2017年10月10日火曜日

他人志向型の僕と。。 1年 岩尾凌吾

こんにちは。大阪府立豊中高校出身、経済学部一年の岩尾です。部員ブログも2回生3回生4回生とまわってついに一回生の番が来てしまいました。小さい頃から国語が苦手だった僕は、後輩も見ているであろうこの部員ブログで自分の文章能力の低さを露呈してしまうことになりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

突然ですが、質問です。皆さんはこれまでの人生の選択を自分自身で行ってきたでしょうか?ほとんどの人が「当たり前だ」と思ったかもしれもせん。確かに最終的に判断を下すのは自分自身です。しかしここで言う「選択を行う」とは、「自分で積極的にやりたいと思ったことを行動に移す」という意味です。この観点から言えば、私の答えは"No"です。

思い返してみれば、小さい頃にやっていたそろばん、水泳、黒帯を取った空手、2歳から14年間続けたピアノ。このどれもが、母親に勧められて始めたものでした。それだけではありません。なぜ豊中高校を志望したかと言えば、豊中高校が母校であった母に小さい頃から「あの高校はすごくいいところだよ」と聞かされていたからだし、阪大だって家から近く、かつ世間一般に「いい大学」とされるから目指しました。
ここまで読むと、「コイツ、ただのマザコンじゃねえか」と思った方もいるでしょうが、決してそういうわけではありません。他人指向型で優柔不断な僕は、人生における選択を周りの環境に左右されながら行ってきたのです。ただ1つを除いては。。。


それがサッカーでした。僕は小学4年の終わりに初めて両親に懇願し、サッカーを始めました。はじめは自分よりずっと前からサッカーを始めている仲間の中で、練習についていくだけでも大変でした。

サッカー人生で初めての試合。自分にPKのチャンスが巡ってきました。しかしながら、"PK"という言葉さえ知らなかった僕は一歳年下の"先輩"に方法を教えてもらい、トゥーキックで思いっきり振り抜きました。自分の頭の中ではゴール左隅に強烈に突き刺さるスーパーゴールを思い浮かべていましたが、結果はノーゴール。ゴール左に1つも2つも外れる、いわゆる"ホームラン"でした。

それからというもの、小学6年生の時には始めて2年も経っておらず、リフティングだって100回もままならなかった僕は、一丁前にヴィッセル神戸のセレクションを受けに行ったり(もちろん一次で落ちましたが)、中学に上がる時には地元ではそこそこ強いクラブチームに入ったりしました。

なぜそんなことをしたかと言えば、とにかくサッカーが上手くなりたかったのです。中学のクラブチームでは、もちろん万年Bチームだったし、高校に上がっても最後まで公式戦に出ることはありませんでした。

そんなこんなで今年でサッカーを始めて9年。僕はサークルではなく、ユース出身や国体出身もいるこの阪大サッカー部をあえて選びました。
よく、友達に聞かれます。なぜ、部活に入ったのか、と。僕はその時、「阪大で、しかも部活入ってたら、就職楽勝やん」などと本末転倒なことを答えることが多いですが、本当は違います。本当はこれまでと同じように、あえて厳しい環境に身を置くことでサッカーが上手くなりたかったからです。

今、僕はサッカー部で下手の部類に入ります。試合にも思うように出れていません(もちろんB戦には出させてもらっています)。これまで僕は上手くなるためだけでなく、自分より上手かったチームメイトに勝って、試合に出るためにサッカーを続けてきたにもかかわらず、今の自分はまだそれを成し遂げられていません。しかしいつの日か阪大サッカー部スタメンの座を勝ち取って、これまでサッカーを続けさせてくれた両親を試合に招待できるようになれればと思っています。

P.S.
先日、某予備校のH先生がある番組で、「小さい頃にそろばん、水泳、ピアノ、サッカーをしていると、将来の脳の発育が良くなる。」とおっしゃっているのを聞きました。驚くことにその全てを僕は小さい頃に経験しました。もしかするとこうして僕が阪大に入学できたのも、そうした習い事を勧めてくれた両親のおかげかもしれません。これを聞くと母親は、「私のおかげやん!」などと言い張るでしょうが、僕にもプライドがあるので誰のおかげかは濁しておくことにします笑

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。これからも阪大サッカー部へのご声援をよろしくお願い致します。

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