2022年5月25日水曜日

「俺は今なんだよ!!」 3年 森岡晃琉

 

こんにちは。大阪大学体育会サッカー部三回生の森岡晃琉です。

題名はスラムダンク山王戦より、桜木花道の名言を引用しました。スラムダンク、良いですよね。泣けるほど感動するとはよく用いられる表現ですが、本当に涙が溢れたのは初めてです。おすすめするのもおこがましい程名作ですが、読まれたことがない方は是非。

話が逸れましたが、今回の部員ブログでは僕のサッカー人生を振り返りつつ、大学サッカーへの思いを述べようと思います。最後までご一読頂けると幸いです。

僕がサッカーを始めたのは小学二年の時でした。長友佑都に憧れ、下手くそな自分に腹が立ち泣きながら練習をした時期もありましたが、友達がいるというだけで始めたサッカーは小学生の僕にとって単なる趣味でしかなく、そこまで熱を持って頑張るものではありませんでした。しかし、中学生に上がると幸運なことに顧問に恵まれ、初めて一生懸命頑張ることの楽しさ・上達する喜びを教えてもらいました。次第に僕はサッカーに魅せられ、オフの日も公園で日が落ちるまでサッカーをするといった、絵に描いたようなサッカー小僧と化していったのです。

そんなサッカー一筋人間は、高校進学を機に大きく変貌することになります。私の入学した高校のサッカー部には真剣にサッカーに取り組んでいる人は殆どいなかったのです。皆がサッカー大好きで、一生懸命頑張っている環境は当たり前だと思っていた僕にとって全く理解の出来ない状況がグラウンドに広がっていました。部活がだるいという概念も、筋トレ器具で遊び出すことも何もかも訳が分かりませんでした。そんな僕はさぞかし浮いていたことでしょう。実力も特に秀でていたわけでもなかったので尚更です。しかし人間の適応能力というのは怖いもので、入部当初はあんなにむかついていた状況を次第に受け入れ出しました。僕だけ頑張ればいいやという思いもあったのかも知れません。

そんなこんなで僕が一番頑張っているキャラになり、キャプテンを引き継ぐことになります。肩書きだけ見たら中々イケてますよね。サッカー部キャプテンで成績優秀。少女漫画なら圧倒的ヒロインです。それだけキラキラ出来たらやりがいもありますが、実情はそんな生活とはほど遠い毎日でした。毎日部員を怒り、練習を成り立たせる事だけで精一杯。試合にも負け続け、メンタルもズタボロな僕は戦犯になり続けます。部活が嫌で嫌で仕方なく、サッカーなんてとっくに嫌いになっていました。

ですが、今僕は大学でもサッカーを続けています。当時の僕からしたらなぜ続けているのか意味が分からないでしょうが、大学でサッカーを頑張る原動力に高校時代の後悔があります。僕は結局高校サッカーを頑張りきれませんでした。そもそも、部の雰囲気に馴染みだした時点で自分を追い込めているわけがないのです。まあこれくらいすれば良いだろうと限界を決めて惰性でやっていたに過ぎません。また、キャプテンだったのに自分が率先して後輩の模範になることが出来ませんでした。結局口だけで、しんどいから背中で語ることから逃げたのです。環境のせいにして、もっともらしい文句を並べて、自分で状況を打破することを諦めていました。

僕は高校生だったときの自分が大嫌いです。体育会サッカー部に入部した動機も弱い自分を変えたいという一心でした。二度とこのような後悔を残さない為にも、「今」に一生懸命な人間である為にも、最後までもがき続けようと思います。

最後まで読んで頂き有り難うございました。

2022年5月17日火曜日

「思い立ったが吉日」 3年 藤村建斗

 

こんにちは、あるいはこんばんは。

最近SPY×FAMILY にハマっています。SPY×FAMILY が好きな方はここでいいねをお願いします。

誰に向けた訳でもない文章を書くのは苦手なので、リクルート班の長として、入部するか迷っているであろう誰かに向けてこの部員ブログを書こうと思います。


僕は少し遅れてこの阪大サッカー部に入部しました。入学して半年間、バイトもせず、友達も出来ず、ずっとYogiboの上で生活していました。その結果、体は痩せ細り、「簡単に金を稼ぐ方法」をネットで検索するくらい脳みそも痩せ細ってしまいます。


そんな生活の中でふと高校時代のサッカーの写真を見返すと、漠然とまたサッカーを本気でやりたいと思うようになりました。そこで決断してしまえばいいものの、人間というのは楽な方を選んでしまう生き物です。部活に入りたいと心の奥底では思っているものの、「大学まで行ってサッカーやる?」「高校サッカーで満足したんじゃない?」と自分に言い聞かせ、挑戦から逃げていました。友人に相談もしましたが、あの時の僕は自分の中で答えが決まっているのにとりあえず相談する女々しさ満点の男でした。


結局、高校時代の恩師の「迷った時は苦しい方を選べ」という言葉に背中を押されて入部を決めましたが、早く自分のサッカーが好きだという気持ちに素直に従ってしまえばよかったと今になっては思います。


入部を迷っている方にこの言葉を紹介します。「『思い立ったが吉日』ならその日以降は全て凶日」

かの神漫画トリコの名言ですが、このブログを見て入部を思い立ったなら、即時このアカウントにDMを送り、グラウンドに足を運びましょう。真剣にサッカーに取り組めて、人間的に成長できる環境がここにはあります。後悔はしないはずです。(詳細は島岡クンの激アツ部員ブログをご覧ください。)


最後になりますが、このブログが一人でも多くの方が一歩踏み出すきっかけになれば幸いです。

割とマジで拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

2022年5月11日水曜日

『逃げ』は役に立たない  3年 古谷剛朗

 



 こんにちは。大阪大学体育会サッカー部3年の古谷剛朗です。

 題名に関してですが、某人気ドラマに喧嘩を売っているわけではないので悪しからず。

 僕は他の人のようにユニークなことを書ける人間ではないので、ただの自分語りで面白みのない文章になってしまいました。読みにくいかもしれませんが、暇なときにでも目を通していただけると幸いです。


 どうして今自分はサッカーをしているのか。

 最近ふとした時に頭をよぎる。高校までのチームメイトはほとんどサッカーをやめてしまっていて、大学の体育会で続けている人は片手で数えられるほどである。友達のインスタには毎日のようにどこかへ行ったストーリーズや投稿があがっている。大学生らしいなと時々羨ましく思うこともある。でも僕には大学でもサッカーをする以外の選択肢はなかった。自分がサッカーをしていない姿が想像できなかった。サッカーが好きで、それが自分の進む道として当然だと思っていたからだ。この気持ちに嘘は微塵もない。だがそれは、ずっと続けてきたサッカーをやめるという決断をすることから目をそらしたということもあるのかもしれない、とこのブログを書き始めて気づいた。


 思えば僕はずっと楽な道に逃げてきた。今までの自分を振り返るとそう言わざるを得ない。練習では紅白戦から2vs2にいたるまで上手いやつと同じチームになることを望み、挑みにはいかなかった。中学でも高校でも最高学年の時は試合に出ていたのでそれで満足していた。

高校では選手権まで続けるつもりだったが、浪人したくない気持ちと、残る同期が少ないからという理由で総体が終わった5月で引退した。後悔がなかったわけではないが、当時はそれで納得していた。無意識のうちに無理やり納得させていたのかもしれない。でも秋まで残った同期のうちの一人が、毎日のようにサッカーをしているにも関わらず、夏に志望校を上げ、現役で合格した。彼が試合中に吐くこともあったということを聞いたときに、自分の選択が「逃げ」だったことを再確認させられた気がした。結果的には僕は志望校に現役で合格できたので間違った選択ではなかったのだろうが、もっと自分を高めることができる道があったのに、それを分かっていながら見ないふりをした。今になっても何とも言えないもどかしい感情は消えていない。

 逃げてきたがために今苦しんでいる。基礎練習から逃げてきたので止める蹴るがうまくいかない。対人練習から逃げてきたので守備ができない。自分がAに上がれない理由を考えてみると、ほとんど過去の自分の逃げに起因する。タイムマシンがあれば過去の自分に逃げるなと言ってやりたい。そして現状を見せてやりたい。


 どうして今自分はサッカーをしているのか。やめる決断を先延ばしにしているのではないか。

山積みになったやるべきことの前に立つとそんなことは考えるだけ無駄に思えてきた。後悔を残したままやめられるはずがなかった。大学サッカーは折り返し地点にきた。尊敬できる仲間とこの上ない環境で、本気になってサッカーができる時間は僕にはそれほど残されていない。もう逃げてはいられない。サッカー、そして自分に対して真摯に向き合い、成長を遂げたうえで引退を迎えたい。サッカーをやめる理由はその時にでも考えよう。


まとまりのない文になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

2022年5月6日金曜日

Kento Morita 3年 盛田健斗


 こんにちは。大阪大学体育会サッカー部新3回生の盛田健斗です。今回部員ブログを書くにあたって、自分のサッカー人生を振り返り、これからの意気込みを語ってみたいと思います。拙い文章になる可能性が高いですが、最後まで読んでいただけると有難いです。


僕は、小学校に入学するタイミングで地域のサッカークラブに入るという決断をしました。どうしてサッカーをしようと思ったのかという理由は覚えていません。当時の僕は丸々と太っており、持久力が皆無でした。全く走れなかった僕は、試合よりも、試合と試合の合間の時間での遊びのサッカーテニスや鳥かごの方が楽しいと思っているレベルで、正直サッカーという競技の面白さに気付いていませんでした。そんな僕の小学校の頃の転機といえば、3年生の頃にインフルエンザにかかったことだと思います。ぽっちゃりだった僕は、この時初めて食欲を失い、食べる量が激減したおかげで、3日くらいで6キロの減量に成功したのです。インフルエンザから復帰し、腹周りの贅肉の枷が少し軽くなった僕は、サッカーの試合でも少し走れるようになって、サッカーの試合が楽しいと感じるようになりました。それからサッカーという競技にのめりこみ、中学、高校とそれなりの熱量をもって取り組んできました。

高校生の頃の僕は、高校サッカーが一番アツくなれるもので、選手権が自分にとって最後の本気でサッカーができる舞台だと思っていました。しかし、僕の代のチームメートは総体で負けた後、多くが選手権まで続けず、引退してしまいました。かなり戦力ダウンしてしまった状態で、選手権に向けて自分なりに努力しましたが、結局は決して強いとは言えないチームにボコボコにされて負け、僕の高校サッカーは納得のいかない終わり方をしてしまいます。かなり不完全燃焼に終わってしまった僕は、大学でもサッカーを続けると決めました。


そして一年の浪人生活を経て、阪大の体育会サッカー部に入部し、現在に至るわけですが、この二年間を振り返ると、試合に全く出られない、怪我でサッカーをすることができない、など悔しい思いばかりしています。二年後、引退するときに自分が納得できるために努力を続けることだけが、現時点での僕にできることです。腐らずに努力を続ける過程で、新たな気付きや成長があると思います。今現在、僕は過去最高に頑張らないといけない状況にあると思うので気持ちを切らさず、努力を継続させたいと思います。