2020年5月5日火曜日

日々是好日 新3年 神崎隼輝

みなさんこんにちは。阪大サッカー部3年の神崎隼輝です。
普段ほとんど自分の考えを書き起こすことなんてないのでこの部員ブログをいい機会だと思って書かせていただきます。き

突然ですが、僕には趣味という趣味がありません。何かにのめり込んで時間やお金を使うことはこれまでの人生ほとんどありませんでした。長く続けてきたことといえば、そう、サッカーくらいです。そんなマブダチのサッカーにきちんと一回向き合ってみたいと思います。長くなると思いますがご了承ください。

僕がサッカーを始めたキッカケは小学生あるあるの二択ゲームです。野球かサッカー、どっちにしよって感じでした。たまたまその年、W杯があって盛り上がっていてクラスでジダンの頭突きゴッコが流行っていたのでサッカーに決めました。

小中までは本当にサッカーが楽しかった思い出しかありませんでした。仲間にも恵まれ、試合にも出れ、サッカーをやめるなんて微塵も考えていませんでした。

初の挫折は高校の時。僕は高校は神奈川きっての進学校、湘南高校(名前がまずカッコいいし、スラムダンクの聖地)に入学しました。
意気揚々と入学しましたが、周りのレベルの差に圧倒されました。自分より勉強できて、サッカーもできて、おもしろい人がたくさんいました。典型的な井の中の蛙だったわけです。

部活の内容もハードで、走ってばかりでした。yoyoテストというシャトルランに似た体力測定を週2でやり、陸上部みたいなインターバル走をやり、挙げ句の果てには走りで練習が終わる日さえありました。
部の同期は上のチームにあがっていく中で、最初は焦りとやる気でなんとか繋いでいた糸も、次第にほつれ、切れてしまっていたのでしょう。早く部活終わらないかなって思うことも増えました。僕は、部活はダメだけど勉強は、みたいな器用な人間ではありません。今まで生活の一部だったサッカーのやる気がなくなり、勉強のモチベーションもあがらず、成績は下がる一方でした。僕は今まで自信をもって生きてきた方だったのでその反動は大きく、親に気遣われたり、顔を見るのも嫌になり、何にも本気になれていない自分が情けなくて涙が出たこともありました。

そのまま最後の選手権を迎えました。例年僕らは二次予選に進出しており、いわゆる夏越え(一次予選決勝は7月、二次予選は9月)をしていました。ですが、例年に無く一次予選決勝で負けてしまいました。
3年の同期では、夏終わりの県リーグ戦があと1試合残っているため続ける派と、もう引退派に分かれました。結局やめたのはたったの5人しかいませんでしたが、その5人はみんな仲良かったので、決定前夜もその5人とラインしていて、どうすべきか迷っていました。大きな決断はふとした瞬間に迫ってくるものです。
けれど、なんとなく自然に、このままで終わっていいのかという思いが湧き上がり、なんだかよくない気がして、半ば投げやりに僕は続けることを選択しました。今思えばこの決断は全く間違っていなかったと思います。ふっきれたことがよかったのでしょうか、その夏で僕は自分でもわかるくらいにメキメキ成長し、なんと、最後のリーグ戦で最初で最後の先発フル出場をすることができました。
そしてもちろん浪人しました。

個人的にハッピーエンドだったので、大学ではもうサッカーをする気はありませんでした。ですが、浪人期間にとんでもないフラストレーションを溜め込んでいた僕は、サッカーがしたくてたまらないボディになっていました。
大学の部活については賛否両論まわりからありましたが、どちらもあまり聞き入れませんでした。
大学サッカーは学生主体ときいていましたが、高校の監督が厳しかった分、どこか緩いんじゃないかと暗に考えていました。そのため、高校時代の余熱を覚ます程度、言わばサッカー人生のウイニングラン程度に考えていました。しかし、そんな意味の分からん考えは一瞬でかき消されました。練習にメリハリはあるし、普通にキツいし、何より先輩が怖いです。グラウンドには活気が満ち溢れ、プレーヤー同士の言い合いも散見されます。

おぼろげだった僕の熱量も呼応するように増していき、学生主体ということもあって、高校時代を教訓にして、考えながらサッカーに打ち込むようになりました。
その心境の変化もあって、運もあって2年の夏頃から少しづつAチームに絡めるようになりました。
褒められることも増えて完全に舞い上がっていましたが、現実にすぐに引き戻されました。Aチームの人たちはもちろんめちゃくちゃ上手くて、特に2個上の先輩は超がつくほど上手で超がつくほど怖かったのです。
僕はメンタル弱小人間なので、いつの間にか個性を出してアピールするプレーよりも、先輩に怒られず、Aから落ちないプレーをするようになってしまいました。
そんな奴がいいプレーをできるはずもなく、練習では怒られてばかりでした。時折親切な先輩方が縮こまってる僕をみて、気にするな、と声をかけてくれましたが、それをポジティブに受けとめる余裕のない僕にはカタカナ語で変換されてました。(キニスルナ?ナニソレ?)

結局この問題は能動的に解決したわけではなく、受動的に時間が解決してくれました。(2個上の代の引退です)不甲斐ないと感じる一方、高校で目立てなかった自分が大学で成長し、上のチームでやれている現実に嬉しく感じました。サッカーの成長なんてとっくに止まってるかと思いましたが、そんなことはなく、まだまだ発展途上中なのです。ウイニングランとか言ってた自分を殴りたかったです。

成長は、技術、身体面だけには止まりませんでした。

僕は、大学サッカーで人生初めて嬉し泣きをしました。今まで21年間、嬉し泣きをしたことなんて一度もありませんでした。試合は、1年の冬にBチームとして出た、近畿国立体育大会の3位決定戦vs神戸大学戦です。
相手の神戸大学はAチームであり、何より僕たち阪大のAチームですら前年度一度も勝てていなかった相手でした。キャプテンは当時怪我をしていてBの試合を観に来てくれていましたが、「複数失点しなかったらいいな」て言ってるくらいで、誰も勝つことなんて予想していなかったと思います。
でも、前半0-0で耐え、後半に味方が値千金のゴールを決め、結果1-0で勝つことができました。
試合中、僕はDFとしてがむしゃらにやっていたので具体的な記憶はあまりありませんが、最後ロスタイムが永遠に感じるほど長く、辛かったことだけは覚えています。
試合終了のホイッスルが鳴ったあと、本当に自然に涙がでてきました。自然に同期のキーパーを抱きしめていました。嬉し涙なんて流したことなかったので動揺してしまい、恥ずかしさのあまり隠そうとしましたが止まりませんでした。ベンチに帰ったらみんなにバカにされるかななんて思っていましたが、誰もバカになんてせず、みんなで遠慮なく勝利に酔いしれました。
全国につながる試合でもなければ、Aチームの公式戦でもありませんでした。この部活に本当に熱中し、のめり込める環境があってこそだと思いました。
この経験はある種の原体験となり、今後何度も思い出すことは間違いないでしょう。大学サッカーは精神的にも成長できることを改めて学ぶことができました。

嬉し涙も悔し涙も流してきましたが、すべてが成長の礎であり、成長の証であると気づかされました。毎日良いことも嫌なこともたくさん起きますが、「日々是好日」なのです。


かなり長くなってしまいごめんなさい。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。

今はコロナウイルスでまともにサッカーができておらず、リーグも延期が決まりました。
今は自分ができることに集中し、再び全力でサッカーができる日に備えたいと思います。
どうか今後とも阪大サッカー部の応援をよろしくお願いします。

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