2021年6月26日土曜日

転機 2年 足立尊琉

 

初めまして、2年の足立尊琉です。楽しんで読んでいた側からついに書く側となり、感慨深い気持ちでいっぱいです。今回は、この機会をお借りして、自分のサッカー人生について振り返ってみたいと思います。

 

 今までの僕のサッカー人生は本当に中途半端だったと思う。小学校では、サッカーをする時より一生懸命に、雨が降って中止になることを願っていた。サッカーが好きというよりも、チームメイトと遊んでいる方が楽しかった。小学校の高学年くらいからは、だんだんサッカーの楽しさに気付いていくが、ただただ何も考えずボールを追っかけていた。

 

中学生の時には、運よく地元ではレベルの高いクラブチームに受かるが、レベルの高い最高の環境に置かれているのにも関わらず、途中でやめ、部活での楽しいサッカーを選んだ。入学した高校のサッカー部もお世辞にも強いとは言えなかった。最初の一年こそ、3年生の試合に出て活躍するという熱意のもと多少の努力をするが、それも束の間で、2年の時には怪我を繰り返しながら、だんだんと時間に身を任せるように部活をこなすようになっていった。そんな奴が選手権まで残る選択をするはずもなく、当たり前のように引退した。

 

振り返ってみると小学校から高校まで、だらだらとサッカーを続けてきて、改めてもったいなかったなと思う。そんな自分がまさか大学の体育会のサッカー部に入るとは、本当に人生は分からない。なぜサッカー部に入ると決めたのか。大学生になってもなんとなくサークルに入ってサッカーを続けるのだろうな、と考えていた矢先の受験期のある日の出来事だった。ふとテレビをつけると選手権の兵庫予選決勝の試合をやっており、メンバー一覧に、中学時代同じクラブチームで一緒にボールを蹴っていた同期の名前を見つけたのだった。その時、自分の不甲斐なさに、めちゃくちゃ悔しい気持ちがぐわっとこみ上げたと同時に、今まで感じたことの無いような後悔に見舞われた。色々と考えた結果、大学で真剣にサッカーと向き合い自分のサッカー人生にけじめをつけようと決めた。

 

 その後、無事阪大に入学し迷わず体育会サッカー部に入り、今に至る。今まででは考えられないほどサッカーに燃えている。何より、今までずっと真剣にサッカーに取り組み、本気で向き合ってきた同期や先輩方に囲まれ、もったいないくらい恵まれた環境でボールを蹴れてとても楽しい。この幸せを噛みしめながら、このチームの力になれるよう日々成長していきたい。そして、いつも支えてくれる人達に感謝を忘れずひたむきに努力を続けていきたいと思う。

 

 これで終らせていただきます。拙い文章ですが、お読みいただきありがとうございました。

2021年6月12日土曜日

意識 2年 高島将吾


 大阪大学体育会サッカー部2回生の高島将吾です。去年の今頃、先輩の部員ブログを見ながら部活ってどんな感じなんやろって想像しながら楽しみにしていたのが懐かしいです。

 さて自分達の代も部員ブログを書くこととなり、何を書くべきか、ぼんやりと考えていても、何も思いつきませんでした。気づけば提出期限ギリギリ、というか、間に合っていません。とりあえず何か書き出さねば、ということで、今回はこの1年間で自分が感じたことを率直に書いていきたいと思います。

 僕は小1からサッカーを始めて以来、高校まで属したチーム全てで、スタメンでフル出場ということが多かったため、大学でもある程度はやれるだろう、ましてや阪大生なんて勉強ばっかりしてきたから余裕だろ、なんていう傲慢な気持ちを抱いたまま入部しました。ところが、いざ練習に参加してみると、パスの速さ、トラップの精度、フィジカルの強さ、何から何に至るまで全てにおいて、自分のレベルの遥か上にありました。自分が今まで身を置いていた環境の甘さ、緩さを感じずにはいられませんでした。

 当然Cチームからのスタートでしたが、同期の多くはCチームだったし、ある程度プレーのスピード感に慣れてきたら上のカテゴリーに行けるだろうと、この時の自分はまだ甘い考えを持っていました。とりあえずみんなのプレースピードや強度に合わせることだけを考えて毎日部活に励んでいました。つまり、何も考えずに周りに合わせているだけだったのです。しかし、ゲームやポゼッションなどのメニューでは、自分がボールを持つと周りに展開するどころか、すぐに寄せられて潰されてばかりでした。中盤の選手ながら、相手の標的となりボールの失い所となってしまっていました。

 そして、何も変わらないまま、強いて言うなら少し体力が戻ってきただけで、気づけば数ヶ月が経ち、入部当初同じCチームに居た同期の何人かは、BチームでIリーグのメンバー争いをしていたり、Aチームに上がっていった奴もいました。まだ一度も上のカテゴリーに上がっていないのは同期の中で自分を含めて数人となり、焦りと悔しさを毎日のように感じていました。何か変えなければ、今の自分の立ち位置を変えることはできない、そう思い、いつもはビデオ越しにぼんやりと眺めていたAチーム、Bチームのゲームをじっくり観察してみました。すると、同じ中盤の選手でも、底に落ちて展開する選手や、落としの受け皿になって攻撃の起点となる選手など、各々が自分の役割を意識し、周りの動きを意識し合って、連動して、サッカーをしていました。これまでの自分は、ただ感覚的に動いて、見えた場所にパスをする、そんなテキトーなプレーばかりしていたことに気付かされました。

 この日を境に、とりあえず、ボールを失わないこと、これを意識して練習に取り組みました。ボールを受ける位置、相手や味方との距離感、ボールの置き所、ターンの質、基礎的な練習から意識の幅を広げていき、少しずつですが、ボールロストの数も減り、周りに展開できるようになっていった気がしています。そして今は、前を向いてボールを前進させる、ということを意識の念頭に置いて、日々の練習の中で模索し続けています。何かしらプレーに意識を持たせることで、プレーの質が向上しているのを感じています。

 そしてもう一つ、試合で使われる選手になるためには、自分のプレーに個性がいるということを感じました。実際、Aチームで活躍している、登藤さんや江田さんはピッチ上を走り回り色んな所で顔を出して走力でチームに貢献してるし、直次朗さんは組み立てが上手くてミスもほとんどないし、新は鋭くて正確なロングフィードをする、チームにあまりいないタイプのボランチとして、その個性を発揮している気がします。自分はというと、特に強みもなく普通のタスクしかこなしてない、ありきたりの選手になってしまっていました。どうすればいいか悩んでいる時、ある紅白戦の後、当時4回生の先輩が、「高島は、守備の時に相手に寄せるタイミングとスピードがいいからそこ伸ばしていけ」と言ってくださいました。確かにゲームなどでは何度かインターセプトやパスカットができていたので、そう言っていただいたおかげで少し自信がつきました。それ以降は、守備面に自信を持ってるようになり、さらに、余裕を持ってプレーできるようになりました。

 この1年間、プレー中の意識を増やすことで、自分自身の成長を感じることができました。また、昨季のシーズンオフからは、対人で負けないフィジカルをつけるために、ジムに通って同期と共に日々鍛えるようにしています。食事の面でも栄養バランスや食事時間に配慮するなど、今季からはピッチ外でも高い意識を持って取り組んでいきたいと思っています。

 この一年感じたことを書いていると、思ったより長くなってしまったため、ここら辺で終わりにします。ここまできてタイトルを考えていなかったので、これまで書いた文章を振り返ってみると、意識というワードが多く出てきていたので、これをタイトルにしたいと思います。 

 稚拙でまとまりが無く、読みにくい、誰得の文章となってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

2021年6月4日金曜日

原動力 2年 島岡諒


 はじめまして、こんにちは。大阪大学体育会サッカー部2年の島岡諒です。再び緊急事態宣言が発令されサッカーから切り離される日々を送る今、改めてサッカーと自分について考える機会が増えました。今回のブログでは、僕がサッカーする原動力についての話をします。


僕にとって1番の原動力はサッカーが好きだという気持ちである。サッカーを始めた5歳の頃、練習のために公園へ行っても虫取りばかりしていた自分が、今ではサッカーというスポーツの虜になっている。大学で部活に入らず、サッカーを辞めるかサークルに入ってサッカーを続けるという選択肢を考えたことは1度もなかったし、真剣にサッカーを辞めたいと思ったことも今思い返せば1度もない。気がつけばそれほどサッカーが好きになっていた。

だが、この原動力関しては皆同じだと思う。僕がこのブログを通して伝えたかったのは2番目の原動力である「感謝」だ。感謝が原動力に変わったのは高1の冬だった。それまでは誰かのために頑張りたいと思ったことはなかったと思う。その時チームでは試合前に感謝や勝利といった10個の項目に優先順位をつけるという取り組みを行っていた。自分の中で感謝の優先順位は高くなかったが、チームでは感謝の優先順位は常に高かった。これをきっかけに、僕は自分の感謝について改めて考え直すことになった。小学校の時はチームと別にスクールに通わせてくれたり、中学校の時も部活ではなくクラブチームという選択肢を与えてくれたこと、高校になっても毎週試合を見に来てくれること。親には感謝すべきことで溢れていた。また、自分のミスを取り返してくれる仲間、サッカーを続ける限り応援してくれる小学校のコーチ、試合に負けて凹んだ時に励ましてくれる人。僕には感謝しなければならない人がたくさんいる。その時から、感謝が僕の原動力になっている。高校2年の時に1つ上の代と共に大阪2部に昇格し、高校3年では公立高校ではなかなか味わうことの出来ない2部という舞台を経験することが出来た。リーグ戦を通した結果は最下位であり、中には0-8で負ける試合もあったが3部リーグを共に戦った1つ上の代への感謝が僕を支えていた。2部リーグでの1年は1試合も勝てなかったものの僕の大きな財産になっている。

選手権もあっさり負けてしまい僕の高校サッカーは終わり、阪大に合格しサッカー部へ入部した。1年生からリーグ戦のメンバーに選んでいただき、2試合ではあるが出場もさせていただいた。今シーズン以降、1年生のうちから少しでも経験させて良かったと思ってもらえるようなプレーをしたい。もちろん言葉で感謝を伝えることも大切ではあると思う。しかし最も自分が感謝の気持ちを表現出来るのはピッチ上で活躍することがだと思う。今年は多くの試合に出場し目に見えるような活躍をして、たくさんの人に感謝を表現したい。


恐らく僕のサッカー人生の最終章であるだろう大学サッカーで、僕がサッカーから学んだこと、成長した自分の姿をたくさんの人に届けたい。最後にこの場所を選んで良かったと思えるよう、残り3年間の日々を無駄のないように過ごしたい。


最後に、このブログをきっかけに自分の「ありがとう」について今一度考えてみていただけると幸いです。拙い文書ではありましたがご覧頂きありがとうございました。