2022年4月13日水曜日

「モラトリアム人間」 3年 佐藤新

 

「モラトリアム人間」


 年齢では大人の仲間入りをするべき時に達していながら、精神的にはまだ自己形成の途上にあり、大人社会に同化できずにいる人間。


 今の僕はまさにモラトリアム人間です。大人になるのが不安で、将来の明確なビジョンもなく、ずっと学生のままでいれたらなんて考えたりもします。なんでこんなことになってしまったのでしょうか。それは紛れもなくサッカーのせいでしょう。


 僕がサッカーを始めたのは2歳の時でした。兄が通っていたサッカースクールに、ついでに入れられたのがきっかけです。当時の僕はそれ程サッカーに興味がなかったのですが、当時大人気だったカードゲーム、ムシキングをするためにサッカーをしていました。練習に行けば、母親が100円玉をくれるのです。練習が終わるとすぐにムシキングが置いてあるお店に突っ走り、握りしめてホカホカになった100円玉を機械に流し込んでいました。この時の僕の熱意はサッカーよりもムシキングに向いており、相棒のエレファスゾウカブトと一緒に小さな大会に出たこともあります。これが僕の初めての公式戦でした。


 ところが、小学生になる頃には僕はすっかりサッカー小僧となり、苦楽を共にしたカブトムシたちは押入れの奥深くに眠りました。僕が小学生の頃は丁度バルセロナの黄金時代で、シャビやイニエスタに憧れ、サッカー選手になりたいと強く思うようになりました。地元のクラブチームに入って週に6回練習や試合に行き、それ以外の日も友達と公園で日が暮れるまでボールを蹴っていました。中学生になっても変わらず同じような日々を過ごしました。


 それから月日は流れ、僕は親元を離れて県外の高校に進学しました。プロサッカー選手になるという夢を叶えるため、毎日必死に練習しました。試合尽くしで夜には吐くほどご飯を食べる89日の合宿に行ったり、地面に汗の水溜りができるほどの体幹トレーニングをしたり、山に走って登ったり、体が小さくて貧弱だった僕には本当に辛いことも多くありました。それでも自分の夢を叶えたいという一心でがむしゃらにサッカーをしていました。


 しかし、僕はやがてトップレベルとの差を徐々に感じるようになっていました。ありがたいことに、高校では全国大会も経験させて頂き、沢山の強豪校やJリーグの下部組織と試合をしましたが、キック、ドリブル、パス、シュート、判断など、どれをとっても自分よりも上の存在が多くいました。そんな現実を受け入れることが嫌で嫌で仕方ありませんでした。その反動なのか僕は受験勉強をして、偏差値の高い大学に合格することに希望を見出していました。朝早く学校に行き、休み時間をも惜しんで勉強し、部活に行って、帰ってくるとまたすぐ学校に行って日付が変わるまで勉強していました。そうでもしないと自分への嫌悪感で押し潰されそうでした。その結果、僕の高校史上初の大阪大学に合格することができました。周りの方々にはよく部活と勉強を両立させたと褒められることもありましたが、僕はそんなに立派な人間ではありません。ただ弱い自分から逃げていただけなのです。勉強を投げ出してでもサッカーに全力で向き合うべきだったと今になって強く思います。きっとエレファスゾウカブトが横にいたら呆れて森に帰ったことでしょう。


 僕の人生からサッカーをとってしまえばほとんど何も残りません。だからサッカー人生の終わりが見えてきている今、不安で仕方ないのです。

それでも阪大サッカー部が僕にもう一度サッカーと全力で向き合う場所をくれました。サッカー部にはカテゴリー関係なく常に一生懸命で、サッカーが大好きで、尊敬できる人が沢山います。僕はこの最高のメンバーと共に一部昇格という目標を達成したいです。これからの自分の人生がどうなるかは分かりません。引退したら本気のサッカーとお別れになるかもしれないですが、そんなことは今は考えず、ただただ上を目指してもがいてやろうと思います。そしてその姿で僕のサッカー人生を支えてくれた方々へ恩返しをしたいです。



拙い、辛気臭い文章だった思いますが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

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