2022年12月5日月曜日

「2022シーズン終了報告」2022年度主将 北野祥太

 

大阪大学サッカー部に関わるすべての皆様こんにちは。

2022年度主将を務めました北野祥太です。

 

今年1年の活動を支援していただき誠にありがとうございました。学生主体の運営とはいえども、学生だけで完結できる活動など一つもありませんでした。家族、スポンサー様、OBOG、恩師、チームメイト、スタッフ、友達すべての支えてくれた皆様のおかげでこの1年は学生団体では考えられない異例の発展を遂げました。ピッチ内では昇格を成し遂げられなかったことは悔しくてたまりませんが関西2部で5位と現行制度に変更されてから最高順位と最高勝ち点を更新し、関西の国公立大学では1番高い順位になりました。ピッチ外ではスポンサー様の獲得やガンバ大阪との共同事業などここでは書ききれないほどの進歩がありました。本当にありがとうございました。

 

今年1年のテーマは恩返しでした。今までお世話になった方々に、多くの部員にとって最後のステージである大学サッカーという舞台で恩返しをという思いで「愛し愛される組織に」「国公立大学を牽引する存在へ」というスローガンを掲げました。特に「国公立大学を牽引する存在へ」というスローガンは、金銭的にも制度的にも環境的にも不遇な立場にある国公立大学の部活動の現状を、自分たちの手でその不利を覆し、彼らの希望となることで今までの恩返しとしようという思いで掲げました。今年度活性化したスポンサー活動やリクルート活動はこの理念達成のための手段でした。大学から金銭的援助のある私立大学と比べるとまだまだですが、1年間の収支の規模は2倍ほどに成長しました。また、他の部活では見られないような能動的な選手獲得に挑戦しました。国公立大学だから恵まれている私立大学に負けるのは仕方ない。」と諦めずに、自分たちで変えられる範囲のことに全力を注ぎ続けたからこそ、今年度の結果にも繋がっていると信じています。

 

リーグの成績をもってして理念達成の一歩を踏めたと思いますし、実際に阪大サッカー部を模倣して組織運営を行っているという部活動に多く出会えたことはうれしい限りでした。この文章を読んでいただいている皆様に恩返しできたでしょうか。少しでも何か感じるものがあればいです。

 

主将になると決めたとき、部員の皆がこの部活に所属して豊かな大学生活を送れるようにすべてを捧げようと胸に刻みました。自らが愛せる組織に属することで得られる安心感や充足感人に応援されるという幸福感誰かの希望であり続けるという使命感。これらの感情が部員の皆に豊かさを与えてくれると信じています自己実現を超えた、他者を媒介して得られる幸せに出会ってくれたら嬉しいです。

 

そして、ただ練習や自主練がむしゃら頑張るだけでなく、理念達成(=勝利、愛されるチームへ)に必要な要素を分析し、己ができるすべての手段を尽くしていく過程は最高に充実していました。それが僕にとっては経営であったし、スポンサー、リクルート、社会貢献、フィジカル、広報、などでした。理念達成のために1‰でも確率が上がるならすべての手段を尽くすべきだし、他に達成確率を上げる要素が存在するかを模索し続けるべきです。高い視座を持って学び続け行動を起こすことが結果に結びつくはずです。本当に「勝ちたい」「応援されたい」というならそれに伴った行動をし続けましょう。ただ練習頑張るだけなんて勿体ないですあなたが組織に影響を与えられることはあなたが競技を上達することのみですか?一つの例ですが、組織としてのパフォーマンスを最大化したいなら経営の勉強をすれば大きく変わります。

 

最後になりますが、ここまでなに不自由なくサッカーを続けさせてくれた家族、こんなにもサッカーは楽しいのだと教えてくれた指導者の方々、僕と一緒に目標に向かって走ってくれたチームメイト、金銭的支援のみならずホームゲームにも足を運んで支えてくれたスポンサー様、学生自治のバトンをつなぎ続けてくれたOBOGの皆様、会場に来て応援してくれる皆様、サッカーできる環境を整えてくれた大学・学連関係者ならびに審判員の皆様、大学がバラバラなのに毎週のように会ってくれる高校時代の友達僕に関わるすべての方々に感謝で胸がいっぱいですだれか一人でもかけていれば充実したサッカー人生は送ることができませんでした。あまりにも恵まれすぎです。本当にありがとうございました。僕の活躍をもって恩返しをと胸に刻み過ごしてきましたが支えられてばかりでした。皆様に幸せ溢れる夜が訪れることを願っています。

 

僕の大学サッカーはここで幕を閉じますが、大阪大学サッカー部の活動は終わりません。素晴らしい後輩たちが紡いでいく未来が楽しみでなりません。今後とも大阪大学サッカー部に温かいご支援とご声援をよろしくお願いします。

 

2022年度主将

北野祥太

2022年10月2日日曜日

「サッカーってめっちゃ楽しくない?」


こんにちは。大阪大学体育会サッカー部2回生の広瀬大です。

 

結局夏休みも合宿がなくなってしまいました。これを機にいろんな1回生との距離を縮めようと思っていたのでとても残念です。このままだと1年間で8cmくらいしか距離が縮まらないのではないのでしょうか。


いや、日本とハワイの距離かよ。


つかみボケが決まったところで本題に入ります。

高校3年の夏。総体の県予選で負け選手権を残らず引退する同期たちに「選手権残った方が絶対良い」、「最後までやりきった方が得るものあるって」とか言いながら、自分自身でもサッカーから何を得れて、この経験が将来どのような役に立つのかわかっていなかった。誰かが書いたスポーツを続けることの重要性とかをSNSで見たりもするけどそういった文章は結局答えがぼやけていたり、自分の中で完璧にはまることはないように感じる。

一度は離れたガチのサッカー生活。それでも結局は体育会のサッカー部で活動することを選択し戻ってきた。これほどまで自分がサッカーに執着してしまう理由は何なのか、そしてサッカーから得られたものは何だったのか。この部員ブログを書くことを機に自分の中で答えを出してみようと思う。


① サッカーを続ける理由

まずは、単純にサッカーをすることが大好きだからだと思う。朝起きて学校に行き授業を受ける。昼ご飯をサッカー部の友達と食べて授業を受ける。練習をして家に帰って紅白戦の動画を見て寝る。オフの日はバイトをするか、サッカー部の友達と遊びに出かける。体育会の部活に属しているからこそまとまってとれる自由な時間は少なく、中高の友達のストーリーを見て羨ましいな、楽しそうだなと思うこともある。しんどい時もあるけど、「朝早すぎるやろ、だる」とか思うときもあるけど、結局サッカーが大好きだから、サッカー部のみんなが大好きだから。これだけでサッカーを続けられる十分な理由になる。授業、アルバイト、友達と遊びに行ったり、家でYouTubeを見たり、どんな時間よりもあっという間に時が過ぎる。こんなにも時間が経つのがはやく感じられるのはサッカーをしている時とあいみょんのライブに行った時ぐらいな気がする。

次に、自分の周りの人に自分の活躍を届けたいからだと思う。自分が頑張ろうと思えるのは、いつも自分が応援している人の活躍を聞いたとき。オリンピックのリレー・卓球・カーリングとかで、ワールドカップで、高校野球で、日本中が盛り上がり、「○○から勇気をもらった」等のセリフをテレビで見たりもする。でも、自分はそんなことよりも幼馴染が甲子園に出場したり、中学の先輩が総体で県大会に出たり、市西の後輩が滝川第二を倒したと聞いたり、妹が部活動でいい成績を残したり、ウィンドサーフィン部の元同期の活躍を聞いたり、塾の生徒の関西大会出場が決まったと教えてもらったりする方が何百倍も頑張ろうと思えるし、勇気をもらえる。日本を代表する試合で活躍したり、全国大会に出ることはもちろんすごい。でも、自分にとってそれはvs嵐や逃走中のスーパーウルトラ上位交換みたいなものにすぎず、心を揺さぶり、高揚を感じるのはいつも自分の周りの人の活躍。だから、自分の周りの人に自分の活躍を届け、心を動かしたいと思う。


② 結局サッカーから何を得れているのか

サッカーは自分の人間性を形成し、考え方や価値観や芯を持たせてくれたと思う。つまり、サッカーは広瀬大を作ってくれた。

4歳でサッカーを始めてからこれまでたくさんの尊敬する人に、応援したくなるような人たちと出会ってきた。小学校ではただうまい人にあこがれ、市のトレセンに選ばれていた同期のキーパーや学年は違えど市や県のトレセンに選ばれまくっている1つ上の学年を遠い存在のように感じながらも、いつか自分も選ばれたいと背中を追いかけた。中学や高校ではサッカーのうまい人だけでなく、人として尊敬できる人に出会えた。自分の笑いのベースができたのもこの時期で、部活の同期たちに形成され鍛え上げられてきた。そして現在、阪大サッカー部でも尊敬できる先輩、同期、後輩にたくさん囲まれている。サッカー部の中ではいろいろな組織をいろいろな角度でいろいろな人がそれぞれ牽引している。サッカー部を最前列で牽引している人、カテゴリーに関わらず学年に関わらず熱量をもってサッカーに取り組んでいる人、班活動でサッカー部を強い部に大きい部にしようと牽引している人。おそらくまだ自分が気づいていないところでもたくさんの人がサッカー部を牽引してくれている。

そんな人たちの存在に17年間引っ張られ続け、追いかけ、憧れているうちにいつのまにか今の自分が形成されていた。これがサッカーを続けることで得られたものだと思う。


サッカー続けてきて良かったな〜


最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

2022年8月21日日曜日

「応援される人間になる」 2年 空山大輝


 

こんにちは。経済学部2回の空山大輝です。この部員ブログでは、私の目指す選手像について綴ります。


このブログの題名にしている、応援される人間になる、という言葉は中学2年時に、当時のコーチがよく口にしていた言葉です。家族や友達、クラスメートから応援される選手、地域から愛されるクラブになろうという思いで、チームのスローガンになっていました。


早速ですが、この題名にちなんで、私自身を見つめ直す契機となった試合があります。それは中学2年時の県リーグの試合です。前半、相手コーナーキックの際、自分がマークしていたセンターバックに失点を許し、私は悔しさから膝に手をつきました。ハーフタイム、私はベンチに戻ると、当時のコーチから檄を飛ばされました。「膝に手をついてる選手を見て応援したいと思う人がいるのか。悔しいんだったら自分が点決めてこいよ。」と。確かにそうだと思いました。しかし、その言葉でメンタルをやられた私は、最後まで点を決めることも無ければ、プレーもうまくいかず、結局試合はボロ負けに終わりました。


それを機に、自分がプレーする上で必要なことを考えました。上手にプレーするだけが、大事なのだろうかと。サッカーの世界には、技術の高い、上手な選手がたくさん存在しますよね。しかし、私がそのような上手な選手になろうとしても、どこかで限界が生じます。それなら、どのように他の選手より強くなれるのか?また、他の選手と差を生むことができるのか?

そう考えた結果、自分に必要なのは、「意識」を変えることに終着しました。例えば、ボールがコート外に出そうでも走って追いかける、ボールを取られたら取り返すまで追いかける、スライディングで失点をギリギリ防ぐ、チームのために走る、等。これらのことは意識すれば誰でもできると思うのです。俗に言う泥臭いプレーなのでしょうが、そういうプレーがチームの勝利には必要だと思うし、それを自分ができるようにしたいと思っています。プロの試合を見ていても、献身的な守備をしているFWや体を張ってゴールを守るDFのことを、個人的には憧れますし応援したくなります。もちろん、点を決めてヒーローになる、スーパーセーブをする選手も勝利には必要です。でも僕は泥臭い方が似合う気がするし、それでチームの為になるなら、本望です。そのように、チームの勝利のためなら何としてでも戦う選手になります。


私の高校サッカーは、高校総体中止という予期せぬ終わり方でした。そのような形でサッカー人生を終わらせる事などできるはずがありませんでした。そして勿論大学でも体育会サッカー部に入り、気が付けば一年が経ちました。後悔はしたくありませんが、最後の結果次第で後悔するかしないかは決まるのが正直な所だと思います。勝負すらできず終えた高校サッカーでの悔しさはとてつもなく大きいです。阪大サッカー部に入って、良かったと既に感じています。なぜなら、選手•スタッフがサッカーに対して熱意を持っているからです。正直すごいことです。後悔しないように、この環境を無駄にはしません。応援される人間になる、チームが勝つための選手になる、これを私の4年間の目標にします。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

「大学生って難しい」 2年 杉原翔太



はじめまして、そんな太ってるつもりないのに謎にデブキャラで通ってる杉原翔太です。


実はこの部員ブログ書くの2回目で、1本目は結構前に書いたんですがなんか格好つけすぎてたので書き直してます。あんま臭さを感じさせない文章が目標です。2回目なんで洗練されてます、たぶん。


さてハードルを上げるのはここまでにして本題にいきましょう。


部員ブログといえば、高校生のときに読んだとある強豪大に進学した高校の先輩のブログが一番に浮かびます。その先輩とは代も被っておらず名前も覚えていないのですが、、、。しかし、その内容は強く印象に残っています。題名は「かっこいいの定義」、そしてその定義とは「理想の状態を圧倒的な熱量で追い求めている」でした。


皆さんにとってかっこいい人ってどんな人ですか??高校生のときその部員ブログを読んでから、僕にとってのかっこいい人はまさにこの定義に当てはまる人です。熱い思いをもってなにかに取り組んでいる人を見るとグッとくるものがあります。


さて、ではかっこいい人は偉いんでしょうか?熱量を持ってなにかに取り組んでいる人は偉くて、何もしていない人は悪い。この二元的な区別は常に正しいのでしょうか?


大学に来て強く感じるのは、何かに熱を持って打ち込めるっていうのはとても幸せなことなんだなということです。大学に進学した多くの人は無限の可能性に晒されます。何にでもなれるし何でもできる。大人は口を揃えて言います。何かしたい。何かに熱を持って取り組みたい。輝かしい将来を自分の手で切り開きたい。夢中になりたい。本人もこう思っています。けど何がしたいかわからない。今やっていることが自分のやりたいことなのかわからない。いつのまにか日々が過ぎてく。自分の理想を体現している人を見て憧れる。自分もって思うけど、結局憧れるだけ。


これは去年の僕です。一回生の時はこの感情にずっと悩まされました。この問いの嫌なところは答えがないところです。色んな人に相談したし自分でもずっと考えてたのですが、いつも堂々巡りで終わるだけでした。


しかし2回生になって自分の思いにやっと整理がつきました。今は明確にやりたいことがいくつかあります。そのうちの一つはこのサッカー部を体育会の象徴にすることです。推薦もない、環境も決して整ってるとはいえない。そんな僕たちが強豪私立と互角にやり合っているところを想像してみてください。ワクワクしませんか?


結論、今めっちゃ幸せです。頑張りたいことがあって、それを頑張れる環境にある。決して自分だけの力じゃこの環境は作れません。いや、頑張ろうと思って作り出せるものじゃないと思います。とても恵まれた人間だとつくづく思います。


最後に。憧れの存在っていますよね。自分もこうなりたい。見るたびに思います。けどその人に自分はなれません。いや、たぶんなりたいわけじゃないんです。今の不満足な自分を否定して、憧れの存在と自分を相対的に評価して自分が劣ってると認識する。だから憧れる。


人間ってないものねだりなんです。まさに僕がそうです。けど今まさに自分が誰かから憧れられてる状況にいることを認識できてないんです。こう考えたら自己肯定感あがってきませんか?以上、去年の自分に伝えてあげたいことでした。


なんかまとまりなくなってしまいましたが最近こんな感じのことを考えてます。うん、要するに部活頑張りたいと思ってるってことです。

こんなペーペーの文章を読んでいただきありがとうございました!

「環境の変化」 2年 篠田和真



 こんにちは。基礎工学部の篠田和真です。バイトの面接で高校生?と聞かれるぐらい幼い見た目をしていますが浪人しています。今回はこの部員ブログを書くにあたって、僕のサッカー人生とその時の心境について振り返ってみたいと思います。


 小、中、高とサッカーを続けて高校で部活を引退したときは大学ではもうしないだろうと思っていましたが、いざ大学生活が始まると授業がオンラインになったりして家にいることが多くなり、なんだか物足りなさを感じ、同期のみんなには少し遅れを取りましたが体育会サッカー部への入部を決めました。大学生活は少し忙しくなりましたが、いい仲間にも出会えて充実した大学生活になったので入部してよかったなと思っています。


 中、高の部活はあまりレベルの高いものではなく試合にも出ることができていたのでそれで満足して、練習こそは真面目にやっていましたがそれ以上のことは特にせず、ただ楽しかったというのが中、高の部活でした。大学の部活でも練習を真面目にこなしていれば、いつかは試合に出られると思っていましたが、入部して一年近くが経ちそれだけでは試合に出て、チームの役に立つことは絶対にできないなとわかりました。全員がパスやシュートの練習一つ一つで意識を持っておこなっていたり、練習時間外で自主練をおこなっていたりするなど、それが普通なのかもしれませんが、僕の今までサッカー人生にはあまりなかった環境で、試合で活躍するには自分には何が足りていなくて、何をするべきかを自分で考えて練習する必要があるなと感じています。一つ例を挙げさせてもらうと、僕は体の大きさが人よりも小さく、これまで体の体格差で多少困ったことはありましたが、そこまで重大ではないと感じていました。しかし大学に入るとその差が顕著となり、体が当たっただけでバランスを崩したりといろいろな不便なことが出てきました。そのため食事やトレーニングを自分で考えて体を強くしなければいけないなと思い、ただいま実践中です。


 二回生になって上手な一年生も入ってきている中、いつまでも情けない姿を見せ続けるのは僕のプライドが許さないので、フィジカルの面や技術の面を向上させいい恰好を見せられるようになりたいと思います。大学のサッカー部といういい環境で練習ができていることに感謝しつつ、おそらくサッカーに本気で取り組める最後の機会だと思うので悔いのないように頑張りたいと思います。


 国語は大の苦手ということで、まとまりのない文章でしたが、読んでいただきありがとうございました。

「金ピカ」 2年 小林健太郎


 

 みなさんこんにちは、2回生の小林健太郎です。

このブログを手に取っていただきありがとうございます。普段からTwitterでいいねを貰えるようなふざけた文章を考えてはいますが、真剣な文章を考えるのは苦手です。ですが、この文章をペットの犬に読ませてみると、「キャンキャン(面白かったワン)」と言ってくれたので、楽しく読み進められると思います。すみません、そういえばペットなんて飼っていないし僕は猫派でした。


 冗談はこの辺にして、真剣に話したいと思います。


 皆さんには、いま夢がありますか。「ある」と答えられた方、とても素敵でかっこいいです。羨ましくて仕方ありません。「ない」と答えられた方にもう一つ質問します。夢を諦めた経験はありますか。


 僕には夢がありません。しかし、以前はありました。サッカー選手になるという大きな夢がありました。小学校高学年くらいの時期にその夢を諦めました。当時、自分の身に何か大きな変化があった訳ではありません。ただ、なんとなく「早く大人になりたい」とは考えていたのを覚えています。すなわち、自分には無理だと夢を諦めて大人になったふりを当時の僕はしていた訳です。今の僕はと言えば真逆で、どんなものでもいいから夢が欲しい、子供の頃に戻りたい、そんなことをしょっちゅう考えています。子供の頃に思い描いた大人の姿って、とても自由で自信満々で堂々としていてかっこいいものでした。そんな理想の大人になれると思っていました。しかし、既に成人を迎えた実際の僕の姿はどうでしょうか。常に周りの目や責任を気にしてビクビク怯えて生きています。


 サッカーにおいても、同じことが当てはまります。サッカー選手を夢みていた頃の自分と比べて、今の僕は身体能力やサッカーの技術、IQなど求められるほとんど全ての要素において優れています。しかし、ミスしたくない、先輩に怒られたくない、そんなことばかりを考えてプレーしているせいで、「サッカーを本気で楽しむ」という1番大切な要素で過去の僕にひどく劣っています。


 僕はいま怪我をしていてしばらくサッカーができていません。とてもサッカーに飢えています。おかげで、怪我を治し再びサッカーができる時、昔のように新鮮な気持ちで本気でサッカーを楽しむことが出来るはずです。「サッカーできる喜びを忘れない」これが僕なりに考えた1番正しい大学サッカーへの向き合い方です。


 『メロディなきメロディを奏で、道なき道へ行こう。そこに俺にとって一番の金ピカがあるのだ。』

漫画「宇宙兄弟」に出てくる僕の大好きな言葉です。夢なんて言うと手が届かなそうな気がしますが、金ピカなら手を伸ばし続ければ届きそうな気がしませんか?皆さんも僕と一緒に自分なりの金ピカを追い求め続けましょう。


 ダラダラと長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

「Born in the USA」 2年 柑本志温


 

こんにちは。2回の柑本志温です。今日は僕の課題について書きたいと思います。拙い文章ですが、最後まで読んでいただければ幸いです。


まず初めに、僕はアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコで生まれ、アメリカ合衆国テキサス州ダラスで育ちました。「お前それしか言えへんのか」って言われそうですが、人とは違う何かがあるって嬉しいじゃないですか。アメリカで産んでくれた親には感謝しています。


では、本題に入りたいと思います。アメリカでサッカーを始めてから今日まで約15年間サッカーを続けてきました。異国の地でルールも分からず相手が自分のゴールに決めたのを見てそこに自分もシュートするところから始まって今日まで様々な課題を突きつけられてきました。そんな中でも永遠の課題の一つはメンタルです。簡単に言えば日本人とアメリカ人の両方の悪いところをとったという感じだと思います。


一般的にアメリカ人は自分の意見を言うことを恥じず自分を持っていて、日本人は共感性が高く、集団の中で自分の力を大きく発揮する、そんなイメージがあると思います。しかし、日本人でもあり、アメリカ人でもあるはずの僕はこの逆なのです。サッカーではFWをやっているはずなのに自分の意見を主張するのが怖く、また上手い人が怖いんです。逆に私生活では時間にルーズでKYです。これが今までの僕のメンタリティです。


時間にルーズでKYなことはもちろん問題なのですが一旦おいておきましょう。サッカーにおいて自分の意見を主張できない、殻を破れないというのは非常にもったいないと思います。小学生の頃から、年上の人とフットサルをするスクールでは体育館の隅で隠れ、小学生のちょっとした選抜なんかに行けばずっとビビッてチームメイト以外の人とは交流ができませんでした。高校時代は自分の実力よりも上の高校にチャレンジしました。入学した当初は底辺レベルにへたくそで、性格的にも言われやすいタイプなので同学年の中でも下っ端キャラでした。そこからの下剋上を目指していたわけですが、結局自分よりも上手い人たち対して自分の殻を破ることはできず、もっとできただろうという思いが残りました。今までの自分の挫折を振り返れば、もちろん自分の実力通りなのだが、それでもやっぱりもっとできたなという感情やもっとやればよかった、もったいなかったなという感情の方が大きいです。


大学では再びFWというポジションを始めて、この殻を破ろうと頑張っております。もちろん味方に主張するからには実力、知能が必要なのでそこは日々レベルアップするしかありません。またエゴをただ出し続けるのではなく冷静に判断するということも重要です。このことを忘れずに、私生活では時間にルーズな自分を直し、サッカーではアメリカ人のような強いハートを持ったなんちゃって外国人ストライカー柑本エルビス志温としてこれから頑張っていきます!


最後まで読んでいただきありがとうございました。