2020年5月29日金曜日

百花繚乱 新3年 工藤海斗

こんにちは。新3年の工藤海斗です。
最近はもっぱら先輩や同期を集めてオンライン会を催してます。みんな僕が動かな始まらんからね。

このブログが勢いよく回り始めていつか僕のところに来るのではないかとヒヤヒヤしてましたが、ついに回ってきてしまいました。誰か止めてぇ〜って思ってましたが、みんな真面目やからね、回る回る。書いてくださいって話がきた時は心臓ドキしました。このブログは僕たち部員からすると、とても面白くて、普段こうゆうキャラの人が意外とこんな真面目な事を考えているんだとか、その人を知っているからこそ感じるものがあります。なので、僕も普段考えていることをここに書いておこかな思います。

僕がピッチ内で特に意識しているのは、人のプレーをよく見る、ということです。阪大サッカー部は私立の強豪校ではないものの、部員数は80人近くなる時もあり、同じポジションに10人かあるいはそれ以上の選手がいます。みんなと同じプレーをしているのでは、なかなか幹部の目にも留まらないし、各々それがわかっているので、自分の個性や強みを活かしたプレーを見せてくれます。なので、彼らから何か自分に取り入れられる部分はないかと、特にディフェンスの選手のプレーはよく見るようにしています。自分から主導的に相手のプレーエリアを制限し、自分の間合いに入ったところで奪う、自分から奪いには行かないが相手の動きに連動してクロスまたはシュートタイミングを待って足を出す、リーダーシップを発揮して上手く周りを使い効率的に守る、引導スライディング(床さん)というふうにそれぞれのスタイルがあります。高弘くんや宮田っちはバスケ選手のように相手の顔(目?)を見て対峙するシーンが浮かびます。これは僕もやってみましたが、気づいたら相手はいてませんでした。また、スライディングの上手い選手もいて、身体の投げ出し方、右足左足どっちを下にしているか、角度、とか勉強になる部分は山ほどあります。
このように、見る手本が沢山あって、みんなクオリティーの高いプレーを見せてくれるので刺激にもなるし、参考にもなります。参考にしつつ、自分の強みにマッチしたものを取り入れる。チームメイトをリスペクトして、謙虚に自分や人のプレーに向き合うのが自分のスタイルです。周りから見たら気付かないかもしれませんが、自分の中では徐々にプレースタイルが変わっているというか、変えようとしているという感じで、試行錯誤しています。ですので、これからもどしどしみんなのいいプレーを募集してます。いやラジオかぁい!やめさしてもらうわ!どうもありがとうございました〜。退出

2020年5月24日日曜日

部活動を続けるということ 新3年 水越駆

 はじめまして、コロナで自粛生活となり家で二酸化炭素とうん○このみを生産する生活になってしまった水越です。元々そうやろというコメントや、○が仕事してないのではないかなどのコメントは下のコメント欄にてお願いします。僕は小さい時から真面目に話すのが苦手ですぐヘラヘラしてしまいます。高校の卒業文集ではみんなが友達の大事さとか書いてる中、僕は「それでも僕はゲイじゃない」というタイトルの舐めた文章を書きました。部員ブログを書くにあたって、関川くんから期待してると言われましたが、炎の漢・江田くんの次にふざけた文章は書けません。こんな僕ですが、僕なりに真剣に書きたいと思います。

 自分が部活動を続けてる理由について考えてみました。めちゃくちゃ長いのですが、コロナで暇な皆さんなら読む時間あるでしょう。アンチコメントは下のコメント欄にどうぞ。

 話は高校時代に遡ります。

 僕の高校は中高一貫校でサッカーに関してはただ弱小校ですが中1の時点で部員は1学年60人くらいの大所帯でした。その60人の仲間たちは高2の時に21人くらいになっていました。辞めていった彼らは、他にやりたいスポーツやバンドを始めたりする人、走ってばっかの部活動がつまらなくなってしまった人だったと思います。僕は彼らを特別引き止めたりしたことはないし、ランメニュー中に林の中で休んでる人たちが辞めてくれて清々しいくらいに思っていました。彼らには部活動を続けることすらできないのかと馬鹿にしていたくらいかもしれません。
 しかし、高3にあがる春にインターハイ予選で一瞬で負けて、しかもベンチでそれを見ているだけの僕は高3の最後までサッカーを続けることに疑問を持ってしまいました。それまでの自分の努力が実らないことに嫌気がさしてサッカーが少し嫌いになってしまったのです。当時の僕はなんか楽しくないなぁくらいに思っていたと思います。
 そして、インターハイ予選後に何人かの仲間が大学受験があるからと辞めると言った時に僕も一緒に辞めようとしました。しかし、最後まで続ける派でいる他の仲間たちは僕らのことを引き止めて学年でミーティングすることになりました。辞める派の中には、親のために現役で医学部に行かなきゃ行けないとか、国公立に行かなきゃ行けないなどの理由の人もおり、続ける派の人たちはそんなの部活続けながらやればいいとか最後までやんなきゃもったいないみたいな感じだったと思います。途中から鼻水ジュルジュルしてたのであんまし覚えてません。そしてミーティングというのは名ばかりで辞める辞めるなの水掛け論になっていきました。そこで仲のいい友達でもあり、続ける派の川島くんが声を荒げる続ける派の人たちを制して、ボロボロ泣きながら言った一言が「辞めて勉強に専念して受験頑張った方が偉いに決まってる、部活動を最後まで続けても偉くもなんともない、ただのわがままだ!親のためにとか、お金の為に辞める決意をしたのを俺らのわがままで止められない!」確かこんな感じでした、その時僕はおえおえ嗚咽してたのであんまし覚えてません。ちなみに僕の家はスーパーサラリーマンの父が子供3人とも中高私立に通わせられるほど頑張ってたので、ハイパーサラリーマン家庭でお金の余裕はあり、辞める正当な理由は持っていませんでした。なんやかんやあり、僕は現役で京都大学に受かりたいから辞めると言い、辞めました。今思えば、なんも勉強してこなかったくせにふざけたことをぬかすなと思います。

 ここまで書いて、僕でさえちょっと疲れてきたので、読んでくれてる皆さんはもう読むのやめようとしてるかもしれませんがもうちょっとです。頑張ってください。もう読まないよという方はいいねだけお願いします。コメントとまでは欲張りません、勝つまでは。何に勝つねんなどツッコミは是非コメント欄に!

 浪人中にサッカー部を辞めたことの良し悪しはめちゃくちゃ考えました。駿台のフロンティアホールで僕は川島くんの言葉を思い出して、「あぁ、僕は部活動を続けることを漠然と良いことだと思い込んでいて、ただ辞める勇気がないからサッカーを続けていただけなんだ」と気付き、辞めていった彼らの勇気と最後まで続けた仲間たちの覚悟と自分の愚かさを比べて、僕なんかはサッカーを始めるできではなかったと思うほど凹みました。まあ、浪人生活で腹は凸ったんですけども、、、
 そしてまったくおかしな話ですが、あんなに自信満々だった僕は浪人の冬、京大に受かる自信がなくなり、阪大に来て、奇跡的に高校同期かつサッカー部の続ける派だった仲間である高久保くんに再会しました。正直、最初はサークルでチャラ男になろうとしてましたが、高久保くんに阪大サッカー部に連れてこられ、気づいたら入部届を記入していました。おそらく合成麻薬を飲まされ、朦朧としているときに強制的に書かされたのではないでしょうか。え、僕はそうまでするほどに欲しい人材じゃないって?そういうのはコメント欄にってゆってるじゃないですか。しかし、高校の時と違うのは、僕は今、部活動を続けることを偉いとも思ってないし(だって部活の時間を勉強や就活、資格の勉強に費やすことの方が良いことに決まってる)、いつでも辞める勇気を持っています。入る理由も続ける理由も見つけられなかったけど、部活動を続ける理由なんていらないんです。ただ、辞める勇気は常に持ってなければならない、もしないのならそれはすごく不幸なことだと思います。だって、べつにやりたくもないことを辞めることができずにいることになりますから。現在、僕は辞める勇気を行動に移す必要性は感じていません。それは僕はサッカーを本気でやるのが大好きでサッカー部の仲間達、特にプレイヤーのみんな(中高男子校なのでマネージャーは少し苦手)が大好きだからです。あれ、もしかして僕のことゲイとか思ってませんか?違います!僕はゲイじゃありません!
 うまく伝えられてないかもしれませんが、僕が言いたいのは、僕はサッカーが大好きで、これからもみんなで本気でサッカーをしていけたら幸せです。だから、はやくコロナ終息してください。これマジ谷園。

あとがき
書いた後読み直したらこれ長いし何言いたいのかよくわからないですね。けど、これ読み切るってことは相当僕のこと好きですね、結婚しますか?あ、返事はコメント欄でお願いします。


2020年5月19日火曜日

悪戦苦闘 新3年 江田駿介

 こんにちは。新3年の江田駿介です。「えだ」じゃ無くて「ごうだ」と読みます。友達から、全人類を足して人数で割ったら僕ができると言われるくらいごく普通の人間です。そんな僕がここで言いたいのは、「諦めないこと」の重要性です。そんなこと言われんくてもわかってるわ!と思う人も多いと思いますが、実際諦めないというのがどれほど困難で大変か、そして諦めなければ何を成し遂げられたかについて、自分の経験をもとにお伝えしていきたいと思います。

 僕が中学生の時、大阪のそこそこ強いクラブチームに所属していました。始めは本当に必死にサッカーをしていて、一学年40人程度いる中でチーム内の争いに勝って、絶対に試合に出てやるという気持ちでいました。しかしそんな気持ちとは裏腹に、結果が全くついてきません。諦めてはいけないとわかりつつも、何をどうしていいかわからない、今ある差をどうしたら埋められるのか全く見当もつない。とてつもなく大きな壁にぶち当たった気がして、最後は結果が出ない理由を才能のせいにして諦めて逃げてしまいます。自分よりあいつの方が才能があるからと思い込み、努力することを怠った僕が成長するはずもなく、1度も公式戦のユニフォームすらもらえないまま中学を卒業しました。大学に入ってからもこれと似たような経験をしてしまいます。

 大学に入ってすぐ、中学高校とそれほどサッカーを頑張ってこなかったので、プレーは全く通用せず、評価はBチームの中でも一番下、最底辺でした。みんなが試合をしている中、試合に出れずにその横で走るだけで1日が終わることもあり、このまま4年間ずっとBチームにいて試合に出られないのだろうかと考えることが多くなりました。頑張っても結果が出ない、何をしたらいいのかもわからなくなって諦めかけていた時、頑張るきっかけになった試合がありました。

 それは近畿国立大学選手権のvs神戸大学戦です。この時僕は試合のビデオを撮っていたのを今でもしっかりと覚えています。普段一緒に練習していたBチームの仲間が神戸大学のAチームに劇的勝利するのを見て、すごく嬉しい気持ちの反面、とても悔しかったです。そしてそこで、Aチームに入れなくても、リーグ戦に出場できなくても輝ける場所があることを知りました。そこから僕は気持ちを入れ替えて、今できることをやっていこうと思えるようになりました。

 そこから5ヶ月後の2回生の5月、怒涛の3週間が始まります。新人戦の初戦、vs流通科学大で僕は、公式戦に出られる機会なんてもう無いかもしれないと思い、全身全霊で試合に臨みました。結果は1-2で負けてしまったものの、今まで以上に自分の力を出すことができました。次の週には北摂リーグに出場しました。この北摂リーグというのはBチームで出ている大会なのですが、今まで一度もメンバーに選ばれたことがありませんでした。そんな僕がスタメンでフル出場できて初めて他人に認められたと感じました。そしてその次の週にはAチームに入れてもらい、関西選手権にも少しながら出場させていただきました。

 このように、少し前まで最底辺にいた僕がたったの3週間でこんな状況になるなんて考えたこともなかったし、何が起こるかわからないものです。もしあの時諦めていれば絶対成長していません。なかなか結果は出ないものの、諦めずに努力して、考えて、継続していれば大抵のことはできるようになると僕は思います。

 最後に、僕はまだリーグ戦に出場したことがありません。先ほどAチームに入れなくても、リーグ戦に出場できなくてもと言っていましたが、この考えは今では大きく違います。今の力では2部Aで全く通用しないこともわかっています。しかし諦めたわけではありません。これからも辛いことや苦しいこともたくさんあると思いますが、最後にはピッチに立って、チームの勝利に貢献できるよう、これからも全力で取り組んでいきたいです。

 長く拙い文章でしたが最後までお読みいただきありがとうございました。

2020年5月15日金曜日

環境 新3年 矢倉優

 こんにちは、新3回生の矢倉優です。平日の夜練習して、休日は試合会場に車で行って、足つるまで(僕だけ)走って帰りに飯食いながら同期と試合での不満や喜びを喋るのが楽しかったことをこの自粛期間に改めて実感しています。このブログ書く前に同期のブログ読んだらみんな真剣に書いてたので、僕もアホなりに真剣に書きたいと思います。僕は自分がどういう選手になりたいかということについて書きます。
 僕は「なんかわからんけどよく点とる」選手を今シーズン目指したいと思います。それは昨シーズンを踏まえて思ったことです。昨シーズンチームは2部Aリーグで厳しい試合をして、残留しました。普段一緒に練習してて上手いなと思ってる先輩は個人としては通用していました。でもチームとしてはチャンスの数は相手チームより少なく、攻撃にかける人数も少ないなかでゴールを狙う場面が多かった印象です。それは今シーズンも同じようになると思います。その中で去年からFWでプレーしている僕がチームに貢献するためには少ないチャンスの中で点をとれる選手になることです。
 そしてもう一つ去年のリーグ戦をみていて思ったことが、今シーズンの半年で上手い選手になるのは無理だし目指さなくてもいいと思いました。もちろん上手いに越したことはないし、綺麗に崩してゴールを決める方がいいですが、どんなかたちでもこぼれ球でもいいから点をとれる選手になることを今シーズンチームに貢献するために目指す目標にしました。
 阪大サッカー部はいい環境です。同期もサッカーが上手いやつが多いし、サッカーに対して強い意識をもっているやつもいます。僕の同期にはチームで1番走れるやつがいて、そいつはチームで1番走れるのに自主的にもよく走っていて、家でごろごろしている僕に、おい走るぞと声かけてくれます。先輩もピッチでは厳しいですが、プライベートでは何度も飯や韓国に連れてってくれたり生意気な僕にも良くしてくれます。そんな同期や先輩方とサッカーができるのももう長くないです。自粛期間が終わったら試合に勝つ喜びを少しでも多く味わうために、思いっきりサッカーをしたいと思います。

2020年5月12日火曜日

自分を変えた1試合 新3年 林大晴

    初めまして、3年の林大晴です。出身は兵庫県の三田市という山の中です。アウトレットとめんたいパークがある、かの有名な三田市です。現在はコロナウイルスのせいで部活動ができていないため、このブログも三田からお送りしています。

   今回ブログを書くにあたり、改めて過去のブログを見返すと、先輩方はもちろんのことながら、いつもアホなことばかりしている同期もイケてる文章を書いていることにびっくりしてます。そんな僕は今回、大学サッカーで一番印象に残っている試合について書きたいと思います。

    僕が大学サッカーで1番心に残っている試合は、昨年の北摂リーグの最終節です。自分はこの試合で劇的ゴールを決めたわけでも、大きく勝利に貢献したわけでもありません。ただスタンドで応援していました。ではなぜこの試合なのか?この試合は出場する4回生にとっては引退試合になる試合でした。結果は、安藤さんが劇的ゴールをあげたものの負けてしまったような気がします。しかし僕はその結果以上に、ピッチ上で4回生を中心とした気持ちの入った闘う姿に胸を打たれました。「闘う」ってこういうことなんだなと気づかされました。きっと僕以外にも同じように思った人がいると思います。そのくらい観ている人を揺さぶるものがありました。これはきっと普段の練習の姿を知っているというのもあると思います。その姿を踏まえ、我が身を振り返ると、いかに自分が全力を尽くせていないか。普段の練習も全力のつもりがどこかこなしているところがあるのではないか。きっとこのままでは自分がこの姿を見せる事は出来ない。そう感じました。
    それから僕は今までよりサッカーのことを考える時間が増えました。今までの人生では無縁だったサッカーノートというものを書き始め、具体的な目標や普段の練習で意識することを明確にしました。練習も今までより考え、自分に厳しくするようになりました。その効果もあってか、少し自分の上達を感じるようになりました。改めて、あの試合は自分を変える機会となった印象深い試合だったなと思います。あの試合を生で観れて良かったです。

    最後になりましたが、今コロナでサッカーができない状態を経験し、改めてサッカーができる環境は幸せなことだと気付きました。部活動を支えてくださる方々、部を引っ張る先輩、練習や試合の環境を作ってくれる後輩、そして切磋琢磨できる同期に感謝しながらこれからも頑張っていこうと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

2020年5月8日金曜日

必要とされる選手 新3年 山本康平

初めまして、新3回になる背番号23番の山本康平です。
京都大学サッカー部に同姓同名の人がいると噂の山本康平ですが、大阪大学サッカー部の山本康平です。願わくば今年は定期戦での選手紹介のアナウンスをなくしてほしい所存です。山本康平です。

さて、部員ブログが回ってきたということで
今、自分が一番感じていることについて書きたいと思う。それは、「必要とされる選手」になることの重要さです。

このことについて話す前に今の自分の現状について少し書こうと思います。
自分は元々、サイドバックではなく、大学に入るまで前の方のポジションでプレーしていました。なんやかんやありまして、大学に入ってサイドバックでやっていくのですが、もちろん、攻撃が好きな自分はオーバーラップ大好き人間です。それが苦にならないほどの体力も持ち合わせていたため、上がらずにはいられませんでした。
しかし、チームが2部Aにあがると、オーバーラップがしたい攻撃参加したいとも言ってられず、サイドバックに対する守備の比重は重くなりました。自分が好きなもの得意とするものとチームが求めるものが真逆になりました。

そして、自分は今、週ごとにAとBを行ったり来たりし、すごく中途半端な立ち位置にいる。この立ち位置にいる自分だからこそ、「必要とされる選手」は何なのかよく考える。

その代によってやろうとするサッカーは違うわけで、求められるものも変わってくる。
当然のことである。

もちろん、Aにいる人はサッカーがうまいからAにいるわけであるけど、ただサッカーがうまい選手がAにいるとは限らないと思う。2部Aというほとんどの相手が格上の状況において試合に勝つためにチームに必要であると思われる選手がAにいる。
ただ、がむしゃらに上手くなった先にAがあるわけではないし、別に上手くなくてもいいとさえ思う。極論。
ただ、長所を伸ばせばいいというわけでもないと思う。もちろん、チームのニーズと自分の長所が一致するに越したことはないのですが、必ずしもそういう選手ばかりではない。自分がそうであるように。
自分のもつ何かが2部Aで戦うにあたって必要とさえされればいいと思う。
だからこそ、2部Aで戦うにあたって「必要とされる選手」がどんなもので自分には何が足りなくて、何が求められているのか。
それについて考えることが大事なのかなと思う。
そして、それに見合った努力をすること。

AとBを行ったり来たりする状況に陥ったからこそ、このことについて考え、自分を見つめ直すことができた。

自分はチームの求めるものと真逆の人間だと言ってきたが、だからといって今年、Aチームで定着しリーグ戦に出ることを諦めてるわけではない。
真逆だからこそ、何をすべきか1番明白な人間である。

コロナで生活が制限され、先行きの不透明な日々ではありますが、「必要とされる選手」は何なのかを考えながら過ごすと、今この状況でも自分がすべきことは見えて来るはずです。

今を無駄にせず頑張っていきたい。

2020年5月5日火曜日

日々是好日 新3年 神崎隼輝

みなさんこんにちは。阪大サッカー部3年の神崎隼輝です。
普段ほとんど自分の考えを書き起こすことなんてないのでこの部員ブログをいい機会だと思って書かせていただきます。き

突然ですが、僕には趣味という趣味がありません。何かにのめり込んで時間やお金を使うことはこれまでの人生ほとんどありませんでした。長く続けてきたことといえば、そう、サッカーくらいです。そんなマブダチのサッカーにきちんと一回向き合ってみたいと思います。長くなると思いますがご了承ください。

僕がサッカーを始めたキッカケは小学生あるあるの二択ゲームです。野球かサッカー、どっちにしよって感じでした。たまたまその年、W杯があって盛り上がっていてクラスでジダンの頭突きゴッコが流行っていたのでサッカーに決めました。

小中までは本当にサッカーが楽しかった思い出しかありませんでした。仲間にも恵まれ、試合にも出れ、サッカーをやめるなんて微塵も考えていませんでした。

初の挫折は高校の時。僕は高校は神奈川きっての進学校、湘南高校(名前がまずカッコいいし、スラムダンクの聖地)に入学しました。
意気揚々と入学しましたが、周りのレベルの差に圧倒されました。自分より勉強できて、サッカーもできて、おもしろい人がたくさんいました。典型的な井の中の蛙だったわけです。

部活の内容もハードで、走ってばかりでした。yoyoテストというシャトルランに似た体力測定を週2でやり、陸上部みたいなインターバル走をやり、挙げ句の果てには走りで練習が終わる日さえありました。
部の同期は上のチームにあがっていく中で、最初は焦りとやる気でなんとか繋いでいた糸も、次第にほつれ、切れてしまっていたのでしょう。早く部活終わらないかなって思うことも増えました。僕は、部活はダメだけど勉強は、みたいな器用な人間ではありません。今まで生活の一部だったサッカーのやる気がなくなり、勉強のモチベーションもあがらず、成績は下がる一方でした。僕は今まで自信をもって生きてきた方だったのでその反動は大きく、親に気遣われたり、顔を見るのも嫌になり、何にも本気になれていない自分が情けなくて涙が出たこともありました。

そのまま最後の選手権を迎えました。例年僕らは二次予選に進出しており、いわゆる夏越え(一次予選決勝は7月、二次予選は9月)をしていました。ですが、例年に無く一次予選決勝で負けてしまいました。
3年の同期では、夏終わりの県リーグ戦があと1試合残っているため続ける派と、もう引退派に分かれました。結局やめたのはたったの5人しかいませんでしたが、その5人はみんな仲良かったので、決定前夜もその5人とラインしていて、どうすべきか迷っていました。大きな決断はふとした瞬間に迫ってくるものです。
けれど、なんとなく自然に、このままで終わっていいのかという思いが湧き上がり、なんだかよくない気がして、半ば投げやりに僕は続けることを選択しました。今思えばこの決断は全く間違っていなかったと思います。ふっきれたことがよかったのでしょうか、その夏で僕は自分でもわかるくらいにメキメキ成長し、なんと、最後のリーグ戦で最初で最後の先発フル出場をすることができました。
そしてもちろん浪人しました。

個人的にハッピーエンドだったので、大学ではもうサッカーをする気はありませんでした。ですが、浪人期間にとんでもないフラストレーションを溜め込んでいた僕は、サッカーがしたくてたまらないボディになっていました。
大学の部活については賛否両論まわりからありましたが、どちらもあまり聞き入れませんでした。
大学サッカーは学生主体ときいていましたが、高校の監督が厳しかった分、どこか緩いんじゃないかと暗に考えていました。そのため、高校時代の余熱を覚ます程度、言わばサッカー人生のウイニングラン程度に考えていました。しかし、そんな意味の分からん考えは一瞬でかき消されました。練習にメリハリはあるし、普通にキツいし、何より先輩が怖いです。グラウンドには活気が満ち溢れ、プレーヤー同士の言い合いも散見されます。

おぼろげだった僕の熱量も呼応するように増していき、学生主体ということもあって、高校時代を教訓にして、考えながらサッカーに打ち込むようになりました。
その心境の変化もあって、運もあって2年の夏頃から少しづつAチームに絡めるようになりました。
褒められることも増えて完全に舞い上がっていましたが、現実にすぐに引き戻されました。Aチームの人たちはもちろんめちゃくちゃ上手くて、特に2個上の先輩は超がつくほど上手で超がつくほど怖かったのです。
僕はメンタル弱小人間なので、いつの間にか個性を出してアピールするプレーよりも、先輩に怒られず、Aから落ちないプレーをするようになってしまいました。
そんな奴がいいプレーをできるはずもなく、練習では怒られてばかりでした。時折親切な先輩方が縮こまってる僕をみて、気にするな、と声をかけてくれましたが、それをポジティブに受けとめる余裕のない僕にはカタカナ語で変換されてました。(キニスルナ?ナニソレ?)

結局この問題は能動的に解決したわけではなく、受動的に時間が解決してくれました。(2個上の代の引退です)不甲斐ないと感じる一方、高校で目立てなかった自分が大学で成長し、上のチームでやれている現実に嬉しく感じました。サッカーの成長なんてとっくに止まってるかと思いましたが、そんなことはなく、まだまだ発展途上中なのです。ウイニングランとか言ってた自分を殴りたかったです。

成長は、技術、身体面だけには止まりませんでした。

僕は、大学サッカーで人生初めて嬉し泣きをしました。今まで21年間、嬉し泣きをしたことなんて一度もありませんでした。試合は、1年の冬にBチームとして出た、近畿国立体育大会の3位決定戦vs神戸大学戦です。
相手の神戸大学はAチームであり、何より僕たち阪大のAチームですら前年度一度も勝てていなかった相手でした。キャプテンは当時怪我をしていてBの試合を観に来てくれていましたが、「複数失点しなかったらいいな」て言ってるくらいで、誰も勝つことなんて予想していなかったと思います。
でも、前半0-0で耐え、後半に味方が値千金のゴールを決め、結果1-0で勝つことができました。
試合中、僕はDFとしてがむしゃらにやっていたので具体的な記憶はあまりありませんが、最後ロスタイムが永遠に感じるほど長く、辛かったことだけは覚えています。
試合終了のホイッスルが鳴ったあと、本当に自然に涙がでてきました。自然に同期のキーパーを抱きしめていました。嬉し涙なんて流したことなかったので動揺してしまい、恥ずかしさのあまり隠そうとしましたが止まりませんでした。ベンチに帰ったらみんなにバカにされるかななんて思っていましたが、誰もバカになんてせず、みんなで遠慮なく勝利に酔いしれました。
全国につながる試合でもなければ、Aチームの公式戦でもありませんでした。この部活に本当に熱中し、のめり込める環境があってこそだと思いました。
この経験はある種の原体験となり、今後何度も思い出すことは間違いないでしょう。大学サッカーは精神的にも成長できることを改めて学ぶことができました。

嬉し涙も悔し涙も流してきましたが、すべてが成長の礎であり、成長の証であると気づかされました。毎日良いことも嫌なこともたくさん起きますが、「日々是好日」なのです。


かなり長くなってしまいごめんなさい。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。

今はコロナウイルスでまともにサッカーができておらず、リーグも延期が決まりました。
今は自分ができることに集中し、再び全力でサッカーができる日に備えたいと思います。
どうか今後とも阪大サッカー部の応援をよろしくお願いします。

2020年5月1日金曜日

サッカーがしたいです 新3年 高久保周

皆さん初めまして、新3年の髙久保周です東京の男子校出身でどうでもいいけど、西島秀俊さんの後輩です。新型コロナウイルスの影響で部活をできない中、僕は今、とてもサッカーがしたいです。グラウンドと部活のみんなが恋しいです。新入生にとってはなかなか大変な時期だと思いますが、部活が再開されたらぜひグラウンドに足を運んでほしいなと思っています。

ところで、みなさんは、「自分が好き」ですか?

完全に自論ですが、僕は、人は自分自身のことを好きであるべきだと思います。といっても、「オレ、かっこいい」とかではなくて、自分に自信を持つべきだ、ということです。正直、僕は自分のことをあまり好きになりきれてません。というのも、部活の同期には自分よりもっとサッカーがうまかったり、ストイックだったり、コミュニケーションを取るのがうまかったり、おもしろかったり、そして人として尊敬できるやつが沢山います。かくいう僕は、そういう同期たちに勝てるものってなんだろう、思うことがよくあります。時にはなんで今日試合出られへんかったんやろとか、なんでBサブやねんとか思うことだってあります。人間ならきっとこんなふうにネガティブになることは絶対にあります。ただ、僕はそんな時でも、これは自分には向いてない、とか、自分にこれは無理だ、とは思わないようにしています。自分が下手なことを棚に上げて、自分ができたところだけを見ろ、と言っているわけではなく、自分ができなかったところはしっかり省みて、改善策を模索することが大切だと思います。伸び代ですねぇ。しかし、なにより大切なのは、自分ができたところにはしっかりと自信を持つことです。自信がある部分は、伸ばすのが楽しいはずです。自分の長所に自信を持って、それが誰にも負けないと思える武器になったとき、初めて自分のことが好きになれるのかな、と思っています。そして、自分のことが好きであれば、自分のことを良くアピールできるのではないでしょうか。うまくアピールできれば活躍するチャンスも増えます。活躍できれば、もっと自信もつく。いい循環に入れます。とにかく、自分のなかに自信を持てるものを1つ見つけることがとても大切に感じます。所詮、こんなのは綺麗事にすぎません。どれだけ練習しても敵わない相手なんて死ぬほどいるし、なかなか思ったような活躍ができないなんて当たり前。かといって練習をやめれば、そこで終わり、負けです。あくまで理想だけれど、長所を伸ばせるだけ伸ばすことが自信を持つことに繋がる。そして、自信を持つ事で自分の目標としているステージに近づける。これが僕なりの考えです。
といっても、簡単には自信を得ることなんてできないし、僕なんて日々生活をしていて周りの人を羨むばかりです。でも、そういう環境に身を投じるのも悪くないと思います。
もう僕も3回生になって部活の中では先輩より後輩が多くなる時がやってきてしまいました。ならば、先輩らしく少しは部活に貢献できるようにならないとなと思い、こんなことを書きました。
偉そうに長々と綴りましたが、これは自分が大学に入ってまで本気でサッカーをやって感じたことです。また、ありきたりですが、浪人させてもらい、下宿させてもらい、さらに部活までやらせてもらっていることに感謝しています。
最後に、僕が意識している言葉はスラムダンクの「あきらめたらそこで試合終了です」で、最近よく聴くはコブクロさんのDOORです。是非聴いてみてください。こんな拙い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。