2020年4月29日水曜日

心掛けていること 新3年 渡辺尚弥

こんにちは。体育会サッカー部新3回の渡辺尚弥です。今年から阪大の大エースだった坂井さんから11番をもらうことになり、11番の重みをひしひしと感じている頃です。

僕には心掛けていることがあります。それは、常にゴールを意識することです。サッカーの試合中は言うまでもありません。試合以外の場面や私生活においてでもです。

今僕がゴール、つまり目標にしているのは、優秀選手に選ばれることです。今年の2部Aリーグでは、国公立は阪大と大阪教育大学だけであり、ほとんどがサッカー推薦で入ってくるような大学ばかりです。僕はサッカー推薦ではなく勉強だけで進学してきたので、正直そんな目標は無理でしょと思う人もいると思います。けど、僕にはそんなこと関係ありません。目標を達成するために今何をすべきか、自分の弱点を克服するためにはどんな練習をすべきかということだけを考えています。コロナで現在、ボールが蹴れない日々が続いていますが、その状況下で今できることを探し、目標に向かっています。目標がはっきりと設定されていれば、どんな状況下でも今何をすべきかは自ずと出てくるはずです。これを読んでいる皆さんも、サッカー以外のことでも、なんでもいいので自分の中で揺るぎない目標を1つ設定してください。そこから逆算すれば、今すべきことは何か一瞬でわかると思います。

ここまで個人の目標を書いてきましたが、サッカーは言うまでもなくチームスポーツです。チームが勝つことが最優先です。チームのためにプレーをしていたら、それが個人の目標につながるとは思いますが、それでも守備をしてくれるDFやGK、自分にパスを出してくれるチームメイトの存在がいて初めて自分が輝けるということ忘れずに取り組んでいきたいと思います。

最後に、阪大サッカー部をご支援していただいているOB、OG、保護者の皆様に感謝の気持ちを忘れずこれからもサッカーを頑張っていきたいと思います。

2020年4月27日月曜日

最高な瞬間と努力のベクトル 新4年 安井健太

こんにちは、工学部建築工学科4回生の安井健太です。コロナの影響でイギリス留学が突然終わり、今はコロナに苛立ちを覚えながら、14日間の自宅隔離生活を送っています。留学中は、勉強と両立しながら大学のサッカー部に所属し練習していました。イギリスのサッカーは毎試合乱闘騒ぎになり、常にFワードが飛び交います。球際も意味わからんくらい激しいです。多分彼らは痛みを感じません。ただ、試合中の口の悪さには定評がある僕にとって、この地の少し荒れたサッカーはちょうど良く感じていました。留学中のサッカーについては小西と丸山がブログに既に書いているので、ここではサッカーの好きなところ、そして試合に出場するために何をしたかを書きたいと思います。

仲間と切磋琢磨して練習している時、自分でゴールを決めた時、はたまた大阪大学体育会サッカー部に所属している事自体。人によってそれぞれ違ったサッカーの好きなところがあると思います。僕は公式戦のあの張り詰めた空気感、勝った時の高揚感を「ピッチで」味わうのが何よりもサッカーで好きな瞬間です。負けたものの前期大院戦で初めて感じた2部Aの衝撃、まもさんの粗相を大西さんがゴールで勝利に導いた京大戦。あの感覚は、実際にピッチに立って戦えたからこそ感じられたものだと思います。だからこそ、怪我でベンチにも入れなかった天理大との入替戦は、昇格という圧倒的な喜びの中にも、素直に喜びきれない物足りなさや悔しさがありました。

大学では出場機会が多かった僕も、中学時代はなかなか試合に出れず悔しい思いをしていました。中学時代に所属していたクラブではプロを目指すレベルの仲間が集まっていたため、試合で勝つ以前にその場に立つことすら難しいことでした。このままではいくら同じように頑張っても、彼らには技術では勝てないと思いました。それが試合に出るために何が必要なのかを考え始めたきっかけです。自分のプレースタイルは何か、他の選手との違いをどうやってみせるか。一つは、技術で勝てないなら頭で勝とうと思いました。なぜそのプレーを選択したのかや、その判断は正しかったのかを常に考えるようにしました。また、高校時代は走れる選手が求められていたので、YOYOという持久力測定では必ず一番になることを意識してましたし、それがとにかくアピールになると思っていました。
さらに、「本気で試合に出たかったら同じポジションのやつを練習中に削ってでも出ろ」という高校の監督に言われた言葉に衝撃を受けました。なので高校2年や大学2年の出れない時期は毎日の練習がセレクションの気持ちで臨んでいました。僕は人一倍努力したとは言えませんが、人一倍何が必要なのか考えてきました。そしてこれが今の僕のプレースタイルを確立できた理由だと思います。

部活に復帰後は、自分はまたゼロからのスタートです。現在の状況で先行きも見えず、阪大サッカー部でプレーできる残りの期間もあまりありません。なので、今できること・最もすべきことを考え、試合に出場し最高な瞬間を再び味わうために、頑張っていきたいと思います。そしてそのサッカーに全力を尽くすことが、一つのチームへの貢献になると信じています。

不撓不屈 新3年 関川朋弥

こんにちは。ニイガタケンという国からきた関川朋弥です。
ブログの始まりを、うさぎ耳をつけていた先輩の真似させて頂きました。どなたか気になった方はぜひ過去のブログを遡ってみてください。きっとすぐに見つかるはずです。
今回の部員ブログには、高校時代の僕と今の僕の変化を中心に書いていきたいと思います。
では始めていきましょう!
まず、高校時代の僕について振り返ってみます。僕は県内でも強豪校とは到底言えない高校でサッカーをしていました。中学時代クラブチームでやっていたこともあり、同学年もそうですが上の学年の試合にも少なからず関わらせて頂いていました。ですから、自分はそこそこサッカーが出来るのではないかと大きな勘違いをしていました。正直自分の実力に満足していたのです。
高校2年後半の県リーグのこと、例年より3年生が多く抜けていってしまっている状況でチームはリーグ降格の危機に直面していました。残留するためには少しでも勝ち点を多く取らなければなりません。ですが、勝利することはなく2部に降格が決まりました。この時僕が何を思ってたかというと、自分の実力のなさを感じ悔しがっているのではなく、「3年生が多く抜けたから仕方ないでしょ。」という風に考えていました。つまり、点を取るなどしてチームに貢献出来なかったにも関わらず、自分以外の人に責任転嫁していたのです。今考えるとひどい話ですがこの時の僕はそんな状態だったのです。こんな状態で3年生になっても結果を残すことはもちろんのこと出来ませんでした。1部に戻せなく、県総体で勝ませんでした。仲間の数人は選手権予選までサッカーを続けていましたが、僕は夏に引退しました。
そして大学の入学が決まりました。大学に入ったとき、サッカーをするつもりはありませんでしたが、サッカーは好きだし真剣にできる最後のチャンスだと思って入部を決めました。高校時代と同様にそこそこやれるだろうと思って練習や試合に参加してみると想像の何倍も阪大サッカー部のレベルが高く驚きました。そんな1年生の時実力不足で練習試合に出ることが出来ない事もあった、ずっとBチームだったのでもちろんリーグ戦に出るのなんて夢のまた夢の様な状況でした。同学年の仲間が数人Aチームにがったり、リーグ戦で活躍しているのを応援席からるというのは今まで経験したことがなく、言葉に表せないくらい悔しい思いをしていました。その時期から意識を変えて実力の向上とともにピッチの内外で考えて行動するようにしました。運もあったかもしれませんがその成果からか2年生の春あたりからAチームに上げてもらいました。正直全く通用しませんでした。この辺りから考える内容を具体的なものにしていき自分の特徴を試合で生かすにはどうしたらいいかを考えていました。時間はかかりましたがリーグ後期は先発、途中出場含め全試合に関わらせてもらいました。今度こそは天狗にならずチームのためにプレーしようとしていました。結果的には2得点することはできましたがそのどちらもチームを勝ちに導けるようなものではありませんでした。チームの勝利に貢献するという本物の結果を残すことはできなかったのです。全く満足できませんでした。
今年度から9番を頂きより責任が増したと感じています。前期リーグは中止になってしまいましたが、後期リーグはチームとしても個人としても結果に拘っていきたいと思います。
現在厳しい状況が続いていますが、仲間と切磋琢磨して来たるべき公式戦に向けて良い準備ができたら良いと思っています。
これからも大阪大学体育会サッカー部の応援どうか宜しくお願い致します。

2020年4月24日金曜日

運 新3年 登藤健

初めまして、新3年の登藤健です。出身はあの小泉環境相と同じ神奈川県横須賀市、なんと誕生日まで一緒ということで同じような内容のことを繰り返し言わないように気を付けたいと思います。もしそのようなことになってしまったら、反省の色が見えるように反省したいです。

現在コロナウイルスの流行によって社会活動が大きく制限され、一人でいる時間が格段に伸びました。すると、自分と向き合う時間が自然と増えます。こんなタイミングで運よく、部員ブログの順番が回ってきたということで、今自分が考えていることを整理しながら書いていきたいと思います。(整理できてなかったらすいません)

唐突ですが、皆さんに座右の銘というものはありますか。僕は今までそんなことは特に意識もせず生きてきたのですが、ここで一度腰を据えて考えてみると、自分の今の考え方にとても近いものを見つけました。

それは「人間万事塞翁が馬」という言葉です。この言葉を初めて聞いたのは南アフリカワールドカップから帰国した時の記者会見で当時の日本代表の岡田監督が子供たちへ送ったメッセージの中でした。この言葉は当時、小学生だった僕の心になぜかすっと受け入れられました。そして、おそらく今の自分にも大きく影響していて、僕のひ弱なメンタルを少なからず支えてくれています。

この言葉から得られる教訓として「何が災いで何が幸せかはわからないので、ある出来事に対して安易に一喜一憂しない事」などがあると思いますが、僕はスポーツをやっている以上、試合に勝てば喜び、試合に負ければ悔しがりますし、多くの友人に見透かされているように、かなり負けず嫌いです。なので、この言葉から自分に合うように教訓を得ようとすると、「結果を運のおかげ(せい)にする」になります。少し飛躍したかもしれませんがそこは勘弁してください。

具体的に自分の経験に照らしてみたいと思います。昨年、前期リーグ開幕直前のアクシデントにより突然リーグ戦に出場することができました。もちろん、戦力としてチームにとってはマイナスな出来事であることは間違いないのですが、自分個人の経験としては貴重なものでした。しかし、この経験を自分にとって良いものとするか悪いもとするかは自分次第です。たまたま試合に出られたことで自分の実力を勘違いし努力を怠るようなら、その後の2年間にとって今回の出来事はマイナスであるし、試合に出られたことを運がよかっただけと解釈するなら、今回の経験は自分の中での基準を引き上げることに繋がり、プラスになります。何事にも成功したときは運のおかげと思うことによって常に謙虚でいられます。

このように考えると、成功や失敗といった結果は普段のモチベーションにあまり影響を与えません。必要なことは結果に関わる運の要素をできるだけ少なくするために、淡々とやるべきことをやるということです。
今年度のチーム目標の一つに2部Aリーグで4位以上というものがあります。この目標を掲げている以上、一つの試合に試合に勝とうが負けようが、スタメンであろうがなかろうが、もっと言えばコロナウイルスで思うような活動ができなかろうが、普段の練習や日常ですることは同じであるべき。というのが僕なりの「人間万事塞翁が馬」という言葉のサッカーへの応用です。
 
最後にもう一つだけ「自分は運がいいなあ」と思うことについて書きたいと思います。それは周囲の環境に恵まれていたことです。もちろん、大学生になるまで不自由なくサッカーを続けてくることのできた家庭環境もそうですが、それと同じくらい今まで自分が所属してきた集団にはいつも自分にとって良い刺激を与えてくれる人達がいました。大阪大学サッカー部もその一つです。さっきまで長々と偉そうなことを書きましたが自分にももちろん、モチベーションの波があります。しかし、モチベーションが落ちてしまったとき、このままではいけないと思わせてくれる人達がサッカー部にはいます。なんで大学生になってサッカーをするのか、と考える人もいるかと思いますが、サッカー部に入ることでそういった尊敬できる人に出会うことができる、それだけでも価値のある事なのではないかと思っています。

こんな感じで自分らしく、面白みのない文章になってしまいましたが、運悪く僕は面白い部分を持ち合わせて育ってこなかったので、そのあたりは得意な同期達に任せたいと思います。最後まで読んで頂きありがとうございました。

2020年4月20日月曜日

感謝 新4年 上田奈緒美

こんにちは!
外国語学部モンゴル語専攻、新4年生の上田奈緒美です。

この文章を読んでいる人は知っていると思うのですが、私は日本語が少し苦手なので、分かりにくい部分もあると思いますが、そこは気にせずに読んでいただけると嬉しいです。

体育会サッカー部の魅力、そしてそこでサッカーをしている人の魅力は沢山あるのですが、それは今までの部員ブログで選手が充分伝えてくれていて、私にはそれ以上の事を書くことは出来ません。
なので私はこのブログで、
「最後の一年、私自身が大切にしたい想い」
を書きたいと思います。

それはまず
「サッカー部のみんな、ありがとう」

みんなの頑張る姿は私を笑顔にしてくれる。私ももっと頑張ろうって思わせてくれる。人にそこまで影響を与えられるのは凄い事だなと、私はそう思います。今の私には多分出来ません。あと「みんな本当に強いな」と思います。レギュラーメンバーの選手はみんなの思いを背負って試合に臨む、そして負ける事もある。それ以外の選手は何十年サッカーをやってきたのに、試合に出場出来ない場合もある。「自分、情けないな」って感じた事も何回もあったはず。それでも辞める事なく毎日真剣に練習する。諦める事なく必死にボールを追いかける。そんな姿は本当に周囲の人の心を動かします。なので、最後まで負けないで、自分のサッカーに自信を持ってほしいです。辛くて辞めたくなっても、それでも逃げないで向き合ってほしいです。その姿に励まされて、新たな目標を持てる人も居ます。少なくとも私はその一人です。みんなが思いっきりサッカーが出来るのも残り僅か。うまくいかなかった時、負けてしまった時は思いっきり泣いて、その分、勝った時や自分の目標が達成出来た時は、みんなでいっぱい笑ってほしいです。それでこそ、今年の目標である「愛られるチーム」であると思います。今いる現役の選手も、先輩たちのそのような姿に魅了され、憧れ、今までサッカーをしてきたと思います。次は自分達がそのような存在になってほしいと思います。私もそのような選手を見て、選手に負けないくらい、自分の出来ることを精一杯取り組もうと思います。私がサッカー部に入って一番良かったことは、みんなに出会えたことです。最後には、みんなが「私に出会えて良かった」と、そう思ってもらえる人間に、私自身成長したいと思います。
そして後輩マネージャーのみんな、私は最高学年になった今でも、私の先輩みたいな立派な存在ではないと思います。同期のマネージャーの中でも頼りない先輩でごめんなさい。でも、みんなの支えがあるからこそ、私も笑顔で頑張れます。なので最後まで力を貸して下さい!
まこ、色々と大変だったけど、留学お帰りなさい。留学で成長してきたまこについて行けるよう最後まで頑張ります!
ももねん、今まで私が困った時にいつも手を差し伸べてくれてありがとう。最後は少しでも力になれるように努力します!

それと
「今の私を創ってくれた家族のみんな、ありがとう」

お母さん。高校生の時に何度も言ってくれた「大学に入ったら楽しいこと見つかるから。」その言葉を信じて良かった。本当に大切な人達と出会う事が出来たと思います。
「勉強なんてせんでいい」と言ってくれたお父さん。おかげで、気楽に受験に臨めました。
お姉ちゃん。私が国立大学を目指したのはお姉ちゃんの存在があったからです。振替れば、小さい頃からお姉ちゃんの真似ばっかしてきた人生でした。でも本当に感謝してます。おかげで今とても楽しい。
今思うと、私は支えられてばかりの人生で、今もサッカー部のみんな、家族に頼りきりの毎日です。なので大学生活最後の年は、一人でも多くの人の支えになれる存在になりたいです。その為にも、周りの人への感謝の気持ちを忘れずに、日々自分を成長させて行きたいです!

2020年4月18日土曜日

今、マネージャーにできること 新4年 小屋 萌々子

こんにちは、新四回生マネージャーの小屋萌々子(こやももね)です。
みんなみたいに、最初の部分で笑いを取ろうかとも考えたのですが、私にはそんな技術はないので、淡々と進めさせていただきます。

今回の部員ブログでは、タイトル通り、今この状況で私たちマネージャーにできることを考えていこうと思います。

正直コロナ、憎いです。こんなことを言うのは不謹慎だと百も承知ですが、同期達の学生生活最後のサッカーを、いとも簡単に奪おうとするコロナ、憎いです。しかしそんなことばっかり言っていても意味がありません。切り替えが何より大事だと、このサッカー部を通して学びました。だからせめて私たちマネージャーだけでも前向きに、今できることを考えます。

では具体的に何があるでしょう。家でできるトレーニングメニューを考える、体にいい食事メニューを考える、思いつくことはたくさんあります。しかし、私が一番大事だと思うこと、それは選手のモチベーションを維持することです。そしてこれこそがマネージャー最大の任務であり、最も難しい仕事だと思います。

これまでの部員ブログを読んで、入部してから約三年、一番近くでみんなのサッカーを見てきたはずなのに、私が知らなかった気持ちがたくさん綴られていました。みんな本当にサッカーが好きなんだな、そして阪大サッカー部が好きなんだな、そう感じました。そんな気持ちまでもコロナに押しつぶされてしまっては困ります。

みんなは今、何を考えていますか?前期リーグが中止となり、モチベーションが下がっているでしょうか。今年は一旦ええわ、そう考えている後輩もいるでしょうか。そうなる気持ちもわかります。しかしサッカーができない今だからこそ、自分はなぜサッカー部に入ったのか、サッカーのどこが好きなのか、サッカーで成し遂げたい目標は何か、この阪大サッカー部に何を残したいか、色々と考える時間にしてほしいと心から思います。

そしてその思いを活動再開できる日まで燃やし続けてほしいと思います。みんなが強い思いを持ったまま活動再開することが出来れば、あとはがむしゃらに練習するのみです。この期間、どれだけ部員1人1人が健康に気を付けながら、サッカーに対する思いを燃やし続けられるかが勝負のカギになるのではないか、おばさんはそう思います。

最後に同回生、今まで本当に色々なことがありました。他の学年のように、頻繁に一緒に遊びに行くような学年ではなかったけれど、やっぱり同期の活躍が一番うれしいです。そして私たち同期ならコロナになんて負けないという謎の自信があります。今こそみんなで一致団結して阪大サッカー部の、そして私たち同期の力を見せつけましょう。みんなとももっとサッカー部への気持ち、語り合いたいです。

ここまで書いてきましたが、少し暑苦しすぎたかと、正直後悔しています。でも私はこの阪大サッカー部が本当に大好きです。紛れもなく一番のファンです。尊敬できる仲間たちが本気でボールを追いかけ、時には涙し、時にはともに喜び合う。そんな日常が少しでも早く、そして少しでも長く、戻ってくることを願っています。

2020年4月14日火曜日

存在意義 新4年 石見茉子

こんにちは。外国語学部新4回生の石見茉子です。
主将の守武から始まった部員ブログを読んできて、同回生が書いたとは思えないくらい立派で感動的な文章ばかりで、そのあとに書くことにすごくプレッシャーを感じているし、みんないつのまにそんなに大人になったんやってびっくりしています。わたしは立派な文章を書くことはできないので、率直に、今考えていることを書こうと思います。拙い文章が続くとは思いますが、最後まで読んで頂けると幸いです。

"存在意義"
これは、わたしが1回生とき、当時の4回生のマネージャーの先輩がよく口にしていた言葉です。その人はわたしの憧れであり、今でも目標としている先輩です。わたしは、そんな先輩から頂いた言葉をモットーとして、これまでの日々を過ごしてきました。

存在意義とは、言葉の通り、その人がそこに存在する意義のことです。もっと具体的に言えば、大阪大学サッカー部において、いなくてはならない存在であり、誰かが取って代わることの出来ない存在、ということです。

正直わたしはこれまでの2年半でまだそれを見出せていません。1回生のときは、毎日必死に活動していれば、自然と見つかるものだと思っていました。もちろん、必死に活動していなかったというわけではなく、日々サッカー部のことを考えて過ごしてきたつもりです。それでもまだ、片鱗さえも見つけることができていないのです。

選手は、それぞれにポジションがあり、同じポジションでも、またそれぞれに強みや弱みがあり、その人にしか出来ないプレーがあると思います。わたしたちマネージャーには、それがありません。マネージャーが日々している仕事というのは、個人個人にたいした差はなく、さらに言えば、マネージャーでなくとも、少し練習すれば誰にだって出来ることです。ボトルに水を入れたり、時間の管理などはもちろん、スコアの記入やテーピングだって、別にマネージャーじゃなくても、選手に教えれば、真面目で頭の良い彼らはきっとすぐに出来るようになるでしょう。

それでも、サッカーを生活の中心に置き、日々本気でチームと向き合ってる選手たちのためにも、そして、わたしが留学で休部していた間も、変わらず選手の側で、選手のために勉強し、奮闘してきたマネージャーたちのためにも、残りの半年でマネージャーとしての、自分自身の存在意義を確立したいと強く思っています。2年半かかって見つからなかったものを半年で見つけ、確立していくのは難しいかも知れないし、人の存在意義は自分以外の誰かが決めることなのかも知れません。でも、みんなへの感謝を体現するタイミングは残り半年しかありません。もっと勉強して、努力して、誰かが取って代わることのできないようなわたしらしい"存在意義"を確立していきたいと考えています。4年のうちの半年という時間は短いように感じるかもしれませんが、過ごし方次第だとわたしは思っています。わたしの強みはどこで、わたしにしか出来ないことは何なのか、選手が必要としているものは何で、最高学年としてチーム運営に関わる中で求められることは何なのか。日々考え、行動して、これまでよりももっと濃密な半年を過ごせるよう、努力していこうと思います。

最後にはなってしまいましたが、平素より大阪大学サッカー部の活動へのご理解をいただいている皆様、本当にありがとうございます。今後ともご支援ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

ご一読いただきありがとうございました。

2020年4月13日月曜日

弱い自分からの脱却 新4年 築城知希

大阪大学体育会サッカー部4回生背番号88番の築城知希です。
なんで大学に入ってまで部活なんてしているのか?
そう思っている方は多いと思います。
正直、大学入学当初の私自身もそう思っていました。小さい頃からサッカーを続けてきた私ですが、サッカーに明け暮れる日々は高校で区切りをつけて、大学ではサークルで楽しむ程度にしようと思っていました。私の思い描いていた大学生活もみなさんと同じように泥臭いサッカー生活とは真逆のものだったからです。しかし、大学生活が進むとともに、何にも頑張れていない中途半端な自分に気づき、何か本気で頑張れるものが欲しくなりました。
そしてそれはやはりサッカーしかないと思い至り、他の部員より少し遅い7月中旬にサッカー部に入部しました。

サッカー部では、ありがたいことに2回生の頃から少しずつ公式戦に関わることができ、3回生になってからのリーグ戦ではほとんどの試合で先発または途中出場することができました。しかしこの一年はメンタルが脆弱な僕にとって嬉しい反面、苦難の一年になりました。
初めてリーグ戦で先発した前期の大阪商業大学戦の時から試合前夜になると緊張で眠れなくなりました。次の日の試合のために早く寝ないと!と思うほど眠れなくなります。
もちろんあらゆることを試しました。リーグ戦前夜には足をお湯で温め、ネルノダという睡眠の質を向上させるドリンクを飲み、効いているかわからない「mind shuffle」という睡眠法と「4ー7ー8呼吸法」を行ってみたり…それでも眠れない日は眠れませんでした。
試合前にはキックオフが近づくにつれ、自分のミスで迷惑をかけて今季最後のシーズンになる先輩達の大事な試合を落とすことになったらどうしよう…と吐き気を感じることもありました。だからこそ最終節が終わって自動残留が決まった時は喜びよりもこの連日の緊張から解放される安堵の方が大きかったように思います。
自分なりに最善を尽くして臨んでも2部Aのチームは手強く技術も数段上で不甲斐ないプレーに応援サイドからは「もっとやれよ!」と激が飛ぶこともありました。そんなチームメイトの激励もシーズン中の余裕のない僕には素直に届かず、「やってるわ!!」と心の中では思っていたりしました。
そんな中、新チームに代替わりしてすぐ僕は怪我をして3週間練習できなくなり、京大との定期戦は応援としてチームに関わることになりました。久しぶりに応援サイドにたって、僕は今までの自分の覚悟の甘さを改めて思い知らされました。応援サイドにいるチームメイトは悔しい思いを抱えながらもピッチに立っている選手と同じに、いやそれ以上に懸命に声援を送っていました。僕は今までそんなチームメイトの代表としてピッチに立たせてもらっていたにもかかわらずその自覚がなく、自分のことで精一杯でした。「応援の分も頑張るわ!」と感謝しているつもりになって、気持ちでサッカー!といいつつ無難にやり過ごすサッカーをしていたのかもしれません。応援してくれる仲間から「もっとやれよ!」と言われなくなるくらい、もっともっとやらなければ!!まだまだやれることがある!!と思いました。そして、こんなに声を張り上げて応援してくれる、サポートしてくれる仲間がいることに改めて心から感謝しました。
僕がこのブログを書いているのはまだリーグ戦が始まっていない4月です。自分自身がリーグ戦に出場できるのか、コロナの影響でリーグ戦自体があるのかさえも分かりませんが、どんな状況であってもチームのために自分ができることは全力でしたいと思います。

最後に、実は私はこの部員ブログを提案し新しく始めたものです。
私はより多くの人に大阪大学のサッカー部の部員のことを知ってもらい、応援していただきたいと思ってこの部員ブログを企画しました。
現況ではコロナの影響が落ち着くまでリーグ戦は無観客試合の予定です。でもそれが解除された時、部員ブログを読んで大阪大学サッカー部に興味をもってくださった方はぜひ一度試合に足を運んでいただきたいです。そうやって応援に来てくださる方一人一人が私たちの力になります。
私たちも観に来て下さった方々が後悔しないような試合をすることを約束します。

長々となりましたが、お読みいただきありがとうございました。

2020年4月12日日曜日

僕のブラジル留学 新4年 小西健友

こんにちは、お久しぶりです。

外国語学部ポルトガル語専攻4回生の小西健友です。現在大学を休学をしてブラジルのリオデジャネイロ州で留学をしております。

ブラジルで日本語の家庭教師をやっていますが、留学に来てからか、来る前からか、日本語が下手くそとよく指摘されるので読みづらいと思います。申し訳ないです。

せっかくサッカー王国に留学しているので、ブラジルのサッカーと、自分の今までのサッカー人生を絡めて書こうと思います。

僕は留学先の大学には部活というものがなかったのでGoogle Mapでサッカーコートがある場所を調べ、そこへ行き、入れてもらおうと考えました。

その作戦が上手く行き、今は"pelada (ペラーダ)"と呼ばれるサッカーに参加しています。

これは平日の夜や休日の昼に仲間と集まって行う遊びのサッカーで、日本語だとストリートサッカーとか草サッカーと訳されると思います。

なんだ、遊びのサッカーかいって思うかもしれませんが、ブラジルサッカーの強さの要因の一つと言われています。僕が参加しているペラーダは、ペラペラの人工芝とコンクリートが剥き出しのコートだったり、ココヤシの実をゴール代わりに使ったりとストリート感満です。

ドリブルしただけでボールが跳ねるし、イレギュラーバウンドするからトラップもできない、コンクリートで滑って皮がずる剥けたこともありました。しかしブラジル人はそのようなピッチでも身体がブレずに、ボールもしっかりとコントロールします。

ディフェンスは体ごとぶつかってきて、股抜きとかをしようものならボール関係なく削られたり、蹴られたりします。

この劣悪環境と殺人ディフェンスのなかでやっているから、相手をいなすのが上手な選手が多いのだと思います。派手な技が出来るとかではなく、ボールをコントロールするのが抜群に上手です。

また遊びでも、W杯の優勝がかかってるのかってくらい死に物狂いでやります。まさにこれが"パッション"かと痛感します。

だからミスをしたり、サボっていたら鬼の怒号が飛んできます。僕は「やる気ないなら出てけ!ソン!」と言われます。

イメージで言うと、ブラジル人はY井の何倍もうるさいです。

しかしいいなと思うのは下手くそな人でも上手い人に向かって普通に怒るし、要求するところです。

イメージで言うと、1年の僕が4年のN山さんに怒鳴るみたいな感じです。そんなことできるのはM山くらいしかいないと思います。

そう考えると日本は年齢とか、上手さ関係なく言い合うのは難しいのかなと思いました。

しかし、点を入れたらヒーローになれます。すごい単純です。どんなシュートでもごっつぁんでも、めちゃくちゃ褒めてくれるし認めてくれます。

なのでブラジル人は意味分からないところからシュートをどんどん打ちます。多分日本だと監督から叱られるような位置からです。確率が1%でも、入ればヒーローになれる、プロなら人生が切り拓ける、というマインドがあるんだと思います。僕はシュートが下手なので打っても意味ないことが多いし、他の人がうった方が確率が高いからと考えていたけど、こういう環境なので日本にいた時よりも少しはゴールに貪欲になったかなって思います。

最後に、ペラーダにはいろんな人が来ます。固定メンバーもいるし、飛び入りの人もよく来ます。ブラジルは超格差社会なので、一緒にサッカーをしている人のなかには中流の人もスラムから来ている人もいます。服から靴やらまで、サッカー道具一式しっかり整えて参加している僕と違って、ボロボロのスニーカーとかTシャツ、裸足でやる人も多くいます。

小学生のときに、当時流行ったファルカスという15,000円のスパイクを誕生日に買ってもらったのを覚えていますが、そういった流行りのかっこいいスパイクとかがほしい年頃の子が、裸足でサッカーをしているのを見たとき自分が置かれていた日本での環境を思い出しました。

僕は子供の頃からサッカーをしていますが、サッカーをやる上で不自由を感じたことがないし、僕以外の人も多くの人はしたことがないと思います。

両親にはカッコいいスパイクとか練習着を買ってもらい、高い遠征費や部費を出してもらい、そして練習場に行けばキレイな人工芝でナイターをつけサッカーが出来ました。

僕は「様々な人に感謝して...」と言うフレーズをよく使ってしまっていましたが、環境が良すぎるあまり、深くそのようなことを考える機会がなく、中身の空っぽな言葉になっていたと思います。

ブラジルに来て、それを考えざる負えない環境に身を置くと、自然と感謝する心が生まてきました。

だからサッカー人生に関わらず、僕の人生に関わって頂いた全ての人に感謝しています。

ブラジルサッカーに関してはほんの少ししか語れていないですが、残りは僕の卒業論文に書こうとしているので、興味がある方はポルトガル語を勉強した上で挑戦してみてください。

長かったですが、ありがとうございました。

2020年4月11日土曜日

ペラペラ人間 新4年 中井昂世



どうも、新4回になる中井です。
 自分はよく"本当にペラペラな人間だなぁ。"と言われる。なのでここでもペラペラなことを書いてるかもしれません。この先とくに面白くはないですがそこはもうあれです。

 僕のサッカー人生は小4から始まった。始めた理由は当時習っていた空手が嫌で、やめるために、モテるかなと思ってサッカーを始めた。そこから中学までは真面目に取り組んでいたが、高校に入るとサボるということを覚えた。サボりキャラが定着すると顧問からは腐ったミカンと称され、直属のコーチとは自分史上最悪の関係を築き上げ、ついに引退試合すら出してもらえずに引退した。
高校生活は誰もが羨むような日々で、大学にも受かり、そのことを泣いて喜んでくれる人もいてマジチョベリグだったが、サッカーに関しては自分で振り返ってみても何もない、本当にペラッペラな日々だった。

 こんなサッカー人生だったので、顧問に合格報告に行った時、"大学でサッカーします。"と言ったら、"やめとけ、チームに迷惑かけるだけや。"と言われた。その時は驚いたが、顧問が自分にちゃんと意見を言ってくれたことが嬉しくも思えた。このままでは終われないなと思えたので感謝もしている。

 いま、自分はチームに迷惑まではかけていないと思う。でも、プラスの影響を与えられているのか。阪大サッカー部は指導者がいない学生主体のチーム。ということはその代のチームは良くも悪くもその代の4回生の影響が強いということ。今年のチームは関西2部Aリーグで戦うことになるが戦力的にもチーム作りの面でもかなり厳しいと思う。次に4回生になる自分がチームにできることはプレーで見せること。普段ペラペラな自分がそれをわかって、プレーで見せられたら与える影響は大きいはず。
去年の北摂最終節のような大応援を浴びられるくらいの選手になるために、自分のできることをしてチームに貢献していきます。

あざした。

2020年4月9日木曜日

知 新4年 金澤 優塁

過去の苦い思い出とは他人が思っているよりも深くその人の胸に刻まれるものである。ふとしたときに頭をよぎったり、はたまた似たようなシチュエーションに遭遇したり、挙句、夢の中でそれを目の当たりにし、より鮮明さが増してしまったりなんていうこともあるかもしれない。と言い出したのも、自分がそのたぐいの事象をよく経験するからに他ならないのだが。
 さて、皆さんはペレをご存じであろうか。このブログを読むような人たちだ、知らないというような返答には対応しかねるのであしからず。サッカーの神様だろ、と答えるような者もいれば、若干15歳でのデビューを果たしてからは・・・と豊富な知識を披露できる者もいるかもしれない。かくいう私は断然前者である。ことサッカーにおいては、ひいき目に見ることもかなわない無知なのだ。時はさかのぼり中学1年、科目は英語、教師からの同様の質問に対し、なんとかサッカーの神様という回答を出したのもつかの間、続けざまの問いには見事敗れ去った。
その人ってまだ生きてるの。
当時の自分には酷な問いだった。なぜ「わからない」と正直に答えなかったのだろうか。クラスにサッカーに詳しい者はおらず、その回答の正誤など一人として知る由もなく、言及されることはないまま、かくして自分を含むクラス全員の脳内からペレの命が失われる、同時多発ペレ殺人事件?は幕を閉じた。
 
 周りに知られていないとはいえ、サッカーをやっているにもかかわらず自分の無知をさらしてしまったのだ、内心恥ずかしさはあった。だがそれをきっかけに知識をつけようと励むことはなかった。高校生にまでなれば、自分よりはるかにサッカー知識豊富な者ばかりになった。自分にとってサッカー観戦は、誰かと観れば熱狂できるものだし、自分には到底できないプレーに魅了されることもあった。ただ、他人の口から出るサッカーうんちくはどこか自分には合わないものだったのか、いつしかそれを聞くたびにうんざりするようになった。かつての代表選手田中マルクス闘莉王の言葉を借りると、自分に目標とする選手などいない、自分は自分になるんだとこじらせていたこともあり、サッカーを見ることも、チームメイトでもない他人のプレーに感化されることもなくなってしまった。
 そうやって、サッカーを見ない・知らない・語らないの負の三拍子がそろった選手としてこれまでやってきたわけだが、転機となった、というよりはそう感じたというのが正しいだろうか、それがここ数年の話である。
 サッカーに限らず、スポーツ全般において個人の出来不出来の指標となるのは、紛れもなくこれまで培ってきた技術であり経験であり、勘である。だから極端な話、いくらJリーグや海外の試合で高いレベルのプレーを目にし、想像力を伸ばそうと、それを再現できないのであれば意味がない。これは変わらずそう感じている。では何が変わったのか。それは個人という見方ではそこから得られるものはなくても、組織としてならそうではないかもしれないということである。サッカーを広く見る目を持つアイデア豊富な指導者たちに囲まれる中、戦術という単語一つで自分の世界が広がった感覚がした。
 何が正しく、何が良いのかはわからないが、ざっくりと自分は感覚派だと思っていて、自分はサッカーにおけるほとんどを頭より体に理解させるほうがあっているのだと思う。だから実際、今いるBチームでの戦術における話し合いでも、チームとしての利より個人としてのやりやすさを前面に伝えているところがあると思う。いや、本当に申し訳ない。だからこそ、その分人のやりたいことを聞くようにはしている、はずだ。何しろこの話し合いが楽しくてしょうがないのだ。それぞれの理解と主張をぶつけ合い、共有することがこれほど楽しく、かけがえのないものだと気づかされた。少し遅すぎるかもしれないが。これが大学における自分の進歩の一つだと思う。チームとして伸びるとはこういうことを言うのだと学ぶことができて本当に良かった。これをそのうち言葉を交わすでもなくプレーの中で修正し合いつつ、感覚的にすり合わせていくことで、また新しいステップへ進むことができるのだろう。
 自分はサッカーがそこまで好きではないのかもと思うことがある。それは日々練習をする中で、自分が理想とするプレーを再現する努力を一人で完結させてしまうからかもしれない。時折、無性に虚しく感じてしまうことがあるのだ。だが、人に伝えながら、時に認められ、時に反論される過程の中で育まれる、なんとも表現しがたいこの感情を大事にしていかなければならない。人を知るのは容易ではなく、そのためにはまず自分を知らなければならない。その中でいくつも行き違いがあるだろう。それでも、それが自分だけでなくチームを強くすることを知ってしまった以上、それがこれから進む道だと思う。


 自分語りが苦手な分、こうして文字に起こすのも大変で、見返しても本当に些細な進歩だと思えてしまう。が、大きな躍進は小さな一歩からと思っていただきたい。願わくば自分と同じ境遇の人がいてほしい。流行の感染症にも負けずに頑張っていきたい。

2020年4月7日火曜日

虚心坦懐 新4年 淸水 優大

こんにちは。
シマネケンという国から来た清水優大です。
部員ブログが、もう3人に抜かれました。提出が遅れてしまい申し訳ありません。なんで遅れたか言い訳させてもらうと、書きたい感情や考えが、至る所不連続で上手く記述出来ないからです。申し遅れましたが数学を勉強しておりますので、時々変なことを口走りますがご容赦下さい。

何を書くか決まらなすぎるので、入部してから思ったことをそのまま書いてみようと思います。ここで書く必要の無いことを書きます。また、誰かに失礼になることを書くかもしれません。先に謝っておきます。申し訳ございません。

とりあえず走り出しましょう。

1年生の最初の頃は、あんまりなんも考えてなかったです。ずっとBチームでも、まぁ浪人しとったし、体が動くようになったらAチーム行けるでしょ、1年生の間は無理でも、2年生の途中くらいからリーグ戦出れるはず、坂井さんうまっ、くらいの感じでした。

夏くらいから、同期からAチームにあがる人達がいて、その辺から色々考えるようになりました。

まず何より悔しくて、負けたくない、という感情が湧きました。
次に羨ましいとか、なんでやねんとか、そんな感情。

そこから次の春にかけて、何回も部活を辞めようか悩みます。なんせリーグ戦はおろか北摂にも出れないし、練習試合もなくて、サッカーが楽しくなくなりました。
今でも覚えているのは、僕が副審をしていた北摂の大経戦で、一樹がゴールしたとき、悔しいのと羨ましいのと情けないのとで涙が出たことです。審判代の千円札で涙を拭いました。英世も泣いてました。
 
自分はなんのために大学で部活を続けているんだろうっていうのをこの時期から考えるようになります。(こういうのは試合に出れない人は一度は考えるんじゃないでしょうか。僕はこの問いに対する見事な解答をもっているのですが、余白が狭すぎて記せません。その答えは各々で求め続けてほしいです。)
この時期は、練習が終わる度に、同期の何人かと、今日も乗り越えたぞ、とハイタッチしていました。懐かしいなぁ、Kenyu

かくかくしかじかありまして、もう一度サッカーに対するというよりは部活に対する姿勢を見直して、2年生になりました。後輩が入ってきます。はじめは一緒にプレーしていたやつが、どんどんAにあがっていって、これまた悔しいわけです。これは3年生になっても同じでした。特に悔しかったエピソードですか?え?試合に負けたとか以外で?そうですね、去年の後期リーグの大商戦、関川が点取ったときです。可愛い後輩のリーグ初ゴール、終了間際の貴重な勝ち越しゴール、めちゃくちゃ嬉しかったです。が、それよりもっと悔しかったです。あんまり言ってないけど。

悔しいと思ったことは数え切れません。

こういう感情をチームメイトに対して抱くのは良くないことかもしれませんが、僕は逆に、この気持ちが無くなったら終わりかなと思います。特にBチームの人はこの気持ちを大事にしてほしい。Aチームに対するリスペクトが度を過ぎているように感じます。自分は敵わないとかそんな風に。もちろん僕は、自分が一番だなんて思ってないし、一樹も関川も超がつくほどスーパーですが、それでも負けねえと思ってるわけです。上手く言えないけど、そういうのが大事だと思って、23歳で、高校の同級生が働き始めるというのに、サッカーを、本気で、やってます。

本当はもっと書きたいことがあるんですが、あまりに行き当たりばったりすぎるんでこの辺にしときます。まとまりの無い文章ですみません。

最近のことについてちょっと書きます。
リーグ戦が延期になったものの、部活が出来なくなって、モチベーションを保つのが難しい、という人もいるかもしれません。というより、サッカー出来るかな、なんて言ってられない事態になっています。今まで毎日サッカーが出来ていた、これがどれだけ幸せなことだったか痛感する毎日です。先行きが見えない今、サッカー云々の前に、自分達の健康を第一に考えて生活することが大切だと思います。

拙い文章でしたが、最後までお付き合い下さりありがとうございました。

アディオス!

2020年4月4日土曜日

beyond3セメの自分 3年 前谷和徳

どうも家族会議を終え、部活を辞める危機をなんとか乗り越えました前谷です。以下、出だしから変な文章ですがコロナの自宅待機で暇な方は読んでいただけると嬉しいです。

「世界に羽ばたくサッカー選手になる!」
広島の名門、りゅうせん幼稚園の卒園式でこう宣言したことを今でもはっきりと覚えています。

自分はそんな、サッカー少年なら誰もが一度は考える夢を抱いたまま中学生になりました。自分の代はたまたま良い選手が集まり、その中でもずば抜けてうまかった高橋翔也という同期と出会います。(こんだけうまいし同じサッカー選手の夢を追うライバルか、、)と思い、「将来の夢はサッカー選手よな?」と彼に聞くと「いや、サッカー選手になれる確率より東大行ける確率の方が高いからサッカー選手は目指してないよ」というふざけた答えが返ってきました。(彼は覚えてないでしょうけどこのやり取りで僕は挫折しました。そしてその通り彼は東大へ行きました。嫌なやつでした。身内ネタすいません。)

サッカー選手の夢を諦め、とりあえず京大合格の目標を建てますが、勉強そっちのけで遊んだりサッカーばかりしてきた自分は現役でセンター7割のまま京都大学を記念受験し、最低点まであと250点足りず、浪人でも結局ひと伸びできず大阪大学に入学します。1年間の仮面浪人を決行しますがこれも失敗します。
知名度と偏差値だけで大学を選んだせいか、入学後は大学の勉強の意欲が湧かず毎日をこなすような生活に絶望していました。生きがいが欲しい、そんな思いから、残りの大学生活を全て捧げる覚悟で1年の終わり頃、サッカー部に入部しました。3年ぶりの本気のサッカーはほんとに楽しく、それからは1日1日があっという間に過ぎ、気づけば今の4回生になっていました。あっ、3回生か、、。(泣)

週5で活動し、テスト期間も関係なく練習や試合があったりと、様々な犠牲もありますが現在3学年で60名を超える部員の中でどうすれば試合に出れるのか、選手を集めている格上の大学との試合に勝つにはどうしたらいいのか、など毎日ひたすらいろんなことを考える生活はとても充実しています。大袈裟かもしれませんが僕はこの阪大サッカー部にほんとに救われたし、リーグ戦などの公式戦に出て勝利に貢献することで恩返ししたいです。

高校同期の中で唯一大学でも部活としてのサッカーを続けた角振君にも感謝しています。
同志社大学とのリーグ戦でのことでした。交代で入った相手の選手をスタンドから自然と目で追っていると違和感を感じて、よく見ると角振君でした。彼は 2点に絡んで試合をしっかりと締める役割を果たし勝利に貢献していました。全国の有名校から選手を集める大学で高校同期がリーグ戦に出たことはほんとに刺激になりました。彼の部員ブログも自分の意識をかなり向上させてくれました。ありがとうツノ、あと1年頑張ります。
#人生一回しかねー

最後になりますが自分はサッカーが大好きです。どれくらい好きかというと、彼女とのデートにサッカーボールを持って行ってしまったり、その流れで聞かれた「あたしとサッカーどっちが好きなん?」という問いにも「サッカー」と真顔で答えてしまったほどです。
学業に支障が出たためサッカーをやめるか迷っていたときも同期の築城君から言われた言葉は「お前はサッカーやめねえよ、だって、お前サッカー好きだもん」でした。イケメンですねえ。
今ある人間関係の多くがサッカーボールの繋げてくれたものです。ありがとうサッカー。
そんな愛するサッカーに本気で向き合うのも今年で最後になります。2部A4位以内を始めとしたチームの目標を常に意識しながら練習に取り組み、仲間と共に後悔しないような最後にふさわしい1年にしたいと思います。