私はこの言葉が好きだった。「なんとかなる」の繰り返しで今の私はここにいる。苦境に立たされたとき、人は焦り、不安、苦しみ、辛さなどたくさんの負の感情に支配される。しかし、開き直って「なんとかなる」と思うと、それらは完全に消えることはないにしろ多少和らぐはずだ。少なくとも私はそうである。 何か上手くいかないことがあったり、ミスをしたとき、様々な場面でこの言葉を使った。気が軽くなるから。その効果、利便性故にこの言葉を使い続け、壁を乗り越えてきた。私1人でなんとかしてきた。私にとっては素晴らしい剣であった。
一方で、それはただの逃げ道である。向き合っている物事に対し深く考えないと言える。自らはそれを放って流れに身を任せているだけにすぎない。今までなんとかなってきたのは、家族、友達など周りの力があったからだ。決して1人で乗り越えたのではない。上手くいかないことやミスを回りの人間がカバーしてくれたおかげだ。回りの力のおかげであり、自分は全く成長していなかったのだ。最近まで私はそれに気がついていなかった。とんでもない勘違いだ。今となっては回りの人間に感謝している。
前述した通り、今まで私は、嫌なことや向き合いたくないことに対し「なんとかなる」と言って逃げてきた。しかし、人生設計ではそんなことは言ってられない。高校、大学進学共にしっかりと考えず回りに身を任せてきた。どの学校に行っても「なんとかなる」という軽い気持ちで。今の生活が楽しくないわけではない。しかし、軽い気持ちであったが故に、もしあの時違う選択をしてたら…と考える時がある。軽い後悔だ。一度きりの人生である以上、私は思う存分満足できる人生を送りたい。大学3年生である私はあと数年で社会に出る。どの道を進むかは自分で決めるしかない。回りは助けてくれるか。助けてくれないだろう。いや、助けれない。なんとかならない。自分の人生だから。このままの、逃げてきた私ではこの先後悔する気がする。
1つ上の大学4年生の人達は就活、院試に直面している。就活でどこに行こうか悩む人、院に進むか就職するか悩む人、とても大変そうである。現に、私も来年どうするかは決めていない。中には、やりたいことが明確な人、将来のビジョンを組む人もいる。羨ましい限りだ。1つ上の先輩達のおかげで、私は今の自分を見直すことができた。
全く成長できてなかった私にはわずかながらまだ時間がある。これからを満足に生きるために、まず、残された時間で「なんとかなる」を捨て、道を作らねば。その道を歩けるかどうかはその次だ。