2020年4月27日月曜日

不撓不屈 新3年 関川朋弥

こんにちは。ニイガタケンという国からきた関川朋弥です。
ブログの始まりを、うさぎ耳をつけていた先輩の真似させて頂きました。どなたか気になった方はぜひ過去のブログを遡ってみてください。きっとすぐに見つかるはずです。
今回の部員ブログには、高校時代の僕と今の僕の変化を中心に書いていきたいと思います。
では始めていきましょう!
まず、高校時代の僕について振り返ってみます。僕は県内でも強豪校とは到底言えない高校でサッカーをしていました。中学時代クラブチームでやっていたこともあり、同学年もそうですが上の学年の試合にも少なからず関わらせて頂いていました。ですから、自分はそこそこサッカーが出来るのではないかと大きな勘違いをしていました。正直自分の実力に満足していたのです。
高校2年後半の県リーグのこと、例年より3年生が多く抜けていってしまっている状況でチームはリーグ降格の危機に直面していました。残留するためには少しでも勝ち点を多く取らなければなりません。ですが、勝利することはなく2部に降格が決まりました。この時僕が何を思ってたかというと、自分の実力のなさを感じ悔しがっているのではなく、「3年生が多く抜けたから仕方ないでしょ。」という風に考えていました。つまり、点を取るなどしてチームに貢献出来なかったにも関わらず、自分以外の人に責任転嫁していたのです。今考えるとひどい話ですがこの時の僕はそんな状態だったのです。こんな状態で3年生になっても結果を残すことはもちろんのこと出来ませんでした。1部に戻せなく、県総体で勝ませんでした。仲間の数人は選手権予選までサッカーを続けていましたが、僕は夏に引退しました。
そして大学の入学が決まりました。大学に入ったとき、サッカーをするつもりはありませんでしたが、サッカーは好きだし真剣にできる最後のチャンスだと思って入部を決めました。高校時代と同様にそこそこやれるだろうと思って練習や試合に参加してみると想像の何倍も阪大サッカー部のレベルが高く驚きました。そんな1年生の時実力不足で練習試合に出ることが出来ない事もあった、ずっとBチームだったのでもちろんリーグ戦に出るのなんて夢のまた夢の様な状況でした。同学年の仲間が数人Aチームにがったり、リーグ戦で活躍しているのを応援席からるというのは今まで経験したことがなく、言葉に表せないくらい悔しい思いをしていました。その時期から意識を変えて実力の向上とともにピッチの内外で考えて行動するようにしました。運もあったかもしれませんがその成果からか2年生の春あたりからAチームに上げてもらいました。正直全く通用しませんでした。この辺りから考える内容を具体的なものにしていき自分の特徴を試合で生かすにはどうしたらいいかを考えていました。時間はかかりましたがリーグ後期は先発、途中出場含め全試合に関わらせてもらいました。今度こそは天狗にならずチームのためにプレーしようとしていました。結果的には2得点することはできましたがそのどちらもチームを勝ちに導けるようなものではありませんでした。チームの勝利に貢献するという本物の結果を残すことはできなかったのです。全く満足できませんでした。
今年度から9番を頂きより責任が増したと感じています。前期リーグは中止になってしまいましたが、後期リーグはチームとしても個人としても結果に拘っていきたいと思います。
現在厳しい状況が続いていますが、仲間と切磋琢磨して来たるべき公式戦に向けて良い準備ができたら良いと思っています。
これからも大阪大学体育会サッカー部の応援どうか宜しくお願い致します。

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