こんにちは、前回の藤元よりガバガバな20歳と言われた上田です。
一年間の浪人の期間を経て、4月より大阪大学に入学しました。浪人生活をはさんだ分、少し大人に思われたりするのだろうかと思っていましたが、そんなことなどお構いなしに、これまで約半年間の間に冗談抜きで500回ぐらい「ポンコツ」と同期から言われてしまいました。
ナビがあっても道を間違えたり、「絶対遅れんなよ」と自分で指定した集合時間に朝電話で起こされたり、原付の受け取りにバイク屋まで自転車で行ったりなど、「ポンコツ」と言われて当然のことを繰り返してきました。
こんな僕でも中学高校では集合時間に大幅に遅れるなどしたことがなかったし、高校に至っては、無遅刻無欠席の皆勤だけが取り柄でした。
どうしてこんなにも大学に入って、周りから「ポンコツ、ポンコツ」と言われるのだろうと考えてみました。始めは大阪大学という大学が今までの自分にとってレベルが高く、周りが賢いから自分がポンコツに見えるだけだと思いました。しかし、実際はそんなことはなく、中学高校の間周りにしてもらってばかりだったということに気付かされました。
今考えると、中学時代は仕事をしてくれている人の周りでボールを蹴っているだけでした。高校時代は自分はラインを引く係で少し早くに練習に行かないといけなかったのに、少し家が遠いからと適当な理由ばかりつけて自分は集合時間ギリギリで全部任せっきりでした。試合の時には、集合場所に時間通りに行けば、電車など全部調べてくれて、道も迷わずに会場まで完璧に連れて行ってくれる友達がいました。本当に何から何までしてもらってばかりで、してくれた人には本当に感謝しかないです。中学高校時代、自分は必要最低限していればいいと勘違いしていました。必要最低限も出来てませんでした。すいませんでした。反省してます。
その点人間的成長を掲げ、学生主体を重んじる大阪大学サッカー部は本当にこれまでの自分にとって最高の環境であると思います。しかし、そんな環境の中でもこの半年間自分は周りに頼ってばかりで、主体的に行動していたとは言えません。素晴らしい人間性を持った先輩方や同期の背中を見て人間的に成長します。そして、限られた時間の中で残り3年半ただぼーっと過ごすのではなく、しっかりと考え行動します。
拙い文章で長々とすいませんでした。最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
2017年10月28日土曜日
2017年10月25日水曜日
全ての方々に感謝 1年藤元知史
まずはじめに、大阪大学体育会サッカー部の一員として部員ブログを書かせていただけることを光栄に思います。
サッカー部の活動を支えてくださる方々と、これまで私を育ててくださった全ての方々に感謝申し上げます。
自分でも胡散臭いと感じてしまうほどの台詞をいきなり書いてしまったが、この感謝の言葉に偽りは全く無い。
そして、「全ての方々に感謝」というフレーズに聞き覚えがあるあなたは、中学生の頃に、あの教諭の熱血指導を受けることができた人かもしれない。
内輪ネタを失礼しました。
あの教諭とは、私が中学校のサッカー部でお世話になった顧問の先生のことである。残念なことに、現在私は教諭の連絡先を知らず、このブログに書かせていただく許可を得られていないので、少しぼかした表現をさせていただこうと思う。
教諭の下での部活とは、「学校の部活では人として成長ができないと意味がない」というもので、人間的成長が第一に考えられていた。
ここで教諭のご指導の柱となっていたのは、挨拶しよう、掃除しよう、服装正そう、時間守ろう、などといった人として当然であるべきことの数々であった。
中でも教諭が最も強調していたのは、「感謝の心」である。
「中学校のグラウンドを無償で使用できるのは、義務教育を支えてくれている納税者がいるからであるので、全ての方々に感謝を忘れてはならないし、感謝せずにサッカーをやってるだけでは成長は有り得ない」という、当時中学生の私たちが本当に理解できていたかどうかはわからないが、非常に大切な考え方を教えていただいた。
当時キャプテンを務めさせていただいていた私は、周りの大人が、「こいつは将来、変な宗教にどハマりするのではないか」と心配するほど教諭の教えに忠実に学校生活を送り、人間的成長を試みて来た。というのは半分建前で、忠実にならざるを得ないほど教諭が怖かった。
野球部に所属していた友人が、職員室の横のトイレでトイレットペーパーを転がしてボウリングを嗜んでいたところをあの教諭に見つかり、その時グラウンドで真面目に部活をしていたサッカー部の私が「お前の学年はどうなってるねん」と、やった本人よりも怒られたという話もある。
非常に怖かったが、教諭のご指導の数々が現在の私を形作っていると思うし、感謝の気持ちしかない。
大学生になり、自分の責任でできることが以前より増えて来たが、そんな今だからこそ、これまで支えてくれた全ての方々に感謝しなくてはならないし、今も多方面からの支えがあることを忘れてはいけないと思う。
人間的成長を目標に掲げて活動している阪大サッカー部には、非常に素晴らしい人間性をお持ちの先輩がたくさんいる。同期もなかなか良い奴が多い。現在の私を取り巻く環境はこれまでの自分の人生を振り返ってみても、最高に良い。同時に、自分の甘さを痛感する日々でもある。
サッカーの技術も、人間性も向上させ、1日でも早く他の部員に追いつきたい。そして、感謝の心を忘れず、有意義な大学生活を送りたい。
他の1年生がまとまった文章に仕上げている中、長々と書いてしまった。有益で面白い部員ブログにすることができなかったかもしれないが、自分の考えをまとめる良い機会になった。
そして、20歳まであと1年を切った今、改めて教諭の教えの数々が胸に刺さった。
かなり話が逸れてしまうが、浪人を経て現在20歳の同期を見て、ハタチって思ってたよりも大したことないな、と感じてしまう事がある。
原付を受け取りに、バイク屋へ自転車で行った20歳の某上田(背番号37)の話があるのだが、残念なことに、現在私は彼の連絡先を知らず、このブログに書く許可を得られていないので、少しぼかした表現をさせていただこうと思う。
ガバガバな20歳にならないよう、10代最後のこの1年間はしっかりと成長したい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。今後ともご指導、ご支援のほどよろしくお願い致します。 藤元知史でした。
サッカー部の活動を支えてくださる方々と、これまで私を育ててくださった全ての方々に感謝申し上げます。
自分でも胡散臭いと感じてしまうほどの台詞をいきなり書いてしまったが、この感謝の言葉に偽りは全く無い。
そして、「全ての方々に感謝」というフレーズに聞き覚えがあるあなたは、中学生の頃に、あの教諭の熱血指導を受けることができた人かもしれない。
内輪ネタを失礼しました。
あの教諭とは、私が中学校のサッカー部でお世話になった顧問の先生のことである。残念なことに、現在私は教諭の連絡先を知らず、このブログに書かせていただく許可を得られていないので、少しぼかした表現をさせていただこうと思う。
教諭の下での部活とは、「学校の部活では人として成長ができないと意味がない」というもので、人間的成長が第一に考えられていた。
ここで教諭のご指導の柱となっていたのは、挨拶しよう、掃除しよう、服装正そう、時間守ろう、などといった人として当然であるべきことの数々であった。
中でも教諭が最も強調していたのは、「感謝の心」である。
「中学校のグラウンドを無償で使用できるのは、義務教育を支えてくれている納税者がいるからであるので、全ての方々に感謝を忘れてはならないし、感謝せずにサッカーをやってるだけでは成長は有り得ない」という、当時中学生の私たちが本当に理解できていたかどうかはわからないが、非常に大切な考え方を教えていただいた。
当時キャプテンを務めさせていただいていた私は、周りの大人が、「こいつは将来、変な宗教にどハマりするのではないか」と心配するほど教諭の教えに忠実に学校生活を送り、人間的成長を試みて来た。というのは半分建前で、忠実にならざるを得ないほど教諭が怖かった。
野球部に所属していた友人が、職員室の横のトイレでトイレットペーパーを転がしてボウリングを嗜んでいたところをあの教諭に見つかり、その時グラウンドで真面目に部活をしていたサッカー部の私が「お前の学年はどうなってるねん」と、やった本人よりも怒られたという話もある。
非常に怖かったが、教諭のご指導の数々が現在の私を形作っていると思うし、感謝の気持ちしかない。
大学生になり、自分の責任でできることが以前より増えて来たが、そんな今だからこそ、これまで支えてくれた全ての方々に感謝しなくてはならないし、今も多方面からの支えがあることを忘れてはいけないと思う。
人間的成長を目標に掲げて活動している阪大サッカー部には、非常に素晴らしい人間性をお持ちの先輩がたくさんいる。同期もなかなか良い奴が多い。現在の私を取り巻く環境はこれまでの自分の人生を振り返ってみても、最高に良い。同時に、自分の甘さを痛感する日々でもある。
サッカーの技術も、人間性も向上させ、1日でも早く他の部員に追いつきたい。そして、感謝の心を忘れず、有意義な大学生活を送りたい。
他の1年生がまとまった文章に仕上げている中、長々と書いてしまった。有益で面白い部員ブログにすることができなかったかもしれないが、自分の考えをまとめる良い機会になった。
そして、20歳まであと1年を切った今、改めて教諭の教えの数々が胸に刺さった。
かなり話が逸れてしまうが、浪人を経て現在20歳の同期を見て、ハタチって思ってたよりも大したことないな、と感じてしまう事がある。
原付を受け取りに、バイク屋へ自転車で行った20歳の某上田(背番号37)の話があるのだが、残念なことに、現在私は彼の連絡先を知らず、このブログに書く許可を得られていないので、少しぼかした表現をさせていただこうと思う。
ガバガバな20歳にならないよう、10代最後のこの1年間はしっかりと成長したい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。今後ともご指導、ご支援のほどよろしくお願い致します。 藤元知史でした。
2017年10月21日土曜日
古事記 1年 守武慎太郎
こんにちは。1年のキャベツ太郎です。間違えました。レタス花子です。間違えました。守武 慎太郎です。今回部員ブログを書かせていただくにあたり、自分のこれまでを振り返ろうと思います。お付き合いいただければ幸いです。
僕は小学校4年の時にサッカーを始めた。サッカーを始めるいちばんの動機は体力をつけて校内のマラソン大会で勝ちたいと思ったことで、その時サッカーが好きだったかというと、正直そうではなかった。
初めはサイドバックでプレーしていたが、ボールが来ても適当に蹴るか、ただひたすらまっすぐ進むイノシシドリブルをするしか選択肢がなかった。一度フェイントで相手をかわそうと思い立ったことがあるが、失敗して膝を痛めた。痛かった。フィールドをしている頃はずっとこんな感じだったので一向に上手くならず、サッカーをするのも嫌になっていたのをよく覚えている。
転機が訪れたのはサッカーを始めて半年たった頃。その頃僕は体力をつけるという目的なぞすっかり忘れてゴールキーパーをすることに決めた。キーパーになって、シュートを止める喜びを知ると同時に、サッカーは楽しいと思うようになった。
今思えば、僕はサッカーが好きだったのではなく、単純にゴールキーパーが、シュートを止めるのが好きなだけだったのだと思う。実際、高校生になって自分の思うようにシュートを止められなくなり、サッカーの楽しさがわからなるという時期があった。
僕の意識が再び変わったのは高2の秋だった。僕はこの頃、ようやく「サッカーはチームスポーツ」だということを実感できるようになった。当たり前のことだが、試合に出る11人の他に、ベンチに座る者、応援する者、全て合わせて1つの「チーム」である。その全員が力を合わせ勝ったときに得られる喜びは、自分がシュートを止めた時のそれよりもはるかに大きく、気持ちのいいものだった。
3年生になり自分が試合に出るようになってから、その実感は一層強くなった。誰かのゴールをみんなで喜んだり、チームの勝利をみんなで祝ったりする。これもサッカーの1つの面白さだと思った。遅すぎるが、僕は今まで知らなかったサッカーの面白さにやっと気づくことができた。そのような経験をしているうちに、またサッカーが好きだと思えるようになった。
そんなこんなで大学生になった今、僕はサッカーを続けてる。それはサッカーが好きだから、サッカーが楽しいからである。今、このチームでみんなと一緒にサッカーができて本当に嬉しい。僕はこのチームに少しでも貢献できるよう頑張りたいと思う。
未熟な僕には、まだまだできないことや、サッカーについて知らないことが多くある。それができたり、新しく何かを学んだ時、まだ僕には見えていないサッカーの面白さが見えるかもしれないと思うと、本当に楽しみだ。だから僕は、もっと上手くなりたい。上手くなって、サッカーのことをもっと好きになりたい。と思う。
悲しいことに、サッカーにこれだけの時間を費やせるのはあと3年ほどしかない。ぼーっとしていたら、あれよあれよという間に時間が過ぎてしまうので、残り少ない時間、精一杯サッカーに打ち込みたい。
拙い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございます。今後とも大阪大学体育会サッカー部へのご声援よろしくお願いいたします。レタス花子でした。
僕は小学校4年の時にサッカーを始めた。サッカーを始めるいちばんの動機は体力をつけて校内のマラソン大会で勝ちたいと思ったことで、その時サッカーが好きだったかというと、正直そうではなかった。
初めはサイドバックでプレーしていたが、ボールが来ても適当に蹴るか、ただひたすらまっすぐ進むイノシシドリブルをするしか選択肢がなかった。一度フェイントで相手をかわそうと思い立ったことがあるが、失敗して膝を痛めた。痛かった。フィールドをしている頃はずっとこんな感じだったので一向に上手くならず、サッカーをするのも嫌になっていたのをよく覚えている。
転機が訪れたのはサッカーを始めて半年たった頃。その頃僕は体力をつけるという目的なぞすっかり忘れてゴールキーパーをすることに決めた。キーパーになって、シュートを止める喜びを知ると同時に、サッカーは楽しいと思うようになった。
今思えば、僕はサッカーが好きだったのではなく、単純にゴールキーパーが、シュートを止めるのが好きなだけだったのだと思う。実際、高校生になって自分の思うようにシュートを止められなくなり、サッカーの楽しさがわからなるという時期があった。
僕の意識が再び変わったのは高2の秋だった。僕はこの頃、ようやく「サッカーはチームスポーツ」だということを実感できるようになった。当たり前のことだが、試合に出る11人の他に、ベンチに座る者、応援する者、全て合わせて1つの「チーム」である。その全員が力を合わせ勝ったときに得られる喜びは、自分がシュートを止めた時のそれよりもはるかに大きく、気持ちのいいものだった。
3年生になり自分が試合に出るようになってから、その実感は一層強くなった。誰かのゴールをみんなで喜んだり、チームの勝利をみんなで祝ったりする。これもサッカーの1つの面白さだと思った。遅すぎるが、僕は今まで知らなかったサッカーの面白さにやっと気づくことができた。そのような経験をしているうちに、またサッカーが好きだと思えるようになった。
そんなこんなで大学生になった今、僕はサッカーを続けてる。それはサッカーが好きだから、サッカーが楽しいからである。今、このチームでみんなと一緒にサッカーができて本当に嬉しい。僕はこのチームに少しでも貢献できるよう頑張りたいと思う。
未熟な僕には、まだまだできないことや、サッカーについて知らないことが多くある。それができたり、新しく何かを学んだ時、まだ僕には見えていないサッカーの面白さが見えるかもしれないと思うと、本当に楽しみだ。だから僕は、もっと上手くなりたい。上手くなって、サッカーのことをもっと好きになりたい。と思う。
悲しいことに、サッカーにこれだけの時間を費やせるのはあと3年ほどしかない。ぼーっとしていたら、あれよあれよという間に時間が過ぎてしまうので、残り少ない時間、精一杯サッカーに打ち込みたい。
拙い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございます。今後とも大阪大学体育会サッカー部へのご声援よろしくお願いいたします。レタス花子でした。
2017年10月16日月曜日
僕らのO 1年 金澤優塁
小学校ではクラブチームに入り全国大会を経験した。中学にあがり部活ではなくクラブチームを選び、また全国の舞台を味わった。高校も、それほど強くはなかったけれど、それなりにサッカーをやっていた。なんて運がいいのだろう。生まれた場所であり、周りの仲間であり、いろいろなものに恵まれた。ああ、俺はこのままサッカーをずっとやっていくんだな、と何度も思った。まるで言い聞かせるように。だからなのだろうか大学でもサッカーをすることは自分にとって当然だった。
志望校が阪大でいいのか迷っているとき、友達からの情報に歓喜した。
"Oさんがいる"
迷うことなんて何もなかった、はじめからそこへいくと決まっていたかのようだ。そして会えた。同じ時間同じ空間にいることに衝撃を感じた。少し大人びた落ち着きをまとって、発する言葉は重く強く響いてくる。プレーだってそうだ。ずば抜けた爆発力をもち、攻守にわたって存在を誇示している。いつだってそうだった。見る人に希望と情熱を与え、吠える姿は男の中の男。何事にもおそれず前向きに構え、僕らを導いてくれる。かっこいいだけでは収まらない人だった。高校時代背中をずっと見てきたまさにその人が今ここにいる。だとしたらもう僕はただここでサッカーをしているだけでは満足できない。この人の背中を絶対に捉えてみせる。
またサッカーのできる幸せに感謝。
志望校が阪大でいいのか迷っているとき、友達からの情報に歓喜した。
"Oさんがいる"
迷うことなんて何もなかった、はじめからそこへいくと決まっていたかのようだ。そして会えた。同じ時間同じ空間にいることに衝撃を感じた。少し大人びた落ち着きをまとって、発する言葉は重く強く響いてくる。プレーだってそうだ。ずば抜けた爆発力をもち、攻守にわたって存在を誇示している。いつだってそうだった。見る人に希望と情熱を与え、吠える姿は男の中の男。何事にもおそれず前向きに構え、僕らを導いてくれる。かっこいいだけでは収まらない人だった。高校時代背中をずっと見てきたまさにその人が今ここにいる。だとしたらもう僕はただここでサッカーをしているだけでは満足できない。この人の背中を絶対に捉えてみせる。
またサッカーのできる幸せに感謝。
2017年10月13日金曜日
ラストチャンス 1年 丸山一樹
1年の浪人を経て大阪大学に入学することになったが、その間に数えきれないほど引退試合の失点シーンとシュートを外したシーンがふと頭に浮かんできた。大好きなサッカーに関しては引退試合しか考えることがなかった。試合後のミーティングで選手権直前にメンバーから落選した同期が涙を流しながら後輩に思いを伝えている姿も思い出された。キャプテンを務めていたためチームを勝たせることができなかったことに責任を感じ、自分以外の人間がキャプテンなら違う結果だったのだろうかと思うこともあった。悔しさをここで言い表すことは難しい。
ただこれだけ悔しいと思えるのは、全力で練習に取り組み、メンバーに入れずとも全力で応援してくれていた仲間のおかげだ。試合に出れない3年生が多かったことはもあり、余計にそう思う。初めて高校で仲間に応援された時は身震いしそうだった。学校の名前を背負って試合に出るとはそういうことだと思うし、高校サッカーのそこはものすごく魅力だ。ただ終わってみると先程のように悔しさが多く残っており、そんな中で大学の体育会サッカー部は最後に1度だけ残されたチャンスである。全力で取り組む程悔いなく終わることは出来なくなるのかもしれないが、応援する時もされる時も全力で取り組み、熱い経験をここで皆としたい。
ただこれだけ悔しいと思えるのは、全力で練習に取り組み、メンバーに入れずとも全力で応援してくれていた仲間のおかげだ。試合に出れない3年生が多かったことはもあり、余計にそう思う。初めて高校で仲間に応援された時は身震いしそうだった。学校の名前を背負って試合に出るとはそういうことだと思うし、高校サッカーのそこはものすごく魅力だ。ただ終わってみると先程のように悔しさが多く残っており、そんな中で大学の体育会サッカー部は最後に1度だけ残されたチャンスである。全力で取り組む程悔いなく終わることは出来なくなるのかもしれないが、応援する時もされる時も全力で取り組み、熱い経験をここで皆としたい。
2017年10月10日火曜日
他人志向型の僕と。。 1年 岩尾凌吾
こんにちは。大阪府立豊中高校出身、経済学部一年の岩尾です。部員ブログも2回生3回生4回生とまわってついに一回生の番が来てしまいました。小さい頃から国語が苦手だった僕は、後輩も見ているであろうこの部員ブログで自分の文章能力の低さを露呈してしまうことになりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
突然ですが、質問です。皆さんはこれまでの人生の選択を自分自身で行ってきたでしょうか?ほとんどの人が「当たり前だ」と思ったかもしれもせん。確かに最終的に判断を下すのは自分自身です。しかしここで言う「選択を行う」とは、「自分で積極的にやりたいと思ったことを行動に移す」という意味です。この観点から言えば、私の答えは"No"です。
思い返してみれば、小さい頃にやっていたそろばん、水泳、黒帯を取った空手、2歳から14年間続けたピアノ。このどれもが、母親に勧められて始めたものでした。それだけではありません。なぜ豊中高校を志望したかと言えば、豊中高校が母校であった母に小さい頃から「あの高校はすごくいいところだよ」と聞かされていたからだし、阪大だって家から近く、かつ世間一般に「いい大学」とされるから目指しました。
ここまで読むと、「コイツ、ただのマザコンじゃねえか」と思った方もいるでしょうが、決してそういうわけではありません。他人指向型で優柔不断な僕は、人生における選択を周りの環境に左右されながら行ってきたのです。ただ1つを除いては。。。
それがサッカーでした。僕は小学4年の終わりに初めて両親に懇願し、サッカーを始めました。はじめは自分よりずっと前からサッカーを始めている仲間の中で、練習についていくだけでも大変でした。
サッカー人生で初めての試合。自分にPKのチャンスが巡ってきました。しかしながら、"PK"という言葉さえ知らなかった僕は一歳年下の"先輩"に方法を教えてもらい、トゥーキックで思いっきり振り抜きました。自分の頭の中ではゴール左隅に強烈に突き刺さるスーパーゴールを思い浮かべていましたが、結果はノーゴール。ゴール左に1つも2つも外れる、いわゆる"ホームラン"でした。
それからというもの、小学6年生の時には始めて2年も経っておらず、リフティングだって100回もままならなかった僕は、一丁前にヴィッセル神戸のセレクションを受けに行ったり(もちろん一次で落ちましたが)、中学に上がる時には地元ではそこそこ強いクラブチームに入ったりしました。
なぜそんなことをしたかと言えば、とにかくサッカーが上手くなりたかったのです。中学のクラブチームでは、もちろん万年Bチームだったし、高校に上がっても最後まで公式戦に出ることはありませんでした。
そんなこんなで今年でサッカーを始めて9年。僕はサークルではなく、ユース出身や国体出身もいるこの阪大サッカー部をあえて選びました。
よく、友達に聞かれます。なぜ、部活に入ったのか、と。僕はその時、「阪大で、しかも部活入ってたら、就職楽勝やん」などと本末転倒なことを答えることが多いですが、本当は違います。本当はこれまでと同じように、あえて厳しい環境に身を置くことでサッカーが上手くなりたかったからです。
今、僕はサッカー部で下手の部類に入ります。試合にも思うように出れていません(もちろんB戦には出させてもらっています)。これまで僕は上手くなるためだけでなく、自分より上手かったチームメイトに勝って、試合に出るためにサッカーを続けてきたにもかかわらず、今の自分はまだそれを成し遂げられていません。しかしいつの日か阪大サッカー部スタメンの座を勝ち取って、これまでサッカーを続けさせてくれた両親を試合に招待できるようになれればと思っています。
P.S.
先日、某予備校のH先生がある番組で、「小さい頃にそろばん、水泳、ピアノ、サッカーをしていると、将来の脳の発育が良くなる。」とおっしゃっているのを聞きました。驚くことにその全てを僕は小さい頃に経験しました。もしかするとこうして僕が阪大に入学できたのも、そうした習い事を勧めてくれた両親のおかげかもしれません。これを聞くと母親は、「私のおかげやん!」などと言い張るでしょうが、僕にもプライドがあるので誰のおかげかは濁しておくことにします笑
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。これからも阪大サッカー部へのご声援をよろしくお願い致します。
突然ですが、質問です。皆さんはこれまでの人生の選択を自分自身で行ってきたでしょうか?ほとんどの人が「当たり前だ」と思ったかもしれもせん。確かに最終的に判断を下すのは自分自身です。しかしここで言う「選択を行う」とは、「自分で積極的にやりたいと思ったことを行動に移す」という意味です。この観点から言えば、私の答えは"No"です。
思い返してみれば、小さい頃にやっていたそろばん、水泳、黒帯を取った空手、2歳から14年間続けたピアノ。このどれもが、母親に勧められて始めたものでした。それだけではありません。なぜ豊中高校を志望したかと言えば、豊中高校が母校であった母に小さい頃から「あの高校はすごくいいところだよ」と聞かされていたからだし、阪大だって家から近く、かつ世間一般に「いい大学」とされるから目指しました。
ここまで読むと、「コイツ、ただのマザコンじゃねえか」と思った方もいるでしょうが、決してそういうわけではありません。他人指向型で優柔不断な僕は、人生における選択を周りの環境に左右されながら行ってきたのです。ただ1つを除いては。。。
それがサッカーでした。僕は小学4年の終わりに初めて両親に懇願し、サッカーを始めました。はじめは自分よりずっと前からサッカーを始めている仲間の中で、練習についていくだけでも大変でした。
サッカー人生で初めての試合。自分にPKのチャンスが巡ってきました。しかしながら、"PK"という言葉さえ知らなかった僕は一歳年下の"先輩"に方法を教えてもらい、トゥーキックで思いっきり振り抜きました。自分の頭の中ではゴール左隅に強烈に突き刺さるスーパーゴールを思い浮かべていましたが、結果はノーゴール。ゴール左に1つも2つも外れる、いわゆる"ホームラン"でした。
それからというもの、小学6年生の時には始めて2年も経っておらず、リフティングだって100回もままならなかった僕は、一丁前にヴィッセル神戸のセレクションを受けに行ったり(もちろん一次で落ちましたが)、中学に上がる時には地元ではそこそこ強いクラブチームに入ったりしました。
なぜそんなことをしたかと言えば、とにかくサッカーが上手くなりたかったのです。中学のクラブチームでは、もちろん万年Bチームだったし、高校に上がっても最後まで公式戦に出ることはありませんでした。
そんなこんなで今年でサッカーを始めて9年。僕はサークルではなく、ユース出身や国体出身もいるこの阪大サッカー部をあえて選びました。
よく、友達に聞かれます。なぜ、部活に入ったのか、と。僕はその時、「阪大で、しかも部活入ってたら、就職楽勝やん」などと本末転倒なことを答えることが多いですが、本当は違います。本当はこれまでと同じように、あえて厳しい環境に身を置くことでサッカーが上手くなりたかったからです。
今、僕はサッカー部で下手の部類に入ります。試合にも思うように出れていません(もちろんB戦には出させてもらっています)。これまで僕は上手くなるためだけでなく、自分より上手かったチームメイトに勝って、試合に出るためにサッカーを続けてきたにもかかわらず、今の自分はまだそれを成し遂げられていません。しかしいつの日か阪大サッカー部スタメンの座を勝ち取って、これまでサッカーを続けさせてくれた両親を試合に招待できるようになれればと思っています。
P.S.
先日、某予備校のH先生がある番組で、「小さい頃にそろばん、水泳、ピアノ、サッカーをしていると、将来の脳の発育が良くなる。」とおっしゃっているのを聞きました。驚くことにその全てを僕は小さい頃に経験しました。もしかするとこうして僕が阪大に入学できたのも、そうした習い事を勧めてくれた両親のおかげかもしれません。これを聞くと母親は、「私のおかげやん!」などと言い張るでしょうが、僕にもプライドがあるので誰のおかげかは濁しておくことにします笑
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。これからも阪大サッカー部へのご声援をよろしくお願い致します。
2017年10月5日木曜日
憧れだった場所 1年 廣田利一
こんにちは。1回生の廣田利一です。
1回生の4月によくある質問。「サークルとか部活どうするの?」
ただし、ここでゆう部活は、体育会ではなく医学部の部活のことである。
この質問を聞く度に僕は、体育会の部活であることを主張しつつこう答えた。「体育会のサッカー部に入る為に、阪大に入ったねん。医学部サッカー部には絶対に入らへん。」と。
(医学部サッカー部さんを否定してるわけではありません。)
言葉に力が入ってしまうくらい、顔に似合わずサッカーに対する思いは強いし、本当に阪大のサッカー部に入りたいから浪人してまで阪大を受けた。憧れの場所に入る為に。
ここで、なんでそこまでして阪大の体育会サッカー部に入りたいのかと思う人もいるかもしれない。理由としては大きく2つあり、
阪大が自主性で頑張っているところに魅力を感じたし、結果も出ているからとゆうことと、かつての小中高のチームメイトが関西で大学サッカーをしているのでそのフィールドに立つ為である。
特に、阪大に入って高校時代に活躍して大体大に入った友達と試合をして勝ちたいと浪人時代からずっと思っていて、
大口叩いている割に実力が伴っていないのは自覚しているけど、阪大でなら可能性はあると思っているから入った。
実際にこの憧れだった場所に入ることができ、本当に嬉しかったし、いろんなところで成長している自分がいる。
小中高と自分の学年の人数が少なくてろくにスタメン争いをしたことがない自分が、大学に入って1回生が20人、上回生を合わせると60人弱いる中で競い合っているので、成長しないわけがない。
でも、先輩方を見ると、自分はまだまだ甘いなと思うし、自分に厳しくなってもっとうまくなりたいと思う。
1回生なので、来年入ろうかなと思っている人に対するメッセージに説得力はあまりないかなと思うけど、実際に入ってみてわかったことがある。
それは、自分が成長できる環境が整っているとゆう点である。
まずはうまい先輩ばかりいること。わからないことは教えてくれるし、見習うところがものすごく多い。また、人として尊敬できる先輩ばかりいる。
次に、芝のグラウンド。今までは全て土でやってきたので最初来た時は感動した。本当にやりやすい。この一言に尽きるかなと思う。
これはOBの方々のおかげであるので本当に感謝しかありません。
他にも色々ありますが、とにかく阪大のサッカー部に入れて本当に良かったなと思う。
最後に、1回生なのでまだ3年以上あるとは言っても、3年なんてあっとゆうまに過ぎてしまうと思うので、今まで育ててくれた両親に感謝して、また、環境を整えてくださった先輩方たちに感謝して、今では”憧れだった場所”に変わったこの阪大で成長していきたいと思います。
1回生の4月によくある質問。「サークルとか部活どうするの?」
ただし、ここでゆう部活は、体育会ではなく医学部の部活のことである。
この質問を聞く度に僕は、体育会の部活であることを主張しつつこう答えた。「体育会のサッカー部に入る為に、阪大に入ったねん。医学部サッカー部には絶対に入らへん。」と。
(医学部サッカー部さんを否定してるわけではありません。)
言葉に力が入ってしまうくらい、顔に似合わずサッカーに対する思いは強いし、本当に阪大のサッカー部に入りたいから浪人してまで阪大を受けた。憧れの場所に入る為に。
ここで、なんでそこまでして阪大の体育会サッカー部に入りたいのかと思う人もいるかもしれない。理由としては大きく2つあり、
阪大が自主性で頑張っているところに魅力を感じたし、結果も出ているからとゆうことと、かつての小中高のチームメイトが関西で大学サッカーをしているのでそのフィールドに立つ為である。
特に、阪大に入って高校時代に活躍して大体大に入った友達と試合をして勝ちたいと浪人時代からずっと思っていて、
大口叩いている割に実力が伴っていないのは自覚しているけど、阪大でなら可能性はあると思っているから入った。
実際にこの憧れだった場所に入ることができ、本当に嬉しかったし、いろんなところで成長している自分がいる。
小中高と自分の学年の人数が少なくてろくにスタメン争いをしたことがない自分が、大学に入って1回生が20人、上回生を合わせると60人弱いる中で競い合っているので、成長しないわけがない。
でも、先輩方を見ると、自分はまだまだ甘いなと思うし、自分に厳しくなってもっとうまくなりたいと思う。
1回生なので、来年入ろうかなと思っている人に対するメッセージに説得力はあまりないかなと思うけど、実際に入ってみてわかったことがある。
それは、自分が成長できる環境が整っているとゆう点である。
まずはうまい先輩ばかりいること。わからないことは教えてくれるし、見習うところがものすごく多い。また、人として尊敬できる先輩ばかりいる。
次に、芝のグラウンド。今までは全て土でやってきたので最初来た時は感動した。本当にやりやすい。この一言に尽きるかなと思う。
これはOBの方々のおかげであるので本当に感謝しかありません。
他にも色々ありますが、とにかく阪大のサッカー部に入れて本当に良かったなと思う。
最後に、1回生なのでまだ3年以上あるとは言っても、3年なんてあっとゆうまに過ぎてしまうと思うので、今まで育ててくれた両親に感謝して、また、環境を整えてくださった先輩方たちに感謝して、今では”憧れだった場所”に変わったこの阪大で成長していきたいと思います。
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