今年の2月の追いコンで、当時四年生の主将にこんなことを言われた。
「おまえは育った環境が甘いから、最後の最後で頑張りきれてなかった」。
最初はもう引退する先輩の、飲みの席での発言など気にも留めていなかった。しかし、時間が経つにつれて、この言葉は自分に重くのしかかってきて、いつしか自分が大阪大学で過ごした1年間を振り返るようになった。
中高一貫校に通った僕は、6年間部活でほぼ変わらない仲間とサッカーしてきた。サッカー部のレベルはお世辞にも高いとは言えず、今思えばぬるま湯につかりながらサッカーしていたのだと思う。
そんな気分のまま大阪大学に来て体育会サッカー部に入ったが、初めはレベルの高さに心底驚いた。特に当時四年生のエースを見たときは我が目を疑った。
「なんであの人は一番上手いのに一番走ってるんだろう。」と本気で考えていた。
スタメンの人の怪我で、運良くリーグ戦に出させてもらったが、その時も周りのレベルの高さを痛感していた。基本的に、このチームでは僕より走れない人はほとんどいない。自分のミスを先輩方は文句ひとつ言わず全力でカバーしてくれていた。
「なんで自分がミスったのに先輩に尻拭いさせてんだろう。」とか、
「なんでボランチなのに60分で交代してんだろう。」などと考えていると本当に申し訳なくて辛かった。
しかし、そんな中でも結局走りきれない、頑張れていない「甘い」自分がいた。
同期に関して言うと、このチームにはガンバ大阪ユースやナショナルトレセン、インハイ出場者や田辺など、とんでもない肩書きを持った実力者が大勢いる。このような環境でサッカーができてとても充実しているのだが、この一年そんな同期に頼りすぎている節がある。
ボランチをやれば、隣で経験を生かした的確指示で自分だけでなくチーム全体を牽引してくれるし、FWをやれば、前の二人は持ち前のうまさと運動量で自分を引っ張ってくれる。
苦しい時はいつだって田辺が助けてくれるし、プログラミングの課題はいつだってキャピあきが手伝ってくれる。こうしてみると今僕は本当にいろんな人に支えられている。こんなに支えられているのは赤ん坊か山王戦の三井寿ぐらいである。
しかしこんな状況に満足してしまい、改善しようとはしていなかった。
さて、なぜこんなにも甘くてぬるい、クリームブリュレみたいな人間になってしまったのか。
やはり学習院という、皇族が通い、周りの友達は大体"ボンボン"という環境で育ったことが原因なのか。しかし、母校をバカにしたくないし、皇族と絡んだことは一度もないし、なにより僕は"ボンボン"ではないのでこの可能性は考慮しないことにする。
先日、電話で母親に突然、
「あんたの人生には山も谷もない」
と言われた。いきなりなんだとは思ったが、確かにそうかもしれない。サッカーにおいて、何か大きな成功を勝ち取ったこともないし、大きな挫折を味わったこともない。ドラマのような恋愛をしたこともないし、好きな女の子に散々暴言吐かれた挙句、ラインをブロックされた経験もない。
このような人生経験の少なさが、僕の人としての器の大きさに影響しているのではないかと思う。
まず、大学生活の中で「山」と「谷」を作る。そうすることでクリームブリュレな自分からの脱却へ一歩前進できるのではないかと思う。そしていつの日か、
「おまえの栄光時代はいつだ?」
と聞かれた時に、
「今!!」
と同時に
「大学時代!!」
と胸を張って言えるような、そんな大学生活をサッカー部を通して送りたいと思う。
以上で僕の部員ブログを終わります。最後まで読んでいただき誠に恐縮です。
これからも末永く大阪大学体育会サッカー部をよろしくお願いします。
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