2020年6月30日火曜日

脱皮 3年 鬼塚仙太郎

こんにちは。3年の鬼塚です。

部員ブログを書くことが面倒くさくて嫌でした。面倒くさいというのは、自分にとって必要だと気づいていることを見て見ぬふりするためによく使う言い訳です。実際には、「面倒くさい」とは言わず、他のもっともらしい理由を付けるけれど。本当は、自分の考えや思いを誰かに伝えることは大切だとわかっているのに無視しようとしてました。実際、面倒くさい読書感想文の時のように、それっぽい内容のブログを調べて適度に引用したりして完成度7割を目指そうとしていた。けれど、部員ブログにおいて完成度なんて考えているのは、自分がたいしたことないことを自分に隠すための文句でしかないし、そもそも部員ブログにおいて完成度なんて存在しないと思う。そんなこんなで、本当は自分が思っていないようなきれいごとを書いていた文章を一度全部消して、新たに書き始めました。

振り返ってみると、何事においても保険をかけてから始めたり、目標を自分が達成できそうなものより低く設定して、その目標を達成できる範囲で力を抜いてやっていたりすることが多いことに気づいた。正確には、気づいていたけど無視をしていたことを再認識した。例えば、試合前に「少し疲れが残っているから調子よくないかも」と考えたり、練習のランニングであれば、「4分割したときの一番上に入っていればいいや」と目標設定してそれなりに頑張ったり。このような文句は自分にはもっともらしく聞こえるけど、いざ誰かのこんな言い訳を聞いていても鬱陶しいだけである。こんな風に保険をかけてから始めたり、ある程度力を抜いたりすることで、得られた結果が満足いくものでなかったときに、納得なんてできるはずもないのに納得をしようとしていた。

本来は、言い訳などせず、本気で取り組み、その結果をそのまま受けとめるべきだと思う。そうでないと、良くない結果が得られた場合にそこからの成長はないし、得られた結果がいいものでも素直に喜べない。大切な試合に勝ったり負けたりしたときに、なんとなくからっぽなのは、極端に言えば涙を流せないのは、これに理由がある気がする。サッカーはチームスポーツであり、全員が頑張らないと勝てないことがある一方で、誰かが頑張らなくても勝てることがある。試合に負けたら自分の今までを振り返って「まあしょうがない」と思い、勝っても自分以外の頑張りで勝った気がして後ろめたい気持ちになる。

この意識を変えて、これからは少しでも自分の限界、卑怯さ、弱さを受け入れる覚悟を持って、泥臭く、本気で取り組もうと思う。少なくとも好きでやっているサッカーだけは。言葉ではいくらでも言えるし、どれだけ頑張ったかという過程は自分以外には関係ない。だから、何らかの結果を残せるようにしたい。そして、今年の部の目標を達成したときに何も考えずに笑えたらいいなと思う。

最後に、文章を見返してみると断定でなく希望で目標を書いているあたりからわかるようにまだまだ覚悟ができていないけれど、少しずつ自分のペースで頑張ります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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