーの服へと着替えていたのを覚えています。いつもどことなく急いでいた思い出しか残っておらず、やったーサッカーだ!早く行きたい!という気持ちだったわけでもありませんでした。幼稚園時代はサッカーチームというよりボールを使って体を動かす集まりで、周りは知らない子だらけでした。友達1人いなかった時は、帰るのが遅く外は暗くて怖い、幼稚園のように仲良い子がいないから怖い、といったような恐怖の感情が強かったのではないかと思います。それではなぜその集まりに参加していたのかというと、私もよくわかりませんし、覚えていません。おそらく母にサッカーを勧められ、私も嫌なわけではなかったので続けていたのではないかと、つい先程母と結論づけました。何をいいたいのかといいますと、私のサッカー人生の始まりは積極性に欠け、受動的なものだったということです。

 幼稚園球蹴りから本格的球蹴りに移動したのは小学校3年生のとき、他校のサッカークラブに所属していた友達Rくんに誘われた時でした。初めてそこに参加した時の記憶は今でも覚えています。土曜日でした。初対面のチームメイトの中に、かつての幼稚園球蹴りを共にした仲間がいたのです。彼らは私のことを覚えてくれており、私も彼らを覚えていました。すごく嬉しかったです。やっと友達たくさんのところでサッカーができると。

 そこでの初めての練習は1vs1でした。私はRくんと高身長のSくん以外の全員に勝ち、ボロボロのギタギタにしてやりました。「こいつうまいわー!」と誰かが言ったことはこれからも忘れないでしょう。初めてサッカーを通して他人から認められた瞬間ではないかと、だから今でもこの日の記憶を覚えているのではないかと今になって思います。それからというものほとんど全ての試合でスタメン、点も取った方だと思います。

 しかし他の小学校にはうまい奴がたくさんいました。驚いたことに彼らは私と幼稚園球蹴りを共にした奴らばかりでした。私はどこか親近感とともに、幼稚園時代ではおれの方がうまかったのにという悔しさがありました。そこで火がつくのが普通ですが、「いつか」追いつくだろうという甘い考えがあったと思います。

 チームの中では上手い方だという驕り、もっと上手くなりたいという貪欲な向上心のなさ、誰かに勝ちたいという競争精神のなさが、この甘い考えを生んだのだと痛感しています。

 物語的にはここで中学校に入学し、強い奴らに圧倒され、激しいポジション争いの中底知れぬ努力をし、最後の最後でスタメンを勝ち取った。。的な話が売れるのでしょうが、私の話はそうではありません。

 中学に入ってからも甘い考えは続きました。1年の時から3年に食ってかかれるレベルであり、2年になっても1年に負けるなんてことは到底あり得ず、3年のときはほぼ3年だけで戦っていたようなものです。ポジション争いなど経験したことがありませんし、最初の最初からベンチには入っていました。私はこのままでやれる、そんな考えがあったのだと思います。井の中の蛙大海を知らずとはこのことでしょう。

 そんな甘ったれた考えを持つ田中に転機があったのは高校時代でした。宿敵S藤くんの登場です。S藤くんは私が今までの人生の中で最もサッカーが上手な人で、その上勉強もできるまさに実写版出来杉くんでした。

 中高一貫だった私の学校では、中3で部活を引退した後すぐに高校の部活に参加できました。高校から入ってくる新入部員に差をつけるべく私と他数名が早くから高校部活に参加していました。他のみんなは引退して遊んでいる中少し高いレベルで奮闘しているとすぐに新学期が始まり、新しい仲間が入ってきました。そこで蛙田中はようやく大海を知ることになります。新入部員はみんな上手でした。パスの精度やワンタッチの技術、サッカーの考え方やとりかごでの強さ(?)。私が上回っていたのは彼らが受験期で落ちていた体力だけだったように思います。私はすぐに抜かされると勘付きました。特にS藤くんはレベチで、利き足がどっちかもわからないような気持ち悪いタッチから目を追うのも大変なほど素早いドリブル、そして力強いシュート。。。

 どこをとっても負けていました。こんな選手は今までいませんでした。今まで、どんな上手い選手でもどこかしら自分が勝っているところがあって、そこに甘えていたのです。自分はあいつよりここが勝ってるから大丈夫だ。左翼はシュートが得意だけどおれはクロスが得意だから大丈夫だ。シュートじゃなくてもコーナーを取れればそれでいいや。どこまで甘えれば気が済むのでしょうか。書いている自分が嫌になりますが、どうか続けさせてください。


 

さすがの蛙田中も悔しさのあまり必死に自主練をしました。高一の4〜7月ずっと部活後近くの公園でドリブル練習をしてました。S藤くんは甘ったれた私に火をつけてくれたのです。S藤くんに少しでも勝つために、周りの新入り(細谷も含む)に負けないように。これからどんどん上手くなってライバルに負けないように頑張っていこうと思っていた矢先、細谷の誕生日の数日後でした(細谷は何も悪くない)。裏へ抜けたボールを追いかける途中、ピキッという音と共に腰が痛くなりました。腰椎分離症と診断され、3ヶ月の安静を余儀なくされました。体幹をひたすらこなし、3ヶ月後体を強くしてみんなを驚かせようなと、リハビリの先生と話したことを覚えています。その3ヶ月後復帰し数日してまた腰が痛くなり、分離症はまだ完全には治っていないらしく、また3ヶ月体幹をするだけの日々がつづきました。

 それからというもの、完治はしたが腰に違和感を抱えながらプレーし、かつての自分とはかけ離れた体力と技術、そして何より周りよりも劣ったそれに引け目を感じていました。いつしかの競争意欲というものは全くなくなり、部活を高2の12月で辞めました。そこには、勉強しなければならない、という考えがありました。が、一種の逃げでしかないという考えもできるかと思います。



後編「大学サッカーへの思い」

 前編で述べたように、私のサッカー人生は、なんとなくで始まり、貴重な時期を甘えて過ごし、最後は逃げで終わりました。サッカーの本質を掴まず、感覚でプレーし、限られた環境から認められることだけで居場所を作りそこに甘え、今その瞬間ではなく「いつか」という将来に期待し、最も大切な今という時間から逃げていたのです。

 

 ですが、このことに気付けたのはサッカーを大学となった今でも続けているおかげだと思っています。もし大学でサッカーをしていなければ、こんな甘い自分にこれからも目を瞑り続け、いつまで経っても考えが変わらないままだったでしょう。

 こんな甘い私に転機をくれ、迎えてくれる阪大サッカー部の懇意である同期、先輩後輩方に、そして火をつけてくれたS藤くんを始め今まで一緒にサッカーをしてくれた人たち、サッカーを始めるきっかけをくれた母に感謝します。

 私はこの阪大サッカー部になんとなくではなく、もう一度サッカーをやり直したいという強い決意のもと自らの意志で入りました。そしてそこで活気あふれ尊敬できる同期と出会い、さまざまな面で触発され、向上心と競争意識を持ち、日々練習に励んでいます。残り少ないサッカー人生1日1日の今を大切に、今に期待し、自分で自分を認められるようになるまで私は成長し続けたいと思っています。

 大学でサッカーを続ける人たちはみんな強い志があります。そして学生主体の阪大サッカー部にはどこの部活にも負けない一人一人の積極性があります。それはサッカーに対してだけではなく、班活動や企画、勉強などに対してもです。私はそれが阪大サッカー部の大好きなところの1つです。阪大サッカー部でなら、甘かった自分を認め革新し、サッカーの面でも、人間性の面でも大きく成長することができると信じています。


最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。

2022年3月23日水曜日

世の中だいたいなんとかなる 3年 玉岡航太



こんにちは。大阪大学体育会サッカー部新3年の玉岡航太です。まず、このブログのタイトルですが、内容とはあまり関係ありません。内容にあったタイトルが思いつかず、僕が好きな言葉にしました。このブログに合うタイトルが思いついた人がいれば、連絡ください。本音を人にさらけ出すことがあまり好きではないのと、うまい文章を書きたいと先送りにしたことによって、長い間ブログ提出を怠ってしまいました。広報係の皆さんには申し訳ないと思っています。結局、本音を書くことにしました。まとまりのない文章ですが、最後まで読んでくださると幸いです。


まず初めに、このサッカー部に入った頃についてである。高校3年生の秋、選手権予選で負け、部活を引退した時から、国公立大学に合格すれば、体育会でサッカーを続けると決めていた。高校時代の顧問や先輩の影響、選手権予選で負けた悔しさなどからではあったと思うが、小学生で始めてから、それなりの熱量をもって取り組んできたサッカーを続けるのが当たり前と考えていた。今思えば、入部するかを悩んだ覚えがなく、悪い言い方をすると今までの流れで入部した感じであった。ただサッカーを真剣に続けたかっただけで、大学生という貴重な時間をサッカーに捧げる特別な理由はなかった。もちろん、高いモチベーションと野心をもって入部したが、正直、大学サッカーを戦う覚悟のようなものは、悩んだ結果入部した部員よりも持っていなかったと思う。

それもあってか、この2年間は目に見える成果を出すことができなかった。試合や練習で満足したプレーができないことばかりだった。新型コロナの蔓延による活動停止もあった。そして、何度も怪我をしてしまい、継続してサッカーをできず、辛く、苦しい時間を過ごした。もちろん、良いこともあったが、正直、思い描いていた大学サッカー生活とは全く異なるものであった。他大学のトップチームで活躍する高校の同期の姿を見て悔しかった。生まれてから一度も嫌いになったことがないサッカーを嫌いになりそうなときもあった。入部前に今のように怪我で何度も離脱すると知っていたら、この部活には入っていなかっただろう。そして、今は大学卒業後にサッカーを続けようとも思えない。

このような状況の中で、阪大サッカー部に所属し続ける必要があるのかと考えたこともあった。辞めようと思えばいつでも辞めることができる。部活に所属するよりもっと有意義な時間を過ごせるかもしれない。僕が辞めたとして、この部活に大した迷惑はかからない。

しかし、今の僕には、サッカー部を辞めるという決断はできない。一度自分で決めたことはやり切りたいといったことではなく、この2年間の悔しさを晴らしたいという思いからである。この悔しさはこの部活でしか晴らせない。仮にこの部活を辞め、有意義な時間を送ったとしても、この悔しさは確実に残る。先に述べた通り、2年前は大した理由なく入部したが、この2年間の悔しさを晴らすという、サッカーを続ける理由ができた。苦しい思いばかりしてきた分、他人よりも伸びしろは大きく、人間的にも大きく成長できると信じている。残りの2年間は最後のサッカー人生を心から楽しみ、応援してくれる人たちに感謝を伝え、やり切ったと言える期間にしたい。


拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。


2022年3月9日水曜日

ワンプレーで人生が変わる  3年 葛西健

 


部員ブログで書くことといえば阪大サッカー部でのことだと思ったが、なかなか思いつかなかったので、この機会に自分語りをさせていただく。

2018年6月3日午前11時15分。僕は高校サッカーを一足早く終えることになった。相手にカウンターで抜け出され、キーパーと一対一になりかけたところに右足を伸ばした。次の瞬間、僕はピッチに倒れ込み、担架で退場。救急車で運ばれた。翌日に入院、そのまた翌日に右足首の手術。全身麻酔で右足首にボルトを2本埋め込み、1週間の入院生活。以降、9月22日に最後の試合に負けるまで、僕はチームメイトが戦う姿を外から眺めることしかできなかった。

「ワンプレーで人生が変わる。」これは高校の顧問の先生が時々口にしていた言葉だ。僕自身、怪我をするまではこの言葉を「凄いプレーをしたら偶々スカウトの目に留まってプロに行く、みたいな感じかなあ」と捉えていた。しかし前述したように、僕は思わぬワンプレーで人生を変えることになってしまった。

結局、そんな引退の仕方をした僕は後の受験勉強に身が入るはずもなく、全落ちして浪人。そしてこの悲惨な状況にも関わらず、僕はこのタイミングで当時思いを寄せていた同級生に告白し、フラれた(心の支えが欲しかったのか、ワンチャンあると思っていたのか…)。齢18にして絶望を短期間の内に何度も味わい、僕は完全にまいってしまった(最後のは自業自得やろってツッコミはおやめください)。

この後に待ち受けていた一年間の浪人生活も濃いものだったが、これ以上は話が逸れまくるのでこの辺に。とりあえず「来年落ちたら死のう」というくらい必死で一年間頑張った末に阪大に合格し、それから2年の時を経て今に至る。

僕は高校サッカーを終えた日から、大学でもサッカーをすると決めていた。自分のしてきた練習や努力が正しかったのかを確認することすらできず、サッカーに未練があった。

しかし、現在の自分はどうだろう。引退したあの日から死ぬ気で求めてきたサッカーを手に入れたのに、日々のトレーニングへの姿勢はどうだろうか。「ワンプレーで人生が変わる」と心に留めながらボールを追えているだろうか。高校最後の絶望を忘れてはいないだろうか。実際、残念ながら今はあの頃ほどの情熱を取り戻せないまま、惰性で続けている自分がいる。

そんなことを考えながらこのブログを書いていた今、ちょうど下のチームに落ちた。結局一年前と変わらない現実に直面し、自分に失望している。何かを変えなければいけないことは明白だが、ここからどうすればプラスに転じることができるか、今はあまりわからない。それでも、今までとは全く違う姿勢、考え、行動でなければ同じ事を繰り返すだろう。まず最初の課題はチャレンジ精神、周りとの意見の擦り合わせといったところだろうか。性根がネガティブで意見を伝えるのが下手な僕からしたら高い壁だが、「高ければ高い壁の方が 登った時気持ちいいもんな」ってな訳で、もう少しだけ足掻いてみようと思う。自分がサッカー人生を終える時に「サッカーをしてきて良かった、もう後悔はない」と心から思えることを願い、明日も僕はグラウンドに行く。

2022年3月4日金曜日

前向き


はじめまして、大阪大学体育会サッカー部3年の橋本将希です。


文章を書くことが苦手なので読みにくくなるとは思いますがよろしくお願いします。


皆さんは何かうまくなりたい、成長したいというときにはどのようにするでしょうか。この問いを投げかけられたとき、まず初めに自分が思い浮かぶのが、過去の失敗を振り返ってなぜその失敗をしたのかということを考えて同じことをしないようにするということでした。確かにこの方法も上達するには良い方法であると思います。しかし、最近この方法が自分にはあまり向いてないのではないかと思うようになりました。その理由は僕自身が心の切り替えがうまくないからです。練習後や試合後に振り返るために自分のプレーを見て反省を始めると自分のうまくいっていないプレーを見て、「なんでこんなプレーをするんだ」とか「また同じミスをしているじゃないか」とかを考え、とても暗い気持ちになって次にプレーをする時にボールをもらいたくないなどと思ってしまうことが多くありました。そこで最近では、自分のミスの反省もしますが、その後に自分のうまくいったプレーやチームのうまくいったプレーなどを見てこうすればうまくいくんだと考える時間を増やすようにしています。こうすることで気持ちが前向きになるような気がします。さらに、プレーを反省して次はこうしようと思ってもそれが正解かどうかはわかりません。しかし、うまく行っているシーンを見てそれを再現すればひとつの正解になっています。そしてその正解を再現して何度も積み重ねることができればそれは自分の武器にもなっているはずです。そうして得た武器は必ず自分の成長につながります。

現在、阪大が所属している2部リーグは格上のチームが多く、苦しい戦いが多く続くきます。欠点をなくすことももちろん重要ですが、自分たちの強みをぶつけることが勝利を掴む鍵になっていると僕は思います。大学サッカーはもうすでに半分が終わりました。後ろ向きになって立ち止まっている暇はありません。前向きに成長していきたいと思います。


拙い文章ではありましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

2022年3月3日木曜日

好きなことの中の嫌いなこと

 


こんにちは。2回生の庫本です。このブログを書いてる頃、僕はもうそろそろ3回生になります。すなわち、大学生活の半分が経過してしまいました。この2年を振り返ってみると、サッカーに没頭し、友達ともたくさん遊び、勉強はまあぼちぼち、とだいぶ充実しているように思います。そんな大学生活の中の特にサッカーについてこの場をかりて語ろうと思います。


僕は小学2年生からサッカーを初めて中学3年生まで続けていました。しかし、僕の高校では進学コースだった僕はサッカー部には基本入ることができませんでした。そんな僕が大学でまたサッカーをしようと思ったのはなぜか。もちろんサッカーがしたいという気持ちもありますが、人間的成長をしたいと思ったからです。好きなこと今で言うサッカーの中にも辛いことやしんどいこと嫌なことは必ずあります。例えば、ラントレやサーキットだったり、早起きするのが辛かったりだと人それぞれではありますが誰にだってサッカーをしている上で嫌なことはあると思います。僕は常々思っているのですが、「嫌なことの中の嫌なこと」をしようと思った時、少なくとも「好きなことの中の嫌いなこと」を乗り越えた経験がないと達成できないと思います。「嫌なことの中の嫌なこと」とは例えば、もし望んでいなかった仕事に就いたとして、その仕事内容の中には、楽なことや好きなこともあると思いますが、嫌なことが大半だと思います。そのような場面になった時、学生時代に経験したことはきっと役に立つと思うのです。だから僕は大学でもう一度サッカーをしようと思いました。そのような経験をするために。

国語力がなく、読みづらい文章だったと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

2022年3月2日水曜日

飛躍



こんにちは。大阪大学体育会サッカー部新3年の河村友哉です。この場を借りて大学でサッカーをする中で自分が考えたきたことを素直に書きたいと思います。まとまりがなく読みにくい文章だとは思いますが、最後まで読んでいただければ幸いです。


 「大学に入ってまで本気でサッカーをやる意味は何なのか」これは自分が大学でサッカーをやっていく中で生じた疑問である。小学生でサッカーを始めてから大学1年の途中まで、サッカーを本気でやるからにはプロを目指してやらなければ意味がないなどと、恥ずかしながらも自分の現状を全く受け入れず夢のまた夢のようなことを目標とし、それをモチベーションにサッカーを続けてきた。しかし、大学でサッカーをしていく中で、こんな下手くそな自分がプロを目指すなんて馬鹿げていると感じるようにもなっていき大学1年の途中でやっと現実を受け止め完全に諦めがついた。このころからサッカーに対する自分の情熱が少し失われつつあることを感じていて、周りが日々努力している姿を見て本当にすごいと感心するとともに、モチベーションの向けどころを失い努力もせずなんとなくサッカーに向き合っている自分に嫌気がさすことも多かった。そんな中で自分の中に生じた疑問が、先述した「大学に入ってまで本気でサッカーをやる意味は何なのか」である。こんなことを考えながら大学での最初の2年間は自分に対してあらゆる言い訳をしては努力することを放棄し、ただなんとなく過ごしていたと思うと本当に恥ずかしいことである。

 このように大学に入ってからずっと考えていた「大学に入ってまで本気でサッカーをやる意味は何なのか」に対して自分なりに考えたことをここからは書いていこうと思う。ただサッカーが好きだからというように大学でもサッカーをやる意味というのは人それぞれあると思う。自分はこの大学での2年間で様々なことを考えた結果、今シーズンの意義目標でもある「人間的成長」というのが大学でサッカーをやるうえで本当に重要なことだと思った。確かに、以前の自分のようにプロを目指すくらいの意気込みで努力していくことも重要だとは思うが、プロになるというサッカーにおける成功を目指さない以上この大学4年間でサッカーを通して自分が何を得られるのかということの方が重要で、それはサッカーに対して自分がどう向き合っていくのかによって決まるものだと思う。だからこそ、残りの大学での2年間をくよくよ考えるだけで何も行動に移さなかった今までの2年間と同じように過ごすのではなく、どんな時でもサッカーに真摯に向き合い、自分のためだけでなくチームのためにできることは何かを常に考え努力し続けることを通して人間的に成長するということを目標に掲げ、残りの大学での2年間を今までのサッカー人生の中で最も成長できたと実感できる2年間にしたい。


拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。