2017年8月10日木曜日

大好きなサッカー 2年 大谷一樹

人間科学部2回生の大谷一樹(おおやかずき)です。
よく「お前の学部意味わからんやろ」と言われます。
ナンセンスなセンテンスすぎて鼻で笑ってます。
法律を作るのは、経済を回すのは、ヒンディー語を話すのは、誰ですか、人間ですよね?それを科学的に研究する。そういった考えもあると思うんです。具体的に何を学ぶか?そんなことは未だに僕も分かってないです。

本題に入ります。このような場面でしか自分の話をできないので聞いてください。
僕がサッカーを始めた理由。
1つめは、幼少期坊主頭しか許されていなかった大谷少年が、2002年W杯のブラジル代表FWロナウドの髪型に憧れ、真似をしたこと(google画像検索してください#ロナウド#出っ歯#怪物 {当時の僕の写真ほしい人はLINEの友達になってください#時々#アイコン})
二つ目は3つ上の兄の影響。小さい頃から大好きだった兄がサッカーをするというので大谷少年も始めることにした。始めた理由などは曖昧でキリキリマイなんでどうでもよいのだが,サッカーを続ける理由について聞いてください。

それは二つある。サッカーが本当に大好きで、サッカー中は、サッカーに夢中になりネガティブなことは一切忘れることができるから。もえのちゃん☆に失恋して勉強も手につかず、父の軽快かつ繊細な下ネタについていけなかった時ですら、サッカー中は楽しくて仕方なくて、サッカーの事だけを考えられ、とてもスッキリした。サッカーが本当に好きである。サッカーをする人なら誰でもわかると思う。
二つ目は兄のためである。
大好きだった兄は僕が高校生の時に交通事故で他界した。それでも僕は今も三兄弟と言い続けているのには理由がある。
兄が突然いなくなったとき、日常が当たり前ではないことを本当に本当に痛感させられた。こんなにあっさり人生って終わるんだなって思った。サッカーをすることが兄のためになるとかではない。そうではなくて、当たり前ではない日常に感謝し、後悔なく日々を生きなければならないと思わされた。明日が来ることが奇跡なら、今日という日に自分の大好きなことを全力でやらなければいけないと思った。僕にとってそれはサッカーしかなかった。だから僕は、プロを目指している訳ではないのに全力でサッカーを続ける。毎日寝る前、今日自分どれだけがんばれたかな、と思い返すと何も頑張れていない自分に気づき腹が立つ。試合に出させてもらっているにも関わらず最後までやり切る事ができない自分に嫌気がさし申し訳なくなる。

このブログを読んでいる若者の皆さんも時々でいいので、その日の自分が本気でやれた事を振り返ってみてください。もっともっともっと今日できることがある、そう僕は思います。そして何歳になっても何かに全力で取り組んでほしいです。

最後になりましたが、まだまだ頑張るチャンスをくれる阪大サッカー部と、サッカー部の活動を理解し応援してくださるOBの皆さま、そして小学校から大学までにサッカーを通して出会えた仲間、大学になってもサッカーを応援してくれる僕の両親に感謝します。そしてこれからも、愉快な阪大サッカー部と、こんな根が真面目な88番の応援をどうか宜しくお願いします。

これはノンフィクション。
起こせアクション。yeah

2017年8月8日火曜日

阪大に求めるもの 3年 木村京太郎



サッカーは本気で頑張っている。それだけは確実に言える。

こんにちは、木村です。

今現在、大阪大学体育会サッカー部で活動していて思うことは環境などの充実である。人工芝のグランドで練習することができ、暗くなればナイターがつき夜でも練習することができる。ミーティングルームも借りることができそこでチームの状況をよくするために話し合いだってできる。さらに練習終わりにシャワーまで浴びれるのだ。そんな環境におかれて頑張れないやつなどいない。
ただその環境があることが当たり前だと思ってはいけない。歴代のサッカー部の部員が今まで築いてきた信用があるからグランドを貸してくれるのであり、みんな応援してくれるのだ。満足のいく練習ができたり練習試合ができたり、リーグ戦に参加できたりしてるのも四回生の方々や主務や副務などがいてくれてやっと成り立っているのである。

そんな中で本当にサッカーだけを頑張っていていいのか。一回生や二回生のあいだはただがむしゃらに自分の成長のためだけに頑張ってきた。たしかにそれは下級生がやるべきことである。三回生になった今、サッカーを頑張ることは当たり前だ。それに加え練習を盛り上げるために声を出す、レポートを期日までに出す、下級生がたるんでいるとしっかり注意するなど考えれば考えるだけやるべきことは見えてくる。自分らが注意してもらったように後輩を注意できているか。最近強く感じることである。

自分がまだ一回生のときに上回生の皆さんにはたくさん注意していただいた。当時はそんな細かいことええやん、なんで同回生のミスで俺まで怒られなあかんの、などたくさん思うことがあり素直に受け入れられないこともあった。社会人になるとそんな細かいことなど教えてくれることはないので、今はどれだけ後輩思いな先輩だったんだと思います。

またサッカー以外の面でも意識してやるべきことはある。すべて当たり前のことだが、人に挨拶する、親や周りの人への感謝を忘れない、早めの行動を心がける、赤信号は渡らない、授業中に寝ない、家に帰っても予習復習をする、積極的な授業への参加、テスト勉強ははやめのうちから、など数え切れないほどある。

そう、大学サッカー三年目にして強く思うのは単位がほしい。それだけである。

2017年8月1日火曜日

ぼくはペレ 3年 松田出帆

高校最後の夏の大会、結果は一回戦負け。しかしそのピッチの上に自分はいなかった。悔しくて諦めきれず、部員の多くが受験で部活を引退する中、自分は部活を続けることを選んだ。1度目の未練である。しかし冬の選手権、結果は2回戦負け。またしても悔いの残る結果となってしまった。と、いうことで今現在、僕は2度目の未練の精算をするべく大阪大学体育会サッカー部に入部している。
入部して2年が経つが、後悔は全くしていない。それどころか入部して得られたことの方がはるかに多い。人によって様々なサッカーの考え方があること、名古屋の人は面白くないこと、かかとが痒くてサッカーができない人がいること等、様々なことを知ることができた。なかでも、人との付き合い方を学べることが体育会に入る意義の最たるものであると僕は思う。
 以前、練習で振り分けられたカテゴリーに納得がいかず、あからさまに機嫌を悪くしたまま練習をした日があった。次の練習終わりにベイル先輩に呼ばれ、すまなかったと言われた。その時になって初めて、自分がいかにチンケな行為をしたか気づいた。自分に実力がないために受けた評価を他人のせいにし、挙句先輩にまで気を使わせてしまい、申し訳なさと同時に、謝罪を受けるまでそのことに気づけなかった自分に心底腹が立った。そのことがなければ、自分は今でも他人に迷惑をかけるということに気づけずにいただろう。体育会に入ったおかげで自分は少し人間的成長をすることができた。
 ちなみに、今年の春合宿の前日に練習中にベイル先輩にベイルされ、足の指を骨折し、楽しい楽しい春合宿に参加できないという事態が発生したが、そのことに関して僕はベイル先輩を恨んでいるということは全くなく、今でも尊敬している。
 しかし、部活もいいことばかりではない。これは僕に限ったことなのだが、大学に入って、サッカーをやる上で大きな障害が僕の前に立ちはだかった。怪我である。右足首靭帯損傷、左足首靭帯損傷、右足指骨折、右肩脱臼、左肩脱臼、怪我という怪我を四肢にひっさげ、僕はサッカーをしている。そして気づけばサッカーしか出来ない体になってしまっていた。脱臼によりボールを手で受けることができず、しかも両肩やってしまっているので某野球漫画のように左投げに転向してジャイロボールを投げることもできない。僕にはサッカーしかないのだ。なので、僕は自分のことをサッカーの申し子だと思っている。ペレと一緒だ。ただ理由が消去法なためネガティヴバージョンなだけである。そんな僕のあと少しの大学サッカー生活を、少しでも多くの方に暖かく見守っていただけたら、幸甚の至りである。
 
 長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。今後とも大阪大学体育会サッカー部をどうかよろしくお願いします。