あなたは、背番号「7」のサッカー選手といえば、誰を思い浮かべるだろうか。
やはり、クリスティアーノ・ロナウド、ベッカム、日本人なら中田英寿、遠藤保仁あたりだろうか。
誰を思い浮かべるかは人それぞれだろうが、「7」を背負う選手はチームの中心として毎試合ピッチに立ち、高い技術を活かして勝利に貢献する。
だいたい皆がそのようなイメージを持っているのではないだろうか。
今季阪大サッカー部の「7」を背負うことになったのは、そう、私である。
昨季のリーグ戦が終わって新チームがスタートするときに「7」が空いたので、立候補して受け継ぐことになった。
私が今まで見てきた阪大サッカー部の「7」の選手たちは、サッカーが上手く、Aチームで結果を残してきた選手たちだと思う。
しかし、私は1年次や2年次に「7」を背負うに相応しい活躍をしたとは全く思わないし、チームに不可欠な存在であったとも思わない。
当然この番号をもらうことにためらいはあった。
それでもこの番号を選んだことには理由がある。
「7」の選手が試合に出ていないのはカッコ悪いし、「7」を背負うことで、試合に出続け、チームを勝たせる選手にならなければならない、という責任やプレッシャーが生まれる。そういう選手になるためには自分のサッカーへの取り組みを改善し、もっと上手く、強くなる必要がある、という意識が生まれる。
今までの自分を変えるために選んだ、といってもいい。
私が阪大サッカー部に入部したとき、特に何か大きな目標や明確な目標を持っていたわけではなかった。
・別にプロになるため、サッカーをするために阪大に入ったわけではない。
・本気でやるサッカーは高校までのつもりだった。
・でも他に入りたいサークルがあるわけでもないし、体育会は就職に強いらしいから、まぁサッカー部に入るか。
入部当初はこんな風に考えていて、何か心に引っかかるものがあった。
それでもサッカー部に入部すると、周りは皆本気でサッカーに取り組んでいたので、自分も真面目にサッカーに取り組むことになった。
1回生のときはAチームで試合に出ることはなかったが、2回生になるとAチームでけっこう試合に出られるようになった。
しかし、度重なるケガの時期や、ケガが治っても試合に出られない時期もあった。
そういう時期は特に、サッカーを楽しめず、やはり何のためにサッカー部に入っているのかわからなくなることがあった。
小・中・高のときのようにサッカーと本気で向き合えていないとも思った。
自分でも何となくわかっていながら、なかなか変われなかった。
次第に、これではサッカーに対して、サッカーをさせてくれている家族、チームに対して失礼だと思った。
2回生の11月にリーグが終わり、新チームがスタートするとき、私は、
「今までのようなサッカーへの取り組み方では、4回生の11月になってサッカー部を引退するときに絶対に後悔が残る。」
と考えた。
そして、自分を変えないといけない、それなら何か責任や使命を持とうと思い、「7」を選んだ。
「7」を選んだ以上、無責任なことはできないし、試合に出続け、チームの2部B優勝、2部A昇格に貢献しなければならない。
来年こそは、と思い、2回生の12月に新チームが始動したが、私はその時期に手首の骨折が判明し、3月上旬までサッカーができなかった。
ようやく復帰し、Aチームに戻るのは時間の問題だと正直思っていたが、自分のプレーがうまくいかないこともあり、これを書いている現在までずっとBチームに甘んじている。
昨年までの自分ならば、この状況に立たされたらやる気を失っていたかもしれない。
しかし、今年は違う。
「7」を背負う責任があるし、チームの2部B優勝、2部A昇格にプレーで貢献するという目標がある。
この覚悟が口だけにならないように、これからも戦っていく。
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