2020年4月9日木曜日

知 新4年 金澤 優塁

過去の苦い思い出とは他人が思っているよりも深くその人の胸に刻まれるものである。ふとしたときに頭をよぎったり、はたまた似たようなシチュエーションに遭遇したり、挙句、夢の中でそれを目の当たりにし、より鮮明さが増してしまったりなんていうこともあるかもしれない。と言い出したのも、自分がそのたぐいの事象をよく経験するからに他ならないのだが。
 さて、皆さんはペレをご存じであろうか。このブログを読むような人たちだ、知らないというような返答には対応しかねるのであしからず。サッカーの神様だろ、と答えるような者もいれば、若干15歳でのデビューを果たしてからは・・・と豊富な知識を披露できる者もいるかもしれない。かくいう私は断然前者である。ことサッカーにおいては、ひいき目に見ることもかなわない無知なのだ。時はさかのぼり中学1年、科目は英語、教師からの同様の質問に対し、なんとかサッカーの神様という回答を出したのもつかの間、続けざまの問いには見事敗れ去った。
その人ってまだ生きてるの。
当時の自分には酷な問いだった。なぜ「わからない」と正直に答えなかったのだろうか。クラスにサッカーに詳しい者はおらず、その回答の正誤など一人として知る由もなく、言及されることはないまま、かくして自分を含むクラス全員の脳内からペレの命が失われる、同時多発ペレ殺人事件?は幕を閉じた。
 
 周りに知られていないとはいえ、サッカーをやっているにもかかわらず自分の無知をさらしてしまったのだ、内心恥ずかしさはあった。だがそれをきっかけに知識をつけようと励むことはなかった。高校生にまでなれば、自分よりはるかにサッカー知識豊富な者ばかりになった。自分にとってサッカー観戦は、誰かと観れば熱狂できるものだし、自分には到底できないプレーに魅了されることもあった。ただ、他人の口から出るサッカーうんちくはどこか自分には合わないものだったのか、いつしかそれを聞くたびにうんざりするようになった。かつての代表選手田中マルクス闘莉王の言葉を借りると、自分に目標とする選手などいない、自分は自分になるんだとこじらせていたこともあり、サッカーを見ることも、チームメイトでもない他人のプレーに感化されることもなくなってしまった。
 そうやって、サッカーを見ない・知らない・語らないの負の三拍子がそろった選手としてこれまでやってきたわけだが、転機となった、というよりはそう感じたというのが正しいだろうか、それがここ数年の話である。
 サッカーに限らず、スポーツ全般において個人の出来不出来の指標となるのは、紛れもなくこれまで培ってきた技術であり経験であり、勘である。だから極端な話、いくらJリーグや海外の試合で高いレベルのプレーを目にし、想像力を伸ばそうと、それを再現できないのであれば意味がない。これは変わらずそう感じている。では何が変わったのか。それは個人という見方ではそこから得られるものはなくても、組織としてならそうではないかもしれないということである。サッカーを広く見る目を持つアイデア豊富な指導者たちに囲まれる中、戦術という単語一つで自分の世界が広がった感覚がした。
 何が正しく、何が良いのかはわからないが、ざっくりと自分は感覚派だと思っていて、自分はサッカーにおけるほとんどを頭より体に理解させるほうがあっているのだと思う。だから実際、今いるBチームでの戦術における話し合いでも、チームとしての利より個人としてのやりやすさを前面に伝えているところがあると思う。いや、本当に申し訳ない。だからこそ、その分人のやりたいことを聞くようにはしている、はずだ。何しろこの話し合いが楽しくてしょうがないのだ。それぞれの理解と主張をぶつけ合い、共有することがこれほど楽しく、かけがえのないものだと気づかされた。少し遅すぎるかもしれないが。これが大学における自分の進歩の一つだと思う。チームとして伸びるとはこういうことを言うのだと学ぶことができて本当に良かった。これをそのうち言葉を交わすでもなくプレーの中で修正し合いつつ、感覚的にすり合わせていくことで、また新しいステップへ進むことができるのだろう。
 自分はサッカーがそこまで好きではないのかもと思うことがある。それは日々練習をする中で、自分が理想とするプレーを再現する努力を一人で完結させてしまうからかもしれない。時折、無性に虚しく感じてしまうことがあるのだ。だが、人に伝えながら、時に認められ、時に反論される過程の中で育まれる、なんとも表現しがたいこの感情を大事にしていかなければならない。人を知るのは容易ではなく、そのためにはまず自分を知らなければならない。その中でいくつも行き違いがあるだろう。それでも、それが自分だけでなくチームを強くすることを知ってしまった以上、それがこれから進む道だと思う。


 自分語りが苦手な分、こうして文字に起こすのも大変で、見返しても本当に些細な進歩だと思えてしまう。が、大きな躍進は小さな一歩からと思っていただきたい。願わくば自分と同じ境遇の人がいてほしい。流行の感染症にも負けずに頑張っていきたい。

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