2021年8月5日木曜日

大器晩成 2年 森川瞭



こんにちは。2年の森川です。部員ブログというものがついにまわってきました。暑苦しい文章かもしれませんが最後まで読んでいただくと幸いです。


サッカーは小学生の頃から父がサッカーをしたのでその影響で始めました。その頃は一つのスポーツとして楽しいものとしか捉えておらず、もちろん練習や試合は真剣に取り組んでいましたが、そこまで熱が入っていませんでした。実際、競泳もしていて小学校高学年から中学生2年までは競泳の方が好きで大した実力でもありませんでしたが「水泳でオリンピックに出る!」とまで言っていた時期もありました。しかし中2の夏競泳をやめました。私が競泳をやめた理由はシンプルに挫折です。速ければ速いほうが強者、ただそれだけのスポーツです(※競泳は悪くありません)。泣きながらスイミングスクールをやめていったあの日を今でも思い出します。それに対してサッカーは勝つためには、試合に出るためには様々な要素が必要です。私はそういうサッカーの奥深さに魅了されました。


私が本気でサッカーに向き合うようになり、最も成長できたと感じるのは高校です。高校では勝負で勝つことの重要性を知りました。極端に言うと内容より結果ということです。例えば学校の成績はテストの点だけではなく、レポート提出や出席回数などの普段の授業への取り組み方も考慮されて結果が出ます。しかしスポーツの世界はそこまで甘くなく、普段の練習の取り組み方が試合の結果に関わってくることは一切ありません。しかし、努力を怠っても試合に出て活躍できるといっているわけではありません。むしろ逆です。イチローは「努力は報われますか?」という質問にこう答えています。「報われるとは限らない。もっと言えば努力と感じている状態は、まずい。その先に行けば、きっと人には努力に見える、でも本人にはそうじゃない。そんな状態が作れれば、勝手に報われることがある、ということ。」この言葉からイチローのイチローたる所以が感じられます。


大学サッカーが始まって1シーズンが経ちましたが率直な気持ちとして悔しさがあります。同期の中ではAチームに関わり続けて試合に出ているやつもいますが、自分はといえばBCチームでくすぶり続けていました。大学から本格的にCBというポジションを始めたので経験値が足りていないというのもありますが、今シーズンは試合に絡んでいけるように練習に励み、自分の長所を伸ばし、アピールしていけたらと思います。最後に私の好きな言葉を紹介したいと思います。「大器晩成」。昔から何事に関しても特に目立った才能を持っていない事を自覚していたので、日々の努力とこの言葉を信じて実力を身につけてきたつもりではあります。くどいようですが努力すれば結果がついてくると言いたいわけではありません。まず自分の可能性を信じて努力しなければ成功するはずがないのだと言いたいのです。私は自他共に認める自信家ですが、それは現在の自分にだけではなく、将来の自分にも自信を持っているからだと思います。今はまだ粛々と出場機会を狙っている立場ですが、将来的には阪大サッカーの中心選手として引っ張っていけるように、この素晴らしい環境に感謝しながら日々精進します。


拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

2021年7月8日木曜日

後悔と覚悟 2年 高松凌大

 


皆さんこんにちは。大阪大学体育会サッカー部2年の高松凌大です。自分たちの学年にも部員ブログを書く番が回ってきて何を書こうかといろいろ考えましたが、面白い、ためになる文章を書くほど文章力もないので、率直に今思っていることを書いていこうと思います。最後まで読んでいただけるとありがたいです。

 

 突然ですが、皆さんには今までの人生で後悔はありますか?おそらくほとんどの人が多かれ少なかれ後悔していることはあると思います。自分もこのブログを書くにあたって今までのサッカー人生を振り返ると後悔だらけだなと改めて思いました。特に一番後悔しているのは高校時代のことです。高校最後の引退がかかった試合で自分は試合終了の笛が鳴った瞬間ピッチに立っていることはできませんでした。試合に負けて振り返っているうちに、結局何もできなかったとどんどん後悔があふれてきました。自分が交代させられるまでに点を取って試合を決定づけることはできなかったのか。試合終盤まで走りきることのできる体力をその試合までにつけることができなかったのか。今更思ってもどうすることのできない後悔がそれ以外にもいくつも思い出され頭がいっぱいになりました。なぜ自分のサッカー人生はこんなにも後悔が多いのか、引退して今まで以上に時間が増え考えてみて高校時代、唯一後悔していない決断が自分にはあると気づきました。それはポジションをコンバートしたことです。今までディフェンスしかほとんどやってこなかった自分がいきなりフォワードをする決断をしました。コンバートした当初は正直かなりしんどかったです。練習では自分のしたいことが何もできず、試合にも思うようには出れない。結果もついてこない。でも、うまくいかなくてつらくても、自分が勇気を持って決断したことだったので不思議と後悔してないと気づきました。そのこともあって、一つの結論に至りました。それはつらいと感じることから逃げているから結果後悔しているということです。練習、走り込み、つらくても頑張れば結果はついてくるとわかっているのにその時の状況に甘えて常に楽な方に逃げているから後悔する事になっていると気づきました。

 現状、自分の大学での立ち位置は最下層です。昨シーズンは一度もカテゴリーを上がることができず、唯一の公式戦でも途中出場に終わりました。ただ、最下層にいるからこそやることは明白です。テクニック、フィジカル、メンタル、すべてにおいて人よりも努力してレベルを上げていかなくてはいけないと思います。それなのにつらいことから逃げてしまっていたらおそらく僕の大学サッカーはこのまま終わり、何年後かに後悔する今までと同じパターンを繰り返してしまいます。自分の悪い癖に気づけた今、目の前のことに一つ一つ逃げずに真剣に向き合っていこうと思います。日々の練習においても、常に目標を持って、きつくても最後まで走る、一歩でも寄せる、などやれることはたくさんあると思います。大学サッカーがここまで真剣に取り組むことのできる最後の時間だと感じるからこそ、最後に後悔がなかったと本気で思えるような取り組みをここからしていこうと思います。

 読みづらい文章だったと思いますが最後までお読みいただきありがとうございました。

2021年6月26日土曜日

転機 2年 足立尊琉

 

初めまして、2年の足立尊琉です。楽しんで読んでいた側からついに書く側となり、感慨深い気持ちでいっぱいです。今回は、この機会をお借りして、自分のサッカー人生について振り返ってみたいと思います。

 

 今までの僕のサッカー人生は本当に中途半端だったと思う。小学校では、サッカーをする時より一生懸命に、雨が降って中止になることを願っていた。サッカーが好きというよりも、チームメイトと遊んでいる方が楽しかった。小学校の高学年くらいからは、だんだんサッカーの楽しさに気付いていくが、ただただ何も考えずボールを追っかけていた。

 

中学生の時には、運よく地元ではレベルの高いクラブチームに受かるが、レベルの高い最高の環境に置かれているのにも関わらず、途中でやめ、部活での楽しいサッカーを選んだ。入学した高校のサッカー部もお世辞にも強いとは言えなかった。最初の一年こそ、3年生の試合に出て活躍するという熱意のもと多少の努力をするが、それも束の間で、2年の時には怪我を繰り返しながら、だんだんと時間に身を任せるように部活をこなすようになっていった。そんな奴が選手権まで残る選択をするはずもなく、当たり前のように引退した。

 

振り返ってみると小学校から高校まで、だらだらとサッカーを続けてきて、改めてもったいなかったなと思う。そんな自分がまさか大学の体育会のサッカー部に入るとは、本当に人生は分からない。なぜサッカー部に入ると決めたのか。大学生になってもなんとなくサークルに入ってサッカーを続けるのだろうな、と考えていた矢先の受験期のある日の出来事だった。ふとテレビをつけると選手権の兵庫予選決勝の試合をやっており、メンバー一覧に、中学時代同じクラブチームで一緒にボールを蹴っていた同期の名前を見つけたのだった。その時、自分の不甲斐なさに、めちゃくちゃ悔しい気持ちがぐわっとこみ上げたと同時に、今まで感じたことの無いような後悔に見舞われた。色々と考えた結果、大学で真剣にサッカーと向き合い自分のサッカー人生にけじめをつけようと決めた。

 

 その後、無事阪大に入学し迷わず体育会サッカー部に入り、今に至る。今まででは考えられないほどサッカーに燃えている。何より、今までずっと真剣にサッカーに取り組み、本気で向き合ってきた同期や先輩方に囲まれ、もったいないくらい恵まれた環境でボールを蹴れてとても楽しい。この幸せを噛みしめながら、このチームの力になれるよう日々成長していきたい。そして、いつも支えてくれる人達に感謝を忘れずひたむきに努力を続けていきたいと思う。

 

 これで終らせていただきます。拙い文章ですが、お読みいただきありがとうございました。

2021年6月12日土曜日

意識 2年 高島将吾


 大阪大学体育会サッカー部2回生の高島将吾です。去年の今頃、先輩の部員ブログを見ながら部活ってどんな感じなんやろって想像しながら楽しみにしていたのが懐かしいです。

 さて自分達の代も部員ブログを書くこととなり、何を書くべきか、ぼんやりと考えていても、何も思いつきませんでした。気づけば提出期限ギリギリ、というか、間に合っていません。とりあえず何か書き出さねば、ということで、今回はこの1年間で自分が感じたことを率直に書いていきたいと思います。

 僕は小1からサッカーを始めて以来、高校まで属したチーム全てで、スタメンでフル出場ということが多かったため、大学でもある程度はやれるだろう、ましてや阪大生なんて勉強ばっかりしてきたから余裕だろ、なんていう傲慢な気持ちを抱いたまま入部しました。ところが、いざ練習に参加してみると、パスの速さ、トラップの精度、フィジカルの強さ、何から何に至るまで全てにおいて、自分のレベルの遥か上にありました。自分が今まで身を置いていた環境の甘さ、緩さを感じずにはいられませんでした。

 当然Cチームからのスタートでしたが、同期の多くはCチームだったし、ある程度プレーのスピード感に慣れてきたら上のカテゴリーに行けるだろうと、この時の自分はまだ甘い考えを持っていました。とりあえずみんなのプレースピードや強度に合わせることだけを考えて毎日部活に励んでいました。つまり、何も考えずに周りに合わせているだけだったのです。しかし、ゲームやポゼッションなどのメニューでは、自分がボールを持つと周りに展開するどころか、すぐに寄せられて潰されてばかりでした。中盤の選手ながら、相手の標的となりボールの失い所となってしまっていました。

 そして、何も変わらないまま、強いて言うなら少し体力が戻ってきただけで、気づけば数ヶ月が経ち、入部当初同じCチームに居た同期の何人かは、BチームでIリーグのメンバー争いをしていたり、Aチームに上がっていった奴もいました。まだ一度も上のカテゴリーに上がっていないのは同期の中で自分を含めて数人となり、焦りと悔しさを毎日のように感じていました。何か変えなければ、今の自分の立ち位置を変えることはできない、そう思い、いつもはビデオ越しにぼんやりと眺めていたAチーム、Bチームのゲームをじっくり観察してみました。すると、同じ中盤の選手でも、底に落ちて展開する選手や、落としの受け皿になって攻撃の起点となる選手など、各々が自分の役割を意識し、周りの動きを意識し合って、連動して、サッカーをしていました。これまでの自分は、ただ感覚的に動いて、見えた場所にパスをする、そんなテキトーなプレーばかりしていたことに気付かされました。

 この日を境に、とりあえず、ボールを失わないこと、これを意識して練習に取り組みました。ボールを受ける位置、相手や味方との距離感、ボールの置き所、ターンの質、基礎的な練習から意識の幅を広げていき、少しずつですが、ボールロストの数も減り、周りに展開できるようになっていった気がしています。そして今は、前を向いてボールを前進させる、ということを意識の念頭に置いて、日々の練習の中で模索し続けています。何かしらプレーに意識を持たせることで、プレーの質が向上しているのを感じています。

 そしてもう一つ、試合で使われる選手になるためには、自分のプレーに個性がいるということを感じました。実際、Aチームで活躍している、登藤さんや江田さんはピッチ上を走り回り色んな所で顔を出して走力でチームに貢献してるし、直次朗さんは組み立てが上手くてミスもほとんどないし、新は鋭くて正確なロングフィードをする、チームにあまりいないタイプのボランチとして、その個性を発揮している気がします。自分はというと、特に強みもなく普通のタスクしかこなしてない、ありきたりの選手になってしまっていました。どうすればいいか悩んでいる時、ある紅白戦の後、当時4回生の先輩が、「高島は、守備の時に相手に寄せるタイミングとスピードがいいからそこ伸ばしていけ」と言ってくださいました。確かにゲームなどでは何度かインターセプトやパスカットができていたので、そう言っていただいたおかげで少し自信がつきました。それ以降は、守備面に自信を持ってるようになり、さらに、余裕を持ってプレーできるようになりました。

 この1年間、プレー中の意識を増やすことで、自分自身の成長を感じることができました。また、昨季のシーズンオフからは、対人で負けないフィジカルをつけるために、ジムに通って同期と共に日々鍛えるようにしています。食事の面でも栄養バランスや食事時間に配慮するなど、今季からはピッチ外でも高い意識を持って取り組んでいきたいと思っています。

 この一年感じたことを書いていると、思ったより長くなってしまったため、ここら辺で終わりにします。ここまできてタイトルを考えていなかったので、これまで書いた文章を振り返ってみると、意識というワードが多く出てきていたので、これをタイトルにしたいと思います。 

 稚拙でまとまりが無く、読みにくい、誰得の文章となってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

2021年6月4日金曜日

原動力 2年 島岡諒


 はじめまして、こんにちは。大阪大学体育会サッカー部2年の島岡諒です。再び緊急事態宣言が発令されサッカーから切り離される日々を送る今、改めてサッカーと自分について考える機会が増えました。今回のブログでは、僕がサッカーする原動力についての話をします。


僕にとって1番の原動力はサッカーが好きだという気持ちである。サッカーを始めた5歳の頃、練習のために公園へ行っても虫取りばかりしていた自分が、今ではサッカーというスポーツの虜になっている。大学で部活に入らず、サッカーを辞めるかサークルに入ってサッカーを続けるという選択肢を考えたことは1度もなかったし、真剣にサッカーを辞めたいと思ったことも今思い返せば1度もない。気がつけばそれほどサッカーが好きになっていた。

だが、この原動力関しては皆同じだと思う。僕がこのブログを通して伝えたかったのは2番目の原動力である「感謝」だ。感謝が原動力に変わったのは高1の冬だった。それまでは誰かのために頑張りたいと思ったことはなかったと思う。その時チームでは試合前に感謝や勝利といった10個の項目に優先順位をつけるという取り組みを行っていた。自分の中で感謝の優先順位は高くなかったが、チームでは感謝の優先順位は常に高かった。これをきっかけに、僕は自分の感謝について改めて考え直すことになった。小学校の時はチームと別にスクールに通わせてくれたり、中学校の時も部活ではなくクラブチームという選択肢を与えてくれたこと、高校になっても毎週試合を見に来てくれること。親には感謝すべきことで溢れていた。また、自分のミスを取り返してくれる仲間、サッカーを続ける限り応援してくれる小学校のコーチ、試合に負けて凹んだ時に励ましてくれる人。僕には感謝しなければならない人がたくさんいる。その時から、感謝が僕の原動力になっている。高校2年の時に1つ上の代と共に大阪2部に昇格し、高校3年では公立高校ではなかなか味わうことの出来ない2部という舞台を経験することが出来た。リーグ戦を通した結果は最下位であり、中には0-8で負ける試合もあったが3部リーグを共に戦った1つ上の代への感謝が僕を支えていた。2部リーグでの1年は1試合も勝てなかったものの僕の大きな財産になっている。

選手権もあっさり負けてしまい僕の高校サッカーは終わり、阪大に合格しサッカー部へ入部した。1年生からリーグ戦のメンバーに選んでいただき、2試合ではあるが出場もさせていただいた。今シーズン以降、1年生のうちから少しでも経験させて良かったと思ってもらえるようなプレーをしたい。もちろん言葉で感謝を伝えることも大切ではあると思う。しかし最も自分が感謝の気持ちを表現出来るのはピッチ上で活躍することがだと思う。今年は多くの試合に出場し目に見えるような活躍をして、たくさんの人に感謝を表現したい。


恐らく僕のサッカー人生の最終章であるだろう大学サッカーで、僕がサッカーから学んだこと、成長した自分の姿をたくさんの人に届けたい。最後にこの場所を選んで良かったと思えるよう、残り3年間の日々を無駄のないように過ごしたい。


最後に、このブログをきっかけに自分の「ありがとう」について今一度考えてみていただけると幸いです。拙い文書ではありましたがご覧頂きありがとうございました。

2021年3月31日水曜日

頑張ること 2年 栂歩実

 


こんにちは!

2回生マネージャーの栂歩実です。とがです。

長かった部員ブログもようやく終わりを迎えようとしています。怠惰な同期に懲りずに催促し続けてくれたSNS係と、これまで読んでくださった皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。

トリに相応しいブログにできればと思っていたのですが、飾らず、私のありのままを書くことにしました。お時間があれば、目を通してくださると嬉しいです。


私は頑張ることが好きです。

中高の6年間は合唱部に所属し、全国大会にも出場しました。中学1年のときはオーディションに落ち、ステージに上がることすら許されませんでしたが、なんだかんだで努力を重ね、結局中学高校とも幹部を任されるまでに成長しました。

大学受験のときも、小指にできたマメがつぶれてペンが握れなくなるまで勉強しました。自分の合否結果を知ったのは、皮膚科の待合室です。


大学3年生を迎える現在も、ありがたいことに頑張り甲斐のある環境に身を置くことができています。

教授の本の出版スタッフとして編集作業に追われ、春からは本格的にゼミが始まります。

2つのバイトをかけ持ち、就活も始まりました。

そしてサッカー部では、上回生になると共に与えられる仕事と責任が大きくなってきました。

毎月保護者の皆さんへ発行する保護者だよりの作成、渉外班のSNS係としての活動、そして4月から新たに会計の仕事も引き継ぎます。


私たちマネージャーには、選手たちと異なり、それぞれに与えられたポジションがありません。

だからこそ、どう頑張ればいいのか分からなくなるときが誰しも訪れます。

私はこれまで、大きな挫折を味わったことがありませんでした。しかし今、ただ頑張ればよかったこれまでの人生では決して出会うことのなかった、大きな壁に直面しています。

「どう頑張ればいいのか?」

考える暇がないほどの自分の忙しさに酔いしれるのは、逃げていることと同じだと思います。忙しい日々だからこそ、自分の頑張り方をよく考えること、それが私たちマネージャーに求められていることなのではないでしょうか。少なくとも私にとってこの問いの答えを見つけ出すことが、自分自身のポジションを見つけるための唯一の方法ではないかと思います。4回生の冬、この答えを自分の姿勢で示せるようなマネージャーになれていれば、私は阪大サッカー部で本当に頑張れたと言えるのだろうなと思っています。


あと2週間ほどで、前期リーグが開幕します。このような時代の中で無事にこの日を迎えられそうなのも、ひとえにOB・OGの皆さま、保護者の皆さま、スポンサー提供頂いております多古安さま、今シーズンよりトレーナーとしてお力添え頂くサンライズ鍼灸整骨院さま、そして応援してくださる皆さまのご声援とご助力あってのことと思っております。心より感謝申し上げます。

「1部昇格」を目標に掲げる今シーズンは、例年以上に厳しい戦いが予想されます。引き続きご声援のほどよろしくお願い致します。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

2021年3月28日日曜日

思い立ったら即行動 2年 進美怜


思い立ったら即行動 2年 進美怜


こんにちは、外国語学部ドイツ語学科の2回生の進 美怜(シン ミレイ)です。約20年間生きてきて、私の苗字に違和感を感じない人に出会ったことがないと言っても過言ではないくらい、初対面の人には国籍を聞かれます。バイトの面接や飲食店で順番待ちの紙に名前を書く時など、恥ずかしい思いをすることは幾度とありましたが、そんなのどうだって良いと思えるようになり、もうネタにしてしまえと開き直るようにしました。驚いたことに私の同期マネージャー3人とも苗字が変わっています。他の2人の阿南と栂には本当に迷惑しかかけてないし常に頼っているばかりですので感謝しかないです。

少し話が脱線してしまいましたが、私の部活に対する思いや日頃感じていることを綴っていこうと思います。部活をしているとたまに夕日を見ながらこう思います、「なんで部活のマネージャーをしてるんやろう」と。少し話を戻しますと、私は2年前の10月に同期とは少し遅れて入部しました。当時は少し不安もありましたが、比較的何も考えずに行動してしまう癖があるので、ある日突然サークルを辞めて部活のマネージャーをやろう!と決めました。サークルに行きたくないとか誰かと仲違いしたとかではなく、単純にもっと打ち込めるものに取り組みたい、もっと自分の知らない世界に飛び込みたいと思い、辞めました。それで行き着いたのがサッカー部のマネージャーでした。中学校では陸上、高校ではバレーとバリバリ運動部に所属していましたが裏方や誰かをサポートする仕事の方が楽しいことに約6年かけて気付きました。スポーツをすることは大好きですし、競い合うことの面白さも充分分かります。スポーツを通して学ぶことはたくさんありました。しかし、自分の持ち味を存分に活かすという点ではマネージャーの方が向いていると思いました。よく部員になんでマネージャーしてるんという質問をされるのですがこれで答えられたのではないかと思います。

初めて部活に顔を出した時、サッカー部の先輩方が声をかけてくださったり、私が居やすいように話を盛り上げて下さったり、とても雰囲気が良い部活やなと感じました。なので、すぐに入部を決めたのですが、入部後は楽しいことばかりではなく、思うようには行かないこともありました。遅れて入部したからか、あまり上手に打ち解けることが出来ず、帰り道に泣きながら帰ったことを思い出します。何がつらいのかよく分からないけど取り敢えず涙が出てくることってありますよね(笑)仕事も覚えられない、自分からコミュニケーションを取るのが苦手、サッカーのルールさえ知らない、こんな自分が嫌いになるくらいつらい日々を過ごしました。しかしそんなこんなで時間が解決してくれて、徐々にではありますが気を許して話せる部員が増えたり、仕事に慣れたりと今となっては部活に行くのが楽しくて、生活の一部みたいな存在です。サッカー部に入って本当に良かったなと思えるし、最高の仲間に出会えたと思います。

話は変わりますが、マネージャーについて語りたいと思います。マネージャーをする上で、意外ですが与えることよりも得られることの方が断然多いと思います。私はまだまだ未熟ですが、マネージャーを通して気配りをすることや三手先を読むこと、物事の優先順位を決めることなど、人間的にも成長でき、自分のためになることがかなりある気がします。このような経験をすることができる環境はなかなかないと思います。選手が試合で活躍して結果を出すのを見るのはこの上ない幸せですが、それに至るまでの過程を見ることができるのはマネージャーとコーチだけです。選手は気づいていないかもしれないですが、選手が頑張っているのを見ることは生きる糧になっています。選手と一緒に悲しんだり苦しむ一方で嬉しさを分かち合えるマネージャーでいれて本当に良かったなと思います。まあ、何を言いたいかというと、なんでもやったもん勝ちということです。一旦やってみて自分には合わないなと思ったらやめてしまえば良いと思います。「持ち得る武器は全部使いたい」と私の大好きな田中みなみさんがおっしゃっていました。誰しもが何かしらの得意とするものを持っていると思うのですが、それら全部出して勝負する。ただただがむしゃらに突っ走るのはなくて、頭を回転させながらそのアイテムを使っていく、そうすることで自分らしい戦い方ができ、後悔なく終われることができるのではないかなと思います。なので、これからもマネージャーとして常に努力を怠らず、自分が活躍できる世界で頑張っていこうと思います。

所々日本語がおかしいところがあるかと思いますが、そこは目を瞑っていただけるとありがたいです。そして平素より阪大サッカー部を応援していただいている皆様、ありがとうございます。大好きな選手とスタッフに感謝の気持ちを忘れずに過ごしていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


2021年3月26日金曜日

本望 2年 阿南さやか


こんにちは。2回生マネージャーの阿南さやかです。


私は先輩や同期みたいに語れるほどの経験などがあるわけではありません。なので私は新1回生への新歓活動も視野に入れて、なぜ私がマネージャーになろうと思ったのかについて書こうと思います。マネージャーに興味がある新入生たちの参考になれば、と思います。


私は中学生の時、まとまったオフは年末年始の1週間だけ、それ以外は週7で活動している、というゴリゴリの体育会系のバレーボール部に所属していました。入部した時は運動が全くできませんでしたが、若さとは素晴らしいもので、努力した分だけ成長しました。バレーボールが好きで、高校生になってもバレーボールを続けていました。しかし、毎日顧問に先輩の誰かが泣かされている、ボールを顔面に当てられる、そんな環境に耐えられずにわずか3ヶ月で退部しました。そして友達に誘われて、活動日は週3日のダンス部に入部しました。初めは部活動として物足りなく感じることもありましたが、徐々に慣れていきました。なんやかんや楽しく高校時代を過ごしました。

高校生活3年間が終わりに近づく頃、3年間を思い返すことが多くなりました。その時、高校生活を通して何かを成し遂げたことがなかったことに気付きました。そのことをもったいなく感じ、大学生という最後の学生生活では学生でしかできないことである体育会系の部活に入ろうと決めました。大学生になっていろんな部活の新歓に行きましたが、高校生活でダンスしかしていなかった私には、大学でまた自分が選手として運動をすることは体力的に厳しいと感じました。なので想像していた形とは違うけれど、マネージャーとして部活に入ろうと思いました。その中でもサッカー部を選んだのは、単純に部活の雰囲気が1番楽しそうだったからです。


こんな感じで何となく入部しました。何回も辞めたいと思ったこともありましたが、時間の流れは早く、入部してからもう2年が経とうとしています。サッカー部に入部して、マネージャーとしての基本的なテーピングの巻き方やある程度の怪我の知識は身に付きました。しかし医者ではないので膝が痛い、と言われても診察の結果が出るまで何もできない無力感を感じることが多々あります。こういう時に少しでも部員の力になれるように知識を得るために勉強することが、今の私にできることだと思います。これから頑張ります。


部員ブログが始まった当初、正直自分まで回ってきて欲しくないと思いました。しかし、1年以上かかって遂に私の順番がきてしまったので、部活について少し考えてみました。

毎日グラウンドに行くと、いつも小学生みたいにふざけている先輩や後輩、私を馬鹿にする同期が全力でサッカーをプレーしている。普段の姿からは想像できないほど真剣です。10年以上、大学で部活に入ってまでサッカーをしている選手たちを私は心から尊敬しています。私は長期間何かに1つのことに打ち込んだ経験がないので、何かに真剣に取り組むことができるということ自体が素晴らしいことだと思っています。同期に3分の1人前だと言われて、おこになることもありました。そんな同期でも、どれだけ身体がしんどくても痛くても、当たり前のように毎日グラウンドに来てサッカーをしている。選手たちを見ていると、自分ももっと頑張らないと、と思わされます。そんな彼らに頼られる、なんておこがましいことは言えないけれど、少しだけでも支えることができるようなマネージャーになれたら、私にとって本望です。


新入生の皆さん、阪大サッカー部に少しでも興味があれば、ぜひグラウンドに足を運んでください。特に枚方市出身の子がいれば、私は大喜びします。


ここまで読んで皆さんもお気付きかと思いますが、私は外国語学部で国語と数学を捨ててきた女なので、文章力がなく、読みにくい文章であったと思いますが、最後まで読んでくださってありがとうございました。

2021年3月24日水曜日

成長 2年 新居樹


初めまして、2回生の新居樹です。長い自粛期間があけ、いよいよリーグ戦が近づいてきました。コロナの反動もあり、よりサッカーの楽しさを実感している今日この頃です。今回はそんなサッカーについて書きたいと思います。


家族の影響で始めたサッカーも気づけば15年ほどになりました。ただ何も考えずにがむしゃらにやっていた小学校時代、高いレベルのチームの中でもがいていた中学校時代、人数も少なくなかなか勝てないが楽しかった高校時代。そして今大学でも、変わらず日々部活に明け暮れています。


他の大抵のことはなかなか続かない分、なぜサッカーだけは続けられるのか、とよく考えることがあります。1つはありきたりですが、サッカーが楽しいからです。チーム一丸で試合に勝った時、思い通りのプレーができた時などサッカーには他ではなかなか味わえない喜びがあると感じます。そしてもう1つは、サッカーを通して自分自身の成長を感じられることです。それまでできなかったことができるようになる、あるいは努力できる人に囲まれ感化されることもそうかもしれません。


そして今、大学サッカー2年間を終えて感じる成長は、自身の内面の成長です。1回生の時は高い2部Aのレベルを見て、やってやろうという気持ちよりも不安が大きかったように思います。しかし昨年、ありがたいことに先発で出させていただく機会が増え、強い相手に勝ちたい、もっとゴールを決めたいなど、ハングリー精神や貪欲さが芽生えたような気がします。今頃かよという話ではありますが、今までサッカーをしてきて何より自分に1番足りていなかったことのように思います。


3回生も近づき、練習にも今まで以上に真剣に向き合えていますが、まだまだ厳しくできる所があると思います。高校3年生の時、担任の体育の先生に「高い目標を立て、自分の100%の努力をし、ぶつかる経験をしなさい」と言われたことがあります。当時の僕にはとても刺さった分、今でも覚えいてます。僕は自分が大抵のことを8.9割の力で効率を求めてやりがちな性格であること、そしてそれはいいけれども時には泥臭く自分の100%を出す必要があること、そしてことサッカーにおいては後者が重要なんではないかということ、をなんとなくですが理解しているつもりです。


幸いなことに、阪大サッカー部には2部Aという高いレベルでサッカーをできる環境があります。本気でサッカーをできる残り2年間、少しでも成長できるように、また自分の100%に近づけるように、日々を過ごしていきたいと思います。


うまくまとめられた自信はないですが、最後まで読んでいただきありがとうございました!


2021年3月22日月曜日

ゴール 2年 森聖雅


どうも、森聖雅です。あらゆる人からキヨと呼ばれています。

僕は何か物事を始めるとき形から入りがちです。基礎を固めるその前にロマンや憧れを感じた部分に手を出してしまいます。サッカーもそうでした。


きっかけはとある超次元サッカー漫画でした。必殺技シュートにロマンを感じ小学校の20分休みに友達とサッカーをするようになりました。スポーツ競技としての意識はなく、小学校の間はずっとトーキックでボールを蹴っていました。ロングシュートや浮き球ボレー、利き足でない左足でのシュートなど自分が格好いいと思っていたプレーばかりして、コーンドリブルやリフティング練習はほぼしたことがありませんでした。


中学に上がってサッカー部に入り、初めてスパイクを履きました。まずは正しいボールの蹴り方を習得するところからでした。当時、僕のヒーローは元オランダ代表のアリエン・ロッベンでした。鋭いカットインと左足の決定力に憧れ、夢中で左足のキックを練習しました。


そう、何を隠そう僕はレフティーフェチです。左利きの皆さん、喜んでください。僕が利き足でない左足でも強いボールが蹴れるのは、レフティーに強い憧れを持って練習したおかげです。

そしてポジションはこの頃からずっとCFです。ロッベンはRWGやんけ!と思ったそこのあなた。

返す言葉もありません。


中学では初の公式戦で点を獲りました。今でも覚えています。斜め後ろから飛んできたフワッとしたボールをそのまま右足ダイレクトシュート(シュートというか当たっただけに近い)。ボールは右サイドネットに吸い込まれました。


その瞬間、とてつもない衝動に突き動かされました。泣きそうなくらい嬉しかった。チームメイトに存在を認められた気がした。サッカー以外ではこんな感情になったことはなかったし、今でも点を獲ったときはいつでもそうです。僕がサッカー部に入った理由はここにあります。日常には感じることのない、得点したときの何物にも替えがたい喜びを感じたいからです。僕はもともとどちらかといえば内向的な性格で、目立つのは苦手でした。でもサッカーでだけは点を獲って大いに目立ちたい、そう思いました。


高校に入るとさらに周りのレベルが高くなりました。でも基礎技術で負けていることは理解していましたが、点を取るという面では負けてないという謎の自信を持っていました。もちろん基礎をしっかりしている人の方が長期的に結果を残すし、チームメイトの信頼は厚いです。でも、ある一つの試合をとってみると僕が点を取って試合に勝つような瞬間がありました。ここがサッカーの面白くもあり残酷でもある部分だと思います。上手くない選手にも、また弱いチームにも走ればチャンスが来るのです。真剣勝負をしている中にそんな瞬間があるからこそ楽しいと思えたし、自信を持ち続けることができました。


でも当然上手くない選手のままでは嫌でした。僕は中学からずっと体を使えと言われてきました。体格をいかしてボールをキープしろ、競り合いに負けるな、この2つは耳にタコができて鼻からイカが出るくらい言われてきました。でも僕はそれが下手です。体を当てずに相手から逃げるようにトラップする癖があったり、ヘディングで点を獲ることも多くはありませんでした。できるようになりたいと思っていましたが、プレースタイルを押し付けられているように感じ、つまらないと思うこともありました。でもそれは僕ができないということが悪く、それらのプレーができる上で他のプレーをすることを目指すべきです。


そしてその課題は今もなお大学で継続しています。形から入ったつけが回ってきています。僕の選手としての特徴といえば、体格とシュートだと思います。そして、格上と戦うことが多い阪大では前線でボールをキープできる選手は重宝されます。だから僕の場合、試合で使ってもらえるかどうかの判断基準は明確だと思います。第一は点を獲ること、第二は空中戦で圧倒すること、第三は前線でボールキープできることです。これに加えてディフェンスができるということも絶対に必要で、その面でも僕はもっと頭を使い運動量も上げるべきです。


現状僕は安定感や信頼感は無いけどたまに活躍する、程度の選手だと思います。ポテンシャルはある、と言われるだけで終わるのは絶対嫌です。


ゴールを決めた喜びのためにサッカー部に入ったと言いましたが、やはりそれが勝利に結びつかなければ意味がありません。僕は阪大の皆が、試合に勝ったとき本当に嬉しそうに感情を表に出すところが好きです。ラインダンス、最高です。


このチームで、皆の記憶に残るような最高のゴールを決めて試合に勝つこと、それが僕のサッカー人生のゴールです。

ありがとうございました。

2021年3月20日土曜日

なんで、私が阪大に。 2年 西川隼平


はじめまして、阪大サッカー部2回生の西川隼平です。

某予備校の広告で見かけてくださった方もはじめまして。


前回のブログの宮田がギリギリ間に合わせてきた人なら、自分はギリギリ間に合わせてこなかった人間です。事実、予備校に行く必要になったのは勉強が間に合わなかったから。大学に入ってからもその性格は治らず、そのせいで留年の危機に瀕しています。ちなみにこのブログはというと、想像がつくと思いますが期日を過ぎています。SNS係の方すみません。

自分がいかにだらしないかを世に晒したところで、本題に入ろうと思います。


なんでサッカー部に入ったかと聞かれたら、それは一緒にやろうと誘われたから。もちろん、入部を決意するまでに色々と考えて様々な理由づけをしていったが、誘われていなければ大学でサッカーをするという発想すらなかった。あの時誘ってくれて、また決意するときに背中を押してくれて感謝している。ありがとう。

こういったように自分は様々な場面で人に支えられ、そして影響されている。ありがたいことに、そのほとんどが良い影響である。自分はきっと人に恵まれている。


先輩方や同期のブログ、他大学でサッカーを続けている高校の同期のブログを読んで、みんなしっかりと自分の考えや意志を持っているんだと認識し、改めて自分は人に恵まれているなと感じた。

周りには常に自分よりも意識の高い人がいる。自分よりも上手い選手たちが、それぞれ課題を持って練習に臨んでいる。その一方で自分は何も考えずただ練習をこなしている。でも、そういった人たちと一緒にプレーするには、自分の技術も意識も周りと同じレベルにまで上げなければならないことに今さら気づいた。

残り2年もない中で、ずっと惰性でやってきた人間が、ずっと考えてやってきた人のレベルに到達するのはほぼ不可能だろう。この先、自分がどれだけ練習量を増やして、かつ練習の質を高めたとしても、その量、質を超えて練習している人は必ずいる。だからといってそれは努力をしない理由にはならない。少しでも自分のレベルを上げられるよう、考えながら努力を続けていきたい。


ギリギリ間に合わなかったので、浅くて読みごたえのない文章だったと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

2021年3月18日木曜日

ギリギリ 2年 宮田大樹


こんにちは。阪大サッカー部2年の宮田です。

SNS係としてこの部員ブログを上げてきました。前キャプテンの守武さんから始まったこの部員ブログも終わりへと近づいています。大変長くなってしまい申し訳ありません。しかし、長くなったのは、自分の同期の中で全然出さない野郎が続出したためであり、本当は謝りたくありません。が、他の大学がまた新しく始めているのを見たりすると罪悪感も多少あります。すみません。

 

まあでも出さない人たちの気持ちもよくわかります。自分も超絶に先延ばしをする、ギリギリにならないと動けない人間です。レポートや待ち合わせ、バイトや練習、この部員ブログに至るまで、あらゆることをギリギリまで動かず常に急いで間に合わせています。今回はそれにまつわった話をしようと思います。

 

確かに自分はギリギリまで先延ばしをする人間だが、それでも大概のことは間に合わせてきた。むしろ大概のことは間に合わせられてしまうから、直前まで先延ばしするくせがついてしまったともいえる。いい言い方をすれば、要領のいい人間である。

 

しかし、去年、到底要領などではどうにもできないものにぶちあたった関西学生リーグに初めて出た。正直客観的に見てなぜ自分が出ているのかわからなかったが、目標の舞台だったし少しでも成長し経験を積もうと挑むがやはり毎回何もできずネガティブに帰るのがオチである。だが寝るとその悔しさは忘れ、普通に練習していた。普通といっても練習ではそれまで以上に考え、必死だったし、うまくなっていることも少しずつだが実感していた。しかし今思えば、何をもってそれだけであのレベルに立ち向かえると考えていたのか甚だ疑問である。その程度の努力でなんとかなるわけがないし、それはただの傲慢であり甘かったと今になればわかる。

 

そして危うく、また同じ轍を踏むところであった。要領だけでは立ち向かえない以上、量をこなす必要があるし、そもそもサッカーにおいて自分は決して要領も才能もない。何度も自分の凡人さと傲慢さに気づいてきたつもりだったが、その度に忘れ、同じ過ちを犯してきた。今回でさすがに最後にしたいが、まあたぶん無理だろう。そんなに簡単に先延ばし癖が直るとも思わないが、それでも直そうと思わなければ直らないし、その都度振り返って改めるしかない。自分では変わったつもりでも、まだまだ足りないことに気づきまた変わる、その繰り返しだろう。

 

時間は過ぎてしまった以上、変わるなら今が最も早く、理想的なサッカー人生の終わりを迎えるのに努力し始めるにはギリギリのラインであろう。もしかしたらもうそのラインは過ぎていて、間に合わないかもしれない。だがそんなことを悔いても仕方ない。今からやればもしかしたら間に合うかもしれない。今こそ大概のことは間に合わせてきた自分の能力の発揮しどころだと願おう。

 

みなさんはどうだろうか。達成したい目標があり、そのために何か始める必要があるならば、いつから始めればよいのか考えてほしい。今からやらなくても間に合うのであれば先延ばすのも結構だが、こうしたことはギリギリのラインを認識するのは難しい。引退試合の前日でも間に合うのであればわかりやすくていいが、そんな時に悔いても手遅れである。実際自分も必要な努力をすることをここまで先延ばしてしまったし、間に合う保障はない。それでも始めるなら思い立ったそのときが一番早い今からでも間に合うかどうかなんて誰にも分らないが、ぜひ考えてほしい。

 

自分も、今がギリギリ、deadlineであるということを強く認識しなければならない。目標に近づき理想的に終わらせるためにも、これ以上先延ばしせず、なんとか変わりたい

 

最後になりますが、SNS係として、この部員ブログ意義も考えてみました。この部員ブログはチーム外に、チームのメンバーに向けて自分の思いや考えを明かす場であるとともに、自分に向けて書くものでもあると考えています。みな各々で、決意や後悔、感謝をつづっていますが、そういうことを書いてみると、そのときは自分が何かすごいことを書いているかっこいい人間であるかのように思えたりします。おれって文才あるんじゃないかとか、おれの生き方かっこいいかもとか、めっちゃいいこと言ってるやんおれ、とか。

 

みんなは部員ブログを書いた当時の思いを忘れてはいないでしょうか。ぜひたまには読み直して、思い出してみてください。自分はあの時なにを考え、なにを決意し、なにを行動に移そうと思ったのか。そして今の自分はどうか、あのときの決意は実行できたか、あのときブログを書いていたときくらいかっこいい人間でいられているか。うしたことを考え直してみると、みんなの気持ちや行動も変わってくると思います。それをみんなが自分にもチームにも還元し、阪大サッカー部が少しでもよりよくなってくれるのであれば、めんどくさい催促をし続けたかいもあるってもんです。

 

読んでいただいてありがとうございました。ギリギリ間に合わせたので、まとまりがないことは許してください。残りのメンバーも先延ばしせず書いてください。

2021年3月7日日曜日

考え続けるということ 2年 北浦魁人

 


こんにちは、サッカー部のメンバー紹介では「ゆとり教育が生んだポンコツの申し子」と紹介された2回生の北浦魁人です。

僕は志望校の公立高校に合格するために自分自身ではっぱをかけるつもりで、サッカー部の活動が週に1度しかない私立高校を受験したところ、見事に公立高校の受験を失敗してしまったせいで高校時代は他の部員のようなサッカー部に所属できませんでした。我ながら自分のポンコツ具合には嫌気がさします。

高校3年のブランクはあるものの、やはりサッカーをするのが好きだったの図々しくも大学のサッカー部に所属しています。そんな僕のこの2年間でサッカー部にいて一番つらかったことと一番楽しかったことについて少し書きたいと思います。

一番つらかったのは一回生の時の夏合宿です。1、2回生の時期はしんどくても3、4回生になるころにちょっとでもリーグ戦に出られるように頑張ろうと決心をして入部しました

最初の数か月ほどは、体はまだまだ動かないけど高校で出来なかった分ボールを蹴れるだけで楽しくて入部してよかった!と思っていました。しかし、何か月か経って新人戦、名古屋大学との定期戦があって他の同期が試合に出ているのを見ても、「まあ、(高校の)3年もブランクあるし仕方ない、俺の本番は3、4回生になってからやからくらいにしかとらえていなかったので特に悔しさを感じるわけでもなく、どこか他人事のように試合を外から眺めていました。


ところが、夏合宿でこのままじゃだめだなと思い知らされました。僕は、A,B,Cにチーム分けされたうちのCチームとして4泊5日の夏合宿に参加することになりました。この夏合宿では陽炎がのぼる人工芝の上で朝、昼ともに試合が組まれていました。体力のなさに炎天下が相まって、たいしてプレッシャーのかかってないのにもかかわらずボールロストをし、マークしている相手には簡単にはがされまくったことによる罪悪感と、試合中は早く試合が終わって欲しいとしか思えなかった自分の情けなさ辛くて死にたくなりました。僕のミスを黙ってカバーしてくれたチームメイトには感謝してもしきれません。

 

 では次に一番楽しかったことについて、書かせていただきます。

一番楽しかったことは公式戦の北摂リーグです。僕は後半22分からの出場で短い時間でしたが、中学3年の10月から数えて年ぶりの公式戦でした。自分の能力的に考えてもまだまだ味わえないと思っていた公式戦の緊張感はやはり最高でした。相手チームも強かったのでボールを保持される展開が続く中、1対2という劣勢の状態から28分中井さん、39分知史さんという4回生のゴールで3対2と逆転できたのも何か見えない力が働いているように感じて感動しました僕が勝利に貢献できたというわけではありませんが、公式戦に出て勝利を勝ち取ったという経験だけでも1回生の時に何度もやめたいと思ったけど続けてよかったと心の底から思いました

 

 最後に、

高校時代にサッカーをしてなかった(できなかった)僕と高校3年間しっかり部活動をした他のみんなとではテクニック、フィジカルともに大きな開きがあります。しかし、阪大サッカー部に所属する以上はそれに目をそらさず、言い訳にせず、練習の意味や他の選手にあって自分にないものを手に入れる方法を自分自身で考え続けていきます

 

要領を得ない文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございました。

2021年2月27日土曜日

あと少しの積み重ね 2年 那須健吾


皆さんこんにちは。2回の那須です。


いつも同期の関西出身の人に、おもんないなぁ、関東のやつはこれだから、で、オチはどこ?と言われる自分ですが、今回もコレといったオチはありません。同期や先輩方のブログを読み返して、改めて自分の語彙力、構成力の無さを痛感しました。


僕は幼稚園の時にサッカーを授業で無理やり始めさせられました。運動神経が皆無な自分は当初は何にも面白くなかったのですが、卒園間近で決めたゴールが嬉しくて仕方なく、そこからどっぷりハマり、今までサッカーをずっと続けています。


大学に入ってもサッカーを続けようとは思っていなかったのですが、高校で思うような結果を残せなくてやり切れない気持ちもあり、また大学でもサッカーを頑張って今まで感じてきた感動を味わいたい、と思い入部を決めました。サッカーがただただ好き、というのももちろん一つの理由です。


中学、高校と都大会に出れるかどうか、というあまりレベルの高くない環境でサッカーをしてきて、その環境に甘えてしまってきた自分のせいで現在のサッカーの技術はお世辞にも高いとは言えないです。幸にも自粛明け以降大きな怪我もなくフルで活動できたにも関わらず、昨シーズンはあっという間に過ぎていき、その中で自分は何にもできませんでした。同期が活躍してるのを見るのはすごいなと思う気持ちもありましたが、ただただ悔しかったです。全くサッカーを楽しめていなかったですし、このまま大学サッカーを消化不良で終わってしまうのではないかと考えることもありました。


大学でサッカーができるのも2年もないし、真剣に勝利のために練習する環境も大学が最後です。その中で自分が活躍するためにできることは、どれだけ毎回の練習で全力を出せるかだと思います。今まで自分が妥協してきた、あと少しの努力をこれからどれだけ積み重ねていけるか、そこにこれからの成長がかかっています。一本のダッシュ、一本のパス、一本のトラップ、、、全ての一つ一つにこだわりを持って練習に取り組みたいです。学年も上から数える方が早くなる今シーズンは、この姿勢をチームにも還元していきたいと思います。口で言うのは簡単だし、このような積み重ねの類がとても苦手ではあるのですが、甘い自分が変わる最後のチャンスだと思うので残りの2年間をこだわって、最後のサッカー人生に一花咲かせたいと思います。そして大好きなサッカーを楽しみたいです。


最後に、北野祥太の真似になってしまうのですが、漫画から一つ言葉を引用させていただきます。「勝負事で本当に楽しむ為には強さが要る。」この言葉はハイキューに出てくる言葉で、同様の描写がこの漫画では複数回出てきます。まさに自分が求めているのはこういう強さです。強さを得て勝負事を楽しむためにあと少しの努力を積み重ねていきたいです。


とても読みづらい文章だったと思うのですが、読んでいただきありがとうございました。



2021年2月21日日曜日

吐露 2年 北野祥太


緊急事態宣言下、家ですることがなく5月にはこの部員ブログを書き上げておりましたが、怠惰を貪る同期の手により自分の番が遅れに遅れ、この時期悩んでいた足首の怪我は完治し、膝の靱帯の怪我を経験し、復帰するまでの長い時間が経ち、気付けばシーズンが終わっていました。昨シーズンは新型コロナウイルスの影響も加わって、3ヶ月ほどしか思うようにサッカーが出来ない苦しさを経験しました。5月頃に書いていた文をそのまま投稿しようかと思いましたが、この昨年はあまりにも悔しい気持ちを味わったので、自分の悔しさや弱さを吐き出す形で僕の部員ブログとしたいと思います。


昨シーズン阪大は、Aチームは2部Aの舞台で目標の勝ち点数を積み上げ、最終節は格上相手に勝利をもぎ取り笑顔で最後を迎えていた。BチームはIリーグで見る人を奮い立たせる劇的な逆転勝利を含む怒濤の3連勝を見せ、勝ち上がることは出来なかったが、チームに活気をもたらした。Cチームは長い間公式戦がない中、北摂リーグで終了間際の決勝ゴールを決め逆転勝利で意地を見せた。チームの全員がそのときの全力を出して得られた結果だった。だからこそ昨年はチーム全員での活動が大いに限られた中でもバラバラにならず繋がりが現れていた良いチームだった。そんな中自分はほとんどの試合を怪我人としてピッチの外から見るしかなかった。最後の最後で出場できたIリーグ最終節も最後の笛を聞くことなく救急車に搬送されてピッチを後にした。本当に情けない。この1年何をしたのだろうという思いが頭を巡った。この1年間と自分が思い描えた1年間との乖離に吐きそうになった。怪我でサッカーが出来ない期間は、仲間の勝利を素直に喜べなかった。健常者がサッカーを満足にしているのを見たくなかった。自分だけ置いて行かれているようで同期の活躍がつらかった。サッカーがやりたくて仕方がないのに、冗談でも「まだサボってんのか」って言われるのがしんどかった。久しぶりに会った人にサッカー頑張っているんだねって言われて胸が苦しかった。だってグラウンドで必死に闘っているみんなと比べたらなにもしてないから。復帰してからも、怪我のせいで自分はまだ本調子を出せていないだけと思い込む自分が嫌いだった。自己憐憫に浸っている自分に虫唾が走る。こんな弱い自分を隠そうとして雄弁に語るその手口も嫌いだ。


でも僕は、経験的にこういった悔しさが明日の血となり肉となることを知っている。痛みを抱きかかえながら試合に出続けた副キャプテンや、高校からの怪我が治らず覚悟をもって学生コーチをしてくれている後輩や、痛み止めを飲んで治らない痛みと闘いプレーをする同期の姿にとても奮い立たされる。怪我なんか関係なく今シーズンから自分がチームを引っ張っていく存在になれるように成長したい。応援してくれる人にピッチで闘う姿を見せたい。勝ってみんなと勝利を喜び合いたい。もう後2年しかない大学サッカー人生、ただ「我武者羅」頑張るのではなく、「一生懸命」考えて成長したい。


自分の弱さを見せないことが強さだと思っていたけれど、そんなことはなく、弱さを吐き出すことの方がよっぽど大変だった。リアルという漫画に「等身大の自分を受け入れた人間だけが、他人を受け入れることが出来る」という言葉がある。ありのままの自分を受け入れた今なら、上級生としてチームに貢献できる気がする。


だらだらと頭の中を整理せずに吐き出したような読みにくい文章になってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。


2021年2月17日水曜日

Iリーグ 2年 大島拓


 初めまして、2回生の大島です。昨年はトップチームでの公式戦にはほとんど出場することができなくて、Bチームが初めて出場することになったIリーグで試合に出させていただきました。今回はそこで感じたことを書いていきたいと思います。

Iリーグの目標が勝ち点10と聞いた時、僕は正直難しいなと思ってしまいました。なぜなら、その前の年のBチームが出場していたリーグで1年間一回も勝てなかったり、格上のチームが出場していることに対して弱気になっていたと思います。いざ、Iリーグが始まると2連敗してしまい、格上の相手との差を痛感しましたが、もっとできる、もっとやれるという手応えを感じることもできました。そこから、Bチームキャプテンや学生コーチを中心としてやっていき、3連勝して勝ち点9を積み上げることができました。最後の試合は、勝つか引き分けで目標が達成できるという重要な試合でしたが、逆転負けという形でIリーグの幕が閉じました。

最後の試合で、悪い流れを変えることができなかったのも、相手のフリーキックが壁に当たってそのまま入ってしまい逆転されたのも、初めから勝ち点10というのを目指せていなかった気持ちの弱さが出てしまったように思います。大学の残り2年間は、高い目標に対して絶対に達成するという強い気持ちを持って、自分を信じてやっていきたいです。