2017年7月25日火曜日

理想の姿 2年 野本健斗

サッカーをする上で大切なことはなんだろう。サッカーだけに限らない。日常で物事を経験していく中で大切にすべきことはなんだろう。情報、戦略、体力…?
それらは目的を成し遂げる上で重要な要素である。しかし、僕はそれ以前に「一生懸命」になることが大切なのではないかと考えている。「いや、それは当たり前のことでその上で…」と感じるかもしれない。しかし一生懸命何かに打ち込むということは容易なことではない。「しんどい時こそ人の本質があらわれる」という言葉を聞いたことがあるだろうか。これは誰にでも当てはまる言葉であると同時に僕自身心に留めておかなければならない言葉である。
サッカーにおいて、「しんどい時こそパスを正確に通してやる」「しんどい時こそ1対1で勝ってやる」「しんどい時こそ走り抜いてやる」といった覚悟を最後の最後まで持ち続け、自分の全力を出しきる。そしてやり遂げられなかった時は思いきり悔しがり、やり遂げられた時には思いきり喜ぶことが一生懸命になってこそ得られるものではないかと僕は考えている。今の自分は「一生懸命」戦うことができているかといえばそうではない。しんどい時頑張りきれず後悔することが何度もある。チームメイトに迷惑をかけてしまうことも多々ある。そんな今の自分を受け入れ、自分に必要な課題を克服するために目の前のことに全力を注ぎ、引退までのサッカー人生を歩んでいきたい。そしてお前の誇りは何かと聞かれた時に「一生懸命になれる自分がいること」と胸を張って答えられる自分を目指し、日々練習に励んでいきたい。

小ネタ
僕の現在の体重は70kg程度。大学入学当初の体重は85kg。BMIは30以上。そのせいなのかは分かりませんが相撲部の方から熱い勧誘を受けました。頑張れ高安。

ブログをお読みいただきありがとうございます。


2017年7月22日土曜日

よくある質問 3年 津田厚

皆さん、こんにちは。私は大阪大学サッカー部の津田厚と申します。先程、再履修していたドイツ語のテストが無事終わり、安堵の気持ちでこの部員ブログを書かせていただいております。このドイツ語のテストが終わって家に帰ると、携帯に1通のメールが届いていました。開いて読んでみると、それは同じドイツ語の授業を受けていた4回生からのメールで、「授業に全く出席しておらずテストの出来も壊滅的だった。この授業の単位が取得できないと卒業出来ないので救済措置が欲しい」という、シビアな文面でした。先生に送るはずだったのでしょうが、何故か私に届いていました。皆さんも彼のようにならない為にも勉学にはきっちり取り組みましょう。




さて、今回の私の部員ブログのタイトルは「よくある質問」です。サッカー部の皆さんにとっては耳にタコが出来る程聞いたことがあるであろうあの質問です。それは、、、、、、、、、、


「なんで部活してるん?」   です。


皆さんの「あぁー」という声が聞こえてきます。私自身、オフ期間中に帰省し地元の友人に部活でサッカーをしていると伝えると必ずこの質問を受けました。その質問にたいして今までは、高校の先輩がいたから、人工芝のグランドでサッカーできるから、というかなり単純な返答をしていました。ただこれから先、企業のお偉いさん方にこの質問をされた時、同じように答えるとすごくマズいことになるので、この部員ブログを機に自分が何故部活でサッカーをすることにしたのかを考えました。


私は今まで公式戦に2試合しか出たことがありません。高校で1試合、大学で1試合です。高校の時の公式戦はグループリーグ突破が決まった後の消化試合で、メンバーに入れなかった最上級生が出るといった具合で、実力で勝ち取ったものではありませんでした。そして、大学生になり、6月に行われた関西選手権でやっと人生で2試合目の公式戦に出ることができましたが、この時も自分が出場できたのはいつもスタメンで出ている選手が怪我で出れなくなってしまったからで、またも実力で勝ち取ったものではありませんでした。



この出来事は自分でも曖昧な返答しかしてこなかった「なんで部活してるん?」の質問に明確な答えを与えてくれました。それは「チームメイトの分まで戦うという経験がしたかったから」です。自分が試合に出ることで、他のチームメイトはその出場機会を奪われます。私は今までずっと奪われる側だったので、そんな事を考えたこともなかったしつい最近までは、一生経験できないだろうなと思っていました。しかし公式戦に出てピッチから、「いつも自分がいた」応援席で一生懸命応援してくれているチームメイトを見て、「みんなの為にも勝ちたいな」という気持ちが自然と湧いてきました。生まれて初めて抱いた感情だったので変な感じでしたが、冷静に思い返せばその時は「絶対に勝ちたい」、「みんなの分まで頑張らないと」と本当に思っていました。こういう経験がプレイヤーとして、そして人間としての質を高めていくのだと感じましたし、その気持ちをみんなが共有できればどんなに強い相手にでも勝つことが出来るだろうなと思いました。

前期リーグは思うような結果は得られませんでしたが、夏休みにたくさん練習して(今年の夏の練習はエグイと聞きました。)、後期リーグ全勝してみんなでおいしいビールを飲んで二日酔いでウンウン唸りたいです。


拙い文章でしたが、読んでくださりありがとうございました。

今後とも大阪大学サッカー部をよろしくお願い致します。

2017年7月18日火曜日

人生をふり返る 2年 井上滉大

こんにちは。
阪大のドグラスコスタこと井上滉大です。
僕が阪大サッカー部、いや大阪大学に入って痛感したことは自分の自主性の無さである。
僕がサッカーを始めたのは小学生のときできっかけはあまり覚えていないが、兄がサッカーをしていたのでとりあえずやってみようみたいな感じだ。
そして小学校高学年になると、親に中学受験を勧められサッカーを辞めて受験に専念し中高一貫の進学校に入学した。大学受験の時期になると親に大阪大学に行くことを勧められ、学校の先生の言う通りに勉強してたら大阪大学に入学できた。
今考えてみると僕は何をするにしても自分で決めていなくて、兄がやっていたからとか親に言われたからなど、人に敷かれたレールをただ進んできた、とてもつまらない人間だった。
大学に入っても、相変わらず僕は人に頼りっぱなしで、部活では先輩についていってばかり、勉強の方ではメルティーキッスを塚本くんにあげればだいたいの課題はやってくれる。
阪大サッカー部では、指導者がいなく学生主体で、幹部の方々を中心に試合のメンバーや練習メニューを決めてくれるし、試合が終わればビデオを編集しミーティングをしてプレーについて各々の意見をぶつけ合う。自主性の塊である。
だから、僕からしたら阪大サッカー部の人たちは尊敬できて頼れるおもしろい人ばかりで、自分もそうゆう人間になりたいと思うし、それが自分の「人間的成長」だと思う。
そしてチームの勝利に少しでも貢献できる人間になって、二年半後同期のみんなと笑って引退できるように全力で頑張っていきたいと思う。

2017年7月14日金曜日

準備と結果 3年 花田尚輝

こんにちは三回の花田尚輝です。この先様々な人にこの文を読まれると思うととても緊張します。ゲボ吐きそうです。
本題に入ります。私がいまサッカーをする上で大切にしていることは「準備と結果」です。
部内で私には「結果の男」というあだ名があり、一見カッコいいのですがその実八割くらいはいじりで占められています。その由来は1年半前に初めてAチームで試合に出た際に2試合で5点を取ったことで、その時某T先輩(日本NO.1の車メーカーの内定を持つ阪大サッカー部の黒幕)に名付けられました。以降某TOYOTA先輩や最近盲腸になってちょっぴり痩せた某Y(やらかし)先輩、サッカー部1の男前である某越智などによる熱心な普及活動のおかげ(せい)でいまや後輩にも言われる事があるほど言われるようになってしまいました。
「結果の男」というあだ名はどんな時でもなんやかんや点を取るという意味なのですが、「まぐれ当たり」や「ストライカーは89分休憩して1分で点を取る存在」、「結果だけの男」などと揶揄されることも多々あります、しかし私は試合中に出る「結果」はすべて「準備」のおかげだと思っています。俗に言うゴールに押し込むだけのごっつぁんゴールはその場所にいたからこそ取れる点なのであって、決して運がいいからなどという曖昧な理由ではありません。私が思うに、真のストライカーとは89分様々な準備をし続け、しかるべき1分もしくは一瞬に全精力をだしてゴールをもぎ取る存在であると考えています。しかし私はその境地にはまったく達せていないですし、個人的に部内で試合中最も「準備」ができているプレーの読みが半端じゃない某O先輩(影の権力者、過去に彼女にラインで・・・以下自主規制)のプレーを参考にして自分を高めていきたいと思っています。
現状私は前期のリーグ戦でベンチ入りすることはあっても出場することができず、とても悔しい日々を過ごしていました。私はこの状況を’電車待ち‘の状態だと思っています。ただしその電車はJRの時刻表のようにいつ来るのか正確にわかるわけではありません。
だからこそしっかりと切符を買い、目的地を調べて、いつ電車がきても飛び乗れる、つまりチャンスをつかめるように努力し続けることが大切であると日々考えてトレーニングに励んでいます。
このような考えのもと、ピッチ内外問わず日々「準備」し、たとえどんな時でも(紅白戦や練習試合であっても)「結果」を出し続け、いつかは公式戦でゴールを決めてチームに貢献したいと思っています。
なんか恥ずかしくなってきたんでそろそろ筆をおくことにします。
いじらせて頂いた先輩方には非常に申し訳なく思っています。あと4ヶ月しかないと思うととても悲しくなりこのような愚行に走ってしまいました。またメンバーを決める幹部の皆様、とってもとっても尊敬しています。大好きです。てへぺろ。
最後になりますがサッカー部関係者の方々、OBの方々、いつも応援やご支援して下さりありがとうございます。自分がいま全力でサッカーできるのも両親、同期のチームメイト、先輩や後輩、OBなどの様々な方々のお陰であることを忘れずに残り一年半頑張りたいです。

2017年7月12日水曜日

僕のサッカー人生を語る 2年 田辺翔太

僕のセンター試験の国語の点数は、浪人時代のセンター本番以外で6割を超えたことはほとんどない。また、僕より前にたくさんの部員がブログを書いているが、みんな内容もしっかりしているし面白い。そんな中で書くのは気が引けるが、書くしかない。自分らしく真面目に一生懸命書いたで最後まで読んでいただけるとありがたいです。
僕がサッカーを始めたのは年長の時なので、今年で15年になる。15年前の記憶などないに等しい。唯一あるとすれば、小2の時にサッカーをやめて野球をするか迷い、結局デッドボールが怖くてサッカーを続けることを選んだことくらい。また、センターバックをしていた。阪大でも同期で一緒にサッカーをしている幼馴染の床並君がボランチで、床並君が取ったボールを僕が蹴って、床並君が取って、僕が蹴っての繰り返しだった。副キャプテンでよく怒られていたことも覚えている。結構記憶あるやんと思ったかもしれない。確かに結構ある。それはそうである。僕のサッカー人生の始まりをを簡単には忘れたくない。それぐらい強い想いを持っていた。
次は中学生。僕はガンバでサッカーを頑張っていた。今これを読んでいる人は、「え、ガンバ?!」とか「田辺すげー!」となったかもしれない。とても嬉しい。しかし、そのガンバはみんながよく知っているガンバ大阪ではなくガンバ堺という、映画館の横にある小さなグラウンドで活動しているチームである。練習中にポップコーンを食べに行ってもばれないだろう。そんなチームでもガンバというのが同じだけで、一瞬でも自分のことをすごいと思わせられるだけでも入った甲斐があったのかもしれない。でも、実際は食べに行く人など1人もいず、みんな真剣にサッカーをしていた。そして、上手い人は本当に上手く、ついていくのがやっとである。そのような人と一緒にやることで自分も少しはレベルアップできたのかなと思う。また、練習は、個人的に好きな基礎練など、個人の技術を上げる練習が多かった。それのおかげである程度のボール扱いができるようになったのかなと思う。本当にガンバ堺に入ってよかったと思っている。
次は高校生。中学生の所に書いてなかったが、中学3年の時、ほとんどサッカーをしていなかった。勉強しかしていなかったのである。しかし、それによって掴んだ合格はとても嬉しかった。そのままなんの迷いもなしに張り切ったままサッカー部に入部した。しかし、いきなり挫折を味わった。理由はは単純で、受験太りである。僕の高校の近くには一周3キロの仁徳陵があるのだが、最初の練習でいきなり走らされた。僕の体型では一周走り切ることさえも困難であった。この時の体型はまさに魔人ブウだった。何かをチョコにできるわけでもなかった。つまり、ただのでぶだった。しかも後々わかったことなのだが、一緒に走った人たちはサッカー部の中でもだいぶ速い人たちで、ボロ負けした。その時悔しくてふと、サッカーに体力とかいらんやろ。と思ってしまった。これは大間違いである。サッカーはむしろ走ってなんぼのスポーツである。それに気づいたのは先輩と一緒に試合をしたときである。後輩の自分が走らず、先輩が走っているのを見て、これはダメだと思ったのだ。当たり前である。それから、2年のときは、朝早く起きて走っていた。それでも試合ではなかなか走れず、3年の最後の試合も何もできずに負けてしまった。とても悔しかった。
最後に、今(大学生)。高校で悔しい思いをしたのもあるし、サッカーが好きなのもあって、大学でもサッカーを続けている。阪大サッカー部は周りが思っている以上にレベルが高いと思う。同期で言うと、ガンバユースなど、上手い人がたくさんいる。また、面白い人が多い。同期はみんな全然違って愉快である。こんな人達とプレーできるのは光栄である。しかし、それも後2年くらい。このままいくと彼らの足を引っ張ってしまうだろう。そうしないためにも、最上回生になるまでに自主練など自分の出来る最大の努力をしていきたい。そして一緒に勝ち続けたい。

これまでのサッカーや、サッカーに対する気持ちはこんな感じです。

2017年7月6日木曜日

ここまでの大学サッカー生活 2年 塚本雅士

こんにちは、昨年度、納会アンケート「可愛くない後輩」で栄えある1位に輝いた、
二回生塚本雅士です。

この部員ブログを書くにあたって去年1年間を振り返ってみるとやはり自分は「可愛くなかった」のかな、と思う部分がありました。
僕は、中学から高校の6年間ずっと同じ仲間と部活をしていてその人たちとは大学が離れてしまった今でもよく会いたいなという気持ちになっています。
そんな自分が、いざ大学に入り6年ぶりに新しいコミュニティでのサッカーということで、やはり最初は思ったように馴染めずその結果自分の思うようなプレーが出来ず、練習でも試合でも愛想が悪くどこか澄ました感じを出している人、つまり典型的な"ウザい"後輩になっていたように今では感じています。(いまもそんな感じだったら本当にすいません。)
今となって言うのもあれですが、同期もほんとに面白く個性豊かなひとたちばかりで、最初はこの中で面白さを作れない自分は仲間外れにされずにやっていけるのか、という不安でビビりながら部活に行っていました、、(笑)

ここまではちょっとした前置きで、自分のこんな暗いことばかり書いていてもいいことないのでもうこれくらいにしたいと思います。

そんな僕も今年度新チームになってからは、自分の意見をちゃんと言い、試合でもだんだんミスを恐れず自分のプレーができるようになっていきました。
そして、リーグの開幕戦ではスタメンとして出場することができ、その日の試合前のアップまでは、ここまでいい感じで調子が上がって来ているぞ、と気持ちを高めていけてました。

サッカーだけでなくスポーツというものは出場するだけでは意味がありません。"結果"が求められます。しかも今年のチームが掲げている目標のひとつ、リーグ戦無敗優勝がかかった初戦で勢いをつけるために必ず勝利が求められる試合です。
その初戦で僕はその日、たぶん今までのサッカー人生の中でも最悪なパフォーマンスの1試合となってしまいました。
理由は?、と聞かれても「緊張してました」としか言えず、ほんとにその後の1ヶ月くらいはずっと、なんであんなことになってしまったのかと、その試合のことを引きずりながらプレーしていました。
前期を7位という決していいとは言えない順位で終わったのも、この初戦の影響が少なくともあると今では思っています。

しかし、反省は必要ですがいつまでももう過ぎてしまった試合のことについて、くよくよ言っていても何もなく、「あれはあれでしょうがない」、と言えるくらいのメンタルを持ってやっていかないとダメだということに気づかされました。こんな1試合でナーバスになってしまうことは今まではなく、初めてのことですが、このような経験もチーム全体のの目標のひとつでもある「人間的成長」に繋がるのかなとも思ったりしています。

そして今もうすぐ夏休みに入るところですが、怪我も治りしっかり動けるのでちゃんと体づくりをして後期リーグにベストな状態で臨み、ここから逆転優勝できるように貢献していきたいです。
あとは今年の納会にも備えたいと思います。

小説は大好きですが、書く方はものすごく苦手だとこの部員ブログでわかりました(笑)

あと、吹田でよく試合しているので時間が空いてる人などは見に来てもらえるとテンション上がるので是非来てください!お願いします!

今後とも阪大サッカー部を応援よろしくお願いします。

2017年7月4日火曜日

クレームブリュレな自分 2年 安藤奨


こんにちは。体育会サッカー部2年の安藤奨です。

今年の2月の追いコンで、当時四年生の主将にこんなことを言われた。
「おまえは育った環境が甘いから、最後の最後で頑張りきれてなかった」。
最初はもう引退する先輩の、飲みの席での発言など気にも留めていなかった。しかし、時間が経つにつれて、この言葉は自分に重くのしかかってきて、いつしか自分が大阪大学で過ごした1年間を振り返るようになった。

中高一貫校に通った僕は、6年間部活でほぼ変わらない仲間とサッカーしてきた。サッカー部のレベルはお世辞にも高いとは言えず、今思えばぬるま湯につかりながらサッカーしていたのだと思う。

そんな気分のまま大阪大学に来て体育会サッカー部に入ったが、初めはレベルの高さに心底驚いた。特に当時四年生のエースを見たときは我が目を疑った。
「なんであの人は一番上手いのに一番走ってるんだろう。」と本気で考えていた。

スタメンの人の怪我で、運良くリーグ戦に出させてもらったが、その時も周りのレベルの高さを痛感していた。基本的に、このチームでは僕より走れない人はほとんどいない。自分のミスを先輩方は文句ひとつ言わず全力でカバーしてくれていた。
「なんで自分がミスったのに先輩に尻拭いさせてんだろう。」とか、
「なんでボランチなのに60分で交代してんだろう。」などと考えていると本当に申し訳なくて辛かった。
しかし、そんな中でも結局走りきれない、頑張れていない「甘い」自分がいた。

同期に関して言うと、このチームにはガンバ大阪ユースやナショナルトレセン、インハイ出場者や田辺など、とんでもない肩書きを持った実力者が大勢いる。このような環境でサッカーができてとても充実しているのだが、この一年そんな同期に頼りすぎている節がある。
ボランチをやれば、隣で経験を生かした的確指示で自分だけでなくチーム全体を牽引してくれるし、FWをやれば、前の二人は持ち前のうまさと運動量で自分を引っ張ってくれる。
苦しい時はいつだって田辺が助けてくれるし、プログラミングの課題はいつだってキャピあきが手伝ってくれる。こうしてみると今僕は本当にいろんな人に支えられている。こんなに支えられているのは赤ん坊か山王戦の三井寿ぐらいである。
しかしこんな状況に満足してしまい、改善しようとはしていなかった。

さて、なぜこんなにも甘くてぬるい、クリームブリュレみたいな人間になってしまったのか。
やはり学習院という、皇族が通い、周りの友達は大体"ボンボン"という環境で育ったことが原因なのか。しかし、母校をバカにしたくないし、皇族と絡んだことは一度もないし、なにより僕は"ボンボン"ではないのでこの可能性は考慮しないことにする。

先日、電話で母親に突然、
「あんたの人生には山も谷もない」
と言われた。いきなりなんだとは思ったが、確かにそうかもしれない。サッカーにおいて、何か大きな成功を勝ち取ったこともないし、大きな挫折を味わったこともない。ドラマのような恋愛をしたこともないし、好きな女の子に散々暴言吐かれた挙句、ラインをブロックされた経験もない。
このような人生経験の少なさが、僕の人としての器の大きさに影響しているのではないかと思う。

まず、大学生活の中で「山」と「谷」を作る。そうすることでクリームブリュレな自分からの脱却へ一歩前進できるのではないかと思う。そしていつの日か、
「おまえの栄光時代はいつだ?」
と聞かれた時に、
「今!!」
と同時に
「大学時代!!」
と胸を張って言えるような、そんな大学生活をサッカー部を通して送りたいと思う。

以上で僕の部員ブログを終わります。最後まで読んでいただき誠に恐縮です。
これからも末永く大阪大学体育会サッカー部をよろしくお願いします。