2017年6月29日木曜日

なんとかならない! 3年 田邊颯


「なんとかなる」はとても便利な言葉であるが、人は成長しない。
 
  私はこの言葉が好きだった。「なんとかなる」の繰り返しで今の私はここにいる。苦境に立たされたとき、人は焦り、不安、苦しみ、辛さなどたくさんの負の感情に支配される。しかし、開き直って「なんとかなる」と思うと、それらは完全に消えることはないにしろ多少和らぐはずだ。少なくとも私はそうである。 何か上手くいかないことがあったり、ミスをしたとき、様々な場面でこの言葉を使った。気が軽くなるから。その効果、利便性故にこの言葉を使い続け、壁を乗り越えてきた。私1人でなんとかしてきた。私にとっては素晴らしい剣であった。

   一方で、それはただの逃げ道である。向き合っている物事に対し深く考えないと言える。自らはそれを放って流れに身を任せているだけにすぎない。今までなんとかなってきたのは、家族、友達など周りの力があったからだ。決して1人で乗り越えたのではない。上手くいかないことやミスを回りの人間がカバーしてくれたおかげだ。回りの力のおかげであり、自分は全く成長していなかったのだ。最近まで私はそれに気がついていなかった。とんでもない勘違いだ。今となっては回りの人間に感謝している。

  前述した通り、今まで私は、嫌なことや向き合いたくないことに対し「なんとかなる」と言って逃げてきた。しかし、人生設計ではそんなことは言ってられない。高校、大学進学共にしっかりと考えず回りに身を任せてきた。どの学校に行っても「なんとかなる」という軽い気持ちで。今の生活が楽しくないわけではない。しかし、軽い気持ちであったが故に、もしあの時違う選択をしてたら…と考える時がある。軽い後悔だ。一度きりの人生である以上、私は思う存分満足できる人生を送りたい。大学3年生である私はあと数年で社会に出る。どの道を進むかは自分で決めるしかない。回りは助けてくれるか。助けてくれないだろう。いや、助けれない。なんとかならない。自分の人生だから。このままの、逃げてきた私ではこの先後悔する気がする。

1つ上の大学4年生の人達は就活、院試に直面している。就活でどこに行こうか悩む人、院に進むか就職するか悩む人、とても大変そうである。現に、私も来年どうするかは決めていない。中には、やりたいことが明確な人、将来のビジョンを組む人もいる。羨ましい限りだ。1つ上の先輩達のおかげで、私は今の自分を見直すことができた。

  全く成長できてなかった私にはわずかながらまだ時間がある。これからを満足に生きるために、まず、残された時間で「なんとかなる」を捨て、道を作らねば。その道を歩けるかどうかはその次だ。

2017年6月26日月曜日

キャピあき的成長 2年 石田邦晃

こんにちは、大阪大学体育会サッカー部 二回生の石田です。

僕の本名はくにあきなのですが最近、キャピあきと呼ばれることがあります。そのきっかけは友達が某SNSで僕の写真に#キャピあきとタグを付けて投稿したことです。キャピキャピという言葉の意味を調べてみたところ、「明るく若々しく弾けている女性」という意味で、僕に当てはまった言葉ではありませんでした。しかし、過去の自分自身と比較すると今の僕はキャピれているのではないだろうか?


答えはYesです。


なぜなら、今の僕は友達にふざけた動画を撮られるなど以前なら嫌だったことも少し楽めるようになっているからです。過去に比べてキャピキャピしていると思います。

次にその変化は成長なのか考えてみました。少しふざけられる様になったことはいいことなのか?


答えはYesです。


ふざけられるようになった内面の変化は、実は、最近僕が心がけている「失敗を恐れずにやる」という考え方に繋がっています。
こんなことが大切なのは僕自身ずっと昔から分かっていました。しかし、実際は失敗を恐れ、ビビって何事にも挑戦出来ていませんでした。小さい頃には出来ていた挑戦も少しずつ大きくなっていく上で人の目を気にし、自分が傷付かないことばかりを考え、心のキャピタルの周りにキャッスルを築いてしまうことで、心のキャパシティが狭まり、結果的に自分の成長を妨げていたことに気付きました。新チームが発足して以来、キャピテンは選手一人一人に対し「人間的成長」を促してきました。成長の仕方は人それぞれですが、僕にとっての成長は、まさにキャピキャピできるようになったことだと思います。

しかし、「失敗を恐れずにやる」ということは頭で考えてはいても実際に行動に移すのは難しいときもあります。ふざけた動画を撮る時でも嫌だと思うこともあります。では、なぜやるのか?


それはその動画を見て声をかけてくれる人がいて、少しでも期待してくれている人がいると感じるからです。失敗しても「惜しい」と思ってくれる人がいると思えるからです。


二度目になりますがこんなことは前から分かっていることだと思います。でも僕はあまり日常では意識していませんでした。そして、ふとしたことで初心に戻って大切なことを再確認しました。なのでふとしたことでもたまに視点を変えて見てみることも面白いと思います。

#部員ブログ
#拡散よろしく

2017年6月22日木曜日

不平・不満のコントロール 3年 本條太郎

今シーズンも前期リーグが終了し、夏季の中断期間を挟んで後期リーグを残すのみとなりました。前期リーグの結果、順位は7位。開幕当初、無敗優勝を掲げていたチームにとって全く納得できる内容、結果ではありませんでした。どのような組織においても結果が伴わないチームには、内部から不平・不満が出てくるものです。あんな練習をしろこんな練習しろ、誰それより俺を使え。多くの私立大学は指導者がいて、そんな声も上がりにくいでしょうが、僕たちは学生が主体で運営しているチームです。練習試合もメンバー選考も全部自分たちとおんなじ学生が決めています。そりゃ自分と1つか2つかしか学年が変わらない人たち、いわゆる“幹部”がメンバーを決めていれば、特に出れていない選手から様々な意見が出てくるのも頷けます。幹部の人たちがそのようなメンバーに声をかけ、わだかまりを解消していくのは当然しなければいけないことです。試合に出ている選手が出ていない選手に声をかけるのはすごく難しい部分もあります。そんな中で試合に出ている出ていないは別にして、いろんな選手の意見を聞こうとしてくれる先輩方がいて、すごくありがたいなと思います。
チーム全体としては先ほど述べた通り、繰り返し繰り返し話をしていくことが一歩先に進む近道になると思いますが、それだけでは不十分で、不平を持つ個人個人が自分から変わらないといけないと思います。メンバー選考に限定して話をすると、出れていない選手がそれを押し殺してチームを応援するため、個人としてどのようにメンタルをコントロールしていけばいいのでしょうか。箱根駅伝3連覇中の青山学院大学の原監督がテレビで、「メンバーに入らなかった選手にそれを納得させる一番の方法は、自分で負けを認めさせること」だと言っていました。実力で劣る選手をあえてトップチームで使い、自分自身で実力不足を体感させるそうです。そうすることで出れていない選手も納得がいき、心の底からチームを応援することでチームに一体感が生まれてくるのだと、言っていました。この理論は駅伝の青山学院に限らず、どの競技においてもトップで活躍するチームには当てはめることができます。選手たちは本気で勝ちたいと思ってトレーニングに励んでいるからです。「いや俺本気でやってへんし。ちゃんとやったら俺の方がうまいし。」こんな理屈は通用しません。本気でやったからこそ心の底から負けを認めることができます。果たして今の阪大サッカー部はどうでしょうか。一人一人がよく考えないといけないと思います。

2017年6月20日火曜日

なんで、私が阪大に? 2年 大西高弘

僕はガンバユースでサッカーをしていた。同期の数人はプロになり、なれなかった者は強豪大学へ進学した。そんな中、僕は1年間の浪人を経て、阪大にきた。「なんで阪大きたん?」とよく聞かれる。僕は内心「そら受かったら来るやろ」と思いつつ、「家から近いからやで〜」とかっこつけて答えるが、嘘である。僕はどうして阪大にきたのだろう。心の中のリトル高弘に聞いても返事はなかった。

高3のとき、進路を決めなければならなかった。周りはみんな、上述したようにサッカーでの進路を考えていた。僕はAチームで試合に出たことがなく、みんなのように大学側から呼ばれておらず、サッカーで進学できる実力はなかった。そこで、勉強して国公立を目指すことにした。それから、勉強を始めた。塾にも通ったが、練習後に行っても寝てしまうばかりだった。そんな勉強で足りるはずがなかったのだが、僕は2次試験がサッカーだということもあり、落ちるわけないと思っていた。結果は不合格。僕は浪人することになった。

浪人の1年間は、本当に勉強しかしていない。最初は本当に何もわからず、微分もできないほどだった。第1志望は国公立でサッカーが強いという理由だけで神戸大学にした。微分もできない男が神戸大学を目指すのである。1年も勉強すれば神戸大学ぐらいいけるだろうという、わけのわからない見積もりだった。僕の頭は空っぽだったが、それが逆によかったのかスポンジのように全てを吸収し、みるみる成績は上がった。秋頃にはなんとか勝負できるレベルまできていた。そして迎えたセンター試験。大コケした。浪人中に10kg太ったのが原因か。それとも視力が落ちて、カリスマアパレル店員のような縁が半分の眼鏡を買ったのがいけなかったのだろうか。
僕はそれでも前期で神戸大学を受けることにした。心の中のリトル高弘がどうしても神戸大学に行きたがったのだ。しかし、結果は不合格。だが「不屈のライオン」の異名を持つ僕は諦めなかった。そして、受かる可能性はあるからという理由でダメ元で出願した阪大の後期試験に合格した。背中越しのチャンスを掴んだのだ。こうして僕は阪大に来た。

今は、阪大サッカー部でサッカーをしている。指導者のいないチームで、学生主体で頑張っている。そんなチームにあって、僕は前期リーグでフル出場させてもらった。全力を尽くしたつもりだったが、前期終わった時点で7位。本当に申し訳ない。自分は本当に応援に値する選手だろうか。
僕はユースで3年間Bチームだったが、Aチームのみんなが大好きだった。心から応援していた。なぜ自分は出れないのにそんなに好きだったのか。そう考えたときに、今自分のすべきことが見えた。それから、僕はBチームの試合を極力見るようにしている。応援してもらうために、まずは自分が応援するのだ。一体感は、そうやってできていくものだと思う。
ユース→浪人→阪大という僕にしかない貴重な経験を武器に、僕はこれからも阪大サッカー部の勝利に貢献したい。そして、大好きなサッカー部のみんなとともに成長していけたら最高だ。


長い割に大して面白くない文章ですみません。阪大サッカー部2年、大西高弘でした。

2017年6月16日金曜日

本気でサッカーしてます。 2年 由利衛

僕は今年でサッカーを始めて15年目である。
ランドセルを背負う前からボールを追いかけていた。これにはバティストゥータも驚きだ。


もし、おとさんが死球を受けていたら、今頃ドアラのバク転失敗を横目にシンカーを投げていたかもしれない。そう考えると感慨深い。

そんな、バティストゥータより11年早く、メッシより2年遅く始めたサッカーも、本気で取り組めるのはこの大学サッカーがおそらく最後だ。

本気でやることで得られる喜びや悔しさがあり、本気やるサッカーだからこそ味わえるおもしろさがある。そう思って僕は体育会サッカー部でサッカーをすることを選んだ。

これまでのサッカー人生を改めて振り替えると、僕の一番の課題はメンタル面にあったように思う。

チームが苦しいときや大事な勝負どころであと一歩踏ん張りきれない自分がいた。本気でやるサッカーこそ面白いとわかっていながらも、あと一歩のところで全力を出しきれない自分がいた。

今でも、プレーや試合展開においてあきらめてしまう所や、自分のプレーがうまくいかないと投げやりなってしまうときがある。

スラムダンクの福ちゃん並みのメンタルだ。

僕はこの課題を大学サッカーを通して乗り越えていかなければならない。苦しい展開で、チームを盛り上げることができる選手にならなければならない。本気でサッカーと向き合うことで精神的に成長しなければならない。それが今の僕にとっての「人間的成長」だと思う。


サッカーをする日々を楽しみ、メンバーと喜びを分かち合い、人間的にも成長していく。そんな有意義な4年間したいと思っている。


これからもサッカーについて本気で考え、全力プレーし、チームの勝利につながるよう取り組んでいきたい。

2017年6月13日火曜日

志 3年 浜見悠太

はじめまして、3回生の浜見悠太です。


僕が小学3年生から中学3年生まで所属していた地元のクラブチームには、毎年中学3年生に対して監督・コーチがその学年に合った漢字一文字を考え、その漢字を応援旗にしてもらうという伝統がある。

僕たちの学年には「志」という一文字を与えてもらった。

あれからほぼ6年が経って、今こうして部員ブログを書くにあたって、当時の監督・コーチが与えてくれた「志」という漢字の意味をもう一度深く考えてみた。

そして、サッカーをする上では「志」がとても重要なものであることに気づいた。


「志」の意味を辞書で調べると、主に3つの意味が出てくる。

一つは「心に思い決めた目的や目標」、二つめは「心の持ち方」、そして最後は「人のためを思う気持ち」である。

日々の生活のなかでも「少年よ大志を抱け」「志を高く保て」「初志貫徹」などと言うように、一つ目と二つ目の意味はよく知られていると思う。

しかし、三つ目の意味「人のためを思う気持ち」というのはあまり知られていないのではないだろうか。

サッカーに置き換えて言えば、「人のためを思う気持ち」は「チームのために、チームの勝利のためにという気持ち」であると言っても差し支えはないだろう。

僕は、この三つ目の意味での「志」を意識することこそ重要であると考える。

もちろん、サッカーをやる上で「ドリブルの精度を高める」や「当たり負けしない体を作る」というような目標を立て、そのときの「やってやるぞ」という気持ちを忘れずに努力を重ねることは大切なことであり、そのことは何も目標を決めずダラダラと日々を過ごすことよりもよいことである。

しかし、サッカーはチームスポーツである。

いくら選手が高い技術、能力を持っていても、それをチームのために活かせないならその選手は無駄になってしまう。

選手にとって重要なのは、自分の実力をチームの勝利のために発揮することである。

さきほど「三つ目の意味での『志』を意識することこそ重要である」と言ったが、それはなぜか。

一つ目、二つ目の意味での「志」を意識することはおそらく簡単なことである。

というより、無理やり意識しなくてもできることである。

しかし、そうして身につけた実力を、ただ自分のためだけでなく、チームの勝利のためにも発揮できるようになってこそ、その実力が身についたと言えるのではないだろうか。

僕は三つ目の意味での「志」を意識することが重要だと述べたのは、そう感じたからである。

プレーでチームの勝利に貢献できるように、僕はこれからも「志」を持ちながら努力を重ねていこうと思う。


最後になりましたが、サッカー部関係者の方々、OBならびにOGの皆様、平素よりサッカー部の活動を応援していただきありがとうございます。皆様のおかげで我々部員は素晴らしい環境でサッカーができています。これからも感謝の気持ちを忘れず精進して参りますので引き続きお力添えをよろしくお願いいたします。


2017年6月8日木曜日

サッカーにまつわるエトセトラ 3年 大沢幹太


今まで部員がサッカーにまつわる十人十色の話を書いてきたが、僕は僕にとってのサッカーがどのようなものなのかを書こうと思う。

キャラメル気分で迎えた幼稚園の入園式、 僕は当時大好きだったガオレンジャーのガオブルーの靴下を履いていた。下駄箱で上履きに履き替えていた時に、隣にいた男の子もガオブルーの靴下を履いて いて、その場で友達になり、すぐに親友になった。その親友に新しくできた地元サッカークラブに誘われて、僕のサッカー人生は始まった。

    気づけば14、5年目のサッカー人生。僕のサッカー人生はまさにあまりにも絵になりそうな魅力的な長いハッピービーチだ。いや、だいぶ話を盛ってしまった。要するにとても長い。転勤族だった僕にはサッカーは拠り所で、サッカーから様々なことを学んできた。友達の作り方、努力の仕方、世の中に色々な文化/価値観を持つ人がいること、自分が健康でいられることに感謝すること、自分が色々な人に支えられていること、目標を持つことの大切さ、気づくことの大切さ、全力/本気の大切さ、他にもたくさんの「生き方」を教わった。そんなサッカー、僕の生活に染み付いたサッカーができるのもあと1年半しかない。

    今の僕にとって、サッカーとは大学サッカーである。大学サッカーは多くの価値を生み出す、可能性に溢れた舞台だと思う。阪大サッカー部に限って見ても、いくつもその価値が見つけられる。僕らは昨年おこなった支援学校の生徒へのサッカースクールで純真無垢な生徒の笑顔を見ることができたし、親族の方からも感謝の言葉を頂戴した。係制度というチーム運営を真剣に考える場では、阪大サッカー部に地域貢献などの新しい価値をもたらしたし、与えられた役職でみな成長できている。試合ではOBの方々や選手の親族や友人や関係者各位へ微小かもしれないが感動の類を提供できているはずだ。また普段の練習では先輩からは各人生経験に基づく姿勢から多くを学び、同期とは互いに切磋琢磨し、後輩へ良い影響を与えられるよう努力する、など、自分を見つめなおせる環境がある。確かに僕らは将来サッカーで生活するわけではないだろうが、社会人として生きていくために必要なことは、部活から十分に学んでいると思う。そういう場としての価値も大学サッカーにはある。

僕は来年、阪大サッカー部の主将をやらせてもらえることとなった。この舞台を引き継ぎ、守り、発展させ、繋げることが僕の役目であり、責務である。先輩の最後の舞台を笑顔で送り出し、同期に一生忘れない、純粋に何かに向き合った経験を残し、後輩へ方向を示すことが目標であり、マストである。誰にも無駄な部活生活だったと思わせないし、周囲の人からも思われたくない。
   
    先日、前述した、僕をサッカーに誘ってくれた友達と偶然にも対戦することがあった。約10年ぶりに再会し、初めて敵としてピッチで対面した。自分でもなかなかにスゴイラッキーボーイだと思う。当たり前だが見た目も性格も昔と変わっていた。しかし、走り方や蹴り方はあまり変わっていなかったことが印象に残っている。試合には負け、彼にも点を決められたのだが、改めてサッカーの素晴らしさを感じた。

サッカーはこれまでも僕にこのような感動を与えてくれた。そのどれもが僕にはかけがえのない思い出であり、一生の糧になると確信している。そして、きっと、これからもサッカーは僕に色々な感動を与えてくれるだろう。だから僕はサッカーが好きだし、価値を感じられずにいられない。

つらつらとサッカーにまつわるエトセトラを書いてきたが、僕のサッカーに対する感覚がなんとなくわかってもらえたらと思う。これまでのサッカー人生、今の大学サッカー、全部ひっくるめてのサッカーは、僕にとっての僕が大好きなサッカーはこんな感じだ。長かったサッカー人生はふわふわと波に乗りに、あと1年半で渚まで来てしまう。岸にくればもう本気でサッカーに打ち込むこともなくなるだろう。決して後悔を残さずに渚に行こう。そして、その時までハリキって行こう。


最後までお読みいただきありがとうございました。
前期リーグが終わり7位という結果ですが、私たちは後期リーグへ向けてより一層頑張って参ります。
今後とも大阪大学サッカー部のご支援ご声援を宜しくお願い致します。

2017年6月5日月曜日

感謝と貢献 3年 橋本航汰

こんにちは。3回生の橋本です。

僕はついこの前までケガで練習を離脱していた。腰椎椎間板ヘルニアという腰のケガで、程度の軽いものだったが練習に復帰するのに2ヶ月かかった。2ヶ月の離脱というと短いと思う人もいるかもしれないが、今まであまり大きなケガをしたことのない僕にとってはとても長いものに感じた。この長い期間に気づいたことがある。その発見をこの機会に話そうと思う。


僕が気づいたことは2つ。自分のチームに対する意識とチームメイトへの感謝である。


まず自分自身のチームへの意識について。
僕はリーグ戦開幕の半月ほど前にこのケガを患った。開幕後数試合は思ったように勝てず、チームの状況は良いとは言えなかった。そんな中、自分だけがなにもできないでいた。もしケガをしていなかったとしてもトップチームで試合に出れていたわけではないが、その権利を得る土俵にも立てない、なにもできない自分に腹が立ったし、本当に悔しかった。
そのとき気づいた。去年、一昨年はこの悔しさが自分から生まれたか?おそらく生まれていなかった。もちろんチームが勝てば嬉しかったし負ければ悔しかったが、その頃は自分のことに精一杯で”チームのためにプレーする”ことなど頭になかったと思う。
ただ今年は違った。チームに貢献したいという気持ちが強くなっているのを感じた。



2つ目はチームメイトへの感謝である。

先輩方が早く戻ってこいと励ましの言葉をくださった。後輩たちが容態を心配してくれた。マネージャーは僕専用のリハビリブックまで作ってサポートしてくれた。本当にありがたかった。

「今日は雨降ってるからサボってるんですか?」と後輩の安藤に言われ、「今日も休憩ですか?」と後輩の安藤に言われ、「まだ腰痒いんですか?」と後輩の安藤に言われた。こいつだけは許さない。

僕が復帰できたのは(安藤以外の)阪大サッカー部全員のおかげといっても過言ではない。そして同期のみんなが僕の復帰を喜んでくれたことが何より嬉しかった。



この2つが僕が療養中に気づいたことだ。
この2ヶ月間、サッカーはできなかったが決して無駄ではなかった。選手としても人間としても成長できたと思っている。
2ヶ月のブランクは大きいが、周りへの感謝を忘れずにこれからプレーでチームに貢献したい。



拙い文章を長々とすみません。あと、安藤にもちゃんと感謝してます(笑)

最後までお読みいただきありがとうございました。

2017年6月1日木曜日

サッカーを続ける理由 2年 床並健太

僕がサッカーを始めたのは小学1年生の時で、1年の浪人生活を考えても、今年でサッカーというチームスポーツを14年間続けてきたことになる。ここで「チームスポーツ」という言葉を強調したのは、後に述べる僕がサッカーを今まで続けている理由と大きく関係しているからだ。

まず、なぜ大学生になってまで部活という環境でサッカーをする事を選んだのか、について話したい。
出身高校は、サッカー部がお世辞でも強いとは言えない某SN高校で、僕自身も飛び抜けた何かを持っているわけでもない。
それでも部活を選んだのは、僕の中でサッカーが、「仲間と日々厳しい練習に励み、喜びも悲しみも分かち合うチームスポーツ」だからである。なので、大学でサッカーするという事は、部活に入るという事と同義だった。
ただその分甘くもなく、サッカーをしていると辛い時も苦しい時もある。ただ、それを一緒に乗り越えてくれる仲間がいたから、僕はサッカーを続けてこれた。

サッカーが、ただ22人集まって球を蹴るだけのスポーツだったら、僕はこれ程長くサッカーを続けられなかった。
サッカーが、勝利を目指してチーム全員が1つとなるスポーツだから、そう思えるような仲間と出会えたから、今まで、そしてこれからも続けていくのだと思う。

2回生になった今年、後輩という新たな仲間が入ってきてくれた。
先輩も、同期も尊敬する人しかいない。
恵まれた環境に感謝し、素晴らしい仲間の為に自分にできる事を1つでも多く探し、実行して、チームの勝利に貢献したいと思っている。