2017年8月1日火曜日

ぼくはペレ 3年 松田出帆

高校最後の夏の大会、結果は一回戦負け。しかしそのピッチの上に自分はいなかった。悔しくて諦めきれず、部員の多くが受験で部活を引退する中、自分は部活を続けることを選んだ。1度目の未練である。しかし冬の選手権、結果は2回戦負け。またしても悔いの残る結果となってしまった。と、いうことで今現在、僕は2度目の未練の精算をするべく大阪大学体育会サッカー部に入部している。
入部して2年が経つが、後悔は全くしていない。それどころか入部して得られたことの方がはるかに多い。人によって様々なサッカーの考え方があること、名古屋の人は面白くないこと、かかとが痒くてサッカーができない人がいること等、様々なことを知ることができた。なかでも、人との付き合い方を学べることが体育会に入る意義の最たるものであると僕は思う。
 以前、練習で振り分けられたカテゴリーに納得がいかず、あからさまに機嫌を悪くしたまま練習をした日があった。次の練習終わりにベイル先輩に呼ばれ、すまなかったと言われた。その時になって初めて、自分がいかにチンケな行為をしたか気づいた。自分に実力がないために受けた評価を他人のせいにし、挙句先輩にまで気を使わせてしまい、申し訳なさと同時に、謝罪を受けるまでそのことに気づけなかった自分に心底腹が立った。そのことがなければ、自分は今でも他人に迷惑をかけるということに気づけずにいただろう。体育会に入ったおかげで自分は少し人間的成長をすることができた。
 ちなみに、今年の春合宿の前日に練習中にベイル先輩にベイルされ、足の指を骨折し、楽しい楽しい春合宿に参加できないという事態が発生したが、そのことに関して僕はベイル先輩を恨んでいるということは全くなく、今でも尊敬している。
 しかし、部活もいいことばかりではない。これは僕に限ったことなのだが、大学に入って、サッカーをやる上で大きな障害が僕の前に立ちはだかった。怪我である。右足首靭帯損傷、左足首靭帯損傷、右足指骨折、右肩脱臼、左肩脱臼、怪我という怪我を四肢にひっさげ、僕はサッカーをしている。そして気づけばサッカーしか出来ない体になってしまっていた。脱臼によりボールを手で受けることができず、しかも両肩やってしまっているので某野球漫画のように左投げに転向してジャイロボールを投げることもできない。僕にはサッカーしかないのだ。なので、僕は自分のことをサッカーの申し子だと思っている。ペレと一緒だ。ただ理由が消去法なためネガティヴバージョンなだけである。そんな僕のあと少しの大学サッカー生活を、少しでも多くの方に暖かく見守っていただけたら、幸甚の至りである。
 
 長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。今後とも大阪大学体育会サッカー部をどうかよろしくお願いします。

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