2017年6月20日火曜日

なんで、私が阪大に? 2年 大西高弘

僕はガンバユースでサッカーをしていた。同期の数人はプロになり、なれなかった者は強豪大学へ進学した。そんな中、僕は1年間の浪人を経て、阪大にきた。「なんで阪大きたん?」とよく聞かれる。僕は内心「そら受かったら来るやろ」と思いつつ、「家から近いからやで〜」とかっこつけて答えるが、嘘である。僕はどうして阪大にきたのだろう。心の中のリトル高弘に聞いても返事はなかった。

高3のとき、進路を決めなければならなかった。周りはみんな、上述したようにサッカーでの進路を考えていた。僕はAチームで試合に出たことがなく、みんなのように大学側から呼ばれておらず、サッカーで進学できる実力はなかった。そこで、勉強して国公立を目指すことにした。それから、勉強を始めた。塾にも通ったが、練習後に行っても寝てしまうばかりだった。そんな勉強で足りるはずがなかったのだが、僕は2次試験がサッカーだということもあり、落ちるわけないと思っていた。結果は不合格。僕は浪人することになった。

浪人の1年間は、本当に勉強しかしていない。最初は本当に何もわからず、微分もできないほどだった。第1志望は国公立でサッカーが強いという理由だけで神戸大学にした。微分もできない男が神戸大学を目指すのである。1年も勉強すれば神戸大学ぐらいいけるだろうという、わけのわからない見積もりだった。僕の頭は空っぽだったが、それが逆によかったのかスポンジのように全てを吸収し、みるみる成績は上がった。秋頃にはなんとか勝負できるレベルまできていた。そして迎えたセンター試験。大コケした。浪人中に10kg太ったのが原因か。それとも視力が落ちて、カリスマアパレル店員のような縁が半分の眼鏡を買ったのがいけなかったのだろうか。
僕はそれでも前期で神戸大学を受けることにした。心の中のリトル高弘がどうしても神戸大学に行きたがったのだ。しかし、結果は不合格。だが「不屈のライオン」の異名を持つ僕は諦めなかった。そして、受かる可能性はあるからという理由でダメ元で出願した阪大の後期試験に合格した。背中越しのチャンスを掴んだのだ。こうして僕は阪大に来た。

今は、阪大サッカー部でサッカーをしている。指導者のいないチームで、学生主体で頑張っている。そんなチームにあって、僕は前期リーグでフル出場させてもらった。全力を尽くしたつもりだったが、前期終わった時点で7位。本当に申し訳ない。自分は本当に応援に値する選手だろうか。
僕はユースで3年間Bチームだったが、Aチームのみんなが大好きだった。心から応援していた。なぜ自分は出れないのにそんなに好きだったのか。そう考えたときに、今自分のすべきことが見えた。それから、僕はBチームの試合を極力見るようにしている。応援してもらうために、まずは自分が応援するのだ。一体感は、そうやってできていくものだと思う。
ユース→浪人→阪大という僕にしかない貴重な経験を武器に、僕はこれからも阪大サッカー部の勝利に貢献したい。そして、大好きなサッカー部のみんなとともに成長していけたら最高だ。


長い割に大して面白くない文章ですみません。阪大サッカー部2年、大西高弘でした。

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