2017年6月8日木曜日

サッカーにまつわるエトセトラ 3年 大沢幹太


今まで部員がサッカーにまつわる十人十色の話を書いてきたが、僕は僕にとってのサッカーがどのようなものなのかを書こうと思う。

キャラメル気分で迎えた幼稚園の入園式、 僕は当時大好きだったガオレンジャーのガオブルーの靴下を履いていた。下駄箱で上履きに履き替えていた時に、隣にいた男の子もガオブルーの靴下を履いて いて、その場で友達になり、すぐに親友になった。その親友に新しくできた地元サッカークラブに誘われて、僕のサッカー人生は始まった。

    気づけば14、5年目のサッカー人生。僕のサッカー人生はまさにあまりにも絵になりそうな魅力的な長いハッピービーチだ。いや、だいぶ話を盛ってしまった。要するにとても長い。転勤族だった僕にはサッカーは拠り所で、サッカーから様々なことを学んできた。友達の作り方、努力の仕方、世の中に色々な文化/価値観を持つ人がいること、自分が健康でいられることに感謝すること、自分が色々な人に支えられていること、目標を持つことの大切さ、気づくことの大切さ、全力/本気の大切さ、他にもたくさんの「生き方」を教わった。そんなサッカー、僕の生活に染み付いたサッカーができるのもあと1年半しかない。

    今の僕にとって、サッカーとは大学サッカーである。大学サッカーは多くの価値を生み出す、可能性に溢れた舞台だと思う。阪大サッカー部に限って見ても、いくつもその価値が見つけられる。僕らは昨年おこなった支援学校の生徒へのサッカースクールで純真無垢な生徒の笑顔を見ることができたし、親族の方からも感謝の言葉を頂戴した。係制度というチーム運営を真剣に考える場では、阪大サッカー部に地域貢献などの新しい価値をもたらしたし、与えられた役職でみな成長できている。試合ではOBの方々や選手の親族や友人や関係者各位へ微小かもしれないが感動の類を提供できているはずだ。また普段の練習では先輩からは各人生経験に基づく姿勢から多くを学び、同期とは互いに切磋琢磨し、後輩へ良い影響を与えられるよう努力する、など、自分を見つめなおせる環境がある。確かに僕らは将来サッカーで生活するわけではないだろうが、社会人として生きていくために必要なことは、部活から十分に学んでいると思う。そういう場としての価値も大学サッカーにはある。

僕は来年、阪大サッカー部の主将をやらせてもらえることとなった。この舞台を引き継ぎ、守り、発展させ、繋げることが僕の役目であり、責務である。先輩の最後の舞台を笑顔で送り出し、同期に一生忘れない、純粋に何かに向き合った経験を残し、後輩へ方向を示すことが目標であり、マストである。誰にも無駄な部活生活だったと思わせないし、周囲の人からも思われたくない。
   
    先日、前述した、僕をサッカーに誘ってくれた友達と偶然にも対戦することがあった。約10年ぶりに再会し、初めて敵としてピッチで対面した。自分でもなかなかにスゴイラッキーボーイだと思う。当たり前だが見た目も性格も昔と変わっていた。しかし、走り方や蹴り方はあまり変わっていなかったことが印象に残っている。試合には負け、彼にも点を決められたのだが、改めてサッカーの素晴らしさを感じた。

サッカーはこれまでも僕にこのような感動を与えてくれた。そのどれもが僕にはかけがえのない思い出であり、一生の糧になると確信している。そして、きっと、これからもサッカーは僕に色々な感動を与えてくれるだろう。だから僕はサッカーが好きだし、価値を感じられずにいられない。

つらつらとサッカーにまつわるエトセトラを書いてきたが、僕のサッカーに対する感覚がなんとなくわかってもらえたらと思う。これまでのサッカー人生、今の大学サッカー、全部ひっくるめてのサッカーは、僕にとっての僕が大好きなサッカーはこんな感じだ。長かったサッカー人生はふわふわと波に乗りに、あと1年半で渚まで来てしまう。岸にくればもう本気でサッカーに打ち込むこともなくなるだろう。決して後悔を残さずに渚に行こう。そして、その時までハリキって行こう。


最後までお読みいただきありがとうございました。
前期リーグが終わり7位という結果ですが、私たちは後期リーグへ向けてより一層頑張って参ります。
今後とも大阪大学サッカー部のご支援ご声援を宜しくお願い致します。

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