新チームが発足して8ヶ月。怪我に怪我を重ね、私がフルで練習をこなしたのはそのうちのわずか5日。この数字をみて改めて自分の味噌っ滓ぶりに腹が立つ。サッカーをしないサッカー部員などチャーシュー抜きのチャーシュー麺かタイヤのないフェラーリも同然。まったくの無価値である。よっぽど気圧計やコーナーフラッグの方が活躍していたに違いない。
無論そんな状況は到底耐えうるものではなかった。私は日頃、喜怒哀楽の中二つは見せんと強固な仮面を被り感情を殺している。けれど本来かなり血の気の多い性分である上に重度のサッカー馬鹿だからこの数ヶ月は燃えるような想いで過ごしてきた。練習中ピッチの中にいれないことや、試合を前に指を咥えるしかないこと。そういったサッカーに関する全てのことが憤りとなり苦しみとなった。
本音をいえば、途轍もなく辛かった。吹田のグラウンドを見るのも苦痛だったし、サッカーをしている同期の顔をみると涙がこぼれそうだった。もはや何もかもが嫌だった。けれど結局は、今の自分が嫌いで許せなくてしょうがないのである。ひどく落ちぶれた不甲斐ない自分を思うたびに堪らなく気が狂いそうになる。
日々の波はあれ、長いスパンで見れば自分は常にピークの中に生きてきた。年と共に成長し強くなっていた。だが今人生で初めてピークが過去にある。今の自分はベストの自分に遠く及んでいない。遅いし弱いし故に自信もない。だから毎プレー負け続ける。自分の持つ力全てを出せぬならば他人と競争する過程にはいないと私は考えている。大凡不戦敗のようなもの。私はこの一年間戦う土俵にさえいなかった。自分に負ける悔しさとは想像を絶するものであった。怒りなどとうに通り越してあらゆる負の感情が最高潮に達し束となって自分に押し寄せてくる。間違いなく自分のなかで一番嫌いな感情であった。
紛れもなく、その感情を消し去るためには自分が自身に打ち克つ他ない。だから私は自分のかつての残像を追いながら己に鞭を打ち続けた。おかげでこの練習無き数ヶ月間を一日たりとも後悔することなく過ごすことができた。少しずつ目指す自分に近づけていると感じている。チームの一員としても半年弱の大きな遅れを取っていたものの、漸くスタートラインには立つことができたと思う。闘っていく準備は整った。
そうこう書いているうちに近日中の練習再開の知らせが入った。このブログが出る頃には練習が始まっているかもしれない。
何にせよ、ようやく長い冬眠を終えて土から顔を出すことができる。呆れるほどに長い充電期間であったけれど、人が長く助走をつけるほど遠くに跳べるように、私も耐えて堪えた分だけ強くなれると信じている。もしかすると空回りに終わるかもしれない。あるいはまた身体が壊れてしまうかもしれない。でもそれだっていい。とにかく死力を尽くし続けようと思う。クラッチ踏んでローギア入れて、なんてもうとってもやってられない。エンスト覚悟でトップギアに入れてぶっ飛ばしていきたい。
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