大学でもサッカーを続けるつもりは全くなかった。
高専(神戸市立工業高等専門学校という5年制の学校)で主将としてそれなりの結果を残し、一生懸命するサッカーは20歳できりよく終わらせればいいと思っていた。
甘かった。1回戦敗退。
悔し涙も流せない不完全燃焼。
一体今まで何をしてきたのか、なぜ最後の最後でチームとしてまとまれなかったのか。
それから数日間はそんなことばかり考えていた。
けれどもこれといって納得できる理由は見つからず、ただ
「これで終わってはいけない」
そう思った。
父親がサッカーの指導者という影響で、物心つく前からボールを蹴り始める。自分にとってサッカーとは楽しいとかやりたい事というよりかは、あって当然のことだった。小学生の頃なんかは、まわりの友達がみんな少年野球に入団していて、何で自分だけサッカーじゃないといけないのか、ともやもやしていたこともあった。
こうして振り返ってみると、心の底からサッカーを頑張りたいと思ったことは、今までのサッカー人生で無かったような気さえする。それでも大学では、はじめて自分からサッカーに対して真剣に取り組もうと入部することにした。何より、あのとき見つけられなかった答えをもう少し探してみたかった。
いざ練習に来てみると、3年次編入ということで、やはり珍しいものを見るような目で見られていたように思う。自分自身はというと「1、2年の仕事を経験せずにいきなり先輩かよ」とか「即戦力にもならんやつが中途半端な時期から入ってくんなや」などと思われているんだろうなぁ、とネガティブになることが多かった。
はじめこそ自分の色を出そうと息巻いていたのだが、いつしか早く部員に認めてもらうことを目指すようになっていた。そうしてまわりのことばかり意識するようになると、プレーもうまくいかない上、周囲との距離感も縮まらないままで、何のために部活に来ているのか分からなくなった。
昨年の半年くらいはそんな感じで悩んでばかりだった。それでもどうにかしなければ、と必死になった。そしてある問と向き合ったとき、はっとした。
「自分はいい人になりたがっているだけではないだろうか」
思い返せば、高専時代もチームのためと銘打っておきながら、結局のところはいいキャプテン、いい先輩と思われたかっただけではないだろうか。本当に組織のために優しく厳しい存在であれただろうか。そして選手として常にもがき続けていただろうか。
改めて考えてみると、自分の言動はまわりからいいように思われたい、という感情がまず先にあった。それでは人の心は動かせないと、今更ながらに気が付いた。同時に、一緒に輝いていきたい仲間にとって「必要な存在」にならなければいけないと思った。
そう考えられるようになってからは、ずっと心の奥に巣くっていた「よく思われたい小さな自分」と別れることができた。今までどうしても自分をネガティブにさせていた「3年次編入」という事実も、途中から入ってきたからこそ見えることがあって、いい意味で伝統に縛られずに意見できる、という自分にしかない強みだと捉えられるようになった。
「自分にしかできなことは何だろうか」
今はこれだけを考えて、少しずつだけど行動にも移している。
入部してからもう1年が経った。最近ではため口で話してくる後輩もちらほら出てきたりして(これには賛否両論あるだろうが)、さすがに入部当初よりかはちゃんとチームメイトになれていると思う。
個人的にはやはり「必要な人」になろうとした結果かなぁと。
あのとき見つけられなかった答えはまだ完全には見つかっていない。
それでもあと半年、1選手としも、1部員としても「必要な存在」になれるように努力する。
そして、最後の試合が終わったときは、今度こそ、それこそ嬉し涙でも流して
「今までサッカー続けてきてよかった」と思いたい。
僕の拙文は以上で終わりになりますが、最後に少しだけ宣伝をしておきます。
今年から「社会貢献係」というものを立ち上げました。これはボランティア活動を通して、阪大サッカー部が「地域を愛し、地域から愛されるチーム」となることを目指しています。
具体的には、地域の清掃活動やデイサービスへのお手伝いなどに取り組んできました。今後は小学校の生徒さんを対象にサッカースクールなんかもできればいいなと思ってます。
その活動の一環として、5/21(日)開催の関西学生サッカーリーグ2部B第7節 神戸大学戦を地域皆さまにご覧頂こうと企画しております。詳細などは阪神ダービーTwitter公式アカウント(@osakakobe_derby)にございますので、そちらをご参照ください。多くの方のご来場をお待ちしております!
地域のみなさま、阪大サッカー部OBのみなさま、ならびに関西学生サッカー関係者のみなさま、今後とも阪大サッカー部をよろしくお願い申し上げます。
0 件のコメント:
コメントを投稿