こんにちは。外国語学部新4回生の石見茉子です。
主将の守武から始まった部員ブログを読んできて、同回生が書いたとは思えないくらい立派で感動的な文章ばかりで、そのあとに書くことにすごくプレッシャーを感じているし、みんないつのまにそんなに大人になったんやってびっくりしています。わたしは立派な文章を書くことはできないので、率直に、今考えていることを書こうと思います。拙い文章が続くとは思いますが、最後まで読んで頂けると幸いです。
"存在意義"
これは、わたしが1回生とき、当時の4回生のマネージャーの先輩がよく口にしていた言葉です。その人はわたしの憧れであり、今でも目標としている先輩です。わたしは、そんな先輩から頂いた言葉をモットーとして、これまでの日々を過ごしてきました。
存在意義とは、言葉の通り、その人がそこに存在する意義のことです。もっと具体的に言えば、大阪大学サッカー部において、いなくてはならない存在であり、誰かが取って代わることの出来ない存在、ということです。
正直わたしはこれまでの2年半でまだそれを見出せていません。1回生のときは、毎日必死に活動していれば、自然と見つかるものだと思っていました。もちろん、必死に活動していなかったというわけではなく、日々サッカー部のことを考えて過ごしてきたつもりです。それでもまだ、片鱗さえも見つけることができていないのです。
選手は、それぞれにポジションがあり、同じポジションでも、またそれぞれに強みや弱みがあり、その人にしか出来ないプレーがあると思います。わたしたちマネージャーには、それがありません。マネージャーが日々している仕事というのは、個人個人にたいした差はなく、さらに言えば、マネージャーでなくとも、少し練習すれば誰にだって出来ることです。ボトルに水を入れたり、時間の管理などはもちろん、スコアの記入やテーピングだって、別にマネージャーじゃなくても、選手に教えれば、真面目で頭の良い彼らはきっとすぐに出来るようになるでしょう。
それでも、サッカーを生活の中心に置き、日々本気でチームと向き合ってる選手たちのためにも、そして、わたしが留学で休部していた間も、変わらず選手の側で、選手のために勉強し、奮闘してきたマネージャーたちのためにも、残りの半年でマネージャーとしての、自分自身の存在意義を確立したいと強く思っています。2年半かかって見つからなかったものを半年で見つけ、確立していくのは難しいかも知れないし、人の存在意義は自分以外の誰かが決めることなのかも知れません。でも、みんなへの感謝を体現するタイミングは残り半年しかありません。もっと勉強して、努力して、誰かが取って代わることのできないようなわたしらしい"存在意義"を確立していきたいと考えています。4年のうちの半年という時間は短いように感じるかもしれませんが、過ごし方次第だとわたしは思っています。わたしの強みはどこで、わたしにしか出来ないことは何なのか、選手が必要としているものは何で、最高学年としてチーム運営に関わる中で求められることは何なのか。日々考え、行動して、これまでよりももっと濃密な半年を過ごせるよう、努力していこうと思います。
最後にはなってしまいましたが、平素より大阪大学サッカー部の活動へのご理解をいただいている皆様、本当にありがとうございます。今後ともご支援ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
ご一読いただきありがとうございました。
2020年4月14日火曜日
2020年4月13日月曜日
弱い自分からの脱却 新4年 築城知希
大阪大学体育会サッカー部4回生背番号88番の築城知希です。
なんで大学に入ってまで部活なんてしているのか?
そう思っている方は多いと思います。
正直、大学入学当初の私自身もそう思っていました。小さい頃からサッカーを続けてきた私ですが、サッカーに明け暮れる日々は高校で区切りをつけて、大学ではサークルで楽しむ程度にしようと思っていました。私の思い描いていた大学生活もみなさんと同じように泥臭いサッカー生活とは真逆のものだったからです。しかし、大学生活が進むとともに、何にも頑張れていない中途半端な自分に気づき、何か本気で頑張れるものが欲しくなりました。
そしてそれはやはりサッカーしかないと思い至り、他の部員より少し遅い7月中旬にサッカー部に入部しました。
サッカー部では、ありがたいことに2回生の頃から少しずつ公式戦に関わることができ、3回生になってからのリーグ戦ではほとんどの試合で先発または途中出場することができました。しかしこの一年はメンタルが脆弱な僕にとって嬉しい反面、苦難の一年になりました。
初めてリーグ戦で先発した前期の大阪商業大学戦の時から試合前夜になると緊張で眠れなくなりました。次の日の試合のために早く寝ないと!と思うほど眠れなくなります。
もちろんあらゆることを試しました。リーグ戦前夜には足をお湯で温め、ネルノダという睡眠の質を向上させるドリンクを飲み、効いているかわからない「mind shuffle」という睡眠法と「4ー7ー8呼吸法」を行ってみたり…それでも眠れない日は眠れませんでした。
試合前にはキックオフが近づくにつれ、自分のミスで迷惑をかけて今季最後のシーズンになる先輩達の大事な試合を落とすことになったらどうしよう…と吐き気を感じることもありました。だからこそ最終節が終わって自動残留が決まった時は喜びよりもこの連日の緊張から解放される安堵の方が大きかったように思います。
自分なりに最善を尽くして臨んでも2部Aのチームは手強く技術も数段上で不甲斐ないプレーに応援サイドからは「もっとやれよ!」と激が飛ぶこともありました。そんなチームメイトの激励もシーズン中の余裕のない僕には素直に届かず、「やってるわ!!」と心の中では思っていたりしました。
そんな中、新チームに代替わりしてすぐ僕は怪我をして3週間練習できなくなり、京大との定期戦は応援としてチームに関わることになりました。久しぶりに応援サイドにたって、僕は今までの自分の覚悟の甘さを改めて思い知らされました。応援サイドにいるチームメイトは悔しい思いを抱えながらもピッチに立っている選手と同じに、いやそれ以上に懸命に声援を送っていました。僕は今までそんなチームメイトの代表としてピッチに立たせてもらっていたにもかかわらずその自覚がなく、自分のことで精一杯でした。「応援の分も頑張るわ!」と感謝しているつもりになって、気持ちでサッカー!といいつつ無難にやり過ごすサッカーをしていたのかもしれません。応援してくれる仲間から「もっとやれよ!」と言われなくなるくらい、もっともっとやらなければ!!まだまだやれることがある!!と思いました。そして、こんなに声を張り上げて応援してくれる、サポートしてくれる仲間がいることに改めて心から感謝しました。
僕がこのブログを書いているのはまだリーグ戦が始まっていない4月です。自分自身がリーグ戦に出場できるのか、コロナの影響でリーグ戦自体があるのかさえも分かりませんが、どんな状況であってもチームのために自分ができることは全力でしたいと思います。
最後に、実は私はこの部員ブログを提案し新しく始めたものです。
私はより多くの人に大阪大学のサッカー部の部員のことを知ってもらい、応援していただきたいと思ってこの部員ブログを企画しました。
現況ではコロナの影響が落ち着くまでリーグ戦は無観客試合の予定です。でもそれが解除された時、部員ブログを読んで大阪大学サッカー部に興味をもってくださった方はぜひ一度試合に足を運んでいただきたいです。そうやって応援に来てくださる方一人一人が私たちの力になります。
私たちも観に来て下さった方々が後悔しないような試合をすることを約束します。
長々となりましたが、お読みいただきありがとうございました。
なんで大学に入ってまで部活なんてしているのか?
そう思っている方は多いと思います。
正直、大学入学当初の私自身もそう思っていました。小さい頃からサッカーを続けてきた私ですが、サッカーに明け暮れる日々は高校で区切りをつけて、大学ではサークルで楽しむ程度にしようと思っていました。私の思い描いていた大学生活もみなさんと同じように泥臭いサッカー生活とは真逆のものだったからです。しかし、大学生活が進むとともに、何にも頑張れていない中途半端な自分に気づき、何か本気で頑張れるものが欲しくなりました。
そしてそれはやはりサッカーしかないと思い至り、他の部員より少し遅い7月中旬にサッカー部に入部しました。
サッカー部では、ありがたいことに2回生の頃から少しずつ公式戦に関わることができ、3回生になってからのリーグ戦ではほとんどの試合で先発または途中出場することができました。しかしこの一年はメンタルが脆弱な僕にとって嬉しい反面、苦難の一年になりました。
初めてリーグ戦で先発した前期の大阪商業大学戦の時から試合前夜になると緊張で眠れなくなりました。次の日の試合のために早く寝ないと!と思うほど眠れなくなります。
もちろんあらゆることを試しました。リーグ戦前夜には足をお湯で温め、ネルノダという睡眠の質を向上させるドリンクを飲み、効いているかわからない「mind shuffle」という睡眠法と「4ー7ー8呼吸法」を行ってみたり…それでも眠れない日は眠れませんでした。
試合前にはキックオフが近づくにつれ、自分のミスで迷惑をかけて今季最後のシーズンになる先輩達の大事な試合を落とすことになったらどうしよう…と吐き気を感じることもありました。だからこそ最終節が終わって自動残留が決まった時は喜びよりもこの連日の緊張から解放される安堵の方が大きかったように思います。
自分なりに最善を尽くして臨んでも2部Aのチームは手強く技術も数段上で不甲斐ないプレーに応援サイドからは「もっとやれよ!」と激が飛ぶこともありました。そんなチームメイトの激励もシーズン中の余裕のない僕には素直に届かず、「やってるわ!!」と心の中では思っていたりしました。
そんな中、新チームに代替わりしてすぐ僕は怪我をして3週間練習できなくなり、京大との定期戦は応援としてチームに関わることになりました。久しぶりに応援サイドにたって、僕は今までの自分の覚悟の甘さを改めて思い知らされました。応援サイドにいるチームメイトは悔しい思いを抱えながらもピッチに立っている選手と同じに、いやそれ以上に懸命に声援を送っていました。僕は今までそんなチームメイトの代表としてピッチに立たせてもらっていたにもかかわらずその自覚がなく、自分のことで精一杯でした。「応援の分も頑張るわ!」と感謝しているつもりになって、気持ちでサッカー!といいつつ無難にやり過ごすサッカーをしていたのかもしれません。応援してくれる仲間から「もっとやれよ!」と言われなくなるくらい、もっともっとやらなければ!!まだまだやれることがある!!と思いました。そして、こんなに声を張り上げて応援してくれる、サポートしてくれる仲間がいることに改めて心から感謝しました。
僕がこのブログを書いているのはまだリーグ戦が始まっていない4月です。自分自身がリーグ戦に出場できるのか、コロナの影響でリーグ戦自体があるのかさえも分かりませんが、どんな状況であってもチームのために自分ができることは全力でしたいと思います。
最後に、実は私はこの部員ブログを提案し新しく始めたものです。
私はより多くの人に大阪大学のサッカー部の部員のことを知ってもらい、応援していただきたいと思ってこの部員ブログを企画しました。
現況ではコロナの影響が落ち着くまでリーグ戦は無観客試合の予定です。でもそれが解除された時、部員ブログを読んで大阪大学サッカー部に興味をもってくださった方はぜひ一度試合に足を運んでいただきたいです。そうやって応援に来てくださる方一人一人が私たちの力になります。
私たちも観に来て下さった方々が後悔しないような試合をすることを約束します。
長々となりましたが、お読みいただきありがとうございました。
2020年4月12日日曜日
僕のブラジル留学 新4年 小西健友
こんにちは、お久しぶりです。
外国語学部ポルトガル語専攻4回生の小西健友です。現在大学を休学をしてブラジルのリオデジャネイロ州で留学をしております。
ブラジルで日本語の家庭教師をやっていますが、留学に来てからか、来る前からか、日本語が下手くそとよく指摘されるので読みづらいと思います。申し訳ないです。
せっかくサッカー王国に留学しているので、ブラジルのサッカーと、自分の今までのサッカー人生を絡めて書こうと思います。
僕は留学先の大学には部活というものがなかったのでGoogle Mapでサッカーコートがある場所を調べ、そこへ行き、入れてもらおうと考えました。
その作戦が上手く行き、今は"pelada (ペラーダ)"と呼ばれるサッカーに参加しています。
これは平日の夜や休日の昼に仲間と集まって行う遊びのサッカーで、日本語だとストリートサッカーとか草サッカーと訳されると思います。
なんだ、遊びのサッカーかいって思うかもしれませんが、ブラジルサッカーの強さの要因の一つと言われています。僕が参加しているペラーダは、ペラペラの人工芝とコンクリートが剥き出しのコートだったり、ココヤシの実をゴール代わりに使ったりとストリート感満です。
ドリブルしただけでボールが跳ねるし、イレギュラーバウンドするからトラップもできない、コンクリートで滑って皮がずる剥けたこともありました。しかしブラジル人はそのようなピッチでも身体がブレずに、ボールもしっかりとコントロールします。
ディフェンスは体ごとぶつかってきて、股抜きとかをしようものならボール関係なく削られたり、蹴られたりします。
この劣悪環境と殺人ディフェンスのなかでやっているから、相手をいなすのが上手な選手が多いのだと思います。派手な技が出来るとかではなく、ボールをコントロールするのが抜群に上手です。
また遊びでも、W杯の優勝がかかってるのかってくらい死に物狂いでやります。まさにこれが"パッション"かと痛感します。
だからミスをしたり、サボっていたら鬼の怒号が飛んできます。僕は「やる気ないなら出てけ!ソン!」と言われます。
イメージで言うと、ブラジル人はY井の何倍もうるさいです。
しかしいいなと思うのは下手くそな人でも上手い人に向かって普通に怒るし、要求するところです。
イメージで言うと、1年の僕が4年のN山さんに怒鳴るみたいな感じです。そんなことできるのはM山くらいしかいないと思います。
そう考えると日本は年齢とか、上手さ関係なく言い合うのは難しいのかなと思いました。
しかし、点を入れたらヒーローになれます。すごい単純です。どんなシュートでもごっつぁんでも、めちゃくちゃ褒めてくれるし認めてくれます。
なのでブラジル人は意味分からないところからシュートをどんどん打ちます。多分日本だと監督から叱られるような位置からです。確率が1%でも、入ればヒーローになれる、プロなら人生が切り拓ける、というマインドがあるんだと思います。僕はシュートが下手なので打っても意味ないことが多いし、他の人がうった方が確率が高いからと考えていたけど、こういう環境なので日本にいた時よりも少しはゴールに貪欲になったかなって思います。
最後に、ペラーダにはいろんな人が来ます。固定メンバーもいるし、飛び入りの人もよく来ます。ブラジルは超格差社会なので、一緒にサッカーをしている人のなかには中流の人もスラムから来ている人もいます。服から靴やらまで、サッカー道具一式しっかり整えて参加している僕と違って、ボロボロのスニーカーとかTシャツ、裸足でやる人も多くいます。
小学生のときに、当時流行ったファルカスという15,000円のスパイクを誕生日に買ってもらったのを覚えていますが、そういった流行りのかっこいいスパイクとかがほしい年頃の子が、裸足でサッカーをしているのを見たとき自分が置かれていた日本での環境を思い出しました。
僕は子供の頃からサッカーをしていますが、サッカーをやる上で不自由を感じたことがないし、僕以外の人も多くの人はしたことがないと思います。
両親にはカッコいいスパイクとか練習着を買ってもらい、高い遠征費や部費を出してもらい、そして練習場に行けばキレイな人工芝でナイターをつけサッカーが出来ました。
僕は「様々な人に感謝して...」と言うフレーズをよく使ってしまっていましたが、環境が良すぎるあまり、深くそのようなことを考える機会がなく、中身の空っぽな言葉になっていたと思います。
ブラジルに来て、それを考えざる負えない環境に身を置くと、自然と感謝する心が生まてきました。
だからサッカー人生に関わらず、僕の人生に関わって頂いた全ての人に感謝しています。
ブラジルサッカーに関してはほんの少ししか語れていないですが、残りは僕の卒業論文に書こうとしているので、興味がある方はポルトガル語を勉強した上で挑戦してみてください。
長かったですが、ありがとうございました。
外国語学部ポルトガル語専攻4回生の小西健友です。現在大学を休学をしてブラジルのリオデジャネイロ州で留学をしております。
ブラジルで日本語の家庭教師をやっていますが、留学に来てからか、来る前からか、日本語が下手くそとよく指摘されるので読みづらいと思います。申し訳ないです。
せっかくサッカー王国に留学しているので、ブラジルのサッカーと、自分の今までのサッカー人生を絡めて書こうと思います。
僕は留学先の大学には部活というものがなかったのでGoogle Mapでサッカーコートがある場所を調べ、そこへ行き、入れてもらおうと考えました。
その作戦が上手く行き、今は"pelada (ペラーダ)"と呼ばれるサッカーに参加しています。
これは平日の夜や休日の昼に仲間と集まって行う遊びのサッカーで、日本語だとストリートサッカーとか草サッカーと訳されると思います。
なんだ、遊びのサッカーかいって思うかもしれませんが、ブラジルサッカーの強さの要因の一つと言われています。僕が参加しているペラーダは、ペラペラの人工芝とコンクリートが剥き出しのコートだったり、ココヤシの実をゴール代わりに使ったりとストリート感満です。
ドリブルしただけでボールが跳ねるし、イレギュラーバウンドするからトラップもできない、コンクリートで滑って皮がずる剥けたこともありました。しかしブラジル人はそのようなピッチでも身体がブレずに、ボールもしっかりとコントロールします。
ディフェンスは体ごとぶつかってきて、股抜きとかをしようものならボール関係なく削られたり、蹴られたりします。
この劣悪環境と殺人ディフェンスのなかでやっているから、相手をいなすのが上手な選手が多いのだと思います。派手な技が出来るとかではなく、ボールをコントロールするのが抜群に上手です。
また遊びでも、W杯の優勝がかかってるのかってくらい死に物狂いでやります。まさにこれが"パッション"かと痛感します。
だからミスをしたり、サボっていたら鬼の怒号が飛んできます。僕は「やる気ないなら出てけ!ソン!」と言われます。
イメージで言うと、ブラジル人はY井の何倍もうるさいです。
しかしいいなと思うのは下手くそな人でも上手い人に向かって普通に怒るし、要求するところです。
イメージで言うと、1年の僕が4年のN山さんに怒鳴るみたいな感じです。そんなことできるのはM山くらいしかいないと思います。
そう考えると日本は年齢とか、上手さ関係なく言い合うのは難しいのかなと思いました。
しかし、点を入れたらヒーローになれます。すごい単純です。どんなシュートでもごっつぁんでも、めちゃくちゃ褒めてくれるし認めてくれます。
なのでブラジル人は意味分からないところからシュートをどんどん打ちます。多分日本だと監督から叱られるような位置からです。確率が1%でも、入ればヒーローになれる、プロなら人生が切り拓ける、というマインドがあるんだと思います。僕はシュートが下手なので打っても意味ないことが多いし、他の人がうった方が確率が高いからと考えていたけど、こういう環境なので日本にいた時よりも少しはゴールに貪欲になったかなって思います。
最後に、ペラーダにはいろんな人が来ます。固定メンバーもいるし、飛び入りの人もよく来ます。ブラジルは超格差社会なので、一緒にサッカーをしている人のなかには中流の人もスラムから来ている人もいます。服から靴やらまで、サッカー道具一式しっかり整えて参加している僕と違って、ボロボロのスニーカーとかTシャツ、裸足でやる人も多くいます。
小学生のときに、当時流行ったファルカスという15,000円のスパイクを誕生日に買ってもらったのを覚えていますが、そういった流行りのかっこいいスパイクとかがほしい年頃の子が、裸足でサッカーをしているのを見たとき自分が置かれていた日本での環境を思い出しました。
僕は子供の頃からサッカーをしていますが、サッカーをやる上で不自由を感じたことがないし、僕以外の人も多くの人はしたことがないと思います。
両親にはカッコいいスパイクとか練習着を買ってもらい、高い遠征費や部費を出してもらい、そして練習場に行けばキレイな人工芝でナイターをつけサッカーが出来ました。
僕は「様々な人に感謝して...」と言うフレーズをよく使ってしまっていましたが、環境が良すぎるあまり、深くそのようなことを考える機会がなく、中身の空っぽな言葉になっていたと思います。
ブラジルに来て、それを考えざる負えない環境に身を置くと、自然と感謝する心が生まてきました。
だからサッカー人生に関わらず、僕の人生に関わって頂いた全ての人に感謝しています。
ブラジルサッカーに関してはほんの少ししか語れていないですが、残りは僕の卒業論文に書こうとしているので、興味がある方はポルトガル語を勉強した上で挑戦してみてください。
長かったですが、ありがとうございました。
2020年4月11日土曜日
ペラペラ人間 新4年 中井昂世
どうも、新4回になる中井です。
自分はよく"本当にペラペラな人間だなぁ。"と言われる。なのでここでもペラペラなことを書いてるかもしれません。この先とくに面白くはないですがそこはもうあれです。
僕のサッカー人生は小4から始まった。始めた理由は当時習っていた空手が嫌で、やめるために、モテるかなと思ってサッカーを始めた。そこから中学までは真面目に取り組んでいたが、高校に入るとサボるということを覚えた。サボりキャラが定着すると顧問からは腐ったミカンと称され、直属のコーチとは自分史上最悪の関係を築き上げ、ついに引退試合すら出してもらえずに引退した。
高校生活は誰もが羨むような日々で、大学にも受かり、そのことを泣いて喜んでくれる人もいてマジチョベリグだったが、サッカーに関しては自分で振り返ってみても何もない、本当にペラッペラな日々だった。
こんなサッカー人生だったので、顧問に合格報告に行った時、"大学でサッカーします。"と言ったら、"やめとけ、チームに迷惑かけるだけや。"と言われた。その時は驚いたが、顧問が自分にちゃんと意見を言ってくれたことが嬉しくも思えた。このままでは終われないなと思えたので感謝もしている。
いま、自分はチームに迷惑まではかけていないと思う。でも、プラスの影響を与えられているのか。阪大サッカー部は指導者がいない学生主体のチーム。ということはその代のチームは良くも悪くもその代の4回生の影響が強いということ。今年のチームは関西2部Aリーグで戦うことになるが戦力的にもチーム作りの面でもかなり厳しいと思う。次に4回生になる自分がチームにできることはプレーで見せること。普段ペラペラな自分がそれをわかって、プレーで見せられたら与える影響は大きいはず。
去年の北摂最終節のような大応援を浴びられるくらいの選手になるために、自分のできることをしてチームに貢献していきます。
あざした。
2020年4月9日木曜日
知 新4年 金澤 優塁
過去の苦い思い出とは他人が思っているよりも深くその人の胸に刻まれるものである。ふとしたときに頭をよぎったり、はたまた似たようなシチュエーションに遭遇したり、挙句、夢の中でそれを目の当たりにし、より鮮明さが増してしまったりなんていうこともあるかもしれない。と言い出したのも、自分がそのたぐいの事象をよく経験するからに他ならないのだが。
さて、皆さんはペレをご存じであろうか。このブログを読むような人たちだ、知らないというような返答には対応しかねるのであしからず。サッカーの神様だろ、と答えるような者もいれば、若干15歳でのデビューを果たしてからは・・・と豊富な知識を披露できる者もいるかもしれない。かくいう私は断然前者である。ことサッカーにおいては、ひいき目に見ることもかなわない無知なのだ。時はさかのぼり中学1年、科目は英語、教師からの同様の質問に対し、なんとかサッカーの神様という回答を出したのもつかの間、続けざまの問いには見事敗れ去った。
その人ってまだ生きてるの。
当時の自分には酷な問いだった。なぜ「わからない」と正直に答えなかったのだろうか。クラスにサッカーに詳しい者はおらず、その回答の正誤など一人として知る由もなく、言及されることはないまま、かくして自分を含むクラス全員の脳内からペレの命が失われる、同時多発ペレ殺人事件?は幕を閉じた。
周りに知られていないとはいえ、サッカーをやっているにもかかわらず自分の無知をさらしてしまったのだ、内心恥ずかしさはあった。だがそれをきっかけに知識をつけようと励むことはなかった。高校生にまでなれば、自分よりはるかにサッカー知識豊富な者ばかりになった。自分にとってサッカー観戦は、誰かと観れば熱狂できるものだし、自分には到底できないプレーに魅了されることもあった。ただ、他人の口から出るサッカーうんちくはどこか自分には合わないものだったのか、いつしかそれを聞くたびにうんざりするようになった。かつての代表選手田中マルクス闘莉王の言葉を借りると、自分に目標とする選手などいない、自分は自分になるんだとこじらせていたこともあり、サッカーを見ることも、チームメイトでもない他人のプレーに感化されることもなくなってしまった。
そうやって、サッカーを見ない・知らない・語らないの負の三拍子がそろった選手としてこれまでやってきたわけだが、転機となった、というよりはそう感じたというのが正しいだろうか、それがここ数年の話である。
サッカーに限らず、スポーツ全般において個人の出来不出来の指標となるのは、紛れもなくこれまで培ってきた技術であり経験であり、勘である。だから極端な話、いくらJリーグや海外の試合で高いレベルのプレーを目にし、想像力を伸ばそうと、それを再現できないのであれば意味がない。これは変わらずそう感じている。では何が変わったのか。それは個人という見方ではそこから得られるものはなくても、組織としてならそうではないかもしれないということである。サッカーを広く見る目を持つアイデア豊富な指導者たちに囲まれる中、戦術という単語一つで自分の世界が広がった感覚がした。
何が正しく、何が良いのかはわからないが、ざっくりと自分は感覚派だと思っていて、自分はサッカーにおけるほとんどを頭より体に理解させるほうがあっているのだと思う。だから実際、今いるBチームでの戦術における話し合いでも、チームとしての利より個人としてのやりやすさを前面に伝えているところがあると思う。いや、本当に申し訳ない。だからこそ、その分人のやりたいことを聞くようにはしている、はずだ。何しろこの話し合いが楽しくてしょうがないのだ。それぞれの理解と主張をぶつけ合い、共有することがこれほど楽しく、かけがえのないものだと気づかされた。少し遅すぎるかもしれないが。これが大学における自分の進歩の一つだと思う。チームとして伸びるとはこういうことを言うのだと学ぶことができて本当に良かった。これをそのうち言葉を交わすでもなくプレーの中で修正し合いつつ、感覚的にすり合わせていくことで、また新しいステップへ進むことができるのだろう。
自分はサッカーがそこまで好きではないのかもと思うことがある。それは日々練習をする中で、自分が理想とするプレーを再現する努力を一人で完結させてしまうからかもしれない。時折、無性に虚しく感じてしまうことがあるのだ。だが、人に伝えながら、時に認められ、時に反論される過程の中で育まれる、なんとも表現しがたいこの感情を大事にしていかなければならない。人を知るのは容易ではなく、そのためにはまず自分を知らなければならない。その中でいくつも行き違いがあるだろう。それでも、それが自分だけでなくチームを強くすることを知ってしまった以上、それがこれから進む道だと思う。
自分語りが苦手な分、こうして文字に起こすのも大変で、見返しても本当に些細な進歩だと思えてしまう。が、大きな躍進は小さな一歩からと思っていただきたい。願わくば自分と同じ境遇の人がいてほしい。流行の感染症にも負けずに頑張っていきたい。
さて、皆さんはペレをご存じであろうか。このブログを読むような人たちだ、知らないというような返答には対応しかねるのであしからず。サッカーの神様だろ、と答えるような者もいれば、若干15歳でのデビューを果たしてからは・・・と豊富な知識を披露できる者もいるかもしれない。かくいう私は断然前者である。ことサッカーにおいては、ひいき目に見ることもかなわない無知なのだ。時はさかのぼり中学1年、科目は英語、教師からの同様の質問に対し、なんとかサッカーの神様という回答を出したのもつかの間、続けざまの問いには見事敗れ去った。
その人ってまだ生きてるの。
当時の自分には酷な問いだった。なぜ「わからない」と正直に答えなかったのだろうか。クラスにサッカーに詳しい者はおらず、その回答の正誤など一人として知る由もなく、言及されることはないまま、かくして自分を含むクラス全員の脳内からペレの命が失われる、同時多発ペレ殺人事件?は幕を閉じた。
周りに知られていないとはいえ、サッカーをやっているにもかかわらず自分の無知をさらしてしまったのだ、内心恥ずかしさはあった。だがそれをきっかけに知識をつけようと励むことはなかった。高校生にまでなれば、自分よりはるかにサッカー知識豊富な者ばかりになった。自分にとってサッカー観戦は、誰かと観れば熱狂できるものだし、自分には到底できないプレーに魅了されることもあった。ただ、他人の口から出るサッカーうんちくはどこか自分には合わないものだったのか、いつしかそれを聞くたびにうんざりするようになった。かつての代表選手田中マルクス闘莉王の言葉を借りると、自分に目標とする選手などいない、自分は自分になるんだとこじらせていたこともあり、サッカーを見ることも、チームメイトでもない他人のプレーに感化されることもなくなってしまった。
そうやって、サッカーを見ない・知らない・語らないの負の三拍子がそろった選手としてこれまでやってきたわけだが、転機となった、というよりはそう感じたというのが正しいだろうか、それがここ数年の話である。
サッカーに限らず、スポーツ全般において個人の出来不出来の指標となるのは、紛れもなくこれまで培ってきた技術であり経験であり、勘である。だから極端な話、いくらJリーグや海外の試合で高いレベルのプレーを目にし、想像力を伸ばそうと、それを再現できないのであれば意味がない。これは変わらずそう感じている。では何が変わったのか。それは個人という見方ではそこから得られるものはなくても、組織としてならそうではないかもしれないということである。サッカーを広く見る目を持つアイデア豊富な指導者たちに囲まれる中、戦術という単語一つで自分の世界が広がった感覚がした。
何が正しく、何が良いのかはわからないが、ざっくりと自分は感覚派だと思っていて、自分はサッカーにおけるほとんどを頭より体に理解させるほうがあっているのだと思う。だから実際、今いるBチームでの戦術における話し合いでも、チームとしての利より個人としてのやりやすさを前面に伝えているところがあると思う。いや、本当に申し訳ない。だからこそ、その分人のやりたいことを聞くようにはしている、はずだ。何しろこの話し合いが楽しくてしょうがないのだ。それぞれの理解と主張をぶつけ合い、共有することがこれほど楽しく、かけがえのないものだと気づかされた。少し遅すぎるかもしれないが。これが大学における自分の進歩の一つだと思う。チームとして伸びるとはこういうことを言うのだと学ぶことができて本当に良かった。これをそのうち言葉を交わすでもなくプレーの中で修正し合いつつ、感覚的にすり合わせていくことで、また新しいステップへ進むことができるのだろう。
自分はサッカーがそこまで好きではないのかもと思うことがある。それは日々練習をする中で、自分が理想とするプレーを再現する努力を一人で完結させてしまうからかもしれない。時折、無性に虚しく感じてしまうことがあるのだ。だが、人に伝えながら、時に認められ、時に反論される過程の中で育まれる、なんとも表現しがたいこの感情を大事にしていかなければならない。人を知るのは容易ではなく、そのためにはまず自分を知らなければならない。その中でいくつも行き違いがあるだろう。それでも、それが自分だけでなくチームを強くすることを知ってしまった以上、それがこれから進む道だと思う。
自分語りが苦手な分、こうして文字に起こすのも大変で、見返しても本当に些細な進歩だと思えてしまう。が、大きな躍進は小さな一歩からと思っていただきたい。願わくば自分と同じ境遇の人がいてほしい。流行の感染症にも負けずに頑張っていきたい。
2020年4月7日火曜日
虚心坦懐 新4年 淸水 優大
こんにちは。
シマネケンという国から来た清水優大です。
部員ブログが、もう3人に抜かれました。提出が遅れてしまい申し訳ありません。なんで遅れたか言い訳させてもらうと、書きたい感情や考えが、至る所不連続で上手く記述出来ないからです。申し遅れましたが数学を勉強しておりますので、時々変なことを口走りますがご容赦下さい。
何を書くか決まらなすぎるので、入部してから思ったことをそのまま書いてみようと思います。ここで書く必要の無いことを書きます。また、誰かに失礼になることを書くかもしれません。先に謝っておきます。申し訳ございません。
とりあえず走り出しましょう。
1年生の最初の頃は、あんまりなんも考えてなかったです。ずっとBチームでも、まぁ浪人しとったし、体が動くようになったらAチーム行けるでしょ、1年生の間は無理でも、2年生の途中くらいからリーグ戦出れるはず、坂井さんうまっ、くらいの感じでした。
夏くらいから、同期からAチームにあがる人達がいて、その辺から色々考えるようになりました。
まず何より悔しくて、負けたくない、という感情が湧きました。
次に羨ましいとか、なんでやねんとか、そんな感情。
そこから次の春にかけて、何回も部活を辞めようか悩みます。なんせリーグ戦はおろか北摂にも出れないし、練習試合もなくて、サッカーが楽しくなくなりました。
今でも覚えているのは、僕が副審をしていた北摂の大経戦で、一樹がゴールしたとき、悔しいのと羨ましいのと情けないのとで涙が出たことです。審判代の千円札で涙を拭いました。英世も泣いてました。
自分はなんのために大学で部活を続けているんだろうっていうのをこの時期から考えるようになります。(こういうのは試合に出れない人は一度は考えるんじゃないでしょうか。僕はこの問いに対する見事な解答をもっているのですが、余白が狭すぎて記せません。その答えは各々で求め続けてほしいです。)
この時期は、練習が終わる度に、同期の何人かと、今日も乗り越えたぞ、とハイタッチしていました。懐かしいなぁ、Kenyu
かくかくしかじかありまして、もう一度サッカーに対するというよりは部活に対する姿勢を見直して、2年生になりました。後輩が入ってきます。はじめは一緒にプレーしていたやつが、どんどんAにあがっていって、これまた悔しいわけです。これは3年生になっても同じでした。特に悔しかったエピソードですか?え?試合に負けたとか以外で?そうですね、去年の後期リーグの大商戦、関川が点取ったときです。可愛い後輩のリーグ初ゴール、終了間際の貴重な勝ち越しゴール、めちゃくちゃ嬉しかったです。が、それよりもっと悔しかったです。あんまり言ってないけど。
悔しいと思ったことは数え切れません。
こういう感情をチームメイトに対して抱くのは良くないことかもしれませんが、僕は逆に、この気持ちが無くなったら終わりかなと思います。特にBチームの人はこの気持ちを大事にしてほしい。Aチームに対するリスペクトが度を過ぎているように感じます。自分は敵わないとかそんな風に。もちろん僕は、自分が一番だなんて思ってないし、一樹も関川も超がつくほどスーパーですが、それでも負けねえと思ってるわけです。上手く言えないけど、そういうのが大事だと思って、23歳で、高校の同級生が働き始めるというのに、サッカーを、本気で、やってます。
本当はもっと書きたいことがあるんですが、あまりに行き当たりばったりすぎるんでこの辺にしときます。まとまりの無い文章ですみません。
最近のことについてちょっと書きます。
リーグ戦が延期になったものの、部活が出来なくなって、モチベーションを保つのが難しい、という人もいるかもしれません。というより、サッカー出来るかな、なんて言ってられない事態になっています。今まで毎日サッカーが出来ていた、これがどれだけ幸せなことだったか痛感する毎日です。先行きが見えない今、サッカー云々の前に、自分達の健康を第一に考えて生活することが大切だと思います。
拙い文章でしたが、最後までお付き合い下さりありがとうございました。
アディオス!
シマネケンという国から来た清水優大です。
部員ブログが、もう3人に抜かれました。提出が遅れてしまい申し訳ありません。なんで遅れたか言い訳させてもらうと、書きたい感情や考えが、至る所不連続で上手く記述出来ないからです。申し遅れましたが数学を勉強しておりますので、時々変なことを口走りますがご容赦下さい。
何を書くか決まらなすぎるので、入部してから思ったことをそのまま書いてみようと思います。ここで書く必要の無いことを書きます。また、誰かに失礼になることを書くかもしれません。先に謝っておきます。申し訳ございません。
とりあえず走り出しましょう。
1年生の最初の頃は、あんまりなんも考えてなかったです。ずっとBチームでも、まぁ浪人しとったし、体が動くようになったらAチーム行けるでしょ、1年生の間は無理でも、2年生の途中くらいからリーグ戦出れるはず、坂井さんうまっ、くらいの感じでした。
夏くらいから、同期からAチームにあがる人達がいて、その辺から色々考えるようになりました。
まず何より悔しくて、負けたくない、という感情が湧きました。
次に羨ましいとか、なんでやねんとか、そんな感情。
そこから次の春にかけて、何回も部活を辞めようか悩みます。なんせリーグ戦はおろか北摂にも出れないし、練習試合もなくて、サッカーが楽しくなくなりました。
今でも覚えているのは、僕が副審をしていた北摂の大経戦で、一樹がゴールしたとき、悔しいのと羨ましいのと情けないのとで涙が出たことです。審判代の千円札で涙を拭いました。英世も泣いてました。
自分はなんのために大学で部活を続けているんだろうっていうのをこの時期から考えるようになります。(こういうのは試合に出れない人は一度は考えるんじゃないでしょうか。僕はこの問いに対する見事な解答をもっているのですが、余白が狭すぎて記せません。その答えは各々で求め続けてほしいです。)
この時期は、練習が終わる度に、同期の何人かと、今日も乗り越えたぞ、とハイタッチしていました。懐かしいなぁ、Kenyu
かくかくしかじかありまして、もう一度サッカーに対するというよりは部活に対する姿勢を見直して、2年生になりました。後輩が入ってきます。はじめは一緒にプレーしていたやつが、どんどんAにあがっていって、これまた悔しいわけです。これは3年生になっても同じでした。特に悔しかったエピソードですか?え?試合に負けたとか以外で?そうですね、去年の後期リーグの大商戦、関川が点取ったときです。可愛い後輩のリーグ初ゴール、終了間際の貴重な勝ち越しゴール、めちゃくちゃ嬉しかったです。が、それよりもっと悔しかったです。あんまり言ってないけど。
悔しいと思ったことは数え切れません。
こういう感情をチームメイトに対して抱くのは良くないことかもしれませんが、僕は逆に、この気持ちが無くなったら終わりかなと思います。特にBチームの人はこの気持ちを大事にしてほしい。Aチームに対するリスペクトが度を過ぎているように感じます。自分は敵わないとかそんな風に。もちろん僕は、自分が一番だなんて思ってないし、一樹も関川も超がつくほどスーパーですが、それでも負けねえと思ってるわけです。上手く言えないけど、そういうのが大事だと思って、23歳で、高校の同級生が働き始めるというのに、サッカーを、本気で、やってます。
本当はもっと書きたいことがあるんですが、あまりに行き当たりばったりすぎるんでこの辺にしときます。まとまりの無い文章ですみません。
最近のことについてちょっと書きます。
リーグ戦が延期になったものの、部活が出来なくなって、モチベーションを保つのが難しい、という人もいるかもしれません。というより、サッカー出来るかな、なんて言ってられない事態になっています。今まで毎日サッカーが出来ていた、これがどれだけ幸せなことだったか痛感する毎日です。先行きが見えない今、サッカー云々の前に、自分達の健康を第一に考えて生活することが大切だと思います。
拙い文章でしたが、最後までお付き合い下さりありがとうございました。
アディオス!
2020年4月4日土曜日
beyond3セメの自分 3年 前谷和徳
どうも家族会議を終え、部活を辞める危機をなんとか乗り越えました前谷です。以下、出だしから変な文章ですがコロナの自宅待機で暇な方は読んでいただけると嬉しいです。
「世界に羽ばたくサッカー選手になる!」
広島の名門、りゅうせん幼稚園の卒園式でこう宣言したことを今でもはっきりと覚えています。
自分はそんな、サッカー少年なら誰もが一度は考える夢を抱いたまま中学生になりました。自分の代はたまたま良い選手が集まり、その中でもずば抜けてうまかった高橋翔也という同期と出会います。(こんだけうまいし同じサッカー選手の夢を追うライバルか、、)と思い、「将来の夢はサッカー選手よな?」と彼に聞くと「いや、サッカー選手になれる確率より東大行ける確率の方が高いからサッカー選手は目指してないよ」というふざけた答えが返ってきました。(彼は覚えてないでしょうけどこのやり取りで僕は挫折しました。そしてその通り彼は東大へ行きました。嫌なやつでした。身内ネタすいません。)
サッカー選手の夢を諦め、とりあえず京大合格の目標を建てますが、勉強そっちのけで遊んだりサッカーばかりしてきた自分は現役でセンター7割のまま京都大学を記念受験し、最低点まであと250点足りず、浪人でも結局ひと伸びできず大阪大学に入学します。1年間の仮面浪人を決行しますがこれも失敗します。
知名度と偏差値だけで大学を選んだせいか、入学後は大学の勉強の意欲が湧かず毎日をこなすような生活に絶望していました。生きがいが欲しい、そんな思いから、残りの大学生活を全て捧げる覚悟で1年の終わり頃、サッカー部に入部しました。3年ぶりの本気のサッカーはほんとに楽しく、それからは1日1日があっという間に過ぎ、気づけば今の4回生になっていました。あっ、3回生か、、。(泣)
週5で活動し、テスト期間も関係なく練習や試合があったりと、様々な犠牲もありますが現在3学年で60名を超える部員の中でどうすれば試合に出れるのか、選手を集めている格上の大学との試合に勝つにはどうしたらいいのか、など毎日ひたすらいろんなことを考える生活はとても充実しています。大袈裟かもしれませんが僕はこの阪大サッカー部にほんとに救われたし、リーグ戦などの公式戦に出て勝利に貢献することで恩返ししたいです。
高校同期の中で唯一大学でも部活としてのサッカーを続けた角振君にも感謝しています。
同志社大学とのリーグ戦でのことでした。交代で入った相手の選手をスタンドから自然と目で追っていると違和感を感じて、よく見ると角振君でした。彼は 2点に絡んで試合をしっかりと締める役割を果たし勝利に貢献していました。全国の有名校から選手を集める大学で高校同期がリーグ戦に出たことはほんとに刺激になりました。彼の部員ブログも自分の意識をかなり向上させてくれました。ありがとうツノ、あと1年頑張ります。
#人生一回しかねー
最後になりますが自分はサッカーが大好きです。どれくらい好きかというと、彼女とのデートにサッカーボールを持って行ってしまったり、その流れで聞かれた「あたしとサッカーどっちが好きなん?」という問いにも「サッカー」と真顔で答えてしまったほどです。
学業に支障が出たためサッカーをやめるか迷っていたときも同期の築城君から言われた言葉は「お前はサッカーやめねえよ、だって、お前サッカー好きだもん」でした。イケメンですねえ。
今ある人間関係の多くがサッカーボールの繋げてくれたものです。ありがとうサッカー。
そんな愛するサッカーに本気で向き合うのも今年で最後になります。2部A4位以内を始めとしたチームの目標を常に意識しながら練習に取り組み、仲間と共に後悔しないような最後にふさわしい1年にしたいと思います。
「世界に羽ばたくサッカー選手になる!」
広島の名門、りゅうせん幼稚園の卒園式でこう宣言したことを今でもはっきりと覚えています。
自分はそんな、サッカー少年なら誰もが一度は考える夢を抱いたまま中学生になりました。自分の代はたまたま良い選手が集まり、その中でもずば抜けてうまかった高橋翔也という同期と出会います。(こんだけうまいし同じサッカー選手の夢を追うライバルか、、)と思い、「将来の夢はサッカー選手よな?」と彼に聞くと「いや、サッカー選手になれる確率より東大行ける確率の方が高いからサッカー選手は目指してないよ」というふざけた答えが返ってきました。(彼は覚えてないでしょうけどこのやり取りで僕は挫折しました。そしてその通り彼は東大へ行きました。嫌なやつでした。身内ネタすいません。)
サッカー選手の夢を諦め、とりあえず京大合格の目標を建てますが、勉強そっちのけで遊んだりサッカーばかりしてきた自分は現役でセンター7割のまま京都大学を記念受験し、最低点まであと250点足りず、浪人でも結局ひと伸びできず大阪大学に入学します。1年間の仮面浪人を決行しますがこれも失敗します。
知名度と偏差値だけで大学を選んだせいか、入学後は大学の勉強の意欲が湧かず毎日をこなすような生活に絶望していました。生きがいが欲しい、そんな思いから、残りの大学生活を全て捧げる覚悟で1年の終わり頃、サッカー部に入部しました。3年ぶりの本気のサッカーはほんとに楽しく、それからは1日1日があっという間に過ぎ、気づけば今の4回生になっていました。あっ、3回生か、、。(泣)
週5で活動し、テスト期間も関係なく練習や試合があったりと、様々な犠牲もありますが現在3学年で60名を超える部員の中でどうすれば試合に出れるのか、選手を集めている格上の大学との試合に勝つにはどうしたらいいのか、など毎日ひたすらいろんなことを考える生活はとても充実しています。大袈裟かもしれませんが僕はこの阪大サッカー部にほんとに救われたし、リーグ戦などの公式戦に出て勝利に貢献することで恩返ししたいです。
高校同期の中で唯一大学でも部活としてのサッカーを続けた角振君にも感謝しています。
同志社大学とのリーグ戦でのことでした。交代で入った相手の選手をスタンドから自然と目で追っていると違和感を感じて、よく見ると角振君でした。彼は 2点に絡んで試合をしっかりと締める役割を果たし勝利に貢献していました。全国の有名校から選手を集める大学で高校同期がリーグ戦に出たことはほんとに刺激になりました。彼の部員ブログも自分の意識をかなり向上させてくれました。ありがとうツノ、あと1年頑張ります。
#人生一回しかねー
最後になりますが自分はサッカーが大好きです。どれくらい好きかというと、彼女とのデートにサッカーボールを持って行ってしまったり、その流れで聞かれた「あたしとサッカーどっちが好きなん?」という問いにも「サッカー」と真顔で答えてしまったほどです。
学業に支障が出たためサッカーをやめるか迷っていたときも同期の築城君から言われた言葉は「お前はサッカーやめねえよ、だって、お前サッカー好きだもん」でした。イケメンですねえ。
今ある人間関係の多くがサッカーボールの繋げてくれたものです。ありがとうサッカー。
そんな愛するサッカーに本気で向き合うのも今年で最後になります。2部A4位以内を始めとしたチームの目標を常に意識しながら練習に取り組み、仲間と共に後悔しないような最後にふさわしい1年にしたいと思います。
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