2017年3月30日木曜日

なぜサッカーをするのか 副主将 速水翔平


今年の春に大学へ進学する弟に
「なぜ大学でサッカーをしているのか、なぜプロにならないのにサッカーをしているのか。」
という質問を投げかけられた。そのとき、私は明確な答えを与えてあげることはできなかった。最近、自分の過去や将来のことを考えることが増え、サッカーのことについても深く考えるようになり、先の質問に対する私なりの答えが見つかったように思えるので、この場を借りて返答させてもらいたい。現在、阪大サッカー部への入部を悩んでいる新入生にも読んで頂けたら光栄です。

サッカーをしている人は誰しもが小さい時、プロになることを目指してボールを追いかけていたと思う。しかし、それがいつの日からかプロになることを諦め、目先の勝利を目指してサッカーをするようになったと思う。これは決して悪いことではなく、むしろ大人への第一歩を歩んだ結果であると私は考えている。

私が体育会サッカー部に入ろうと決心した瞬間は、高校最後の試合である。私はそのとき観客席におり、声を張り上げて応援をしていた。しかし、チームは惜しくも敗戦し選手からは涙が流れた。私の目からも涙は流れたが、それは選手の流す涙とどこか違うように思えた。私は高3の春から受験モードに切り替え、部活は続けていたが練習はこなすだけで何かを目指すことはなくなっていた。サッカーは受験期の気分転換のようなもので本気で取り組んではいなかったのである。これらの行いに対する後悔が、高校最後の試合の後にぐっとこみ上げてきた。いくら勉強して阪大に合格しようとも、本気でサッカーをして悔し涙をながしている選手にはかなわないと思ったのである。こうして私は体育会サッカー部に入部することを決意した。そして、ここには私が求めていたものがあった。一戦一戦を大事にし、そのために毎日練習を厳しく行い、最後の試合には勝っても負けても多くの涙が流れる。私はサッカー部に入って毎日が忙しくとも、日々が充実しとても楽しい生活を送れている。

また、サッカーをする意味についてサッカーの特性からも考えることができる。サッカーはどこでパスをもらってもよくて、いつシュートを打ってもよくて、どんな声を出しても良い競技である。ピッチ内には22人の選手がいて、一つとして同じシーンはないと断言できる。いわば答えのないものである。答えのないものに関して皆で吟味し意見を言い合う。この行為自体が私たちの今後の人生に役立つものであると私は考える。社会に出たらもちろんそうだし、大学院に進学して研究に励んでも答えのないものに取り組まなければいけないことは多々あると思う。そんなときにより良い選択をできる方法を知っている私たちは社会でも十分に活躍できる人物であろうと私は信じている。

プロになるためだけでなく、サッカーを本気ですること自体で充実した毎日を送ることができるし、キャプテンの西山の言う「人間的成長」にもつながるし、なにより苦楽を共にした大事な仲間ができる。私は本当にサッカーをしていてよかったと思う。

 最後に、最高学年となって今まで15年間やってきたサッカーも残り8か月となってしまった。副将として、四回生として自分に何ができるか考え行動することがチームのためにもなるし自分のためにもなると思う。最後の試合には熱い嬉し涙が出るよう、全力で走り切りたい。

長くなってしまいすみませんでした。書きたいことが次々と出てきてしまい、自分の文学の才能に驚きました。小説家も狙えるんじゃないかと思った速水でした。

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