2020年7月23日木曜日

言葉 2年 梶恭介


はじめまして。新2回の梶恭介です。
まずはじめに、1つ前の人が大先生のような文章を書いたせいで、僕も技巧を凝らした文章を書かないといけない気になっていますが、そんなことは出来ません。すいません。読みやすい文章になっていると思いますので、ぜひご一読ください。
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最近になって、言葉って不思議なものだなと感じるようになりました。言い方によって意味が変わってくるし、その人の性格や気分次第でプラスにもマイナスにもとらえられる。人にはそれぞれ忘れられない言葉が1つはあると思います。僕の中のそれは、サッカー人生において出会いました。

「お前が1番下手や、サッカーやめろや!」

サッカーを始めて5年が経った中学2年の頃、なんとなくサッカーを続けていたある日、練習の紅白戦でコーチから急に名指しでそう言われました。中学生という多感な時期に大の大人(しかもガラが悪い)から怒号のように発せられたこのストレートな一言で、まだまだ真面目な子供だった僕のメンタルはぐちゃぐちゃにされました。当時は、どう変換してもポジティブな意味で捉えることは出来ませんでした。そんなの当たり前で、誰がどう見てもネガティブな意味しかないからです。

普通、こんなに罵声を浴びせられたらサッカーをやめてしまうのではないかと思います。しかし僕の場合、やめる・やめないを悩む余裕も時間もなく、練習に追われる日々で、次また怒られるんじゃないかという恐怖でただがむしゃらに上手くなるように練習しました。毎日が大変だったけれど、なんとか中学の最後の大会ではいい成績を残すことができました。

恐怖が自分を成長させてくれたことは間違いありません。しかし、僕がここで言いたいのは、言葉が僕を突き動かしたことです。当時言われた一言が、十数年たった今でもたまに悔しくて頑張らないとという気持ちにさせてくれます。普段の練習でも、先輩に言われた何気ない「ナイス」や「頑張れ」のシンプルな一言でテンションが上がり、プレーに影響してきます。つまり、誰でも簡単に他人のモチベーションをあげることは可能なのです。どんなに苦しいときでも、お互いがお互いを励まし合えるチームこそ最高のチームだと思います。

最後になりましたが、最近コロナ自粛で実家に帰り、部屋の整理をしていると、中学卒業の時の寄せ書きにあのコーチの一言が添えられていました。

「現状維持は衰退」

今思えば、たしかに当時、上手くなろうとする訳でもなくサッカーを続けていた僕は現状に甘んじていたのかも知れません。これからのサッカーを含めた大学生活において、この言葉を胸に日々精進していきたいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。




2020年7月19日日曜日

春過ぎて夏迎え、未だ冬眠中 2年 劔佳吾

早いもので最後の練習から4ヶ月が経つ。待ちわびた桜もとっくに散って、なかなか止まぬ雨を憂う日々が続いている。程なく大っ嫌いな虫たちが長い雨宿りを終えて飛び立つ頃かと思うとなお一層気が沈む。日に日に夏の足音が大きくなっているそんな中、私は依然として土の中で眠っている。
  
 新チームが発足して8ヶ月。怪我に怪我を重ね、私がフルで練習をこなしたのはそのうちのわずか5日。この数字をみて改めて自分の味噌っ滓ぶりに腹が立つ。サッカーをしないサッカー部員などチャーシュー抜きのチャーシュー麺かタイヤのないフェラーリも同然。まったくの無価値である。よっぽど気圧計やコーナーフラッグの方が活躍していたに違いない。
 
 無論そんな状況は到底耐えうるものではなかった。私は日頃、喜怒哀楽の中二つは見せんと強固な仮面を被り感情を殺している。けれど本来かなり血の気の多い性分である上に重度のサッカー馬鹿だからこの数ヶ月は燃えるような想いで過ごしてきた。練習中ピッチの中にいれないことや、試合を前に指を咥えるしかないこと。そういったサッカーに関する全てのことが憤りとなり苦しみとなった。

 本音をいえば、途轍もなく辛かった。吹田のグラウンドを見るのも苦痛だったし、サッカーをしている同期の顔をみると涙がこぼれそうだった。もはや何もかもが嫌だった。けれど結局は、今の自分が嫌いで許せなくてしょうがないのである。ひどく落ちぶれた不甲斐ない自分を思うたびに堪らなく気が狂いそうになる。

 日々の波はあれ、長いスパンで見れば自分は常にピークの中に生きてきた。年と共に成長し強くなっていた。だが今人生で初めてピークが過去にある。今の自分はベストの自分に遠く及んでいない。遅いし弱いし故に自信もない。だから毎プレー負け続ける。自分の持つ力全てを出せぬならば他人と競争する過程にはいないと私は考えている。大凡不戦敗のようなもの。私はこの一年間戦う土俵にさえいなかった。自分に負ける悔しさとは想像を絶するものであった。怒りなどとうに通り越してあらゆる負の感情が最高潮に達し束となって自分に押し寄せてくる。間違いなく自分のなかで一番嫌いな感情であった。

 紛れもなく、その感情を消し去るためには自分が自身に打ち克つ他ない。だから私は自分のかつての残像を追いながら己に鞭を打ち続けた。おかげでこの練習無き数ヶ月間を一日たりとも後悔することなく過ごすことができた。少しずつ目指す自分に近づけていると感じている。チームの一員としても半年弱の大きな遅れを取っていたものの、漸くスタートラインには立つことができたと思う。闘っていく準備は整った。


 そうこう書いているうちに近日中の練習再開の知らせが入った。このブログが出る頃には練習が始まっているかもしれない。

 何にせよ、ようやく長い冬眠を終えて土から顔を出すことができる。呆れるほどに長い充電期間であったけれど、人が長く助走をつけるほど遠くに跳べるように、私も耐えて堪えた分だけ強くなれると信じている。もしかすると空回りに終わるかもしれない。あるいはまた身体が壊れてしまうかもしれない。でもそれだっていい。とにかく死力を尽くし続けようと思う。クラッチ踏んでローギア入れて、なんてもうとってもやってられない。エンスト覚悟でトップギアに入れてぶっ飛ばしていきたい。

2020年7月17日金曜日

First year 2年 石田峻平



はじめまして、2年ゴールキーパーの石田峻平です。
大学に入学してから一年以上が経過し、その中での自分の変化について書こうと思います。 

それは、サッカーの試合を見る機会が増えたことです。大学に入る前までは、BSサッカーや代表戦など、見ても年10〜20試合程度でしたが、大学に入ってリーグ戦のやっている時は週に2,3試合観るようになりました。決してまだ多くはなく、むしろ少ない方ですが、個人的には大きな変化だと思っています。

一口にサッカーの試合といっても色々ありますが、一つは海外のリーグやJ含めプロの試合を見ます。ありがたいことに昨年の10月ごろから特別な契約によってDAZNを見ることのできる環境にあります。そのため、好きな対戦カードがあればその都度見るようにしています。正直なところ、観て学ぶというよりかは素直にプレーを観て楽しんでいる割合がほとんどを占めているので毎回、毎回、自分のプレーのために何かを得られているかは分かりませんが、以前よりは確実にサッカーについての理解が少しずつ深まっているように感じます。

そして、もう一つは自分のプレー含め大学サッカーの試合です。公式戦だけでなく、練習試合、時には練習での紅白戦もビデオで撮って、その日か次の日には見られるので、常日頃プレーの改善に生かしています。他にもスカウティングや大会の決勝戦など自分のプレーを見るときとは違った観点から観戦する機会が増えたのも一つの変化です。

これまでサッカーを見る機会が増えたことについて書いてきましたが、実際のところ、試合を見終えた感想は、この選手がうまかったとか、あのゴールはすごかったなとかその程度で今はまだ、サッカーの知識がないという弱点を少しずつ平均のレベルまで引き上げる段階です。最終的な目標としてはゲームの中でチームの修正点を見つけ、改善できる力をつけられるようにしたいと思います。そのためにも、よりサッカーの理解度を深めて、今まで以上にサッカーを楽しめるようになりたいです。

2020年7月15日水曜日

決意 2年 出口大


はじめまして。新2年の出口大です。
入部当初からM2などと老けいじりをされてきましたが、最近医者にも「若者の薬は君には効かない」と言われてしまい、僕は若くないんだなと痛感しました。

今回は、僕にとってのサッカーについて少し書いていければと思います。

僕にとってのサッカーは怪我と共にあると言っても過言ではないくらい常に痛い状態でプレーをしています。
特に高校に入って、高1の夏前から膝の慢性的な痛みで一年以上プレーが出来ませんでした。
高2ではギックリ腰になったとき精密検査をしたところ、ほぼ先天性に近い腰椎分離症が見つかり、医者にはどうすることもできないと、サジを投げられました。
試合の日には必ず痛み止めを飲み、時には、寝返りを打った痛みで起きることもありました。
そんな状況でサッカーをし続けるのは精神的にもかなり辛く、高校卒業する時にはサッカーを辞めようと思っていました。

しかし、僕は結局体育会サッカー部にこうして所属しています。
その理由はやはりサッカーが大好きで、サッカーをしていない自分が全く想像出来なかったからです。
暇があればサッカーの動画を見て、寝る前もサッカーのプレーについて考えたりしています。僕にとってサッカーは日常の一部になっていました。

残念なことに、今も怪我と向き合いながらプレーをすることが多いです。
病院に行ったり、プレー後のケアなどやることは人よりも多く、医者にもそこまでサッカーしたいか、と聞かれることもしばしばです。親にも心配をかけますし、サッカーにかける時間を他に費やせばもっと何か別のことが成せることがあるかも知れません。
しかし、僕にとって、サッカーが大好きで何事にも変えられないものだからこそ、こうしてやり続けていられます。親や友達など応援してくれる人が僕の周りにはいます。周りで支えてくれる人への責任もあると思います。

だからこそ、サッカーに対してもっと真摯に取り組んでいきたいと思います。
練習から頭を常に使って、一つ一つのプレーにこだわり続けて、チームの中心選手になりたいです。
ピッチに立てば、僕の怪我も学年も関係ありません。
やるからには全力で。

2020年7月10日金曜日

知る 3年 松田明香里

こんにちは。新3年の松田明香里です。前代未聞の自粛期間というこの味気のない毎日の中でも、この部員ブログは、私の唯一の楽しみでもありました。でもいざ書く側になると、かっこいい言葉を使いこなす語彙力もなければ、面白く書く文章力もないし、、と悩みました笑 散々悩んだ結果、私は、高校時代みんなとは違う時間を過ごしたからこそ味わったことを書くことにしようと思います。

「なんでマネージャーしようと思ったの?」という質問はマネージャーに対してみんなが疑問に持つところかもしれません。自分自身、そう聞かれても曖昧な言葉で返していたような気がします。

みんながサッカーに熱中していた高校3年間、私も弓道というスポーツに青春を捧げました。弓で矢を引き、的に当てるにはブレを±3mm以内に収めなければならないという超繊細なスポーツです。そんなにメジャーなスポーツでもないですが、148cmの身長といい、この体格がプレーヤーに向いてないのは容易に想像してもらえると思います。案の定、そのフィジカル面で壁にぶつかり、逃げるようにして高1の夏、私は留学に行きました。夏合宿なども含め、大事な成長期を逃した私は、1年生全員が出る大会にも出られず、応援席で同期の姿を眺めることしか出来ませんでした。弓と矢を持つことは疎か、道場内に入れてもらうことさえも出来ず、永遠と1人道場の外で基礎練の日々でした。悔しくて悔しくて、悔しくて、そして情けなく、悲しかった。でもその思いはいつの間にか、怠惰な気持ちへとすり替わっていきました。結果に拘ることもなくなり、集中も出来ない、メンタルもブレブレ。けっきょくいつまでたってもメンバーには選ばれない日々でした。
いつからか私は、控え室に座っている同期に声をかけ、道具の整備を手伝い、スコアを付けて選手に伝え、会場運営の仕事に奔走する、いわばマネージャー的立ち位置に収まってしまっていました。

選手をしていたからこそ、メンバーたちが何を必要としているか、何をしてもらったら助かるか、そういうことが分かる私は正直、マネージャーのようなその立場にやりがいを感じる時もありました。選手として部活にいる時よりも必要とされる実感を得られたからです。

2年生に上がって、弓道をしに行くというよりも、大好きな部活の同期たちに会いに、週7で道場に通っていました。しかし道場に行けば、コーチもいるので練習せざるを得ません。嫌々ながら練習をしていたはずでしたが、気がつけば弓道というスポーツと向き合うようになっていきました。ギリギリのところでポジションを奪い、新人戦の九州大会という大きな舞台で結果を残します。九州3位という輝かしい栄光を、選手として、手にすることが出来ました。

褒めに褒められ、調子に乗った私でしたが、その後、油断したせいか、期待されていた最後の夏の総体で、一個下の後輩に追い抜かれ、メンバー外。あの一瞬だけが奇跡のような思い出となってしまいました。高校3年間の間に、支える立場として部活に携わることの意味を知り、そして選手として最後にやりきれない思いを味わいました。

だから、今、私はマネージャーとして、体育会サッカー部にいます。

あの時果たせなかった悔しい思い、選手が最高のパフォーマンスが出来る環境を作る立場としてのやりがい、など全てをこの体育会のマネージャーにぶつけようと決めました。

覚悟を持って部活に入ったものの、みんなが20年近くやってきたサッカーは、私にとっては未知の世界です。そこにいきなり飛び込んで、辛いことも多くありました。選手との間に壁がある、頼ってもらえない、怪我の話さえしてもらえない。
でも正直それは当たり前で、サッカーを知らないマネージャーにサッカーの話なんかするわけも無いし、知識もない人にテーピングを頼もうなんて思いません。
私自身、これを認めるのは傷つくと分かっていたからこそ、今の現状に目をつぶり、努力をしようとしていませんでした。

私たちの学年は「仲が良い」とよく言われて来ました。この3年近くで何回言われたか分かりません。でも言われれば言われるほど、私は同期のことを知った気になっていました。「仲が良い」からみんなのことが分かっているつもりでした。でも、実際、同期が書いた部員ブログを読んで、知らないことしかありませんでした。みんながどんな高校時代を過ごし、どんな思いを抱えて入部し、何を思いながら練習し、ピッチに立っていたのか。

やっとあの現状に正面からぶつかりにいける気がします。そのためにも、みんなをもっと知ろうと思います。信頼され、頼られるマネージャーになるには、選手自身について知らなければならないし、もちろんそれからの努力も怠らないつもりです。

部員ブログから少しだけみんなの思いを知って、これでやっとスタートラインです。部活が再開したら、みんなのために、自分のために、グラウンドで時間を過ごしたいと思います。

これからの阪大サッカー部の活躍に期待してください!私も共に戦い、成長できるように頑張ります!

2020年7月8日水曜日

MÁS MAGICO 3年 五喜田孟彬

こんにちは、3年の五喜田孟彬です。
千葉県の高校を卒業後、都内で1年を過ごして大阪に来ました。大学では物理を勉強しています。阪大サッカー部では学生コーチをしてます。よろしくお願いします。
部員ブログをかけとK山君に脅されたのでサッカーの話でもしましょうかね。サッカー部に関係のない高校とかの友達へは最後に何か軽く書くのでよかったら読んでね。
本題に入る前に断っておきますが、長くなるので僕の考えの表面の一部を書きます。また、解釈は無限個存在するのでなんか言ってんなーくらいに読んで下さい。では、始めます。
皆さんはサッカーをどのようにみていますか?(捉えますか?がいいのかな)
よく「攻撃」⇄「守備」の様に2つに分解したりトランジッションを含めて3つ、4つに分解して各状態間の遷移の様にみようみたいなのが多いですねぇ。(J○Aの一般公開されてる資料では「攻撃」⇄「守備」となっています。指導者向けだと少し違ったかな、知らんけど)
僕は「ボール保持」と「ボール非保持」のサイクルとして見ています。(そもそも分けない派ですが簡単の為って事で)
決して「攻撃」と「守備」で分けません。そもそも⇄だと2つの状態がキレイに切り離されてる様に感じる可能性を持ち得るのでなんだかなぁ。実際の試合で少なくともCB、GKはボールロストに備えて立ち位置を決めていますよね?決して「俺が点をとる!」を目的とした立ち位置ではないですよね?
つまりチームとしては「攻撃」の状態が顕著であるが実際には「守備」の事をメインに考えている選手がいます。(ここに深入りすると長いので省略)なので「攻撃」⇄「守備」の様に2つを切り離すことは出来ません。1番の理由はコレですかね。
強いて言うなら「攻撃」と「守備」の状態が重ね合わさっていると僕は言います。
また、「ボール非保持」の始まりは「ボール保持」の終わり(広義の意味でのボールロスト)の瞬間です、当たり前ですが。
つまり2つの状態「ボール保持」と「ボール非保持」が離れることなく循環していると解釈できるのでサイクルと表現します。こんな感じですかね。
ここから長くなるのでこれで終わります。極一部を書きましたがこの先は某後輩君が書いてくれるかな?笑
読んでくれた部員の皆、意見ください。

P.S.
サッカー部とは関係がないけど読んでくれた友達に向けて少しだけ。
みんな元気?ココを見てるって事は多分僕が仲良くしてもらってる人達かな、知らんけど。みんなと理由無く会えていた日々が懐かしいです。また、会える日を楽しみにしてます、元気で!

2020年7月4日土曜日

選択と本気 3年 山口雄翔

こんにちは、3年の山口雄翔です。
ここ数か月間先輩方や同期のみんなのブログを読んでいて、みんながサッカーに対して、部活に対して真剣に考えながらやっているのが分かり改めて尊敬できる人たちばかりだなと感じています。
そしてついに書く番が自分に回ってきたわけですが、考えても考えてもみんなみたいなアツい文章は書ける気がしません。ここ1年半くらい深みにハマっている筋トレのよさについて語ろうかとも思いましたがそれはこの場にふさわしくない気もするので、大学生活について僕が考えていることを書いていくことにしたいと思います。
部員ブログっぽくない内容かもしれませんが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。



いきなりですが大学生というのは何をする期間なのでしょうか? 高校までは受験勉強や部活や行事ごとなどすべきこと、頑張るべきことが明確に与えられていますが、大学では違います。もちろん勉強はしないといけませんが、それだけではないと思います。
現在大学生である僕の友達や先輩の中でも、その競技のプロを目指して部活をやっている人、資格の勉強やインターンなどにいそしんでいる人、休学してアフリカに行きNGOで働いている人、ゲームを自作してリリースしている人、起業をした人、学生ながら人気YouTuberになった人などがいて、人によって取り組んでいることは本当に様々です。
授業は大事ですが,大学というのはそれだけで充実した生活が送れていい将来が待っているという場所ではないと、多くの人が考えているからだと思います。もちろん自分の所属や将来何になりたいかなどにもよると思いますが、時間的にも能力的にも様々なことにチャレンジできる大学時代に、学校以外の時間に取り組むことがないというのはとてももったいないことだと僕も思います。
ですが他に何をすれば、何を頑張れば意味のあるいい大学生活になるかという答えはありません。
だからこそ大学生活を通して何に取り組むかを考えることはとても重要だと思います。
一つをやれば他のことが何もできなくなるわけではありませんが、当然他のことをする余力や時間は減ることになるので、自分で考えて選択をする必要があります。


そしてその限られた大学生活の中で僕は、プロを目指すわけでもなく公式戦に1秒たりとも出たことがないにも関わらず阪大サッカー部でサッカーを続けています。
同期の水越も部員ブログに同じことを書いていましたが、僕も部活に入って他のことを犠牲にして練習とかをしていることに対して偉いとかいった考えは一切ありませんし、他にやりたいことができて部活をやめることが悪いことだとも一切思いません。続けるのもやめるのも自分の選択であり、現在や将来の自分のためにそういった選択を行うのは大学生にとって当然のことだというのが僕の考えです。
そんな僕がそれでも部活を続けているのは、ただ大好きなみんなと本気でサッカーをするのが楽しくてちょっとずつだけどサッカーがうまくなっていくのが嬉しいというごく単純な理由からです。10年以上サッカーをしてきた中で今が一番楽しいし、うまくなるために全力で取り組めていると断言できます。
もちろん好きなサッカーをしたということしかない大学生活でいいとは思ってませんし、他にも本気でやっていることはありますが、他のことをする時間を大きく削ってでもサッカーをしたいと思うくらい部活が大好きです。


僕は自分とまったく違ったことをしている友達の話を聞くのが好きでよく色々聞くのですが、充実しているんだろうなっていう人はみんな自分の好きな熱中できることをやっている気がします。
正解の選択肢というのはありませんが、自分がしたいと思えることを本気でやる中で熱い体験をしたり面白さに感動したり達成感を感じたりして、そのことを後から振り返って心から楽しかった・多くのものを得られたと感じた時にそれがその人にとっての正解の選択になるんじゃないかなと思います。
また自分が本気になれることであれば時間が許す限りは二兎も三兎も追うことができるし、サッカー部にもそういう人が結構いると思います。
大学生のうちにやりたいことすべてをやるというのは厳しいのでしょうが、忙しい中芯を持って色んなチャレンジをしている人を見ていると刺激を受けるし、見習わなければなと思わされます。


当たり前ですが結局なりたい自分や今やりたいことを整理して、優先順位つけてやっていくしかないです。
僕は大学生のうちに猛烈にやりたいことができてサッカーをやめる可能性もなくはないですが、今みんなとサッカーすることを捨ててまでやりたいことはとても見つかりそうににないし、引退まで部活をやり抜きたいと思っています。
時間は限られていますが、その中でしたいことやすべきことを全部楽しみながら精一杯やって、振り返った時に胸を張って最高だったと言えるような後悔のない一日一日にしていきたいです。


長い文章になってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。おこがましいかもしれませんが、もしこれを読んでくれている新入生が数人でもいましたらこの文章が大学生活について考える小さなきっかけとなれば嬉しいです。