2017年12月7日木曜日

こんなぼく 1年 植野喬成

なぜ大学に入ってまでこんなにも過酷な環境に身を置いてまでサッカーをしているのだろうか。キャンパスの移動は面倒な上に帰りの電車は定期も使えずお金もかかるし家に着いたら金曜ロードショーはもうクライマックスを迎えている。すでにハリーポッターとヴォルデモートが戦っているのだ。そこからしか見ることのできていない僕はもう小学生の頃のようにノートに書き溜めた呪文を胸を張って唱えることなどできない。なぜそこまでしてサッカー部に入ったのか、その理由を聞けばきっとダンブルドアも納得してくれるだろう。

高校からのT辺大先輩がいたことも大きな理由であるが、ここでは尊敬の思いを抑えきれずラブレターのような部員ブログになってしまうので今回は割愛させていただく。もう一つの理由について話すために僕のこれまでのサッカー人生について話させてもらう。

サッカーを初めたきっかけは一日中トーマスに明け暮れていた僕の将来を心配して母親が勝手に近くのサッカーチームに入れたためであった。当初、末っ子の特権を振りかざし「動く」ということに対して嫌悪感を持っていたワガママ園児にとって、サッカーはとても好きと言えるものではなかった。

そんな僕にでも小、中学校とずっと親身になってサッカーを教えてくれたコーチがいた。僕が一生懸命になり切れていない時は嫌というほど怒られたけれど、どんな些細なことでも全力でやり切っていれば褒めてくれた。僕がサッカーを好きになったこと、そして何かについて取り組む際に一生懸命頑張ることがどれほど大切か知ることができ、やり切った後の本当の楽しさも理解することできたのは、紛れもなくそのコーチのおかげだった。

もう一つサッカーは素敵な出会いをくれた。それは「仲間」である。少し粋がった表現にはなってしまうが、楽しい時間を共有できれば良い「友達」と区別するために敢えてこの言葉を使わさせてもらう。表現の仕方で分かっていただけるだろうが、サッカーを一緒にしてきたのは、嬉しい時や楽しい時だけでなくしんどい練習を共に乗り越えたり、負けて一緒に悔しがったりと苦楽を共にした「仲間」である。そんな十人十色な「仲間」と一緒に色々な事に挑戦する中で、時にはすれ違ったりもしたけれど、互いに意見を出し合って、一人ではくじけそうになることも支え合い励まし合うことで乗り越えていけることがわかった。

上で述べたようにサッカーは日常的に感じることはないかもれしれないが、とてもとても大切なことを僕に教えて、これまで僕を幾度となく人間的に成長させてくれた。そして、これからも大阪大学体育会サッカー部という場で真剣にサッカーを続けることによって、また何かを得てサッカーの面だけでなく人間的な面でも成長できると思った。それが僕がここでサッカーを続ける理由だ。

最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもこんな僕と大阪大学体育会サッカー部をどうぞよろしくお願いします。