2017年5月29日月曜日

チームの勝利の為に 2年 坂井優太

試合に出る人は出ない人の気持ちも背負ってプレーする責任がある。
これはいつ何時も、どんなスポーツにも当てはまるごく当たり前のことである。

自分も試合に出るようになって以来、このことを頭に置いてプレーしてきたつもりだ。
だが部員ブログを書くにあたり振り返ってみると、最近では自分のプレーに一種の「甘え」が出てきたように思う。

リーグ戦に出始めた頃は、先輩に迷惑かけてはいけない、と緊張感をもってチームを第一に考えたプレーを心掛けていた。
二回生となった今、リーグ戦特有の雰囲気にも慣れてきて、リラックスした状態で試合に臨めるようになった。
またFWを同期の2人と組むことが多くなり、プレーを楽しむこともできるようになった。
これはべつに悪いことではない。
が、それと同時に「自分第一」のプレーが多くなってしまったように感じる。

自分が動きたいように動き、自分の好きなプレーを中心にするようになった。
足の怪我を言い訳に激しい接触、球際の寄せを避けてしまっていた。
しんどい時には同期2人に頼ってしまう自分がいた。彼らなら自分に合わせてくれると思ってしまった。
いつの間にか彼らに、先輩に「甘え」てしまっていた。
反省だ。

これを機に一度初心に帰り、「チーム第一」のプレーを意識して、進んでハードワークしていこうと思う。
点を決めれなくても、アシスト出来なくてもチームの勝利に貢献することはできる。

チームの勝利に必要な選手に僕はなりたい。

2017年5月25日木曜日

"本気"のサッカー 3年 森山絢太

僕がサッカー部に入ったのは1回生の春休みの3月であった。もうすぐ2回生になろうかという時である。それまで何をしていたかというと、特に何もしていない。学校が終わればバイトやカラオケ、ユニバへ行ったり。。

まあ、それなりに大学生"らしい"生活はしていたと思う。サークルもサッカーサークルへ入り、高校まで続けていたサッカーを続けていることにはなっていた。しかし、1回生の冬ごろ何か違うなと思い始めた。サークルのサッカーを楽しく感じなくなったのである。サークルを批判しているのではなく僕自身の問題である。さらに、大学生活において本気で取り組めることが何ひとつなく、何か物足りなさを感じていた。

高校の時の最後の総体で県ベスト4に入り、近畿大会に出場し、それで満足して選手権には残らなかった。この時選手権まで残ろうという意思が全くなかったため、自分はそこまでサッカーをやりたいと思ってはいないと思っていた。そのため、大学で体育会サッカー部に入る気など全くなかった。しかし、サークルでサッカーをしているうちに気づいた。自分はサッカーが好きなのではない。"本気の"サッカーが好きなのであると。今まで真剣に取り組むサッカーしかしてこなかったので、気付かなかった。真剣にサッカーの練習をし、試合に勝つことこそがサッカーの楽しさであることを"本気の"サッカーから離れて初めて気付かされた。

そして今、サッカー部に入り1年以上が経過した。途中入部という難しさはあったが、真剣にサッカーをしたいという気持ちがそんなもの吹き飛ばしてくれた。僕にとって、大学生活において本気で取り組めるものはサッカーしかなかったのだ。時々、1回生の最初から入部していたら、今ではもっと上手くなっていたかもしれないと思うこともある。しかし、過去を悔やんでも仕方がない。今から上手くなればいいだけだ。

これからも"本気の"サッカーを楽しんでいきたい。

2017年5月22日月曜日

責任 3年 清水謙



あなたは、背番号「7」のサッカー選手といえば、誰を思い浮かべるだろうか。


やはり、クリスティアーノ・ロナウド、ベッカム、日本人なら中田英寿、遠藤保仁あたりだろうか。

誰を思い浮かべるかは人それぞれだろうが、「7」を背負う選手はチームの中心として毎試合ピッチに立ち、高い技術を活かして勝利に貢献する。

だいたい皆がそのようなイメージを持っているのではないだろうか。


今季阪大サッカー部の「7」を背負うことになったのは、そう、私である。

昨季のリーグ戦が終わって新チームがスタートするときに「7」が空いたので、立候補して受け継ぐことになった。

私が今まで見てきた阪大サッカー部の「7」の選手たちは、サッカーが上手く、Aチームで結果を残してきた選手たちだと思う。

しかし、私は1年次や2年次に「7」を背負うに相応しい活躍をしたとは全く思わないし、チームに不可欠な存在であったとも思わない。

当然この番号をもらうことにためらいはあった。

それでもこの番号を選んだことには理由がある。

「7」の選手が試合に出ていないのはカッコ悪いし、「7」を背負うことで、試合に出続け、チームを勝たせる選手にならなければならない、という責任やプレッシャーが生まれる。そういう選手になるためには自分のサッカーへの取り組みを改善し、もっと上手く、強くなる必要がある、という意識が生まれる。

今までの自分を変えるために選んだ、といってもいい。


私が阪大サッカー部に入部したとき、特に何か大きな目標や明確な目標を持っていたわけではなかった。

・別にプロになるため、サッカーをするために阪大に入ったわけではない。

・本気でやるサッカーは高校までのつもりだった。

・でも他に入りたいサークルがあるわけでもないし、体育会は就職に強いらしいから、まぁサッカー部に入るか。

入部当初はこんな風に考えていて、何か心に引っかかるものがあった。

それでもサッカー部に入部すると、周りは皆本気でサッカーに取り組んでいたので、自分も真面目にサッカーに取り組むことになった。

1回生のときはAチームで試合に出ることはなかったが、2回生になるとAチームでけっこう試合に出られるようになった。

しかし、度重なるケガの時期や、ケガが治っても試合に出られない時期もあった。

そういう時期は特に、サッカーを楽しめず、やはり何のためにサッカー部に入っているのかわからなくなることがあった。

小・中・高のときのようにサッカーと本気で向き合えていないとも思った。

自分でも何となくわかっていながら、なかなか変われなかった。

次第に、これではサッカーに対して、サッカーをさせてくれている家族、チームに対して失礼だと思った。

2回生の11月にリーグが終わり、新チームがスタートするとき、私は、

「今までのようなサッカーへの取り組み方では、4回生の11月になってサッカー部を引退するときに絶対に後悔が残る。」

と考えた。

そして、自分を変えないといけない、それなら何か責任や使命を持とうと思い、「7」を選んだ。

「7」を選んだ以上、無責任なことはできないし、試合に出続け、チームの2部B優勝、2部A昇格に貢献しなければならない。


来年こそは、と思い、2回生の12月に新チームが始動したが、私はその時期に手首の骨折が判明し、3月上旬までサッカーができなかった。

ようやく復帰し、Aチームに戻るのは時間の問題だと正直思っていたが、自分のプレーがうまくいかないこともあり、これを書いている現在までずっとBチームに甘んじている。

昨年までの自分ならば、この状況に立たされたらやる気を失っていたかもしれない。

しかし、今年は違う。

「7」を背負う責任があるし、チームの2部B優勝、2部A昇格にプレーで貢献するという目標がある。

この覚悟が口だけにならないように、これからも戦っていく。



2017年5月18日木曜日

阪大サッカー部に所属する"人" 3年 山田護

まず新入生には入部してくれてありがとう。
これからサッカー、勉強、恋愛と大学生活を思いっきり満喫してほしい。
それはさておき、
サッカー部に所属する人はどんな人がいるのか
そしてどんな人になってほしいかを伝えたいと思う。
まずは同回(同級生)のことを話そう。
僕は名古屋からきたが、当然関西人がどういう人かを自分なりにイメージしていた。
優しくて熱く、関西弁を話し、おもしろいイメージだ。
そのイメージをことごとく粉砕していった。
小ちゃくてゴリゴリで口が悪いやつだったり
顔と行動のギャップがかけ離れ女性に目がないやつ、
南の関西弁をはなすが直ぐ僕にだけキレるやつ
話がおもしろいがすぐ約束を破るやつなど。
そして僕は最初からこういう同回にアホ、ブス、というレッテルを貼られた。
最初は抵抗したがそんなもの全く無駄だった。
だが同回と過ごしていく中でやっぱり
面白いやつばかりということがわかった。
結局イメージが少し美化されすぎてたわけだ。
同回と過ごすのは3年目だが本当に楽しく、
僕にとってなんでも話せる間柄である。
次は先輩、後輩のことを話そうと思う。
先輩に関しては同回よりも凄まじいイジりが多くあった。
ブスなどかわいいものでB、ゴキ、オブスビetc
口だけならまだしも殴る蹴るも横行していた。
僕の家は少し下宿にしては広いのだが
なぜかなにしてもいいという風潮がある。
いいわけがない。
人の家でキャベツをちぎって捨てていい?
いいわけがない。
だが飯に誘ってもらったり、話してもらったり
遊びに行くのに連れていってもらったり
僕はとても感謝しているし、いい先輩に恵まれたとおもってる。そしてこういう先輩達を
尊敬できる"人"と思っている。
後輩には5月の段階でもうイジる対象として見られていたと思う。
大西、大谷が先導して、自分の威厳を見せる前に後輩全体にそういう先輩として見られてしまった。
だが結局こいつらも時折自分のことを先輩としてみてくれてるんだなと思うことがある。
そして早くも大学の部活も3年目に突入。
これからはチームのことも少し考えていかなければいけない。けれど自分という"人"の根幹は変えずにやっていきたいと思う。
新入生にはすぐに部活に馴染めとは当然いうことはできない。まず同回と、そして先輩と、
そして来年からは後輩と。サッカー部ではサッカーが上手いのが確かに一番いい。極論試合に出れればいい。
やっぱり試合に出て、その試合に勝つと本当に嬉しいし、少しでも良いプレーをするとその日の夜に思い返してまた嬉しい。
もし悪くても先輩たちと話してアドバイスをもらったりそれを実践したらおのずと良くなる。
これはサッカーだけじゃなく"人"としてもだ。
サッカー部を通して、いやサッカー部の"人"を通して自分の大学生活を意義深いものにしてほしい。
できるだけ小手先のテクニックを使って文章を書きました。ご容赦ください。

2017年5月15日月曜日

残された時間の中で 4年 藤森和哉

『残りのサッカー出来る日にちはあと多くて7ヶ月』
それが去年の年末の僕の合言葉だった。
というのも去年前十字靭帯を損傷して手術することになり完全に復帰出来るのは5月中と医師に言われたからである。正直病室でサッカーを続けるかずっと悩んでいた。あと7ヶ月とは言うものの進路の関係上実際にはもっと少ない期間しかサッカーをすることが出来ないという現実。それに加えて高校でのサッカーよりも大学のサッカーへの情熱が弱いということを実感していたからだ。
それでも僕は復帰することを選んだ。自分にしか出来ないプレー、チームでの役割があるのではないかと思い始めたことがきっかけだった。自分と同じサッカー人生を経験してきた人は誰もいない。それならその経験をチームに還元することが大事ではないかと考えるようになった。
  リハビリにしっかり通うことで今年の4月に僕は予定より少し早めに復帰出来たわけだが、残された時間はやはり少ない。その中でこれからのサッカー部が良くなるように少しでも貢献出来たらと思い日々を送っている。怪我をして迷惑をかけた仲間と一緒に、そして仲間のために最善を尽くしていきたい。それがサッカーを出来るという喜びを取り戻した僕の今の目標だ。

2017年5月12日金曜日

自分にとってのサッカーと今年への想い 4年 室谷隆太

皆さん、こんにちは。4回生の室谷隆太です。
石川県の泉丘高校出身で、今年も1回生が入り、現在阪大サッカー部には4人の泉丘出身がいて嬉しいばかりです。

では、今日書く内容は
⑴部員ブログについて
⑵自分にとってのサッカーとは
です。よろしくお願いします。

⑴部員ブログについて

まず、この部員ブログは、一応、僕が広報係に提案したのがきっかけで始まった。
縁あって関学サッカー部の人と話す機会があり、その時に関学サッカー部のチーム運営などについて聞いた。
その取り組みの中の1つに部員ブログがあり、また、以前から、他大学がやっているのを目にしていて、部員ブログには関心があった。

部員ブログをやる理由や目的を自分なりに考えてみると、
①日々の目標や今考えていることを文章にすることで、部員自身が自分の考えを整理し、目標などを明確化できる
②そうした部員の生の声や考えを、身内だけでなく、OBさんや新入生、学外の方にも発信することで、今の阪大サッカー部を知ってもらう
③阪大サッカー部を知り、身近に感じて貰うと同時に、応援されるような部活・チームになることに寄与する
あたりが挙げられると思う。特に②③の意図が大きいと考えている。

身内や一部のOBさんだけでなく、広く応援されるような部活動であるために、部員ブログが貢献してくれたら嬉しく思う。


⑵自分にとってのサッカーとは

僕にとってのサッカーは生きがいであり、最早生活の一部のようになっていて、今の自分にとっては無くてはならないものだと思う。
サッカーほど、生きがいや喜び、刺激を自分に与えてくれるものは今のところ他にはない。
点を取ったり、自分がいいプレーをしたりして、チームの勝利に貢献できた時の喜びは格別である。
今までサッカーをしてきて、そういう喜びを何度か経験してきた。
そういう一瞬の喜びや勝利のために、僕たちは日々努力しているのだと思う。

しかし、もちろんそういう華々しくて楽しい時間だけがサッカーではない。
チームが勝てない時やプレーが上手くいかない時が沢山ある。

僕自身、高校までは試合に出ていたが、大学ではAチームでの公式戦出場は0。
正直、何故サッカーをやっているのか見失っていた時期もあったし、腐っていた時期もあったと思う。
しかし、それでも辞めずにここまで続けてきた。
途中で諦めたくなかったし、逃げ出したくはなかった。

同じように試合に出ていなくても腐らずに努力する仲間を見てきた。
また、試合に出ているメンバーがチームのために、一生懸命プレーする姿を見てきた。
そういう熱くて努力家で、才能に溢れた仲間にいつも刺激を受けてきた。

そして、自分自身、もう一度試合に出る喜びを味わったり、どんな形であれチームに貢献する喜びを味わったりしたいと願い頑張ってきた。

4回生になって、サッカー歴も16年目に突入した。
サッカーを本気で出来るのは今年で最後だと思う。
勿論、結果に拘りつつも、過程や細部の精度を高めていきたい。
今までなんとなくやってきたことも、意味を考えて、丁寧に取り組んでいきたい。
そして、大学生活、サッカー人生をやり切ったと胸を張って言えるくらいに、とことん努力していきたい。
個人としての努力は勿論、チームのために出来ることを考えて精一杯取り組んでいきたい。

そして最後には、2部Aに昇格して4回生全員が嬉し泣き、若しくは満面の笑みで引退出来たら最高だと思う。


最後にいつも応援してくださるOB様や保護者、チーム関係者の皆様に心より感謝致します。
僕たちがサッカーを出来るのも、皆様のご支援あってのことです。
リーグ戦では厳しい状況が続きますが、チーム全員で勝利のために頑張ります。
神戸大学との阪神ダービーなど、吹田での試合もございますので、今後とも暖かいご声援よろしくお願いします。

拙くまとまりない文章になってしまいましたが、御一読有り難う御座いました。

2017年5月8日月曜日

「いい人」と「必要な人」 4年 中郷勇輝



大学でもサッカーを続けるつもりは全くなかった。
高専(神戸市立工業高等専門学校という5年制の学校)で主将としてそれなりの結果を残し、一生懸命するサッカーは20歳できりよく終わらせればいいと思っていた。

甘かった。1回戦敗退。
悔し涙も流せない不完全燃焼。
一体今まで何をしてきたのか、なぜ最後の最後でチームとしてまとまれなかったのか。
それから数日間はそんなことばかり考えていた。
けれどもこれといって納得できる理由は見つからず、ただ
「これで終わってはいけない」
そう思った。


父親がサッカーの指導者という影響で、物心つく前からボールを蹴り始める。自分にとってサッカーとは楽しいとかやりたい事というよりかは、あって当然のことだった。小学生の頃なんかは、まわりの友達がみんな少年野球に入団していて、何で自分だけサッカーじゃないといけないのか、ともやもやしていたこともあった。

こうして振り返ってみると、心の底からサッカーを頑張りたいと思ったことは、今までのサッカー人生で無かったような気さえする。それでも大学では、はじめて自分からサッカーに対して真剣に取り組もうと入部することにした。何より、あのとき見つけられなかった答えをもう少し探してみたかった。


いざ練習に来てみると、3年次編入ということで、やはり珍しいものを見るような目で見られていたように思う。自分自身はというと「12年の仕事を経験せずにいきなり先輩かよ」とか「即戦力にもならんやつが中途半端な時期から入ってくんなや」などと思われているんだろうなぁ、とネガティブになることが多かった。

はじめこそ自分の色を出そうと息巻いていたのだが、いつしか早く部員に認めてもらうことを目指すようになっていた。そうしてまわりのことばかり意識するようになると、プレーもうまくいかない上、周囲との距離感も縮まらないままで、何のために部活に来ているのか分からなくなった。

昨年の半年くらいはそんな感じで悩んでばかりだった。それでもどうにかしなければ、と必死になった。そしてある問と向き合ったとき、はっとした。
「自分はいい人になりたがっているだけではないだろうか」

思い返せば、高専時代もチームのためと銘打っておきながら、結局のところはいいキャプテン、いい先輩と思われたかっただけではないだろうか。本当に組織のために優しく厳しい存在であれただろうか。そして選手として常にもがき続けていただろうか。

改めて考えてみると、自分の言動はまわりからいいように思われたい、という感情がまず先にあった。それでは人の心は動かせないと、今更ながらに気が付いた。同時に、一緒に輝いていきたい仲間にとって「必要な存在」にならなければいけないと思った。

そう考えられるようになってからは、ずっと心の奥に巣くっていた「よく思われたい小さな自分」と別れることができた。今までどうしても自分をネガティブにさせていた「3年次編入」という事実も、途中から入ってきたからこそ見えることがあって、いい意味で伝統に縛られずに意見できる、という自分にしかない強みだと捉えられるようになった。

「自分にしかできなことは何だろうか」
今はこれだけを考えて、少しずつだけど行動にも移している。


入部してからもう1年が経った。最近ではため口で話してくる後輩もちらほら出てきたりして(これには賛否両論あるだろうが)、さすがに入部当初よりかはちゃんとチームメイトになれていると思う。
個人的にはやはり「必要な人」になろうとした結果かなぁと。


あのとき見つけられなかった答えはまだ完全には見つかっていない。
それでもあと半年、1選手としも、1部員としても「必要な存在」になれるように努力する。
そして、最後の試合が終わったときは、今度こそ、それこそ嬉し涙でも流して
「今までサッカー続けてきてよかった」と思いたい。



僕の拙文は以上で終わりになりますが、最後に少しだけ宣伝をしておきます。
今年から「社会貢献係」というものを立ち上げました。これはボランティア活動を通して、阪大サッカー部が「地域を愛し、地域から愛されるチーム」となることを目指しています。

具体的には、地域の清掃活動やデイサービスへのお手伝いなどに取り組んできました。今後は小学校の生徒さんを対象にサッカースクールなんかもできればいいなと思ってます。
その活動の一環として、5/21(日)開催の関西学生サッカーリーグ2B7 神戸大学戦を地域皆さまにご覧頂こうと企画しております。詳細などは阪神ダービーTwitter公式アカウント(@osakakobe_derby)にございますので、そちらをご参照ください。多くの方のご来場をお待ちしております!

地域のみなさま、阪大サッカー部OBのみなさま、ならびに関西学生サッカー関係者のみなさま、今後とも阪大サッカー部をよろしくお願い申し上げます。

2017年5月4日木曜日

我輩はゴリラではない。 4年 山田顕太郎

この私山田顕太郎は今まで仲間から数々のあだ名を付けて頂いた。

シュレック、ドンキー、ごりけん、G山田、親指・・・etc

ある日私はこれらの愛称の中から共通項を見つけ、ある不安が頭をよぎった。

「俺、ゴリラやと思われてない?」

そしてゴリラについて詳しく調べてみることにした。

ゴリラはサル目ヒト科ゴリラ属。
学名はゴリラゴリラゴリラ
広い胸、重い首、そして太い手と足をもち、その体型は他の霊長類と比べても特徴的である。ゴリラの血液型はB型のみ。
そして見た目と違い、臆病な性格である。
 ストレスに弱く神経性の下痢にかかったり、ちょっとしたことにも恐怖を覚える。

一方山田顕太郎は、身長170センチ体重72キロ、ハト胸、太い首、そして太い手足をもち、その見掛け倒しの筋肉は他の阪大サッカー部部員と比べても特徴的である。血液型はB型。
ストレスに弱く就活中である現在は頻繁に腹痛に襲われるため、正露丸を常に持ち歩く。閉所恐怖症のためトイレに入る時、扉は常に全開である。

ここまでの分析では高確率で私はゴリラであると言えるだろう。


しかし、


私にはほとんど毛が生えていない。
本当に私がゴリラであるならば、全身が隈なく毛で覆われているはずである。

ここで私にあだ名をつけた奴等の思慮の浅さが露呈した。

私は「ゴリラっぽい」のであって「ゴリラ」ではない。

以後あだ名をつける際には、必要十分条件を満たすことに気をつけて欲しい。

現在阪大サッカー部には「ゴリラっぽい」人間が4人しかいない。

しかし私達阪大サッカー部が目標とする二部Aリーグには「真のゴリラ」がごまんといる。

もし今年二部Aリーグに昇格できたとしても、彼等のパワー、スタミナ、握力、体毛には勝てないだろう。

「ゴリラっぽい」新入生は是非サッカー部に入ってきて力を貸して欲しい。アメフト部やラグビー部では「貧弱やな出直してこい」と言われるその肉体も、サッカー部では正真正銘のゴリラだ。

是非5月7日の新入生歓迎会に来て下さい。ゴリラ一同お待ちしております。

2017年5月1日月曜日

勝って、勝って、勝って、昇格する 4年 山下健人



結果は残酷だ。今シーズン開幕戦VS芦屋大学1-3負け、新チームが始まってからの努力が全て否定されたような気がした。いや、実際に否定されたのだ。サッカーに対する情熱も、努力の量も質も、チームワークも、相手の方が上だったから負けた。結果より過程の方が大事、そんな言葉は嘘だ。結果は過程の全てを否定する。そのことを芦屋大学のグラウンドで身をもって感じた。

勿論、このチームは本当に真剣にサッカーに取り組んでいると、心の底から思う。特に、共に3年間頑張ってきて、1番距離の近い同期は、皆がサッカーに対して熱くて、仲間思いで、努力家で、チームのことを真剣に考えることが出来る本当に尊敬出来る大切な仲間たちだ。付いてきてくれる後輩たちも、時に厳しく時に優しく、熱い気持ちで指導してくださるフィジカルコーチの大橋さんも、支えてくださるOBの方々も、このチームに関わるすべての人たちは、サッカーに対する熱い思いを持った素晴らしい人ばかりだ。そんな大阪大学サッカー部が、僕は本当に大好きだ。

だからこそ、後輩の、支えてくださる方々の、そして何より同期の、熱い思いを結果に否定されたくない。もう二度と、自分たちの努力が、情熱が、足りなかったと思いたくない。そしてそのためには、結果を出すしかない。

今シーズンが終わった時、満足できる結果は、2部Aリーグ昇格しかないと思っている。無敗優勝というチーム目標とは矛盾するかもしれないが、自動昇格でも、入れ替え戦での昇格でも何でも良い。とにかく昇格という結果で、この素晴らしい仲間との大学サッカー生活を終えたい。昇格という結果を出した時、真の意味で素晴らしい仲間との素晴らしい4年間だったと思えるはずだ。

そして僕自身、チームが結果を出すために、何だってするつもりだ。普段の練習は常に全力で取り組む。試合に出たら死ぬ気で走って、ボールに食らいついていく。出なかったら、声を枯らして応援する。とにかく、この1年間ですべてを出し切る覚悟を持って頑張っていきたい。

綺麗に勝とうなんて全く思わない。1年間、泥臭くても、石にかじりついてでも勝ちにこだわっていく集団であり続けたい。

絶対に勝つ。勝って、勝って、勝って、昇格する。


〈新入生へ〉
勧誘期間の部員ブログも僕の次で最後なので、少しだけ新入生に向けて書きます。

僕は、サッカー部での大学生活しか知らないので、「サッカー部に入ることがベストだ」とは、口が裂けても言えません。

しかし、「何かに真剣に取り組むということは必ず価値があることだ」ということは言えます。それがサッカーでも、勉強でも、留学でも、バイトでも、何だって良いと思います。しかし、何にも真剣にならずに過ごす4年間は少しもったいない気がします。

僕の場合は、真剣に取り組めるものがサッカーだと感じたので、サッカー部に入りました。他の部員も、その部分は同じだと思います。

真剣に取り組んだからこそ得られる経験があり、真剣に高め合ったからこそ得られる仲間がいます。そして、真剣にサッカーに取り組める環境は、このサッカー部にはあります。


説教くさくなってしまっていたらすみません。
真剣に取り組めるものがサッカーだと思う人は、是非入部を検討してみてください。