僕のセンター試験の国語の点数は、浪人時代のセンター本番以外で6割を超えたことはほとんどない。また、僕より前にたくさんの部員がブログを書いているが、みんな内容もしっかりしているし面白い。そんな中で書くのは気が引けるが、書くしかない。自分らしく真面目に一生懸命書いたで最後まで読んでいただけるとありがたいです。
僕がサッカーを始めたのは年長の時なので、今年で15年になる。15年前の記憶などないに等しい。唯一あるとすれば、小2の時にサッカーをやめて野球をするか迷い、結局デッドボールが怖くてサッカーを続けることを選んだことくらい。また、センターバックをしていた。阪大でも同期で一緒にサッカーをしている幼馴染の床並君がボランチで、床並君が取ったボールを僕が蹴って、床並君が取って、僕が蹴っての繰り返しだった。副キャプテンでよく怒られていたことも覚えている。結構記憶あるやんと思ったかもしれない。確かに結構ある。それはそうである。僕のサッカー人生の始まりをを簡単には忘れたくない。それぐらい強い想いを持っていた。
次は中学生。僕はガンバでサッカーを頑張っていた。今これを読んでいる人は、「え、ガンバ?!」とか「田辺すげー!」となったかもしれない。とても嬉しい。しかし、そのガンバはみんながよく知っているガンバ大阪ではなくガンバ堺という、映画館の横にある小さなグラウンドで活動しているチームである。練習中にポップコーンを食べに行ってもばれないだろう。そんなチームでもガンバというのが同じだけで、一瞬でも自分のことをすごいと思わせられるだけでも入った甲斐があったのかもしれない。でも、実際は食べに行く人など1人もいず、みんな真剣にサッカーをしていた。そして、上手い人は本当に上手く、ついていくのがやっとである。そのような人と一緒にやることで自分も少しはレベルアップできたのかなと思う。また、練習は、個人的に好きな基礎練など、個人の技術を上げる練習が多かった。それのおかげである程度のボール扱いができるようになったのかなと思う。本当にガンバ堺に入ってよかったと思っている。
次は高校生。中学生の所に書いてなかったが、中学3年の時、ほとんどサッカーをしていなかった。勉強しかしていなかったのである。しかし、それによって掴んだ合格はとても嬉しかった。そのままなんの迷いもなしに張り切ったままサッカー部に入部した。しかし、いきなり挫折を味わった。理由はは単純で、受験太りである。僕の高校の近くには一周3キロの仁徳陵があるのだが、最初の練習でいきなり走らされた。僕の体型では一周走り切ることさえも困難であった。この時の体型はまさに魔人ブウだった。何かをチョコにできるわけでもなかった。つまり、ただのでぶだった。しかも後々わかったことなのだが、一緒に走った人たちはサッカー部の中でもだいぶ速い人たちで、ボロ負けした。その時悔しくてふと、サッカーに体力とかいらんやろ。と思ってしまった。これは大間違いである。サッカーはむしろ走ってなんぼのスポーツである。それに気づいたのは先輩と一緒に試合をしたときである。後輩の自分が走らず、先輩が走っているのを見て、これはダメだと思ったのだ。当たり前である。それから、2年のときは、朝早く起きて走っていた。それでも試合ではなかなか走れず、3年の最後の試合も何もできずに負けてしまった。とても悔しかった。
最後に、今(大学生)。高校で悔しい思いをしたのもあるし、サッカーが好きなのもあって、大学でもサッカーを続けている。阪大サッカー部は周りが思っている以上にレベルが高いと思う。同期で言うと、ガンバユースなど、上手い人がたくさんいる。また、面白い人が多い。同期はみんな全然違って愉快である。こんな人達とプレーできるのは光栄である。しかし、それも後2年くらい。このままいくと彼らの足を引っ張ってしまうだろう。そうしないためにも、最上回生になるまでに自主練など自分の出来る最大の努力をしていきたい。そして一緒に勝ち続けたい。
これまでのサッカーや、サッカーに対する気持ちはこんな感じです。
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